世界を理解するための入り口?「カイロ大学」

 

今は必要ないのか、今だから必要なのか

 

敬愛する著述家で冒険家でもある田中真知氏がブログでとある本(「カイロ大学*1 )を紹介しているのを見て、ハッとした。今、この切り口(エジプトのカイロにある有名大学に関する著作)が非常にタイムリーだと感じたからだ。少なくとも、今の自分にとっては、この角度から中東問題を見直してみることが、この複雑怪奇な問題の理解を深めるために(というより、少しでも理解に近づくために)非常によい切り口になるであろうことを直感した)。

 

といっても、ほとんどの人には、私が何を言いたいのかわからないだろうし、そもそも、大半の日本人にとって、カイロ大学と言えば、小池百合子東京都知事の出身大学としての印象くらいしかないだろう。(それさえもピンとこないかもしれない)。だから、この本の企画が商業的に有効だったのは、小池氏が都知事に当選したころ、あるいは、先の総選挙で小池氏が「希望の党」を立ち上げて国民が一時的に非常に盛り上がり、政権交代の騎手となるとの幻想がかきたてられた時期までなのでは、と思われているはずだ。まあ、実際だれが考えてもそうだろうから、小池氏の賭けが失敗に終わり、あれほど膨らんだ期待も萎みきったばかりか、残るのはネガティブなイメージばかりということになれば、本書のセールスにも悪影響しか残っていないのではと、訝ってしまう人の方が多いのも無理はない。


それ以上に、9.11同時多発テロイラク侵攻、「イスラム国」が急速に膨張していた頃等であれば、もっと切迫した意味で日本人にも、カイロ大学で行われている教育や、卒業生の思想について知りたいというニーズがあったようにも思える。というのも、この大学は、これらの事件に絡む著名な人物を数多く輩出しているからだ。だが、イラクにある「イスラム国」の拠点の中心部を政府軍が奪回したというニュースが流れたのは8月のことだが、喉元過ぎれば熱さをすぐ忘れてしまう日本人は、あれほど大騒ぎした中東の騒乱に対しても、そろそろ関心が薄れかかっているように見える。(少なくともそのような空気が支配的だろう)。そういう意味でも、今がセールスに適正な時期とは言えないし、読むべき必要性があるとも思えない、というようなことを、「空気がよめる」普通の人のなら言うのではないか。

 

だが、そのような空気がどうあれ、中東問題は本当にもう沈静化したのだろうか。事実はその真逆だろう。世界はトランプ大統領という旧来の常識が遠く及ばない怪物に掻き回されていることもあり、中東問題もこれまで以上にこじれつつある。次の暴発がいつどこで起きてもおかしくない。例えば、トランプ大統領は、オバマ大統領の時代のイランとの核合意破棄を宣言したり、つい最近でも、イスラエルの首都をエルサレムと宣言した。これを受けて、パレスチナ自治区や、中東、アジア等でのイスラム教徒の抗議デモが沸騰している。

 


世界を理解したいという渇望

 

一体今後の世界をどう理解すればいいのか。中東問題に限らないが、これまで積み上げられてきた政治の常識はもはや通用しない。出口の見えない不安感は、日本でも非常に大きくなってきている。それに呼応する現象と考えられるのが、2017年に思想書等の硬派な人文書が非常によく売れたことだ。小林秀雄賞を受賞した思想家の國分功一郎氏による「中動態の世界 意志と責任の考古学」*2毎日出版文化賞を受賞した哲学者の東浩紀氏の「ゲンロン0 観光客の哲学」*3はじめ、非常に印象に残り、しかもよく売れた名著が数多く世に出た。書籍や雑誌全体の売り上げが激減している中、ちょっとした事件と言っていいレベルだ。世界を根本的に理解し直す必要がある、そういう渇望は実のところ今とても大きくなってきている。本書(「カイロ大学」)はその渇望に連なる需要の一端を満たす切り口を持つように思えるのだ。

 


混乱と闘争に生き抜く強さ

 

あらためてカイロ大学の出身者で、テロに関わる重要人物を列挙してみると、これが本当にすごい。


オマル・アブドゥルラフマン(世界貿易センタービル爆破事件の首謀者)
ハメド・アタ(アルカイーダのテロリスト。同時多発テロの首謀者/実行犯)
アイマン・ムハンマド・ラビーウ・アッ=ザワーヒリー(アルカイーダの最高指導者。)
サダム・フセイン(元イラク共和国大統領)
中田考イスラム法学者。「イスラム国」に戦闘員として参加を希望する日本人学生に、「イスラム国」司令官に参加を仲介。但し、中田氏がテロリストというわけではなく、中立的な第三者の立場。)
マハムード・アルザハル(イスラム主義組織ハマスの共同創設者)

 

これだけ並べると、まるでカイロ大学というのは、世界のテロリスト養成大学のように見えてしまうかもしれないが、一方で平和運動に貢献した人物も数多く輩出している。

 

プトロス・ガリ(アフリカ初の国連事務総長
ヤセル・アラファト(元PLO議長。ノーベル平和賞受賞)
ムハンマドエルバラダイ(元IAEA事務局長。ノーベル平和賞受賞)
ワエル・ゴニム(2011年エジプト革命に貢献。ノーベル平和賞候補)
アハマド・マヘル(エジプト民主化運動の若きリーダー)

 

著者の浅川氏が述べているように、カイロ大学は、世界で一番「混乱」に強い卒業生を輩出する場所となっていて、実際にそれを卒業生が実証して見せてくれているように思える。ここに列挙された錚々たる人物を見ると納得がいくはずだ。また、カイロ大学は「中東のハーバード」とも「混乱と闘争で生き抜く強さで世界一」とも言われているというが、後者の「価値」こそ、今後の世界で何より重要視されて行くに違いないと考えるのは私だけではないはずだ。

 


命がけのアイデンティティの探求

 

本書で私が特に印象的だったのは、歴史的にこの大学の教職員や学生が苦闘し、模索している自らのアイデンティティの探求だ。

 

アラブ人
世界的な文明発症の地としてのエジプト人
イスラム教徒(スンニ派シーア派、その他)
西洋主義
軍閥ナショナリズム

 

エジプトだけではなく、周囲の国々からの優秀な留学生を迎え、激しい議論の応酬を繰り広げる。そのような環境の中から、感染力の強い思想を練り上げ、優秀なリーダーが育ち、国を超えて連帯していく。しかも単なる抽象度の高い「遊戯」とは正反対の、生死をかけた闘争の中でこれが行われている。昨今話題になった日本の学生のデモをこれに対比させるとその違いは明らかだろう(SEALDsとは何だったのか、カイロ大学での政治活動との対比で考え直してみることも有効に思える)。

 

それは、外側からでは、全く理解も想像も及ばない何かだ。本当に理解したければ、内側にいて、この場を体験すること、すなわち実際にカイロ大学のような場所に身を置くことだろうが、せめて、カイロ大学という切り口で、ここで起きていることを理解する努力をしてみるというのは、一つのきっかけになるように思える。本書を読むとその入り口が開いていることを感じることができる。


日本から海外の大学への留学生は著しく数が減っていると言われて久しい。それは、日本という国にとって、やはり本当に危機的なことであることを、あらためてひしひしと感じてしまうのも、ある本書を読むことの「意味」の一つと言えるかもしれない。

 


グローバリズムの世だからこそ

 

グローバリズムというと、世界のルールが統一され、文化の差異が目立たなくなり、世界が均一の場所となることをイメージする人は今でも少なくないが、残念ながら、それは大変ナイーブな幻想というしかない。ルールが取り払われて、人の交流が増えた結果、実際に起きたことは、こういう場でこそ人は自らのアイデンティティを意識し、ちょっとした違いに敏感になり、その結果紛争も増えるということだ。だから、繰り返すが、そのような紛争や混乱に強いことの重要性は今後ますます高まって行く。カイロ大学に実際に行くかどうかは別としても、もっと理解を深めていくことの意義は特に今の日本人にとって大きいと思う。

*1:カイロ大学 (ベスト新書)

カイロ大学 (ベスト新書)

 

 

*2:中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

 

*3:ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学