読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

人工知能と人間の決定的な違いは何か?

 

◾️ 人工知能は人間を超えるとの信念

 

脳の解明が進み、人工知能の能力が拡大していけば、人間を超える存在となる、というシナリオがある(かなり広範に流布している)。日本ではそのまま賛同する人は少数派だと思うが(そう私が思っているだけなのかもしれないが)、欧米での議論を時々見ていると、時期は別として、そのようになることを信じきっている人が意外なほど多いことに驚く。それは何も、人工知能の明るい未来を語り、シンギュラリティを好意的に唱導する人ばかりではなく、逆に、人工知能により人類が滅びる恐れがあると語る人たち(ホーキング、ビル・ゲイツイーロン・マスク等)の暗黙の前提にこそ、ゆくゆくは人間を超える存在になるという信念があるように思える。

 

 

◾️ 人間と動物/人工知能の違いは?

 

この問題は、議論の前提を合わせるのが結構厄介で、そもそも『人間を超える』という概念自体が曖昧だ。現代のコンピュータはもちろん、簡単な計算機でさえ、すでにとっくに人間(人間の能力)を超えている。だが、もちろんここでは、計算能力とか記憶力といったような要素が議論の対象となっているわけではないことは明らかだ。

 

では、人間が人間であって、それを少なくとも今のレベルの人工知能や機械、あるいは動物を隔てているものは何なのか。ロボットや動物は身体的な能力という点では、人間の能力を上回るものはいくらでもある。だから、身体能力も該当しない。記憶力も、論理計算能力も、身体能力も違う。感情も動物にもある。となると常識として普通に考え付くのは、理性、そしてそれを可能ならしめている言語、ということになろう。この辺りは、古代ギリシアの哲学者、アリストテレスまでさかのぼれる人間の常識でもある。アリストテレスは、『人間の理性・魂は他の動物とは全然違ったものであり、その別物のあらわれは言語である』と考えた。そして、これは動物を人工知能と置き換えても該当する違いでもある。

 

 

◾️ 人間と動物/人工知能は繋がっている?

 

だが、ここで当然のように考えられる反論がある。進化論で有名なダーウィンは『種の起源』『人間の由来』で、種は下等動物から高等動物か連続的につながっていて、猿は人間につながって(連なって)いるから、人間の言語と動物の発する叫び声には、本質的な相違があるのではなく、『程度の差』だと主張した。したがって、ダーウィンの説によれば、時間がどれほどかかるかは別として、猿は時間が経つと人間の言語や理性を獲得するということになる。

 

これは、人工知能に関して、現代の、特に欧米に多い言説と非常によく似ている。『人工知能と人間の差は本質的な相違ではなく、程度の差であり、時間がかかれば人間に追いついて、言語であれ理性であれ獲得する』という信念がそれである。こうしてみると、ダーウィンの進化論の思想がこれらの言説の背景にあると考えられる。ダーウィンの結論が先にあるから、この問題をこれ以上自分自身で徹底的に考え抜くという姿勢があまり見られない。だが、本当にそれでいいのだろうか。

 

ダーウィンは若い頃には、当時世界で一番未開の地の人間と言われ、人間より類人猿に近いと考えていた、少なくともイギリス人との間に何千年か何万年かの差があると考えていたフェゴ人が、ロンドンに連れてこられるとわずか数年で英語を喋り、刺繍を器用にこなす等、文化的に数万年の差であるものが、なぜわずか数年で追いつくことができるのか、非常に不思議な感じを抱いていたという。この『感じ』は『進化論』には反映されなかったようだ。)

 

 

◾️ 人間の本質的な違い

 

この欧米の言説に対する違和感は、私自身以前から抱いていたものだが、これをうまく言語化して、記事にすることができずにいた。だが、書庫をひっくり返していて、以前買い置きして読まずにいた本を再発見して、ここのところを非常にうまく説明しているように思える文章が載る著作に遭遇した。『知性としての精神―プラトンの現代的意義を探る』*1という著作である。これは6人の論者による編著だが、中でも、全体のまとめ役としての、上智大学名誉教授の渡部昇一氏の小論にはとても考えさせられる。

 

渡部氏は、人間の言語の特徴を考えると、それは動物のものとは質的に違うことは明らかとして、人間の言語の特徴として、大きく次の3つを上げている。

 

1. 人間の言語には文節がある

2. 人間の言語は意味と音の結びつき方が恣意的である

3. 人間の言語は、ボキャブラリーを無限に増やせる

 

そして、この3つの特徴を備えたものこそ人間の言語であり、動物との差は『程度の差』ではなく『本質の差』だという。

 

もう少し具体的に本書の渡部氏の言説に沿って、ご説明してみよう。

 

1. 人間の言語には文節がある

 

人間の言葉には文節がある、ということは必ず子音と母音に分けることができるが(そしてそれは言葉を無限に数を増やせる前提となっている)、動物はこれができない(オウムのような真似はあるが人間の言語とは違う)。動物の声は言語ではなくて信号であり、文節した音でもなければ言語でもない。

 

 

2. 人間の言葉は意味と音の結びつき方が恣意的である

 

人間の言葉は意味と言葉の結びつき方が恣意的で、ある音にある意味をつけなければならないという決まりはない。だが、動物は例えば犬が悲しいときに嬉しそうな鳴き声をしろと言ってもできない。動物の声は恣意的ではない。人間の場合、感嘆詞だけは例外で、その代わり、ローマ人などこれを『間投詞』と呼んで、『人間の言葉があるところに、間投詞だけはどうも言葉でないものが投げ込まれた感じである』ということを言っていたという。

 

 

3. 人間の言語は、ボキャブラリーを無限に増やせる

 

人間のボキャブラリー(語彙)は無限に増やせ、実際日本語に限っても毎年のように新語辞典が出る。世界の言語の数は説によって異なるが3000~6000語と言われており、そのそれぞれで同様に語彙が増え続けている。それに対して、犬の言葉は何千年経っても20語前後だろうし、どんどん語彙を増やした犬という例は聞いたことがない。

 

 

この3つの特徴を備えたものこそ、人間の言語であり、これは程度の差ではなく、『本質の差』というべきだ。そして、この特徴は人間の独特の理性があるからこそ成り立つものである。かつてはアリストテレスが洞察したごとく、バイブルが言うがごとく、そして、世界中の常識が言うがごとく、ある段階で人間と動物を程度でなく質的に画然と区別する『理性』というものが突如生じたとしか考えられないとする。

 

これを受けて、実践女子大学教授(本書執筆時点での役職)の松田義幸氏は、『言語という名の奇跡』*2を書いた、リチャード・ウィルソンを引用して、『本質的な差』について、さらに説明している。

 

動物にも人間と同じように感覚も本能も感情もある。不安、恐怖、疑念、勇気、臆病、復讐心、嫉妬、恥かしさ、つつましさ、軽蔑、ユーモア、驚異の念、好奇心などの感情がある。また、模倣、決意、記憶、想像、推論といった知的な能力もある。しかしこれらのさまざまな感情や能力(下位能力)に似たところがあっても、『統覚』というこれらの下位能力に一定の秩序を与え、物事を総合的に統合する知的能力、つまり理性は動物にはない。これは人間の一番の特徴である。そして、人間の言語はこの理性から生まれたものである。人間はこの理性と言語を使って、原初の宇宙にもまた百年後の未来にも自由に思いを寄せることができる。また部屋にいながらにして、マスメディアを通して、世界でいまなにが起きているかを知ることができる。

『言語という名の奇跡』より

 

 

では、その本質的な差がどのようにして生まれたかという疑問については、今回は述べることはしないし、短い説明では到底それは成し得ないが、現実に明らかに『統覚』『理性』『人間に特徴的な言語』が人間にしかないものとして存在することは疑い得ず、しかも、動物であれ人工知能であれ、漸進的な変化により到達できる種類のものではないことは認めていかざるをえないと私には思える。もしかするとこれは現時点では少数意見なのかもしれないが、だからといって解けない疑問を前に、やすやすと思考停止しているようでは、現代世界の最大級の難問に真摯に立ち向かっているとは言えないと思う。

 

 

◾️ 人間たる本質を喪失しつつある現代人

 

ちなみに、『統覚』が人間を人間たらしめている本質だとすれば、もう一つどうしても考えておくべき問題がある。昨今の情報過多の時代においては、人間の注意(アテンション)の争奪戦が起きていて、MAXでも24時間しかない人間の注意可能時間を、広告宣伝、ニュース、SNSの友人の情報等、ありとあらゆる情報が争奪しようと争っている。しかも、昨今では特に、人は不正確な情報、あるいは早すぎて咀嚼/理解が及ばない情報によって振り回されるようになってきている。何を買うか決めるのも人間が決めるというより、アマゾンのレコメンドが決めている。あるいはSNSの友人の口コミによって決めている。しかもSNSでどの友人の情報を見るかはSNSアルゴリズムによって決められている。その元になっているのは過去の自分の行動履歴だ。人間の顕在意識の下位にアルゴリズムが形成したある種の意識層があって、人間の統覚を麻痺させ、人間の行動の真の源泉となりつつあるようにさえ思える。これは、かなり重要な問題で、人間が人間たる本質を喪失しつつあるとさえ言えるのではないか。少なくともその事実に気づき、人間理性の本来の働きを取り戻すことが人間の非常に大きな課題となっているように思えてくる。ただし、これは今回述べようとした内容のさらにその次の課題になるので、今回はそれを指摘したところで、止めておこうと思う。

 

 

*1:

知性としての精神―プラトンの現代的意義を探る (エンゼル叢書)

知性としての精神―プラトンの現代的意義を探る (エンゼル叢書)

 

 

 

*2:

 

言語という名の奇跡

言語という名の奇跡