これからの市場や社会はどうなっていくのか?興味深い仮説(その1)

従来の将来予測手法


企業が活動する上では、将来予測は不可欠だ。従来多くの企業では、過去の情報やユーザー調査等から、何らかの法則性を見出して、仮説としての公式(フォーミュラ)を作成して将来予測に適用してきた。使用するデータは自社商品の事もあるし、類似の他社商品、時には、まったく業界や活動分野が違うものや指標を参考にすることもある。多少バリエーションはあるが、いずれにしても、何らかの経験的な事実を積み上げて公式(フォーミュラ)をひねり出す。そして、なるべく統計的に有為な結果が導きだせるよう条件の統御された大量のデータをコンスタントに蓄積することによって、予測の精度を上げて行く。かつては、私自身この手法で販売数量予測を行っていた。かなり自画自賛できるレベルの精度を誇っていたこともある。



機能しなくなった従来手法


ところが、どうも最近はうまく行かないことが多い。特にITネット系はまるでうまく行かない。何より、公式をつくり出すためのデータが十分にはない、という問題も確かにある。中でもネット系は、信頼できるデータは蓄積していない事が多い。だが、どうやら問題はそれだけではない。そもそも経験的な事実やデータを積み上げて、何らかの公式をつくることができて、しかもそれが将来にも何らかの妥当性があるという前提自体が成立していないということを認めざるを得ない事が多い。


少なくとも商品やサービスは進化を続けているのは確かなのだから、今後も進化し続けることくらいは前提としたくなる。だが、これも明確に断定することは難しいということを思い知らされることが多い。例えば、ユーザーの指向は、商品やサービスの品質や能力が不足している間は、それを最大限求めるかに見えるのだが、要望は無限に高まって行くわけではなく、飽和する。そして、しばし思わぬ方向に向かう。今のところ、市場である程度信頼できる公式は、『ムーアの法則*1と言われる、プロダクトの進化の法則くらいだろう。



戦略自体の変更も必要


最近では、予測が難しいということ自体を認めて、予測はあくまで参考とし、過信しないことを前提にした戦略がだんだん主流になりつつあると思う。特にネット系では資源の選択と集中にリスクが大きく、ある程度のポートフォリオの中で、意味のある分散投資を行うことが必要だ。そして、商品やサービスがある程度できたら、ユーザーの要望を入れてどんどん改善、修正していく。その究極の姿は、ユーザー自身がサービスを生み出す、というありかただ。予測はリスク、と割り切ることのほうが、よほど戦略的にも正しいようにさえ思え来る。



進化は直線的で一方向という神話


例えば電話だが、これは通信手段としては、紙の手紙を一時は凌駕してしまった。私が会社に入った頃なども、とにかく電話することが仕事だった。受話器を両耳に当てるなんて言う事も珍しくなかった。この頃は、次の通信手段の進化の方向は、技術進化とコスト低減の方法さえ道筋が出来ていけば、テレビ電話、つまり映像付き電話だろうと誰もが漠然と考えていたと思う。その先は、スター・ウォーズでも出てくるような、お互いの姿をホログラフィーにしてその場にさも存在するかのようにして交信できるようになるのではないか、と考えたものだ。


これは、日本で『鉄腕アトム*2の頃から、今に至るまで基本的に続いていると思われる、技術進化のイメージの影響だろうと思う。すなわち、『技術は右肩上がりで一直線に進化し、一度進化した技術は退化することなく、さらに同じ方向に無限に進化を続けて行く』というイメージ、言い方を変えれば、イデオロギーだ。そしてこれは近代科学のイデオロギーそのものと言っていいかもしれない。そのイデオロギーは広く社会を覆っているから、社会制度や社会思想のようなものも、直線的に進化すると思い込む人が多い。



進化は直線的でも一方方向でもない現実


ところが、本当に興味深いことに、『紙の手紙→電話』の後は、もう一度手紙に戻ってしまった。(紙ではないが) テレビ電話どころか、今は手紙(eメール)全盛期で、電話よりメールを優先する傾向は、通常のプラベートな交信でも圧倒的に増えている。進化どころか、退化したかのように見えなくもない。一直線の技術進化モデルはもう通用しなくなっているのではないか、と私自身最初に感じた代表的なケースだ。


だが、よく周囲を見回してみると、退化というのは言い過ぎでも、復古したサービスやビジネスモデルで溢れている。 『オークション』『集団購入』『相互扶助コミュニティー』『贈与/ボランタリー経済等々。これらは、一見目新しいが、資本主義の画一化、大規模化、集中化等の流れに押し流されて消えて行った、古いモデルばかりだ。いったいどうなっているのだろう。



予測は不可能


もし、ここまで読んで、私と同じ袋小路にはまっていることを実感した人は、田坂広志氏の『未来を予見する5つの法則』*3を是非読んでみて欲しい。目から鱗が落ちる思いをすることを請け合える。


田坂氏は、これからの時代、未来は予測できないとして、3つ理由を上げている。


不連続

これからの時代に起こる変化の多くは、『連続的』な変化ではない。過去と断絶した、『不連続』な変化『飛躍的』な変化が起こる。(中略)世の中では『進化』という言葉が多様されるのでしょう。そうした時代には、過去の変化を延長して、未来を予測することができない。単に、『過去の傾向』を調査し、分析しただけでは、未来が見えないのです。 『未来を予見する5つの法則』P7


非線形

非線形』が、さらに予測を難しくしています。社会の片隅での『小さなゆらぎ』が社会全体の『巨大な変化』を起こしてしまう。(中略)現在の『小さなゆらぎ』が未来の『巨大な変化』をもたらす。それゆえ、『現在の主要な動き』を見ているだけでは、未来が分からない。 同掲書 P8


加速度

いまは、過去十八年の変化が一年で起こる『マウス・イヤー』(mouse year)と言われる。すべての物事の変化に加速度がついている。そうした時代には、未来を予測したときには、すでにその未来が過ぎ去っている。 同掲書 P8

よって、『定量的な、具体的な予測』はできないとする。これは本当に現場的な実感に近い。



予見は可能 弁証法が鍵


しかしながら、予見することはできる、というのが田坂氏の主張だ。『方向、トレンド、大きな流れ、大局観』を掴むことはできるが、そのためには、世界発展の普遍法則である、『弁証法』を学ぶ必要があるという。 


弁証法?  *4これはまた古色蒼然とした概念が登場したものだ、と正直私も驚いた。ただ、本書を読み進んでみると自分の不勉強を恥じる気持ちになった。確かに弁証法を復習してみる価値が十分にある。


私が大学で習った弁証法は、ヘーゲルマルクスの思想として狭義に理解していたため、マルクス経済学との縁が薄くなるにつれて、忘れてしまっていた。だが、広義の弁証法は、ギリシア哲学に遡る概念で、世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための法則で、もっと普遍的なものだ。ただ、それでも、ビジネスに応用できるほど、ショートレンジな小回りの聞く概念だと言われればやはり違和感はある。


ところが、今はまさに加速度がついた世の中だ。一世代にも相当する昔の30年は、マウス・イヤーではわずか2年にも満たないということになる。昔は、連続的な予測モデルを使うことが可能だった。長期トレンドがどうあれ、短期で見れば、直線的で、連続的だったわけだ。それが、当時の長期トレンドは猛烈に縮まって、今では短期で考えるべきものになっている。しかも、世界中の出来事がこれほど相互に関係していると、ある国で起きる歴史的大事件もすぐに全世界に影響が及ぶことになる。全世界の動向が直接自分たちに影響を与える要素となっており、量的にも大事件が増加していると言える。そういう意味でも、『ショートレンジで条件を統御した限定的な範囲を前提とする分析ツール』よりも、『ロングレンジで条件をできるだけ統御せず全世界を包含する分析ツール』のほうが、妥当性があるというのも、もっともなこととも言える


論より証拠、次回、田坂広志氏の『未来を予見する5つの法則』から例を引いて、もう少し具体的に紹介しつつ、併せて私の考えを述べてみたい。 

*1:ムーアの法則 - Wikipedia

*2:鉄腕アトム - Wikipedia

*3:

未来を予見する「5つの法則」

未来を予見する「5つの法則」

*4:弁証法 - Wikipedia