日本企業は迷わず『経験価値の徹底追求』に取り組んだほうがいい


◾️ トランプ政権誕生でも変わらないトレンド


2017年はトランプ政権誕生という大波乱のおかげで、政治も経済も今後を見通すことが以前にもまして難しくなっている。経済問題に限って見ても、選挙の公約について本当のところ何をどこまでやるのか。それによっては、予想以上の大混乱に陥る可能性も否定できない。


だが、それがどのようなものであるにせよ、昨年の終わりに書いた通り(記事タイトル:一人負け日本で企業はどう生き残ればいいのか?*1 )日本の経済、日本企業の展望はあいかわらず非常に厳しく(トランプ政権誕生によって好転するとも考えられず)、2010年代の残る3年間の過ごし方次第では、無事に2020年代を迎えることができなくなってしまいかねない。どんなに厳しくても、どんなに視界不良でも、今は踏ん張りどころだ。


それに、トランプ政権誕生が時代の大きな転換点になることは間違いないとはいえ、一方で経済やビジネスの中長期トレンドについてみれば、今世界には、不可逆な潮流が厳然としてあり、多少の紆余曲折はあっても根幹のところは変わりようがない。それは言うまでもなく、技術進化のトレンドだ。トランプ次期大統領は、現代のビジネスにおける技術進化を象徴する存在であるGAFA( GoogleAppleFacebookAmazon)はじめ、西海岸のIT企業を嫌っていると巷間伝えられ、そのためにIT企業は、そのビジネス環境が悪くなったり、政治的な対応に足を取られて、しばらくは従来ほどの速度で活動することは難しくなるかもしれない。


だが、どの企業のどの活動でも、今後は特に、人工知能(AI)のような、デジタル技術の活用が企業競争力と直結していて、もはや切り離すことはできないことが明らかになってしまった現代では、政治的な環境が変化したところで、企業の競争の大原則(ウイニング・フォーミュラ)がおいそれと変わるとは思えない。当然、この点での日本企業の競争環境も原則変わりようがない。よって、あらためて、前に述べた『日本企業が市場で飛躍するための処方箋』も今変更する必要はないと考える。到達のための道順や時間は変更が必要かもしれないが、到達点は変わらない。それをまず基本的な前提として明確にしておきたい。


その上で、前回書ききれなかった議論を、もう少し展開しておきたい。場合によっては、今回分でも書ききれないかもしれないが、その場合にはまたその次以降に書き足していこうと思う。いずれにしても、このテーマはブログ記事の2〜3本で語り尽くせる程度の問題ではない。書き足すだけではなく、修正すべきは修正して精度を上げ、全体像をより鮮明に浮かび上がらせていきたいと考えている。



◾️ 日本企業が市場で飛躍するための処方箋


では、前に挙げた処方箋だが、次の4つである(それぞれの説明は、記事をご参照)。

1. 人事制度
2. IT/技術利用
3. マーケティング経営
4. 体験価値の徹底追求


いずれも重要でどれ一つとしておろそかにできないし、そもそもこの4つを高いレベルでバランスをとることが何より重要であることは繰り返すまでもない。ただ、典型的な日本企業がGAFAのような巨大IT企業や、昨今では創造的破壊企業ともユニコーン企業(新しく事業を立ち上げたスタートアップ企業のうち、推定企業評価額が10億ドル以上の未公開企業がそのように呼ばれるようになった。)とも称される、猛烈な勢いのある企業と同列に争って勝ち抜くことができるのか、という疑問も湧いてこよう。上記の4つが『成功のフォーミュラ』と言えるとしても、それはまた、結局旧来の日本企業に勝ち目はないことを、言い換えているだけではないか、という弱気な疑問が出てくることも予想される。(特に最近はそのような反応も少なくない。)確かにそれは一面あたっていて、個別の得手不得手はあるにせよ、総じてシリコンバレーのIT企業タイプの企業のほうがこの点でも合理的でスピードが早く、自社で不足している要素があれば、買収や合併等を通じて短期間に取り込み、自家薬籠中の物とすることにも長けている。



◾️ あらためて立てるべき問いと回答


もちろん、現実のビジネスは、この4つを含む様々な要素を独自にミックスして、差別化し、競合力を構築していくわけだから、初めから白旗を上げるのはいかがなものかと思うが、何より彼らの経営判断も、組織を作り直すスピードも圧倒的に速く、このスピードに多くの日本企業が立ち竦んでしまっているのが現実だろう。さらに言えば、先にも述べたように時代が下れば下るほど、AIのような技術進化の影響が圧倒的になるから、他の要素で多少勝っても、結局全て吹っ飛んでしまうのではないか、という疑問も出てくるだろう。だから、ここであらためて立てるべき問いは次のようなものになる。

GAFAやユニコーン企業に対しても、短期的にも競合力の優位を保つことができ、AI等の技術が市場を席巻する時代になってもその競合力を維持し、維持するだけではなく、世界に攻めていくことができるための日本企業が取れる戦略は何か?

そして、以前から私が申し上げているのは、『経験価値の徹底追求』がその一番の回答となると考えられるということだ。



◾️ あらためて、経験価値とは


ご参考までに、あらためて、経験価値という概念につき、最初に提唱したマーケティングの専門家、バーンド・H.シュミットが定義した『5つの側面』について引用し、提示しておく。

経験価値とは、製品やサービスそのものの持つ物質的・金銭的な価値ではなく、その利用経験を通じて得られる効果や感動、満足感といった心理的・感覚的な価値のこと。カスタマー・エクスペリエンス(Customer Experience)ともいい、顧客を、単なる購入者ではなく、最終利用者としてとらえる考え方に基づいている。この概念を提唱したバーンド・H.シュミット(Bernd H. Schmitt)によると、経験価値には以下の5つの側面があるとしている。


SENSE(感覚的経験価値) 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感を通じた経験

FEEL(情緒的経験価値) 顧客の感情に訴えかける経験

THINK(創造的・認知的経験価値) 顧客の知性や好奇心に訴えかける経験

ACT(肉体的経験価値とライフスタイル全般) 新たなライフスタイルなどの発見

RELATE(準拠集団や文化との関連づけ) 特定の文化やグループの一員であるという感覚

経験価値とは|マーケティング用語集|株式会社エスピーアイ

◾️ 音楽市場における事例


市場が飽和した現代では、差別化の最も有効な手段の一つがこの『経験価値』であることは、すでに『常識』なので事例は沢山あるが、すでに『常識』とされているのであれば、競争は激化しており、ここもすでに『飽和』していて参入が難しいのでは、との危惧もあろう。確かに、後に述べるように多くの米国企業は非常にシステマティックにこれに取り組んでおり、競争は激化している。だが、一方で、この競争領域(経験価値)の奥は深く、まだ開拓余地が十分にある。それを感じていただけそうな事例と今後の方向について以下に述べてみたい。


先日発売された、音楽ジャーナリストの柴那典氏による『ヒットの崩壊』*2という本には、音楽ビジネスにおける体験価値の重要性がわかりやすく示され、具体例も豊富で非常に面白い(市場の評価も高いようだ)。日本の音楽業界において、CD等の音楽ソフトの販売のピークは1998年で、以降は、2013年の特殊な例外を除き、下落に次ぐ下落で、それを補う存在として期待された有料音楽配信サービスも2005年〜2007年は全体の売り上げを押し上げることに貢献したが、それ以降は音楽ソフトの落ち込みを補う勢いはなく、1998年に6000億円あった音楽ソフトの売り上げも、2015年には有料音楽サービスを加えても、半分の3000億円まで落ち込んでしまった。ところが、その一方でライブやフェスは大変な活況で、実力のあるミュージシャンは生計を立て、活動を拡大する原資も得て潤ってきているという。


柴氏は本書の前書き(はじめに)で次のように述べる。

ここ十数年の音楽業界が直面してきた「ヒットの崩壊」は、単なる不況などではなく、構造的な問題だった。それをもたらしたのは、人々の価値観の抜本的な変化だった。「モノ」から「体験」へと、消費の軸足が移り変わっていったこと。ソーシャルメディアが普及し、流行が局所的に生じるようになったこと。そういう時代の潮流の大きな変化によって、マスメディアへの大量露出を仕掛けてブームを作り出すかつての「ヒットの方程式」が成立しなくなってきたのである。


CD等の音楽ソフトによって音楽を聴くより、実際のミュージシャンの演奏だけではなく、観客の歓声やその場の雰囲気等のすべてを体全体で感じる体験(経験)の価値を人々は重要視するようになってきた。その構造変化に気づく者は生き延び、それに気づけない者は没落していく。そういう状況がこの日本の音楽業界でも現実になってきている。ただ、実ところそのようなユーザー側の変化は、ずっと前から伝えられていた。例えば、以下の記事が書かれたのは2009年9月、今から7年以上も前だ。

CDが売れないといわれる中、音楽コンサート市場は活況を呈しているようだ。日本経済新聞の9月10日付朝刊では、ぴあ総研による「集客型エンターテイメントのチケット市場規模」に関するレポートを引用し、2008年の音楽コンサートの市場規模が前年比3.9%増の約1,503億円となったと報じている。同年の音楽ソフト市場規模が前年比約92%の約3,617億円にとどまったこと(日本レコード協会統計資料)を踏まえると、コンサートビジネスは異例の高成長を遂げているといえる。

CD文化からコンサート文化へ Jポップは「聴く」よりも「観る」時代 - ライブドアニュース

この傾向は、日本だけではなく、世界的傾向であることも、当時から指摘されていた。

日本に限った話ではない。音楽業界は世界的にコンサートビジネスへとシフトしており、有力なアーティストほどコンサート活動で稼ぐ傾向がある。たとえば米国の歌手・マドンナの場合、先月終了した世界ツアーにおいて計32カ国で350万人のファンを動員し、4億800万ドル(約375億9,700万円)の収益を上げている。一方で、マドンナのCD販売のポテンシャルはヒット作でも世界で500万枚程度と見られており、インターネット等の音楽配信分を勘案しても、コンサートにおける収益には遠く及ばない。

CD文化からコンサート文化へ Jポップは「聴く」よりも「観る」時代 - ライブドアニュース


また、アーティスト毎の日本の音楽CDの売上は、『握手券のシステム』に支えられている、AKB48がトップの常連で、それどころか、2011年から2015年までのオリコン年間シングルランキングのTop5のほとんどをAKB48の楽曲が占めている。このやり方には批判もあるが、裏を返せば、AKB48は握手会のような場でファンとの交流を深め、ソーシャルメディアをフルに活用し、ファンをライブに動員する等の手法には非常に長けていて、仕掛け人(秋元プロデューサー)が体験価値の重要性を早くから見抜いていたことが商業的な成功につながった例であることは以前から指摘されていた。



◾️『住みたい街』の評価軸として


住みたい街というような、古くて新しいテーマを見ていても、確実に『体験価値』が注目され、洗練されて行く動向が見て取れる。HOME’S総研が2015年9月に発表した、『Sensuous City[官能都市]− 身体で経験する都市;センシュアス・シティ・ランキング』と題した調査研究レポートについてまとめた本、『本当に住んで幸せな街〜全国「官能都市」ランキング』*3はその点で大変参考になる。日本語としての、『官能』というのは、少々誤解を招きかねない用語の使い方という気もするが、日本官能評価学会のウェブページには、ここで言う官能評価について次のような説明がある。

文明社会に住む我々は生活に必要な様々な尺度、例えば長さ、重さ、時間、温度を考案し、それらを正確、精密に計ることで社会を発展させてきました。
 一方、我々が日常経験する事象、朝の空気が爽やかだとか、自動車の乗り心地が良いとか、夜景がロマンチックというような感覚や情緒的経験は前述の尺度で計測することはできません。例えば、赤ワインをきき酒する手順を考えると、先ずそのワインの色、香り、味の特徴を把握し、出来れば数値化する。次に知識のライブラリーの中からそれに近い産地、銘柄、更に生産年の変動幅以内にあるかどうかを検討し、それらの特徴を誰にでも理解できる言葉で表現する。これが官能評価です。

学会とは | 一般社団法人日本官能評価学会


つまり、従来は指標として示しにくかった、感性、感覚、情緒的経験等の数値化を図ろうという試みらしい。まさに、より精妙な『経験価値』の見える化を志向していることがうかがえる。いかにその体験価値の存在に気づいても数値化できなければ、市場価値として評価できないし管理することは難しい。そういう意味では大変興味深い取り組みだ。


本書で取り扱う、『街の住みやすさ』という点については、従来より国家がつくった評価フォーマットがあり、これは、クリーン、利便性、開放感等、わかりやすくはあるが、均質で没個性的な価値で埋まっていて、その結果、日本は全国どこでも同じような個性のない街で溢れることになった。これに対して、世界的に著名な都市計画家であるヤン・ゲール氏の評価軸を元に、次の二つの観点で指標をつくったという。

不特定多数の他者との関係性の中にいること:関係性

身体で経験し五感を通して都市を近くすること:身体性


具体的には、次のような観点が織り込まれている。



そして、その指標で選ばれたランキングが次の表だ。

一目見て、違和感を持った人が多いのではないだろうか。従来もっと高く評価されていたはずの街のランクが低かったり、その逆もあって、私自身、正直、強い違和感があった。だが、実際に住んでいる人の満足度は、この指標で出た上位ランクの街は総じて高いという。そのアンケート結果が次の表である。


従来の『利便性』や『効率性』等、一見わかりやすい価値は持っていても、ここで言う人間が街に住むために欠かせない要素(人間的な価値:関係性、身体性等)を捨象してしまったような街と、そのような要素が溢れている街との違いについて精査すれば、これが今後企業が真剣に開拓に取り組むべき『経験価値』の典型的な現れの一つであることがわかると同時に、まだ見つかっていない価値が開拓できる余地がいかに大きいかを感じることができるだろう。一見、意味がなさそうなのに、実質的にユーザー満足度を上げることができる指標を他社に先駆けて把握することがいかに競争戦略上重要であるかは言を俟たない。


開拓余地という点について補足説明するために、ここで、経験価値について述べた文献である『新訳経験価値』*4より、市場で提供される各ステージにおける経済価値の一覧を引用するので、見てみていただきたい。


経験は様々な商品やサービス提供のあらゆる場所で提供できる可能性があり、しかも、新たに発見し、洗練し、高度化していくことができる。



◾️デザイン思考


先述したように、経験価値というのは、マーケティングの先進地域である米国で、マーケティングの専門家である、バーンド・H.シュミットによって1990年代の終わり頃に発表された概念であり、その後、どの企業でも真剣に取り組まれるようになった。昨今ではマーケターなら経験価値=CX(カスタマー・エクスペリエンス)を十分に理解していなくてはモグリと言われるほど、常識の範疇となっている。特に、昨今の競争は、既存の商品やサービスを論理的思考で改善して価値を高めていくような活動では勝ち抜くことはできず、ゼロから1を創出してビジネス化していくようなイノベーションによって争われている。したがって、いわゆるMBA的な思考に加えて、『デザイン思考』というようなCXのエキスパートであるデザイナー主導でサービスを作り出そうとする発想が非常に大きな潮流になってきている


実際に、デザイナーがIT企業を立ち上げるケースも増えてきている。例えば、ユニコーン企業の一角、民泊サービスのエアビーアンドビーの共同創業者の3人のうち2人は、美術大学を卒業したデザイナーであり、全世界のユニコーン企業の創業者のうち、約2割がデザインや芸術を学んだというレポートもあるという。



◾️ 文化や習慣、言語等に左右される経験価値


この点でも多くの日本企業より、GAFAや先端のユニコーン企業の方が市場では一歩も二歩もリードしているように見えるし、実際それが現実ではある。だが、経験価値というのは、ユーザーのいる環境における、文化、歴史、神話、習慣、習俗、思想、言語等の要素から生まれ出ずるものであり、その環境においてこそ洗練される性格を持つ。だから、深めれば深めるほど、その集団や国家の特殊性や時代性があらわれ強く作用する習慣、習俗等、自分でも意識できる経験価値もあるが、一方、その源泉は本人でさえ気がつかない深層意識の側に属し、そこには個人を超えた民族固有の特性が見て取れる。『自分でも気づかなかったが、それこそが欲しかった!』というユーザーの感想が出てくるのは、このあたりから引き出した価値が寄与するケースが少なくない。そして、差別化のためには、またとない壁になる。


例えば、ニコニコ動画で若年の日本人が感じている経験価値を日本文化にまったく馴染みのない外国人が理解するのは相当に難しい(無理といっても過言ではない)。哲学者の九鬼周造が言語化して見せた、『いき』についてもそうだ。あるいは、仏教学者の鈴木大拙が英文でも解説した『禅』や『日本的霊性』の概念など、日本人でも理解することは難しいかもしれないが、それでも、少なくとも日本人のほうがはるかに理解できる余地はあるはずだ。したがって、このような価値を理解し、咀嚼することができた上で、『経験価値』が提供できれば、少なくとも日本のユーザーに対しては海外企業に簡単に負けることはないはずだ。


ただ、現在でも日本では毎年数十万規模で人口が減少しており(日本の2015年の人口は27万1834人減少し、調査を開始して以来最大の減少幅となった)、この先、この趨勢が覆る見込みはない。市場は縮小し、いくら日本市場で勝ったところで、世界市場で勝てなければ意味がない、とおっしゃる向きもあるだろう。だが、そう悲観ばかりしたものではない。



◾️ポケモンGO』の衝撃


昨年の夏から秋にかけて、1996年に当時任天堂から発売されたゲーム『ポケットモンスター』の後継である『ポケモンGO』が世界中で爆発的に受け入れられたことは記憶に新しい。この『ポケットモンスター』について分析した、宗教学者中沢新一氏の『ポケットの中の野生  ポケモンと子ども』が『ポケモンの神話学』*5として復刊されており、あらためて読んでみると、『ポケモンGO』現象というのが、いかに文明史的に見ても比類のない事件であったのかがわかってくる。そして、このゲームの凄さ、それを生むことができる日本という国(文化)のユニークさ、このゲームの普遍的な意味の奥深さ、世界の文明史における貢献等、次々に展開される難解だが含蓄に富む論考に、それこそ、読んでいる私自身、異世界に誘い込まれてしまったかのような錯覚を覚えてしまう。だが、よく読み込めば十分に納得のいく内容だ。


中沢氏が述べる『ポケモン』の成功の理由をまとめると(まとめきれていないかもしれないが)ざっと次のようになる(と思う)。


心理学者のフロイトや哲学者で精神科医ジャック・ラカンが指摘するように、人間には、『死の欲動』であったり、ことばの力によって象徴化できなかった生命的な力の残余(ラカンは、それを『対象a』と名付けた)が押し寄せて来て、特に子供の場合、その力が無軌道に噴出すると本人の人格の崩壊を招いたり、社会全体としても大きな騒乱や犯罪の原因になる。旧来は個々の社会の持つ文化がそれを『去勢』する機能を備えていた。『対象a』が意識の『へり』や『穴』から溢れ出てくると、ことば(象徴)の体系が強力に作動してこれを個人的な幻想の領域にきちんとおさめていたのが、現代の社会では『去勢』の機能が弱体化して、『対象a』が所構わず噴出してしまっているという。学校や家庭の教育はこの無軌道な噴出に対応不能の状態に陥っており、新しい昇華の方法を模索する必要に迫られている。かつて芸術がそれに取り組もうとしたが、成功したとは言い難い。だが、ポケモンは非常に見事にこれを処理して管理するばかりか、人類学者のレヴィ・ストロースが同名の著作で明らかにしてみせた、『野生の思考』(科学的思考よりも根源にある人類に普遍的な思考。近代科学の方がむしろ特殊とする。)がゲームをする子供の心に活発に働く場を与えている、という。『野生の思考』は普遍的だが、日本には他にも『対象a』の造形と処理につき、独特の達成をしてきた文化を持ち、日本でなければ、これほどまでに洗練されたゲームはできなかったと中沢氏は断言する。



◾️ ローカルから普遍へ


要は、日本文化は『野生の思考』の痕跡を身近に残し、この普遍的だが、普段は意識下に沈潜する『思考』をうまく顕現させる独自の特性がある、ということだ。もちろん、ゲームだけの問題ではない。文明史的な貢献とまで評価されるこの特性を、単なるマーケティング概念にまで落とし込むことは、こうなると少々躊躇する気もにもなるが、実際、日本人ならではの経験価値の源泉であり、うまく持っていけば、世界的に受け入れられる普遍性があり、AIが代替することは少なくとも当面は非常に難しいと考えられるから人間の仕事として残すことができ、AIとも住み分けが出来そうだ。さらには、AIの能力がさらに上がり、VR(仮想現実)や3Dプリンター等の技術がもっと進化すれば、例えば日本の寿司職人の技術を実際に人間を送り込むことなく、現地でほとんど本物の職人がいるの変わりないほどのレベルで再現するようなことも可能になる。そうなれば、日本人の開拓した『体験価値』をもっと自由に『輸出』することができるかもしれない。そういう意味でも、将来的にも有望と言える。


大変な長文になったが、今回扱ったテーマは、まだいくらでも書けるネタがあるし、その上に、もっと幅を広げ、深く掘っていけるポテンシャルがある。それこそもっと開拓の余地がある。今回は、どうして『体験価値の徹底追及』が今後の日本企業にとって死活的な意味があるのかという点が少しでも伝われば、それで成功ということにしておこう。

*1:一人負け日本で企業はどう生き残ればいいのか? - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る

*2:

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

ヒットの崩壊 (講談社現代新書)

*3:

本当に住んで幸せな街 全国「官能都市」ランキング (光文社新書)

本当に住んで幸せな街 全国「官能都市」ランキング (光文社新書)

*4:

[新訳]経験経済

[新訳]経験経済

*5: