ダライ・ラマの示唆するWeb2.0時代のマーケティングと経営

web2.0時代のマーケティング


アンカテ(uncategorizabe blog)の、4月21日付けのエントリー、『ダライ・ラマから学ぶweb2.0時代のマーケティングダライ・ラマから学ぶWEB2.0時代のマーケティング - アンカテに非常に興味を感じる内容を見つけたので、それをご紹介するのと併せて、私の見解と意見を書いておきたい。 (今回のチベット問題に関して、このブログで何ら意見を申し上げる意図はない。ただ、ダライ・ラマ14世については、高い境地に至った宗教者としてかなり以前から尊敬していた。一日も早い解決を望みたい。)


このエントリー全般が大変興味深い見識に満ちており、さまざまに考えさせられるのだが、特に以下の部分には引かれるものがあった

確かに、「非暴力」というダライ・ラマの弱いメッセージの方が、世界的に共感を集めている。

ありとあらゆる主張が飛びかっているWebの中では、強いメッセージは強い反動を呼び、互いに打ち消しあって遠くまで届かない。

残るのは、非暴力のような弱いメッセージだ。弱いメッセージは打ち消しようがない。打ち消しようがないがないから、ゆっくり広まっても結局は世界中に広まる。

非政治的なメッセージが政治を動かし、非営利的なメッセージが経済を動かすのが現代という時代だ。そういう時代に、現実的なのは、強いメッセージではなく弱いメッセージを発することである。


従来、『非暴力』というような、巨悪が跋扈する世界においては非現実的とされてしまうようなメッセージは(日本で言えば、『非武装中立』というような主張も同じカテゴリーだと思う)人々の理想として心の中に掲げることができても、実際の力となることが難しかった。もちろんこれは今でも、基本的には変わっていないと思う。如何に理想は大切でも、実現できなければ仕方ない、と大方の人は言うだろう。


ただ、インターネット、特にweb2.0の時代には、何か違いをおこせるのではないか、と感じる人が増えているようだ。

暴力で長期的に勝つことは不可能ということは普遍的な真理だけど、弱いメッセージが速く広まっていくというのは、Webの時代ならではのことだと思う。


弱いメッセージというより、実現性や現実味等のリアリズムに簡単に打ち消されがちだが、理想のあり方として、広く人々の心に届くメッセージ、と言い換えてもいいと思うのだが、普段はその反対の強いメッセージが相手にするまでもないと考えるからこそ、さほどの圧力も受けず、しかしながら、届けば普遍的に受け入れられるが故に、非常に大きな影響を及ぼすというわけだ。それをweb2.0が後押ししているという。



経営のパラダイムを変える新しい常識


例えば、日常的に、著作権問題に係わっている人が、一様に疲弊してしまうのは、同じ土俵で強いメッセージを戦わせても、複雑に絡み合った現行法と立場が錯綜する権利者との調整が理想のあり方の方向に決着するようには思えないことだ。まさに、強いメッセージは強い反動を呼び、互いに打ち消し合って遠くまで届かない、という状況になっている。今のままでは、如何にロジカルに、倫理的に、あるいは法的に正しくてもきっとそんなことでは事態は解決しないというような、焦燥感とあきらめムードが漂いがちだ。



何とか、直接強い意見をぶつけ合うのではなく、普遍的で多くの人が受け入れられるようなメッセージで多くの人を巻き込んで行くことはできないだろうか。確かにそれは、web2.0の時代、そして一億総発信時代と言われる今のほうが、実現性がありそうに見える。


web2.0が生んだ成果とされる中でも、もっとも従来の常識を覆すかに見えるのは、オープンソースの興隆、広義で言えば、群衆の叡智が実際の成果を生んで来ていることだと思う。経済動機に支えられない活動は、大きな成果を得れるはずがないというのが、過去の常識だった。ところが、旧来は結びつくことなどありえなかった人々がインターネットで結びつくことによって、過去の常識は完全に覆えされつつある。もちろん、すべての活動がそうなっているわけでもなければ、今後そうなって行くというわけでもない。ただ、強いパッションと共感を呼ぶことができれば、多くの人が簡単に繋がることができる現在では、数々の奇跡を起こせることがわかって来た。


だとすると、そのパッションと共感はどこから生まれてくるのか。そして、より広がるためには何が必要なのか。月並みだが、ビジョン、理想、思想、正義、公正さ、普遍性といったような価値の訴求ということになる。よって、必ずしも簡単なことではない。しかし、それをしっかりと抱いて訴求できる人や企業には、web2.0の奇跡を起こす力が後押ししてくれる、ということは十分にありそうだ。他方で、企業の不正義、不公正等、最近では面白いくらいに内部告発で明るみに出され、浄化作用が働くようになった。これもインターネット普及のもたらした新しい常識といえるだろう。


経営が理想と美徳を取り戻し、その理想や美徳をリードできる、卓越した経営者がいる企業に顧客の支持が集まる時代、それをインターネットの神が後押ししてくれる時代が来つつあるのではないか。そして、その神の微笑みを得たければ、今起きている新しい法則をしっかりと理解し、自分の味方にするべく努力することが必要になると思う。そしてそれは、間違いなく、これからの経営のパラダイムを変えて行くだろう。