私なりの西部 邁氏への追悼文

 

◾️YouTubeのコンテンツ

 

2月中旬に、突然腰のあたりが痛くなり、動けなくなった。それから約一週間、痛みもあって睡眠もままならず、特に最初の3日は24時間中半覚醒状態にあった。他に何もできないこともあり、手元にあったiPadYouTubeを起動して夢遊病者のように様々なコンテンツを漁って、流し続けていた。今にして思えば、非常に不思議なことではあるが、ほとんど無意識な状態でありながら、肝心なところはいつも以上に鮮明に記憶に残り、これまでずっと長い間疑問に思っていたことの答えにもなっていることに気づく。その中でも、一番印象に残った、評論家の西部邁氏について(それでなくても、何か書いておきたいと考えていたこともあり)少し書いておこうと思う。

 

西部邁氏は、ご存じの通りさる1月21日に自裁し亡くなった。個人的にも非常にショックだったこともあり、西部氏の最近の言動をできるだけチェックしてみたいと思っていたところではあった。近著(そして絶筆となったわけだが)として出版されていた「保守の神髄」*1は早々に読んだが、YouTubeにはそのような著作にはない、人間西部氏を知るための「参考点」となる要素で溢れている。文字情報では伝わってこない、息遣いや、表情、声のトーン等、皆、貴重なメッセージだ。しかも、思った以上に西部氏のインタビューや講演録のようなものは沢山残っている。

 

西部氏と言えば、歯に衣を着せず、場合によっては厳しく人を批判することから、疎ましく感じていた人も少なくなかったと思われる。だが、幅広い経験と深いと教養に基づいた言説自体には説得力があり、賛否は別としても、誰もが一目置く評論界の「重鎮」だったことは確かだろう。私も、近年では、西部氏のご意見に全面賛成と言うわけにもいかないことも多く、「違和感のある言説」に突き当たることも少なくなかったが、その度に自分が持つ見解との差異の分析を通じて、自分自身の現状を検証する「よすが」とさせていただいてきた。

 

 

◾️西部氏の言説との出会い

                                                                                                                                              私自身が最初に触れた西部氏の言説は、西部氏が、スペインの思想家ホセ・オルテガ・イ・ガセット(オルテガを参照して述べる、近代批判、および当時の日本のビジネス文化やビジネスマンに対する批判だった。まだバブル崩壊前ということもあり、日本的経営が称賛され、「ジャパン・アズ・NO1」と持ち上げられ、日本の経営者も舞い上がりつつある時期だったこともあり、オルテガを評価して持ち出す人など他にはいなかった(知らなかっただけかもしれないが・・)せいか、大変新鮮に感じたのを覚えている。ちょうど当時の私も、日本的経営礼賛が次第に陳腐なイデオロギーと化していく様や、思考停止したまま礼賛してまわる輩に辟易しはじめた頃でもあった。

 

確かに、通常ビジネスにおいては、あらゆる活動を数量や金銭価値という一元的な尺度に還元し、それを極大化することが求められる。現代では、株価時価総額至上主義を金科玉条とする米国のグローバル企業等に、最も先鋭化した姿を見ることができる。当時の日本企業では、まだ、村社会と同様の企業コミュニティが良かれ悪しかれ支配的だったこともあり、今にして思えばかなり牧歌的なところもあったが、これからバブル経済に傾斜していくタイミングということもあって、独特の金銭至上主義的な狂奔の兆しが出現しつつあった。

 

株主だけではなく、全てのステークホルダーに配慮し、短期利益だけではなく中長期的な利益を重視し、そのビジネスを通じた文化価値の増大であったり、経済社会に対する貢献等を重視する姿勢等、かつて一流のビジネスマンの「徳」とされたようなものは急激に軽視されるようになり、当時の私達から見ても、あきらかに狭量で歪んだ人物像が新しいビジネスマン象として横行するようになった。後で振り返ると、西部氏のこの当時の言説は非常に予言的でもあった。

 

 

◾️大衆/大衆化批判

 

手元に、NHK市民講座で西部氏が講師として語ったときのテキストが残っている。我ながらよくぞこんな古いものを残していたものだと思うが、当時の西部氏の主張が非常にコンパクトにまとまっている。「大衆化」「大量化」等、当時はいずれも半ばポジティブな文脈で語られていた用語も、西部氏は容赦なく論難する。

 

大衆化あるいは大量化は、いいかえると、物質的快楽や社会的平等といったような単純な価値を過剰に追い求めた結果として達成される。感受しやすいもの、観察しやすいもの、測定しやすいものに執着することによって、いわば統計の世界が出現する。統計の世界は均質化、標準化あるいは平均化を基軸にして編成されるのである。しかし、統計の世界のおける単一価値もしくは少数価値の過剰追求は文明の質的な歪曲であり、退廃である。(中略) 実は、量的表現のなかに質的表現の劣位をみようとするのこそが、ここ二百年におよぶ大衆論をつらぬく不動の視点だといってよい。容易に統計化することのできない人間の特質および活動をないがしろにすまいと構えるとき、均質化・標準化・平均化は凡庸であり、低俗であるとみなされることになる。

NHK市民大学 1986年7-9月期 大衆社会のゆくえ」

 

フォーディズム人間疎外の象徴として批判の対象とされる一方、フォードの工場労働者のような中流のワーカーでも安価で自動車が手に入れることを可能にしたという意味で、経済的平等実現の原動力でもある。日本でも戦後の高度成長期を経て、中流の暮らしは非常に豊かになり、しかもその中流の裾野は急速に広がっていったが、そのことを可能とした大衆化、大量化には一定の評価できる側面があったことは否めない。

 

だが、問題はそこからだった。さらに豊かになれる条件が整い、世界も日本に注目し、日本が世界にどんな貢献ができるのか、それが問われていた。自動車のようなモノづくりにおいても、「安かろう悪かろう」の段階を脱して「安くて高品質」と世界で評価を受けるレベルまで到達していたが、さらにその上を目指すにあたって、自分たちができる自動車文化の進歩への貢献は何か、高いレベルの文化価値を有するプロダクトとは何か、そのような問いかけに責任を持つべき立場に到達していることを自覚することができた。実際に自分たちも自動車の企画に関わっていたから、このような高いレベルを目指せることの高揚感をひしひしと感じていたものだ。しかしながら、そこからの日本は、西部氏が語ったとおりの退廃と低俗に向かい始めた。企業内でも、レベルの高い思想は「大衆」の狂乱にかき消されていった。

 

西部氏は、狭い専門領域における知識しか持たない学者や官僚、ビジネスマン等を含む「エリート」こそ典型的にオルテガの言う「大衆」に該当し、そんな専門家=大衆が社会に横暴で狭量な意見を無節操に押し付ける愚を嘆く。これこそ、まさに当時の自分の周囲で起きていることそのものに感じられた。いわゆる日本を代表する会社の「ビジネスエリート」に囲まれつつも、そのほとんどの者が空疎でまともな議論もできないことに失望していたこともあり、西部氏の言説に救われた思いをしたものだ。

 

 

◾️理性はたかが知れている

 

YouTubeに出てくる西部氏は、東大で経済学を学びながら、「つまんねぇな」と思っていたと述べる。それもまた、まさにかつての私自身の嘆きそのものだった。説明能力を上げるために、高度な数値化や狭い専門領域を設定する当時の「近代経済学」は、私自身(私も経済学部だった)、本当に「つまんねぇ」し「わかってねぇな」と思っていた。そして、人間に関わる現象を説明したければ、「ホモ・エコノミクス」というような隙の多い概念に閉じこもるだけではなく、もっと人間に関わる現象を広く深く探究することは不可避ではないのかとずっと感じてたものだが、どうやら西部氏はもっとはるかに大きなスケールでこれを感じ、実際に渉猟を行った人だったようだ。心理学から、文化人類学社会学等ありとあらゆる分野に関心を持って関連文献を読破していったのだという。

 

その後、行動経済学というような、心理学的に観察された事実を経済学の数学モデルに取り入れていく研究手法が大きな地歩を占めるようになったごとく、時代はある程度、西部氏の正しさを証明していったように私には見える(もちろん西部氏本人は、そんなものは評価できるうちに入らないとおっしゃる気もするが・・)。ただ、広く範囲を広げてしまえばしまうほど、専門家の持つ刃の鋭さをなくし、結局のところ語るべき何がしかに到達すること自体できなくなってしまうのではないか、というしごくごもっともなご意見が出てくる。実際、昨今の大学の実状を見れば、細分化は究極まで進み、どの学問分野でも重箱の隅をつつくことが専門化の証とでも言わんばかりの状況となってしまっている。だが、これでは、表面を薄く切り取る刃物にはなり得ても、決してその奥にあるもっと本質的な理解にたどり着くための武器になるとは到底思えない。

 

もちろん、西部氏のような異彩の人が広く深く探究したところで、神のごとく何でも見通せる理性を会得できるわけではない。結局のところ、人間の理性ができることなどたかが知れている。そこで人間の理性があてにならないとすると、規範をどこに求めるかが問われるわけだが、西部氏は、英国の思想家で保守思想の始祖、エドモンド・バークの思想を是として受け入れて行く。バークは人間の行動規範として理性ではなく、人間が長い時間をかけて住みあげて来た営為の結晶としての「伝統」を重視することを説く。それはたとえ不完全であっても、歴史を通じた「自然のなりゆき(natural cource of things)」の中で生まれた社会の価値観を尊重するほうが間違いは少ないとする。そして、これもその後、経済学者のフリードリヒ・ハイエクの言うところの「理性主義」「設計主義的合理主値」に基づく、ソ連のような共産主義国諸国が瓦解したこともあり、西部氏の「面目躍如」の一つと言える。

 

 

◾️求道者のような生き方

 

それにしても、西部氏の真実を求める求道者のような生き方には、あらためて感嘆の念を禁じ得ない。かつては、大学闘争時代の学生側の幹部であり、それは「極左」というべき立場だろう。だが、そこから転じて最終的には、保守論客の本流、いわば最右翼にまで行き着く。しかも、その経緯もすごい。大学闘争に挫折した後は、パチンコや博打にあけくれ、やっと東大に復学した時は、30歳を超えていたという。しかもそうした苦闘の結果得た東京大学教授をいわゆる「東大駒場騒動」の結果、あっさりと投げ打ってしまう。地位や名誉、金銭等の世俗の価値観にほとんど捕らわれることのない、求道者の姿がここにある。

 

ちなみに、この「東大駒場騒動」のきっかけは、西部氏が東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手(当時)の中沢新一氏を推薦したことにあった。この思想家の中沢新一氏関連のコンテンツについても、YouTubeで幾つも見つけることができる。この時は、「ラジオ版学問のススメ」を聴いていたのだが、学問に対する姿勢と言う点で、あらためて中沢氏と西部氏が同心円上にいたことがうかがえる。

 

中沢氏は大学に入る以前から、大学の既存の学問の範囲では自分が本当に知りたいことを知ることができないと考えていたという。そして、その大学も、早稲田大学文学部に入学しながら、翌年には東京大学教養学部理科二類に入り直し、生物学者を目指すものの、在学中に宗教学者の柳川啓一の講義を聴講し、それがきっかけで宗教学に転じて文学部宗教史学科に進むという遍歴を持ち、さらに驚くべきことに30歳を前にチベットに行って3年間もの密教修業を行っている。学問をキャリアとして立身出世を目論む者は少なくない(というよりそういう人がほとんど)が凡そその対極の姿勢と言える。

 

中沢氏は、その言説や行動に批判も少なくないが、現在までの到達点としての、「カイエ・ソバージュ」シリーズ(旧石器人類の思考から一神教の成り立ちまで、「超越的なもの」について、人類の考え得たことの全領域を踏破してみるとことをめざして、神話分析、宗教、芸術等に幅広い領域について考察された、中沢氏の講義録をまとめたもの)など、オリジナリティに富み、その壮大なスケールに圧倒されてしまう。重箱の隅をつつくタイプの専門家には絶対に到達できない境地であることは確かだ。

 

二人とも東京大学の出身ではあるが、私の知る多くの東京大学出身者とは別種の人間というしかない。特に、受験戦争を勝ち抜き、優秀な成績で官庁に入省するエリート官僚とはおよそ正反対だ。だが、その日本の誇るエリート教育の結果生まれた人材が、非常に未熟で残念な醜態をさらす事例を特に昨年など次々に見せつけられると(「このハゲー」と絶叫して暴力をふるった官僚出身の元国会議員等)、豊かさを実現して以降の日本が残せたものの貧しさに愕然とする思いだ。西部氏や中沢氏のような巨人と自分を比較しても詮無いが、基本姿勢として学問に限らず、ビジネスでもそうだが、どのような姿勢を自分の基軸におくべきか、という点でずっと師として仰ぎ見て来たが、自分の成果がどこまで出たのかは別として、やはり原則間違っていなかったとあらためて思える。

 

 

◾️西部氏の思想との差異

 

かつて西部氏を通じて知ることになった、オルテガもバークもいまだに自分の貴重な思考の基軸ではあるが、特にバーク流の思想の咀嚼に関して言えば、この10年くらい悶々としてきた。特に直近では、「日本企業の生き残り」をテーマの一つとしてビジネスの在り方について探究してきた(そしてブログ等でも書いてきた)わけだが、そうしていると、日本人の深層に巣食う悪しき「伝統」が今また怨霊のように組織や人間に憑依して、日本を奈落に引きずり込もうとしている様がありありと見えてくる。日本人にとっては、近代的個人の確立の努力がその悪しき「伝統」と荒れ狂う感情を相対化することに寄与する可能性があり、その努力を安易にやめてしまうべきではないと思えてならない。(この点、評論家の大塚英志氏のご見解にやや近いのかもしれない。)

 

また、近代文明の在り方に強い反感を持つ西部氏の技術楽観論者に対する嫌悪は相当なものだったが、私もその基本姿勢には少なからぬ賛意を共有しながらも、一方で米国『WIRED』誌の創刊編集長である、ケヴィン・ケリーが著書「テクニウム」*2で述べるような、人間にとって半ば外的な「自然」として進化する「技術」に背を向けるだけではいかんともしがたい現状(および将来像)を前に、技術の有用性をある程度認めつつ、妥協点を見つけ、それに飲まれてしまわないような関係のあり方を模索することが重要と考えて来た。もちろん私も技術進化が自動的に人間の幸福に直結するというような楽観論は幻でしかないと考えているが、技術進化を完全に退けてしまうことは事実上の思考停止となりかねないとも思う。

 

荒れ狂うような技術の進化の只中にあって、世界は旧来の分析装置では読み解くことが難しくなってしまっており、自分自身の心のバランスを保つことにも苦心し、自信がなくなることも少なくない。そういう時には、今までと同様、これからも時々西部氏の思想にふれて、自らの立ち位置を振り返り、場合によっては修正していきたいと思う。西部氏の冥福をお祈りする。合掌。

*1:

 

*2:

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?