いかにも違和感がある生活満足度調査の結果をどう理解するか

 

 

現在の生活に満足している若者が83.2%?

 

内閣府が行なった『国民生活に関する世論調査』で、現在の生活に満足していると答えた人は、74.7%で2年連続で過去最高を更新したという。これを18歳から29歳までに限定すると83.2%というから、どのような背景があるにしても(あるいは質問の仕方に多少問題があったとしても)、これは本当に驚くべき数値だ。*1 数々のスキャンダルに見舞われながらも自民党の安倍政権の支持率が(特に若者の支持率が)下がらない理由の一端がここにあることを感じた人は少なくないはずだ。確かに、前政権の民主党の経済運営があまりに拙劣だったとの印象が若者の間にも強く残る中、彼らが現状維持が最善と考えるのも無理はないように思える。ただし、この調査結果に安堵できる人は最早それほど多いようには思えない。どう考えても違和感がある。この違和感の正体をあらためて現時点で明らかにしておく必要があることをむしろ強く感じてしまう。

 

 

所得と満足度は相関していない

 

内閣府は、この結果について、『景気や雇用状況が穏やかに回復していることなどが背景にあるのではないか』と分析しているという。確かに、雇用が大幅に悪化したりすれば、多少なりとも満足度が下がる可能性はあるにせよ、今ではこの生活満足度が所得とは相関しなくなっているのは、データを見れば明らかだ。

博報堂研究開発局【楽差社会】とは』より引用

http://www.qom.jp/about/develop.php

 

しかも、そのターニングポイントは2000年前後に遡る。それまでは、所得と生活満足度は比例関係にあり、所得が上がれば消費を拡大することで生活が豊かになり、満足度が上がるのは当然と見なされていた。だが、2000年以降は、所得が下がり続けるのに、満足度が上がり続ける、極端に言えば逆相関とでも言えそうな推移さえ見られるようになる。これを、博報堂研究開発局では、所得=モノを消費する力の差によって豊かさに差がつく『格差社会』から、モノではなく、個人の『楽しめる力』や『楽しもうという動機の強さ』によって『生活の豊かさ』に差がつく社会への転換が進んでいるととらえて、『楽差社会』と命名している。*2 第二次安倍政権の発足は2012年であり、政権の経済運営の良し悪しという軸とは別の、大きなトレンドの変化が起きていたことになる。

 

 

かつての古市憲寿氏の分析

 

所得に関係なく、生活満足度が向上し続け、戦後最も生活満足度が高くなっている現象については、社会学者の古市憲寿氏が、『絶望の国の幸福な若者たち*3(2011年)や『だから日本はズレている*4(2014年)等で取り上げて、非常に大きな話題になったのを覚えている人も多いと思う。当時、私もこのブログで取り上げた。この頃の古市氏の説明につき、当時自分が納得できたものをあらためてピックアップするとざっと以下の通りとなる。

 

 

① 若者が親と同居していてあまり貧しさを感じていないこと

 

② インターネットを利用するお手軽なコミュニティは花盛りで

     手軽に承認欲求を満たせるようになったこと

 

自己実現欲求や上昇志向から降りることで小さなコミュニティの

    比較しかしなくなり不満が減ったこと

 

④『今、ここ』にある身近な幸福を大切にする感性のことは

    『コンサマトリー(自己充足的)』と定義され、何らかの

     目的達成のために邁進するのではなく、仲間たちとのんびりと

     自分の生活を楽しむ生き方のことを言うが、90年代以降、

     若者のコンサマトリー化が進み、客観的な経済指標がどうあれ、

     コンサマトリーなマインドを持つ人が増えるほど満足度は

     上がることになった。

 

 

■ 現時点での再評価

 

2018年現在の視点でこれを再評価してみると、①は親のスネがかなり細りつつあるが、今のところ『最低限の衣食住の充足』という意味では相変わらず機能していると考えられる(ただしこれからもれると貧困に転落する恐れがあり、実際貧困に沈む若者が増えている)。

 

②はかなり怪しくなりつつある。平成30年の情報通信白書勉強会の報告でも述べた通り、日本ではインターネットはコミュニティのつながりを広げるツールとしてはほどんど利用されていないことがわかってきたからだ。*5

 

一方で、不特定多数ではなく、特定の知り合いの間に限定したコミュニケーションツールである、LINE等の利用は浸透しており(2017年7月時点の利用者数は7,000万人、1日に1回以上利用する率である、アクティブ率は72%)若者が狭いコミュニティーに閉じこもる傾向は一層顕著になっている。だから、③の説明は今でも有効だし、強化されたと言っていいかもしれない。日本だけでなく、海外でも、インターネットによって、人は自分が興味があって、心地よい情報しか目を向けなくなる傾向が助長されることがわかってきているから、コミュニティも、情報も、時を追うごとにその人の心地よいものだけに限定されていく。自分の比較の対象となる人も制限されるから、嫉妬したり、不満を感じたりすることも少なくなる。いかに大谷が大リーグで活躍しようと、一般人はそれに嫉妬心を感じたり、それによって自分に不満を抱くことはない。比較の対象にならないからだ(だが、身近な兄弟とか学校や職場の友人となるとそうはいかない)。

 

人が抱く不満は、その人の置かれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差によるとする、いわゆる『相対的剥奪』という理論があるが、インターネットは、主観的な期待水準を効率的/効果的に下げるツールとなっているとも言える。主観的な期待水準を下げて、自分に心地よく設定することができれば、結果として、不満が少なくなり、相対的な満足度も上がると考えられる。

 

④も③と同樣、特に若者はますます、コンサマトリーなマインドを持つ人が増えていると考えられる。身近な幸福/楽しさ、という点では、今ではスマホが一つあれば、かつては(インターネット本格導入以前には)考えられなかったほど、ほとんど無料で何でも楽しむことができる。音楽はSpotifyを使えば無料で無限と言っていいほどの楽曲を聞くことができる。Youtubeにも大量の楽しめるコンテンツが溢れている。月に1,000円程度払えば、NetflixなりHuluなりで映画でもテレビでも番組でも、延々と視聴することができる。これらのコンテンツをネタにクローズドで心地よく話ができる気の合う友人たちとLINEで連絡を取り合っていれば、お金をほとんどかけずに楽しくすごすことができる。かつて、音楽CDを買うにも映画を観るにもお金がかさんで、コンテンツ消費もままならない学生生活を送っていた自分を振り返ると、楽園のような環境であることは確かだ。先日も、30代の女性美容師と話しをしていたら、テレビ放映している日本や韓国のドラマをビデオで録り溜めていて、これを消化するのに忙しくて、自由時間のほとんどを使っているので、外出もあまりしないのだという。韓国ドラマ好きの友人たちとのコミュニケーションも楽しみなのだそうだ。

 

『コンサマトリー』な行為の対局にあるのが、『インストゥルメンタル』な行為であり、これは賃労働、営利活動、受験勉強、政治的等、外部にある目的のための手段としてある行為だが、『インストゥルメンタル』な行為を最上とする価値観を持つ中高齢層から見れば、『コンサマトリー』な行為はとんでもない時間の無駄遣いに見えてしまうだろう。だが、その中高齢層とて、80年代には、爛熟した高度消費社会の真っ只中にいた。皆、懸命に働いたが、それは所得を増やし、消費活動のレベルを上げるためだった。何も崇高な目的があったからではない。だから、バブルの頃に、働くより株や不動産投資で所得が増えるとわかれば、バブルの狂乱に踊った。

 

だが、当時すでに劇作家の山崎正和氏は著書『柔らかい個人主義の誕生』*6 で、高度消費社会では、人々は『より多く、より早く、よりしばしば』という生産至上主義社会の原理=効率主義に疲れ、欲望があまりに簡単に満足されてしまうことで欲望も快楽も苦痛に変質し、選択の対象の数が増えて、人生が迷いの連続になってしまうこと、そして、消費は効率主義の対局にある行動であり、充実した時間の消費こそ真の目的である行動だとして、消費を自己充足(コンサマトリー)に変換することが消費の最終的な成熟の姿であることを予言していた。当時、高度消費社会で翻弄されていた、今の中高齢層は、所得が増えて、消費が拡大しても、ある時点からは決して幸福でも満足でもなくなっていた。消費を通じた自分探しが流行った時期もあったが、早々と迷路に迷い込みかえって不安のどん底から抜け出せなくなっていた。それをこの目で見てきた私は、現状を若者の堕落と見るのではなく、消費社会が成熟した証と素直に見認める方が自然に思えてしまう。

 

このように、古市氏が分析した当時とは、今は若干環境が違ってきている部分もあるが、インターネットによるコミュニティの細分化の進展という補強材料をえたりして、トレンドとしての『若者の満足社会』は継続していると考えられる。

 

 

今後も安泰とはとても言えない

 

満足度が上がる社会は、それが下がってしまう社会に比べれば良いに決まっているし、『コンサマトリー化』のような社会の大きなトレンド変化は、『必然』と考えるべきだと思うが、ただ、その『満足』も、古石氏も述べているとおり、最低限の衣食住が満たされていることが前提だ。だが、それは今後とも安泰かと問われれば、そうだと胸をはることは誰もできないはずだ。

 

この議論が盛り上がった2010年代の初め頃と現在を比較すると、世界における日本の一人当たりGDPの順位は大幅に下がり、2010年の段階で世界で18位だった順位は、2015年には27位まで下落している。(2000年には2位!)日本のGDPが中国に抜かれたと話題になったのは、2010年だが、今では中国のGDPは日本の2.5倍近い。

 

中でも若者の収入の低下は顕著で、*7 生活環境は急速に悪化してきている。この数年、若者を取り巻く生活環境の悪化については、様々な形でクローズアップされてきているが(非正規雇用の拡大、ブラック企業、若年層の高い自殺率等)、中長期的に見ても、日本企業の年功序列/終身雇用制度の枠にそもそも入れない、あるいは早々とドロップアウトしてしまった若者は一生涯の貧困が余儀なくされるコースにはまり込んでしまっているように見える。*8 当然、結婚等の家族形成もままならない。すでに、2015年時点で生涯未婚率は男性で23.4%、女性で14.1%となっているが、*9この比率は今後さらに上がることが予想されている。つまり、現状が厳しいだけではなく、希望もない。もちろん、日本企業の王道のコースに乗れずとも、実力で外資系コンサル企業にでも入ってのし上がる、というような気合いの入った若者もいないことはないが、それはほんの一握りで、大半の普通の若者はそうはいかない。

 

いずれも、これを問題と捉えて、真剣に対処しないと小手先では改善が見込めない深刻な事態となりつつある。所得格差拡大は今の資本主義社会の必然だが、このままでは早晩、超富裕層とホームレスの二極化というくらいの格差にまで行き着きかねない。当然超富裕層はほんの一握りで、中間はほとんどなく、大半はホームレスに近い貧困層というあまり喜ばしくない未来像だ。何とかしてそうならないようにすべきだが、現状の『若者満足社会』では、若者を大きな改革勢力として糾合することは難しそうに見える。

 

東浩紀氏の発言への若者の過剰な反発

 

かつて、研究者/実業家の落合陽一氏は、Twitterで次のように発言して、注目されたことがあった。

 

  

まあ、これは中高齢層についてはかなり的を得ていて、私の周囲にも、今だに中国との差がまだ僅差で、日本経済は世界の中でも上位レベルを維持していると勘違いしている人がものすごく多い。だが、『満足社会』にいる大半の若者は、そもそもマクロ経済の衰退のインパクトには関心がないように思われる。

 

このツイートを受けて、思想家の東浩紀氏も、何件かのツイートを発信している。*10

日本のGDPがいまやアメリカの4分の1中国の半分以下で、一人当たりGDPは世界27位というのは、90年代に20歳代だったぼくの世代にとってまさに屈辱的な数字だけど、より屈辱的なのは、にもかかわらず日本最高とか言い募る若者がいっこうに減らないことだ。。

 

失われた10年なるものももう25年にまで延びてきて、若い世代は「失われていなかった時代」そのものを思い出すことが難しくなっている。戦争の風化以前に、豊かさの風化を止めないと国にはマジで沈没する。日本最高とか言う前に、一回でも外国行ってみればいろいろわかるんだけどね。。

 

日本が貧しくなっていることを問題だと思わない反応が多くて驚いた。金はあったほうがいいに決まってる。貧しくなったからといって国民が賢くなるわけではないし、実際まったく賢くなってない。若者の愛国と同じ無理な自己正当化だと思うけど。。が、論争はしません。。

 

東氏の懸念はもっともで、このままでは日本経済の底が早晩抜けてしまうと恐れがあるし、昨今の『愛国』が、ヘイトスピーチ等に見られるように、あまりよろしくない方向に向かってしまっているとの嘆きが背景にあることもよくわかる。

 

ただ、このツイートを見た若者の側反発は非常に強かった。正直なところ、過剰反応と感じられるくらいだ。どうしてそこまで強く反発するのだろう。みな現状に満足しているのなら、笑って(余裕を持って)見過ごせば良いはずなのだ。だが、どうやらそのような余裕はなさそうに見える。

 

古市氏は、当時、社会学者の大澤真幸氏の言説を引用しつつ、次のような趣旨の論点についても言及していた。すなわち、もはや自分がこれ以上幸福にはなれないと思えば、人は『今の生活が幸福だ』と答えるしかない。若者の幸福度(生活満足度)が急上昇しているのは、2000年以降、彼らが将来に『希望』を持てなくなったことの裏返しだ、と。

 

『希望』がないこと、若者の『不安感』が強くなっていることについては、いくつかのデータを見つけることができる。そのうちの一つに、若干古いが、2013年の13歳から29歳までの男女を対象に行われた、『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』がある。そのうち、悩みや心配事、将来像についてたずねた結果が特に興味深い。これを見ても、他国と比べて日本の若者は不満が多く、不安定で、『将来への希望がある』と答えた若者の割合は日本が最も低い。

 

不安・不満が多く先進国の中では最低水準 大人たちは「若者の意識調査」を他山の石とせよ | 出口治明の提言:日本の優先順位 | ダイヤモンド・オンラインより引用

 

東氏のツイートに反発した若者も、余裕などないのだろう。しかも将来に対する不安を一番に感じているのは、そういう若者自身なのだと思う。だが、自分たちにはどうしようもないという思いも強いに違いない。だから、若者を批判して、責任を問うているように見えてしまう東氏の発言に過剰に反応してしまうのではないか。

 

 

若者に責任があるとは思えない

 

実際、日本全体が貧しくなったことについても、若者の非正規雇用が増えて、将来が見通せなくなったことについても、若者に責任があるわけではなく、責任があるのは、現状の中高齢層にあたる企業経営者、および官僚や政治家の方だ。若者からすれば、自分たちこそ犠牲者という思いだろう。まして、その中高齢層から、『若者の物欲のなさが日本経済を弱体化させている』というような発言が出てくれば、怒り心頭で、炎上するのも当然とも言える。

 

この実例として、かつて自動車評論家の故徳大寺有恒氏が『女にモテる車を作れば若者の車離れは止まる』と述べて炎上したことがあった。*11  若者の側からすれば、日本が強い時代をイメージすることはもはや難しく、企業では正社員にもなれず、やむなく自己防衛として、過大な夢や目標を持たず、身の回りで楽しみを見つけて充足するよう、自助努力しているのだと言いたいのではないか。

 

 

対策案

 

では、どうすればいいのか。

これもまた、回答が大変難しい問いになってしまうが、何よりも若者の経済状態の改善には最優先で取り組む必要があることは言うまでもない。この課題の優先度が非常に高いことをあらためて強く感じる。そして、将来に希望が持てる人と将来に絶望している人が分裂する『希望格差社会*12 の解消に全力で取り組む必要がある。生活満足度が高いから放っておけば良い、というような意見は論外だ。ただ、その改善策として、『全員正社員化』、というような対策は短期的には一見良さそうに見えても、実際には、事態をさらに悪化させることになりかねない。『全員新卒の正社員で採用して年功序列で終身雇用』というこれまで多くの日本企業が死守してきたコースをさらに強化するのでは、すでに大量のこのコースから落ちこぼれた若者(すでに40代まで含まれている)を、さらに一層追いつめることになってしまう。まさに、希望格差社会を固定化してしまいかねない。

 

途中からでも、何度でも、やり直しがきく制度にあらためていかないとどうにもならない。まして、昨今では、日本はICTの導入や利用が世界の先進企業と比較して大幅に遅れる等の、企業競争力の低下が深刻化しており、この原因が高齢化して劣化した経営者と、『全員新卒の正社員で採用して年功序列で終身雇用』という制度にあることは明らかなのだ。

 

最近、他国と比較して、日本だけ修士や博士の取得者が減っていること(=研究力の低下)が話題になっていたが、*13 修士号や博士号を取ることで、入社年齢が高くなっても、その後の競争や待遇が不利にならない制度が普及しなければ、ますます先細るだけだ。現状では理系の修士等の一部例外を除けば、明らかに不利になる。まして、文系の博士号など、企業にとっては評価の対象どころか、マイナス評価でしかない。また、大学を出てからボランティア等で他国で働く経験をしたり、起業した後に大手企業に入るような、バラエティに飛んだ人材を増やしていくためにも、途中から参入しても不利にならず、何度でもやり直しがきく制度を浸透させていくことは不可欠だろう。特に昨今の若者には、社会貢献やボランティアには自然に共感して参加する者も増えている。その傾向を伸ばしてあげるような制度を定着させることは日本の国柄を上げることにも貢献するはずだ。

 

 

まだ分析は足りていないかもしれない

 

今回も、問題だけ先にクローズアップして、その対策まで熟考する時間の余裕がなく、しりつぼみの論考となった感があるが、本件は日本社会の現状を理解するにあたり非常に重要な論点であり、また、現代のマーケティングや商品開発者にとっても、何としても噛み砕いて理解しておく必要がある事項だと思う。今回の私の意見に不満があったり、不足を感じる人は、是非このテーマを引き取って、分析をもっと先に進めて発表してほしい。私も引き続きテーマとして取り上げて論考を深めて行きたいと思う。