津田大介氏の真骨頂を知る事ができる新著『動員の革命』

ツイッター利用の第一人者:津田大介


アジャイルメディア・ネットワーク社(AMN)の現社長徳力氏は、『ブログがなければ今の自分はない』と、おりにふれて語る。彼は、ブログが日本でもブレークした2000年代の半ば頃、一早くその可能性に気づき、ブログを最大限活用することによって自らの知名度を上げた日本のインターネット界のリーダーの一人だ。


だが、双方向メディアの主役がブログからツイッターへシフトし始めたころ、字数制限はあるもののリアルタイム性と伝播性に優れるツイッターの特性を一番理解して最大活用したのは津田大介氏であることは誰しも認めるところだろう。『津田る』と言われた、ツイッターを利用したリアルタイムの怒濤のようなレポートは、私自身、彼が現場から発信している姿を何度か見て、目を見張る思いをした記憶がある。これは同時にインターネットの変転のスピードの速さを実感する出来事でもあった。



津田氏とは何者なのか知る事ができる新著


ただ、そのスピード故に、津田氏もまたあらたな何者かに乗り越えられていくのではと、当時、漠然と感じていた人もこれまた少なくないのではと思うが、どうだろうか。しかし、そうはならなかった。それどころか、ソーシャルメディアの一方の雄としてその存在感を大きく拡大してきているツイッターと同様、津田氏は今まで以上に活動の場を広げ、知名度は拡大し続けている。そして、ソーシャルメディア全盛時代を象徴する存在として、さらに一層の輝きを増して行く可能性を感じさせてくれる。その理由は何なのか。津田大介氏とは一体何者なのか。


特にこの半年くらい津田氏の活動を逐一フォローしながら考えて続けてきたものの、今ひとつはっきり考えがまとまらなかった。ジャーナリストの佐々木俊尚氏のように、時代を鋭く切り裂く論考とキーワードを提示できるタイプではない。評論家の東浩紀氏のように、驚くべき世界観を見せてくれるタイプとも違う。だが、明らかに時代の主役の一人になりなんとしている津田氏のことを、うまく理解できないでいる自分を感じていた。だが、新著『動員の革命』を拝読して、霧が晴れるようにその理由がわかった気がした。そして、長い間目の前にあったのに、見えていなかったものが突然見えた気がした。



変わりつつある『動員の力学』


津田氏が本書で語るように、ソーシャルメディアの浸透、というより、ソーシャルメディア×クラウド×モバイル」の浸透で明らかに大きく変わりつつあるのは、何をおいても『動員の力学』だ。何かのきっかけをうまくつかむことができれば、従来では考えられなかったほどのスピードで、巨大な『動員』が可能になってきている。しかもそれはこの数年の間に非常な勢いで加速している。その端的な現れが中東の春から英国の暴動を経て、米国の『オキュパイ・ウオールストリート』に続く政治的な動員ということになる。(興味深いことに、非合法の暴力行為がない『オキュパイ』がむしろ最も洗練されて完成度が高いと津田氏は評価している。日本でもこの間、反フジテレビや反原発を掲げたデモがあった。)



津田氏の変遷


私が最初に津田氏の活動を注目し始めたのは、インターネットユーザーの立場を代弁して法律問題を国会や役所に伝える活動として、彼がインターネットユーザー協会(MIAU)を立ち上げた頃だが、当時の津田氏は非常に尖っていて面白いが、自分の周囲の同調者以外の支援はなかなか得られない、孤立無援の活動家という印象だった。ところが、その後ツイッターを通じていわゆる『津田る』が始まり、そのツイッターソーシャルメディアの雄として確固たる地位を築いていくのと並行して、津田氏自身のプレゼンスが飛躍的に上がって行くのをはっりと感じることができた。知る人ぞ知る特異な活動家から、業界人なら誰でも知っている著名人となり、今や一般人にも名前を知られる有名人になりつつある。この間の変遷を本人は下記のように語る。

ソーシャルメディアの普及以前は、僕自身、社会運動なり政策提言活動なりを進めていくときに、壁にぶつかることが何度もありました。2005年に『ネットを使って政策を国会や役所の議論に届ける』ための社会運動を始め、そのために、著作権保護期間延長問題を考えるフォーラム(think C)や、インターネットユーザー協会(MIAU)を立ち上げました。しかし当時は、ツイッターユーストリームも存在していませんでしたから、なかなか大変な道のりでした。一緒に何かをしようとしても実際に反応してくれる人は少数でした。コミュニティをつくって運動を進めていくことは、かなり孤独な作業だと感じました。今なら『この政策が話題になっています。皆さんの生活に関わる大問題ですよ』というシンポジウムをユーストリームで中継して、ツイッターで告知すればある程度は人が集まります。しかし、昔は『動員をかける』という作業は本当に大変だったのです。


主体的に行動できる人は、『出る杭』としてどんどん周囲から飛び出していました。誤解を恐れずに言えば、『出る杭』はなりふりを構わず行動する人ですから、1000人に1人、もしくは1万人に1人の存在なのです。それがてんでばらばらに飛びだし、出過ぎると打たれてしまう ー これが過去の状態でした。
 しかし、オープンなソーシャルメディアが登場して、変わりました。『出る杭』として飛びだしたときに、それに呼応してすぐに追いかける人間が出てきたのです。呼応する人が増えることで、リアルタイムで大きなムーブメントに成長していく ー この動きは、ツイッターフェイスブックで起こり、実際に中東でも起きています。

同掲書 P43〜44

気になる三つのポイント


今となっては、私自身、津田氏を通じて、革命の現場に立ち会い、革命の進行を見守って来たのだという感慨がある。だが、この革命、まだ進行中で、今後懸案になるであろう課題は沢山ある。本書を読んだ人の誰もが感じるであろう大きな課題に絞っても、少なくとも以下の三つは見過ごすわけにはいかないだろう。津田氏はこの点、どう考えているのか。

1. どうすれば動員できるのか(だれでもできるわけではない)


2. 動員はマネタイズできるのか(さらに活動を拡大する鍵でもある)


3. 政治課題等の現実を変えることはできるのか(今は気分の共有まで)

どうすれば動員できるのか


自由になるお金はあるが、今ひとつソーシャルメディアに馴染みはない、という典型的な日本企業が安易に取組むと、ポジティブな動員よりネガティブな動員、すなわち『炎上』を招くことになる。これに過剰に反応して、ソーシャルメディを忌避したり、おっかなびっくり程度にしか踏み込まない企業も非常に多い。だが、昨今では米国発のFacebook等の成功事例が華々しく喧伝され、日本でも会員が急増するようになると、いやでも無関心ではいられなくなる。やむなく、腰を引きながら参戦することになる。もちろん、こんなことでは、ソーシャルメディアの動員力の真価を知るにはほど遠い。


しかも、そもそも、ソーシャルメディアにおいて真に動員力があるのは、ゆらぎやミスのない情報発信しかしない組織/企業ではなく、個人、それも個性を臆することなく全面に出して、何が起きるかわからない意外性を感じさせるパーソナリティーだ。本書でも、即興ができる力量、人心掌握術、さらには成長のプロセスを可視化できるパーソナリティー等が動員力あるパーソナリティーの事例としてあげられている。いずれも個人の『パーソナリティー』が鍵で、発言の揚げ足を取られることを何より恐れて人間味も面白味もない会社の公式発言しかしないようでは、ソーシャルメディアの動員の力学の恩恵にあずかることは到底期待できない。これはすでに語り尽くされたことでもある。


だが、一味違うのは次の見解だ。巷で語られるソーシャルメディアで受容されやすいメンタリティー/パーソナリティーのパターンに加えて、『わら人形メンタリティーの持ち主』という概念が出て来るのだが、これこそ津田氏ならでは、と言える画期的な見解だろう。

そういえば、議論するときの用語で『わら人形論法』ってありますよね。相手の意見をわざと誤解したり、誇張したり、元の文脈を無視して一部を引用して相手の主張を歪めてたたく ー これってツイッターでは日常的に行われている光景じゃないですか。140字という文字に制限されたなかで結果的にこういう誤解やフレーミングが起きてしまうのは、僕は仕組み上避けようがないことだと思っているんです。


 良い、悪いではなく、ソーシャルメディア上ではあらゆる言論がわら人形論法にさらされるという特性を分かったうえで、いつ五寸釘を打たれてもいい覚悟を持ってわら人形になれる奴が強い。たとえ五寸釘を打たれても、込められたメッセージをすべてそのまま受け止めるのではなく、あくまでもあいまいな『思い』としてそれを受け入れ、自分の中で消化する。これを自覚/無自覚的に行っている人がソーシャルメディアで『動員』できているわけで、それは現実の知名度と、ソーシャルメディアにおけるフォロワー数や言論の影響力が比例しない何よりの証明になっていますよね。

同掲書 P163〜164


まさに津田氏にできて他の人にはできていない、最大のポイントはこれだろう。こういう対応はいくら組織にやれといってもできないし、著名人でもプライドに凝り固まった固いパーソナリティーではこんな芸当は到底できないだろう。(というより、一体誰がこんなことを上手くできるというのか。)ツイッターの裏も表も知り尽くす津田氏の真骨頂を見た思いだ。



動員はマネタイズできるのか


一昔前に比べるとインターネットのサービスや活動におけるマネタイズの事例は目に見えて増えてきている。ソーシャルゲームがその代表例だし、最近『超会議』で話題のドワンゴニコニコ動画もマネタイズの成功例の一つである。また、今塀の中のホリエモンなど、メールマガジン(メルマガ)で年間1億円を稼でいることはご存知の通りだ。津田氏自身、メルマガである程度のマネタイズが成功していることを認めている。


とはいえ、まだまだこれも『少数の例外』で、動員すればお金になるとは限らない。現実にはマネタイズに苦労するインターネット・サービスだらけというのが実態に近いだろう。だから、本書で語られる動員のマネタイズも津田氏という特殊事例と感じる人も多いかもしれない。だが、そもそも津田氏が対象にする動員とは、個人のパーソナリティーや理想/目標が誘因となって、ソーシャルメディアの拡散力によってもたらされるもの、ということになるから、動員されるフォロワーはすでに、『支援』や『援助』の気持ちで溢れていると考えられる。だから、その動員にマイクロペイメントのような仕組みが組み合わされると、動員とマネタイズが一定のリンケージを持つようになる可能性はありうる。


津田氏はこれから『寄付』がブームになることを予感しているが、ここでは『寄付』というより『支援の気持ち』『小額援助』というほうがイメージが近そうだ。確かに、ソーシャルメディアで賛同できる活動、賛同できる人に簡単に50円とか100円の単位でお金を送ることができる仕組みがあれば、予想外にお金が集まる機運はある。津田氏もメルマガを始めてみて、メルマガの中身には興味はないが、この資金をベースに津田氏が『新しい政治のメディア』をつくろうとしていることを支援したいという人が一定層いることがわかったという。これこそまさに『支援の気持ち』であり、『小額寄付』というべきだろう。


昨今の経験則から、『人はコンテンツにはお金をはらわないが、コミュニケーションにはお金を払う』と言われるようになってきているが、支援は典型的なコミュニケーションの一形態だ。(AKB48にその典型例が見られる。)また、岡田 斗司夫氏が提唱する『評判経済』など、まさにこれを説明する概念そのものともいえる。マーケッティングの泰斗、フィリップ・コトラー氏が提唱するマーケティング3.0では、今後ユーザーにアピールするためには、コミュニティや、クリエイティブクラスを揺り動かす大義と精神性が必要とされるが、これなども同種の概念を違う言い方で説明しているように思える。物より人/評判の時代が来ようとしている。


だからこの文脈で言えば、本書で紹介されるような、『クラウドファンディング』*1は今後大変に有望なビジネスモデルということになる。本書でも米国の成功例として、『Kickstarter(キックスターター)』*2、日本での開始事例として『READYFOR(レディーフォー)』*3、『CAMPRIRE(キャンプファイアー)』*4、『motion gallery(モーションギャラリー)』*5等があがっているが、じっくりと研究してみたい。



政治課題等の現実を変えることはできるのか(今は気分の共有まで)


これこそ、津田氏が準備中という『政治メディア』に期待するところ大だ。日本の政治は、他国と比較しても明らかに劣化していて、いくつかのツールやルートも多くは機能不全になってしまっている。例えば、海外ではソーシャルメディアの動員力に助けられた大規模な政治デモが功奏し、それがまた他国に伝播していく様子が生き生きと語られるが、これと比較すると、日本のデモは明らかに未成熟で、『残念』なレベルだ。無意味と言い切る識者さえいる。ネットで民意が見えて来ても尚、民意の方向、正しい方向に政治が変わっていくように思えない。それが今の日本の政治シーンだ。津田氏自身、3・11以降、もう政治と行政に期待しても無駄だと意識がはっきりと変わったと述べている。


だが、考えてみると、インターネットを通じて民意が可視化されてきていること自体、まったく今までにはなかったことだし、すでに古びてしまったかに見えるツールに今再びソーシャルメディアが命を吹き込む可能性は十分ありうる。少なくとも、学生の時分からインターネットやソーシャルメディアを使いこなしている世代が実権を握るようになるころには、さらに格段の『動員の革命』が進展することは大いに期待できる。何とかそれまでの時間を少しでも縮めるべく、津田氏に限らず、フレッシュな『出る杭』を支援していきたいという気がしてくる。



自分には何ができるのか


ビジネスを仕掛ける側としては、何としても自ら動員し、マネタイズするコツを津田氏の活動や著作から掴み取りたいと思うが、こと政治活動に関する限り、私自身がリーダーシップを取って、出る杭になることは当面考えにくい。だが、本書でもう一つ気づかされたことは、『よい支援者になること』や『よいフォロワー=他のフォロワーの連鎖のきっかけになるフォロワー』が貴重な役割を果たしうるということだ。すでに津田メルマガは購読を始めているので、次に何が自分にできるのか、この際よく考えてみようと思う。そのような『動員力』も本書にあることは、私という個人では実証済みだ。