◾️優良企業の品質偽装事件
神戸製鋼所の品質データ改ざん事件は内外に非常に深刻な影響を与えている。偽装は非鉄金属のみならず、主力事業の鉄鋼にも及んでいることが判明しており、さらに別会社である建設機械の「コベルコ」等にも飛び火しているというから、特定部門に限定された問題ではない。しかも、OBの証言によれば、偽装は40年前から常態化していたということなので、そうなると、経営を含めて会社の体質自体の問題ということになる。偽装の悪影響を被る出荷先企業は500社を上回り、しかも顧客は海外企業にもおよび、訴訟の可能性も取りざたされており、直接的な損害だけでも 膨大な金額が積み上がる恐れがある。だが、それ以上に、顧客に対する信頼が失われたことによる将来の損害は計り知れない。もはや、神戸製鋼所は単独では生き残れないと指摘する向きもある。
◾日本企業の️高品質イメージを毀損してしまう
世界の市場がつながってしまった現在、日本企業は低コストで競争することはできない。一方で、イノベーションによる市場創造や、新しいビジネスモデルによって競争することも苦手だ。だが、これまでに営々と築いてきた「高品質の日本企業製品」というイメージはかろうじてまだ残っているし、現場で真面目にコツコツ改善に取り組んで、世界一の品質を実現して、このイメージを崩さず競合力の拠り所とする、これならできそうだ(そもそも日本企業の強さは、経営トップではなく、現場の力にあったはずだ)。その点、神戸製鋼所と言えば、「歴史があり、人材も一流で、製品の品質は世界一、官公庁を始め業界での信頼も厚く、世界レベルの熾烈な競争下次々と敗退していく日本企業の中にあって、古き良き日本企業として21世紀にも生き残り日本のプライドをアピールしてくれる存在」と認識されていたはずだ。ところが、そのような優良企業の代名詞とも言える企業が自らのイメージに泥を塗ることになってしまった。
しかも、ここしばらく、神戸製鋼所と同様の日本の優良企業が、実は裏では企業ぐるみで品質の偽装に手を染めていたと思われる事件が相次いでいた中で起きただけに、発覚の時期も最悪だった。このままでは日本企業の「高品質」イメージも音を立てて崩れてしまいかねず、ただでさえバブル崩壊以降「一人負け」と揶揄される日本経済がさらに奈落の底に転落しかねない。突然冷や水を浴びせられたような気がしたのは、一人私だけではなかったはずだ。
◾️君子豹変す?
近年の、品質に関連した不正に係わった企業名を挙げてみると、本当に歴史のある一流企業の名が並ぶ。昨日今日出てきたベンチャー企業などではない。
日産自動車、三菱自動車、旭化成、東洋ゴム、パロマ・・
これに粉飾決算等の不正会計の事例を加えると、さらにここに日本を代表する一流企業が連なることになる。
東芝、富士ゼロックス、オリンパス、カネボウ、IHI、西武鉄道・・
中でも、現在進行形で経営的にぎりぎりの綱渡りを続けている東芝など、「君子豹変す」の代表格と言っていいだろう。近年、東芝と同業の日本のエレクトロニクス企業の経営は軒並み「惨状」と言わざるをえず、東芝と近い体質の会社も多いことから、一つ間違うと同じ穴に転落してしまいかねない危惧がある。日本のプライドどころか、これからドミノ倒しのように、昨日の君子が次々と豹変してしまうのではないか。神戸製鋼所の不正は、そのような、今日本企業に対して色濃く漂う不安感をいたく刺激することになった。
◾️企業トップの人災
「君子豹変す」の代表格と述べた東芝だが、最近出版された、ジャーナリスの大鹿靖明氏による「東芝の悲劇」*1は「伝統的優良企業」がどのような経緯を辿って、不正に手を染め、無謀としかいいようがないM&Aを強行し、破滅の淵に追いやられたのか、克明な取材に基づいて解明しており、物語としても非常に面白い。本書では、ごく最近亡くなった、西室泰三氏に始まり、岡村正氏、西田厚聡氏、佐々木則夫氏の歴代の経営者の「人災」であることが強調されている。本書の紹介文には「権力に固執し、責任をとらず、思考停止したトップを擁する組織は必ず滅びる――これは東芝という一企業の悲劇でなく、日本の政官財の縮図であり、日本社会への教訓である」とあるが、実際に歴史のある日本企業に勤務している人や勤務した経験のある人であれば、共感するところも多いのではないか。
企業トップの「人災」の例は、あまりにあからさまに述べると、それこそ自らに禍が降りかかりかねないため(広告契約破棄等)、メディアでさえ「忖度」する傾向にあるから、表ざたにはなりにくいが、それでも目を凝らし、耳を澄ませばいくらでもその事例を見つけることができる。
例えば、東芝の西室氏が経団連副会長を務めた時の会長であるキャノンの御手洗冨士夫会長(現名誉会長)や当時の副会長でその後会長に昇格した、住友化学の米倉弘昌会長(現相談役)など、いずれも社業のほうは大きく業績を落としており、社内外の評判は芳しくない。
「老害」経営者に蝕まれる日本企業…高収益企業キヤノンの没落、巨額買収連発も効果なし(Business Journal) - goo ニュース
財界活動を行う企業のトップの全てが問題というわけではないが、東芝のように、社業より自らの栄誉欲を露骨に追及するようなトップが如何に企業価値を毀損するのか、あらためて考えさせられる。
◾️相談役/顧問の問題
また、本書によれば、東芝は03年に西室氏主導で、委員会等設置会社(現在の指名委員会等設置会社)に移行し、その時、社長を選ぶ「指名委員会」を設置した。その指名委員会を通じて、会長が社長選びに関与できるようになり、結果として(というより意図的に、というべきだと思うが)、「院政」が可能となる体制が構築され、実際に悪用された。しかも、会長を退いて「相談役」となった西室氏が東芝の闇将軍として影響力をふるい続けた。このようにトップが社長や会長のような役職にある間だけではなく、その役職を降りて「相談役」等の役職に退いた後にも、悪影響を与え続ける構造は、これまた歴史ある日本企業にありがちな問題点の一つである。
およそ6割の日本企業に相談役・顧問がいるというが、その制度は会社法に規定がなく、海外にはない制度でもあり、以前から投資家はその不透明さに不満を表明してきた。東芝のように相談役や顧問等が経営に悪影響を及ぼす例は、外からは見えにくいとはいえ実際に非常に多い。経産省の「コーポレート・ガバナンス・システム研究会」(CGS研究会)で委員を務める経営共創基盤の冨山和彦CEOは、カネボウやダイエーなどを再生支援した経験から次のように述べている。
相談役や顧問が経営の役に立っていたケースは一つもない。百害あって一利なしだ。日本企業の中で何十年も続く先輩後輩の関係は、ある意味で血縁以上に濃い。自分を社長にしてくれた先輩OBには逆らえない。OBは良かれと思ってアドバイスするかもしれないが、自分が死んだ後のことまでは考えられない。百歩譲ってOBのアドバイスが『会社のためになる』と言うのなら、彼らに払っている報酬と、秘書、車、個室にかけるコストを全て開示し、『対価に見合う価値がある』と合理的な説明を株主にすべきだ。
大企業「相談役」「顧問」は老害か | 文春オンライン
このような批判を受けて、東京証券取引所は8月に、上場企業が相談役・顧問の役割を開示する制度を設けると発表した。具体的にどの程度の効果があるかはわからないが、一定の牽制にはなるだろう。だが、本当の問題は、現象としての相談役の存在自体ではなく、それを生んでしまう日本企業の体質のほうだ。この体質がある限り、どこかの穴が塞がっても、必ず他の穴を見つけて問題が噴出する。だから、昨今では、特定の経営者や相談役等に限らず、社内を壟断する「老害」という括りで声高に問題が指摘されるようになってきた。
相談役・顧問問題 本質は日本的社長選び(安東泰志)|マネー研究所|NIKKEI STYLE
◾️団塊世代の老害
中でも、特に(数が多いこともあるのだろうが)、団塊の世代に対して、若い世代からの反発、恨み節が大変多くなっている。例えば、こんな感じだ。
団塊世代の特徴
・説教大好き
・矛盾した事しか言わない
・自分はさて置き。と言う事しか言わない
・相手が反論すると直ぐ恫喝
・派閥大好き
・金に物凄く汚い
・自分の価値観を相手に押し付ける
・自分の言う事を聞かないと直ぐ排除しようとする
なんで、団塊の世代ってカス、クズ人間が多いんですかね? - 恐ろしくカス人間... - Yahoo!知恵袋
私は人間的にすばらしい団塊世代の人達を沢山知っているから、このような事例を出すことは身が縮まる思いだが、若年世代の多くがそのように感じていることは認めざるをえない。それに、私自身何度も悩まされた「質の悪い団塊世代」について言えば、なまじ成功体験があるからかもしれないが、自分の意見や価値観を絶対と信じてしまい、他の世代より柔軟性に乏しいと感じることは確かだ。だから不幸にして、「質の悪い団塊世代」が跋扈した企業では、まさに辞書的な意味*2での老害が、組織内に蔓延ってしまうことになる。
◾️若年老害と大企業病
しかも、評論家の常見陽平氏が指摘するように、この老害は今では多くの企業の組織の中で下方にまで浸透していて、「若年老害」としか言いようがない現象となって現れている。常見氏によれば、次のような特徴が典型例として見られるという。
自分の小さな成功体験を大きく語り、俺は若い頃凄かったと言い出す(伝説になるのが早すぎ)
『俺の頃は……』と自分の新人時代を語りだす(勤務し始めて数年であるにも関わらず)
企画書の書き方を細かく指導する(自分のパワポ技の凄さをアピールする。一方で後輩が色やフォント、アニメを使いすぎると叱りだす)
自分も成長しなくてはいけない立場なのに「あいつも成長してきたな」的な話をする。
こうなると老害というより、企業文化自体の問題であり、そこにいる若手(劣化した若手というべきだが)がどんどんその文化に染まって、老害を再生産しているということになる。これを称して「大企業病」と呼ぶことも可能だろう。
このような「大企業病」に対しては、本来、それぞれの企業の若年層や中途入社者等、自社の文化に染まっていない、あるいは他社の文化を知る人材による改革がボトムアップで起きて来るべきではあるが、今でも特に日本の大企業では「終身雇用」「純血主義」の文化は残っており、よそ者の改革は内容の如何に関わらず排除される傾向にあるし、問題意識を持つ若年層も問題を社内で口にするより「忖度」するほうがメリットがあると思えるようなシステムになっている。この文化を嫌気して、会社を離脱する人は昨今では少なくないが、長期的に考えて、その企業に終身で勤めることよりメリットがあることはほとんどない。新進のベンチャー企業や外資系企業はやりがいと大きな成果を得ることができる可能性はあるが、その分競争も厳しく、脱落してしまう恐れもまた大きい。総合的には日本的な大企業に終身で勤めることは(ぬるま湯であるとしても)、少なくともこれまではメリットが大きかったことは認めざるをえない。
◾️日本企業に決定的な敗北が迫る
だが、これも企業が生き残ることができることが前提だが、どうやらそうもいかなくなってきている。足元が大きく揺らぎ始めている。1992年と2016年の株価時価総額トップ50社を比較すると、1992年の時点では時価総額世界トップ50に日本企業が10社ランクインしていたが、2016年ではトヨタ1社のみとなってしまった。この期間、世界中の株式は大きく上昇しているが、(トヨタ以外は)日本のみ株価が上昇していないということになる。これと比較して、躍進著しい中国企業は、テンセント/アリババ/4大銀行をはじめ多くの企業がトップ50にランクインしている。トップ10を見ると、2016年には、1992年にはトップ50にも入っていなかった、アップル、グーグル、マイクロソフト、アマゾンドットコム、フェイスブックがランクインしている。いかに日本企業が成長せず、新しい企業を生み出していないかがわかる。
時価総額上位企業(1992年と2016年) / グローバルでは大きな変化、日本は同じ顔ぶれ - ファイナンシャルスター
新しい企業という点では、未公開で時価総額が10億ドル以上の企業は「ユニコーン企業」と呼ばれるようになったが、Sage UK社がまとめた調査結果によると、最新のユニコーン企業数は、アメリカ144社、中国47社、インド10社などとなっている。残念ながら日本のユニコーンは1社だけだ。
世界のユニコーン企業に共通する13の事実 - Onebox News
ユニコーン企業のような急成長ベンチャー企業を「創造的破壊企業」と呼ぶことも一般化してきている(Uber、Airbib等が典型例)。日本企業に限らず、図体だけ大きくて動きが鈍い恐竜のような大企業は動きが鈍く、俊敏で鋭い牙を持った哺乳動物=「創造的破壊企業」の餌食になりつつある。
昨今では、この個別の創造的破壊企業をM&A等で飲み込み、超巨大化して猛威を振るうGoogleやAmazon等のようなIT企業自体が、おそるべき破壊者として君臨しつつあるが、実際、先んじてそのような競争にさらされた日本のエレクトロニクス産業は惨敗した。そして、同種の競争の局面はさらに広がりつつあり、今後それがもっと大きく広がることは確実視されている。
例えば、IT技術を使った新たな金融サービスである「フィンテック」については、昨今日本でも法制度を整備したり、銀行等の投資額も急増しているが、国際会計事務所大手のKPMGとベンチャー・キャピタルのH2 Venturesが作成する「2016 フィンテック100 - 最も成功しているグローバルなフィンテックイノベーター」を見ても、アメリカが35社、中国が14社ランクインしているが日本企業は1社も入っていない。このままでは、ますます日本企業は成長できず、新分野も開拓できず、創造的破壊企業の恰好の標的となってしまいかねない。
「ビジネスモデル革命」に中国が成功し、日本が乗り遅れる理由(野口 悠紀雄) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
最近では、すっかりAIブームということもあり、これから仕事の大半はAIが肩代わりする、という議論もにぎやかだが、様々な技術進化の成果と共に、ビジネスモデルも劇的な変化を余儀なくされることは確実だ。いずれにしても今は歴史的転換点にあり、1992年から2006年に至る変化をはるかに上回る激変が予想されている。今のままでは、日本企業は決定的な敗北を喫してしまうだろう。
◾️真の危機を見据えた対策を
ずいぶんまどろっこしい文章になってしまったが、神戸製鋼のような会社が、現場改善にだけに頼る「品質」頼りというのでは、従来の栄光を維持できるどころか、創造的破壊企業の恰好の餌食となってしまうだけだ。今起きている目前の危機にパッチワークのようなその場の対処をするのではなく、根本的な構造変革のきっかけとしなければ、結局、絶滅した恐竜の後を追うことになりかねない。よって今回の日本ブランドの危機の背後の真の危機を見据える機会として、災い転じて福となすではないが、痛みを覚悟の上で改革に着手する企業が増えることを願いたいものだ。