驚くべき冒険旅行記『たまたまザイール、またコンゴ』


2度のコンゴ河の旅


この本*1は、著者の田中真知氏の2度の、手漕ぎの丸木舟によるコンゴ河(中部アフリカのコンゴ盆地を蛇行しながら流れ、大西洋に至るアフリカ大陸2番目の長さを誇る河川)の川下りを中心とした旅行記である。1度目は、田中氏がエジプトに滞在中の1991年(9年間エジプトに住んでいたという)に、奥様と一緒に、2度目はそれから21年後、今度は現地語が話せる若手研究者に加えて現地人ガイドを連れて出かけている。



手探りの1度目


1度目は、今のコンゴがザイールを呼ばれていたころで、独裁者(モブツ大統領)の腐敗は目に余るとはいえ、国内は平和で比較的治安も良かったころだ。とはいえ、コンゴといえば、世界第2の規模の熱帯雨林(世界1はアマゾン)が覆う、危険な野生生物に満ち溢れた場所だ。河にも当然のように、大蛇、ワニ、カバ(非常に気性が荒く危険)等の危険な動物がいる。私はケーブルテレビのアニマルプラネットの人気番組『怪物魚を追え』が大好きで良く視るのだが、この地域の河ならあの手の巨大で危険な怪物魚/殺人魚で満ち溢れているはずだ。
http://www.animal-planet.jp/RiverMonsters/


病原体も山盛り言っていい。名前の知れ渡ったマラリヤコレラのような病気はもちろん、最近話題になったエボラ出血熱も西アフリカから中央アフリカで流行しているし、エイズ発祥の地もアフリカだ。その他、まだ名も知れない風土病もたくさんあると言われている。実際、この旅行中に、奥様は二度マラリアで倒れ、本人もマラリアと、謎の病気で倒れている。私もかつて仕事でインドの地方を回ったりしたものだが、ちゃんとしたホテルに泊まっていてさえ食中毒で倒れて高熱にうなされた。この何十倍も危険な環境に飛び出していくことの恐ろしさはいかばかりだろうか。しかも一旦河を下り始めたら、目的地に着くまで途中で抜けることはできないのだ。


1度目は、手探りで準備を進めたためか、案の定、現地で事前の予想が次々に覆される。そんなエピソードは旅行記を読む側としてはスリリングで面白いが、実際に旅する側は、一つ一つ命がけだったろうと思う。本人はもちろん、奥様の図太さというか大胆さには、ただただ感嘆するばかりである。



悲惨な紛争後に決行した2度目


21年後の2度目は、最初の経験もあり、多少なりとも準備は整うべきところだが、そうはいかないところがまたドラマティックだ。この間に、紛争の多いアフリカの中でもとりわけ悲惨な運命がこの国を見舞った。このあたりの経緯は田中氏の記述がコンパクトでわかりやすいので、引用させていただく。

ザイール河下りをした1990年代はじめ、すでに独裁者モブツの求心力は弱まっていた。その実質的な崩壊の引き金となったのは94年にルワンダで起きた大虐殺だった。50万人の犠牲者を出したこの虐殺の後、ルワンダから大量の難民がザイール東部に逃れた。その難民の中にいた『虐殺者』を追うという名目で、ルワンダの新政権はザイール東部に侵攻し、さらにザイールの反政府勢力を支援した。これによってモブツ政権は追いつめられていき、1997年5月、モブツはついに亡命、32年にわたる独裁政権の終わりだった。(中略)ところが、新生コンゴの幕開けは、ザイール時代にもましておぞましいものとなる。政府軍と旧モブツ派、そこに武器や資本を供与する周辺諸国からの支援、さらに反乱軍同士の争いなどが重なって、コンゴ紛争は周辺諸国をまきこんだ世界戦争の様相を帯び、泥沼化していく。その犠牲者は540万人にも及んだ。この数は、第二次世界大戦後に起きた世界の紛争の中で最大である。しかし、国際社会はほとんど関心を示さなかったため、『忘れられた紛争』と呼ばれている。 同掲書 P129


そして、いぜんとして東部を中心とした村の焼きうちや虐殺、レイプなど陰惨なできごとが続いているという。すなわち、いまだに紛争の余波が冷めやらぬこの地を再び丸木舟で漕いで下ろうというのだ。現地語が堪能な若者いパートナーや、現地人のガイドが同行したところでいかほどの危険回避が可能なものだろうか。1度目とは意味合いが違うが危険度はむしろ2度目のほうがずっと高いと言えそうだ。



『悪魔』に魅入られた土地


それにしても、紛争による犠牲者が540万人もいるとは、何とも凄まじい。歴史に残る世界的な大事件ともいうべき規模だが、私はほどんど知らなかった。(おそらく私の周囲の誰に聞いても知らないだろう。)プレーステーション2に使用されているレアメタルタンタルはゲーム機の需要増によって価格が高騰し、タンタル鉱山をめぐる権益の奪い合いが起きたという。田中氏が言うように、日本も紛争当事者の一翼を担っているわけだが、そんな自覚のある日本人がどれだけいるだろうか


さらに時代を遡ると、ここが本当に呪われた地であること、『悪魔』に魅入られた土地であることがはっきりわかる。

19世紀後半、欧州各国の「アフリカ争奪戦」が加熱する中、小国ベルギーの君主レオポルド二世はアフリカ内陸部のコンゴを「個人植民地」にし、暴虐の限りを尽くしました。強制労働により象牙やゴムを採集し、不平分子は有無を言わさず虐殺。コンゴ軍は弾丸を節約するために一発必殺のポリシーを立て、その証拠として死体の右手を切断して持ち帰るのを常としていました(帳尻あわせ、または罰として、生きた人間の右手を切断することも行われていました)。レオポルド二世治下の20数年間で犠牲となったコンゴ人は当時の人口の約半分、1000万人にのぼると言われています。

Meine Sache 〜マイネ・ザッヘ〜


一口に収奪というけれども、これはまさに『悪魔』の所業としか言いようがない。西欧先進国主導の『資本主義/グローバル化』の明るい未来など、こんな血に塗られた歴史を持つ国民のいったい誰が信じてくれるというのだろう。


だが、この『悪魔』に魅入られた土地にあってさえ、普段の生活はある。人はたくましく生きている。それがこの旅行記を読むと生き生きと伝わってくる。なんてすごいことなのか。ある意味、そのほうが、本当の驚異なのかもしれない。



『幻想』は日本? コンゴ?


この本、単なる辺鄙な場所の旅行マニアの書として捨て置くには、どう見ても勿体無い。滑らかで心地良い文章なので、するすると読めてしまうが、読んだ途端に、綺麗さっぱり忘れてしまうようなそこいらの本とはわけが違う。今の、あるいはこれまでの自分の生き方や物の見方の彼方此方を立ち止まって考え直さずにはいられなくなる


サラリーマンとして浅ましくも生き残ることばかりを考えてきた自分、親や親戚、友人などの世間体ばかり気にして、いわば他人の生を生きてきてしまった自分、快適で安全で安心な生き方を最上と決めつけてどんどん窮屈になっていく自分、グローバルな世界を語りながらその実、情報をメディア等の他人の受け売りでしか摂取していない自分、そしてそんな現代日本。私を含めて大半の人は『あたりまえ』に生きていて、不満も不安もうんと抱えながらも、まあ、人生こんなものかと思いながら今日も過ごし、明日も同じような一日が来ると思っている。だが、一体どっちのほうが『幻想』なのか。人口や面積比で言えば、全地球的には、『異常』なのは日本のほうだろう。こんな場所にいて、メディアの伝える制限された情報をかじっているだけで、世界の何がわかるのだろう。土地の匂いも、現地音楽のリズムも、刺すような太陽も、何一つ体感しているわけではないのだ。


田中氏は日本について次のように語る。

自分だけがそうなのか、あるいはほかの人もそうなのかわからないが、日本にいると、とかく無力感にさらされる機会が多い。それは自分が本当に無力だからではなく、無力だと思い込まされる機会があまりに多いからのような気がする。世の中はありとあらゆる脅威に満ちていて、それに対して保険をかけたり、備えをしたり、あるいは強大なものに寄り添ったりしないことには生きていけない。そんな強迫観念を社会からつねに意識させられているうちに、自分は無力で、弱く、傷つきやすい存在だと思いこまされてしまうのだ。 同掲書 P251


だが、コンゴでは自分でなんとかしないと何も動かず、思いこみははがれ落ちても、中身の自分が意外と大丈夫だと気づくという。本当の『タフ』さとは、肉体の強靭さでも、不屈の意志でもなく、『まあ、しょうがないやと思えること』だ、というのが田中氏の『悟り』だ。そこには、『安全・安心』のスローガンとは裏腹に、今の日本人がなくしてしまった『自信』と『自由』がみなぎっているように私には思える。

いきなりコンゴは無理でも、せめて一歩、踏み出してみたくなる。日本という『幻想』からほんの少しでも目覚めるために。

*1:

たまたまザイール、またコンゴ

たまたまザイール、またコンゴ