マーケティングの解体と再構築

マーケティングの醍醐味


マーケティングというのは、取り組んだ者ではなければわからない醍醐味がある。その分析が正しく、その手法が功を奏した時には、実に驚くような成果にわくわくすることができる。しかも、ある程度体系だって勉強することで、誰でも一定レベルまでは到達することができる公平さもある。専門性とスキルが必要とされるが、財務、経理、法務というようなスキルと違って、創造性やセンス、美的感覚等が必要とされ、とてもカラフルでもある。人間や社会への深い洞察が必要で奥深い。特に、海外市場への取り組みにおいては、日本市場よりも一層活動範囲と自由度が大きい。欧米企業では、経営者の必須知識という扱いも受けている。


ところが、最近では、いわゆる『伝統的マーケティング』スキルでは、太刀打ちできない状況が多くなってきていて、インターネットという怪物の跋扈する市場では、伝統的マーケティングの見方に固執したり、手法にとらわれること自体が、競争条件を悪化させるような事例も多い。特に、最近のように、どの業界でも企業間の技術的水準が同質的で、製品やサービスの本質的な部分では差別化が困難となり、どのブランドも顧客の側からみるとほとんど違いが見出せない。そんな中ではどんな商品もすぐにコモディティ化情報システム用語事典:コモディティ化(こもでぃてぃか) - ITmedia エンタープライズが起きて、価格競争の叩き合いになってしまう。



曲がり角にある『伝統的マーケティング』スキル


伝統的マーケティングでは、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング等により差別化し、そこからもたらされる付加価値を得ることを目指す手法(競争戦略)が中核となるわけだが、市場が過当競争となり、技術レベルに違いがなくなると、どんなに市場を細かく定義して、ポジションを確保しようとしても、付加価値を確保することがしばし難しい。


しかも、特にIT系の場合、市場が不安定で変化しやすいため、あまりに特化を進めると、一旦特化した製品やサービスで競争できなかった場合、企業として競合できる『弾』がなくなってしまう。むしろ幅広い取り組みを如何に効率的というより効果的に行うためのスキルやノウハウが重要だったりする。選択と集中というのは、90年代以降、呪文のようにもてはやされたし、実際に多くの場合に勝利条件ではあるのだが、過去の経験則が役に立たなくなりつつある現在、暗愚な選択と集中は、企業をマーケティング・マイオピア(企業が自社のマーケティング上の使命を狭く解釈しすぎて変化への対応力を失ってしまうこと)に誘い込み、破滅に追い込む例も多い。


さらには、市場とユーザーが、平板な常識、過去の経験則等では把握できなくなってしまっている。私の過去のブログにも書いた通り、若年層の状況一つとっても、理解するためのツールが全く古く、まったく間違った理解をしている例が多い。そんなことで、どうやってポジショニングやブランディングができるのかと、飽きれてしまうような事例が溢れている。



市場とユーザーの根本的な見直しから


では、マーケティングはもう不要なのか、と言われれば、むしろ逆であることは特に成功している企業のエッセンスを研究すればすぐにわかる。ただし、古いコンセプト、古い分析ツールはこの際捨てる覚悟をしたほうがいい。古いコンセプトやツールにこだわるのではなく、市場とユーザーの根本的な理解に再度取り組むことを軸に、解体と再構築が必要だ。そうすれば、世界から無視され始めた日本企業も、かならず再起のきっかけは発見できると思う。そして、すでに多くの優秀な(多くは海外の)マーケターが新しい取り組みを初めている。簡単に負けるわけにはいかない。