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技術で社会を進化させるためにこそ不可欠な人文知

インターネット化を知る上で重要な一巻


情報通信技術(ICT)の進化はあまりに速く激しく、全貌をとらえることが難しいことはもちろん、限定された領域でさえ、今日理解したことが明日はもう理解を超えてしまうようなことさえ珍しくない。だから、インターネットの影響を歴史として記録し、変化の根幹にあるものを指し示す羅針盤がいる、との認識の下発刊されている、『角川インターネット講座』は、インターネットのこれまでを理解し将来を展望をするにあたり、どの巻もそれぞれに貴重な参考点を提供してくれる。だが、中でもとりわけ気になる一巻が最近刊行された。思想家の東浩紀氏が監修する、本シリーズの第12巻、『開かれる国家 境界なき時代の法と政治』*1である。本書は、インターネット黎明期まで遡り、インターネットに託されていた夢を振り返り、その上で、これまでに起きてきた深刻な問題群を明らかにして、問題の本質に読者を誘う。



夢と挫折


思い起こせば、インターネット黎明期、およびウェブ2.0の頃に二つのピークがあるように思うが、このICTの進化に裏打ちされたインターネット化の進展により、世界はフラットになり、既得権益で凝り固まった既存の権力が解体され、経済体制やビジネス環境ばかりではなく、社会全体がより柔軟で開かれ、政治的にも透明で、市民の声がより反映されるようになるというような夢に現実味を感じることができた。そのために、自分でもできることがある、という参加意識を持つこともできた。賑やかで、ワクワクする時代でもあった。


だが、今はどうかと言えば、社会は重ぐるしい停滞感に覆われていて、ICT業界について見ても、勝ち負けがはっきりしてきて寡占は進み、伝統的な日本企業は益々苦境に追い込まれつつある。政治的な動員に新たな可能性のほとばしりを期待していたはずなのに、最もプレゼンスを高めた政治団体が、ヘイトスピーチで悪名高い『在特会*2だったり、インターネットを縦横に使いこなしているのが、アルカイーダやイスラム国といった、テロ集団だったりする。私などかなり楽観的なほうだと思うが、それでもここに横たわる問題群を無視して先に進むことは難しくなっている事実は認めないわけにはいかない。



リバタリアンの正義


インターネットが社会に与えた最も際立った影響の一つは、何と言ってもあらゆる人をつなぎ、距離を縮めてしまったことだ。あらゆる境界は溶解し、あらゆるつながりはつなぎ直される。それは『経済』『ビジネス』にとっては実に都合がいい。最小の資源で最大効果を得ること(=最大効率を追求すること)が経済活動の本質とするなら、インターネットのおかげであらゆる経済主体は旧来の組織を超え、国家を超え、効率を妨げていた障壁を取り払い、効率化のために必要なら遮二無二つながり、距離を縮め、つなぎ直す。グローバル化を推し進めるためにもこれ以上ないツールでありインフラだ。だから、個人の完全な自由と自治を唱え、その究極的な理想として国家や政府の完全な廃止を求めるいわゆる『リバタリアン*3にとっては、インターネット化を最大限推し進めることもまた『正義』ということになる。



問われる『国家』の存在意義


旧来の組織のつながりをつなぎ直すということは、言い方を変えれば『効率化』のためには、旧来の組織(含む国家)を壊し、解体することもいとわないということだ。実際、グローバル化とインターネット化の進展の歴史は、『国家』という制度が揺さぶられ、きしみ、存在意義を問われ続けた歴史と言ってもいい。


本書の第3章を執筆した作家の橘玲氏は、グローバル資本/資本家が高額の納税義務を迫る『国家』の束縛を逃れるために知恵を絞り、それをプライベートバンク/バンカーのような金融/税制の専門家が巨額のフィーを受け取って助けたり、タックスヘイブン(租税回避のためのインフラを提供する国や地域)が受け皿となるべく続々と立ち上がってきた経緯を描く。さすがにリーマンショックを契機に『国家』側の反攻は進んできているようだが、インターネットの生態系の頂点にいる米国主要IT企業(アップル、アマゾン、Google等)もタックスヘイブンを巧みに利用している様は時々メディアに暴かれて、公の知るところとなってきている。


一方、『インターネットの自由』を標榜し、ICTに精通してコンピュータ/インターネットを使いこなす『ハッカー*4は、権力を乱用し、横暴に振る舞う相手にはそれこそ『国家』規模の集団が相手であれ、国境を越えて結集して攻撃する。DOS(DDOS)攻撃と呼ばれるような、相手のサーバーに大きな負荷を与えてダウンさせるような抗議行動のようなものもあれば、ウィキリークス*5や、元NSA(アメリカ国家安全保障局)の職員、エドワード・スノーデンのように、国家組織等が秘匿する情報を暴露してダメージを与え、反省を促すような行為もある。権力を持つ組織が『秘匿情報を暴露されるかもしれない』と疑心暗着にかられることで一種の浄化作用を期待できる部分もあり、メディアの本来の機能である権力の監視機能を補完(補完というより革新 というべきかもしれないが)する存在と言えなくもない。このあたりの事情は、研究者の塚越健司氏が執筆した、第6章『情報とハクティビズム』に詳しく語られている。


いずれにしても、『国家』越えるダイナミズムという意味では(方向はまったく違うが)、グローバル資本であれ、ハッカーであれ共通するところがある。さらに言えば、国家の枠を超えて、国家に揺さぶりをかけるという点では、先にも述べた通り、アルカイーダやイスラム国も同様で、インターネットの進化とともに、ますます洗練の度を上げていることは、年初の人質騒動の時に痛感することになった。



現実主義


このように見てくると、『リバタリアン』の言うような『市場』や『経済的な利害得失』による調整能力は、いかにテクノロジーの進化がこれをサポートしたところで、随所に限界や綻びがあると言わざるを得ない。東浩紀氏が引用する、法学者/政治学者のカール・シュミットは、著書『政治的なものの概念』*6で、政治の本質は『友』と『敵』を分割し、敵を殲滅(殺す)ことにあると述べた。また国際政治学者のモーゲンソーは著書『国際政治学 権力と平和』*7で、世界は『人間性に内在する力(=恐怖、利己心、名誉)によって生み出された』と指摘し、国際社会の場には、道徳や感情が介入する余地はない断言する。そして、絶対的善ではなく、より少ない害悪の実現をめざすのが現実主義だとする。個人的にはここまで徹底した現実主義にくみしたくはないが、世界を見渡せば、それを認めざるを得ない現実は数多い。そして、インターネットで縮まり過ぎた距離のおかげで、モーゲンソーの言う『人間性に内在する力』がぶつかりあうことの危険も増していることも事実だろう。



文化的遅滞


本書で議論されている内容ではないが、私自身が最近非常に気になることがもう一つある。20世紀初頭の社会学者、ウィリアム・オグバーンは、『文化的遅滞』という造語で、ある文化的要素の変化にほかの文化的要素がついていけない状態のことを説明した。特に、技術進化に対する適応が大きな苦難をもたらしかねず、あまりに急激な技術進化は体制を転覆させるような動乱につながりかねないので、ペースを落としたほうがよいと結論づけた。(『つながりすぎた世界』*8 ご参照)


だが、現代および今後の技術進化のスピードと比較すれば、20世紀初頭の変化など、緩慢で穏やかなものだろう。それでも20世紀は恐るべき戦争と混乱の世紀となった。その原因のすべてに技術進化のスピードが関係しているとまでは言えないにせよ、その端緒となり最大の原因の一つになったことは確かだろう。とはいえ、グローバル化も、インターネット化も、技術進化もその勢いを押しとどめることは事実上不可能だろう。しかも、インターネット化も、技術進化も、それ自体世界の危機を救う可能性を秘めていることもまた事実だ。21世紀の『文化的遅滞』にも、技術進化を押しとどめるのではなく、過去の歴史を再度分析してエッセンスを理解し、予想される問題に対処する策を考えていくしかない。



人文知の重要性


ここに述べたことは、それぞれに賛否がぶつかり合う非常に複雑な問題ばかりなので、私自身の見解や結論を押し付ける気はもうとうないが、技術進化の果実を社会の進化に昇華することを求めればこそ、技術進化の光が強ければ強いほど、そこにできる影も相応に濃いことは覚悟しておく必要がある。その上で、問題から逃げるのではなく、理解し、対処していくことこそ、責任ある態度というべきだろう。そのためには、技術を理解することはもちろんだが、歴史を知り、哲学を学び、人間や社会をもっと深く知ることもまた不可欠だ。昨今の人文知/人文系学問軽視の風潮は、その意味ではいかがなものだろう。


滋賀大学学長の佐和隆光氏が日経新聞に寄稿した記事で引用する、スティーブ・ジョブズの一言はとても印象的だ。私も本当にその通りだと思う。

スティーブ・ジョブズの名言で本稿をしめくくろう。11年3月、iPad2の発表会でジョブズは、こう語って多くの聴衆を魅了した。「人々の心を高鳴らせる製品を創るには、技術だけでは駄目なんだ。必要なのは人文知と融合された技術なのだよ」
国立大 文科省通知の波紋(上)人文知、民主主義支える 佐和隆光・滋賀大学長 :日本経済新聞

*1:

*2:在日特権を許さない市民の会 - Wikipedia

*3:リバタリアン党 (アメリカ) - Wikipedia

*4:ハッカー - Wikipedia

*5:ウィキリークス - Wikipedia

*6:

政治的なものの概念

政治的なものの概念

*7:

モーゲンソー 国際政治(上)――権力と平和 (岩波文庫)

モーゲンソー 国際政治(上)――権力と平和 (岩波文庫)

*8:

つながりすぎた世界

つながりすぎた世界