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インターネットの遠心力と求心力/世界を正しく理解するために

第三の産業革命


先日、カドカワインターネット講座の第10巻『第三の産業革命 経済と労働の変化』*1が発売されたので、早速読み始めたら、あっという間に読みおわってしまった。興味深い論点もたくさんあって、必ずしも簡単な内容の本ではないと思うが、自分自身が、ここに集まった執筆者達とほぼ同じ目線でこの10数年間、時代を見つめて来たればこそと思うと、妙に感慨深い。だが、これだけ奇妙なことが次々に起きた驚きを忘れ、いつの間にかさほど違和感を感じなくなっている自分がいることにも気づき、むしろそのことに驚いてしまった。こんなことでは、今また次元が上がろうとしているインターネットの方向性を見失ってしまいかねない。この機会に、真摯に過去を振り返り、現状を評価しておきたくなってきた。


『この巻のタイトルはインターネットと産業とあるが、その中身はもう少し広くインターネットと経済というべきものにした』、とこの巻を監修する山形浩生氏は述べる。『産業』や『経済』との関係という点では、1990年代末には、インターネットは経済成長や産業の発展という文脈で語られることがすごく多かった。皆が異口同音に、インターネットに『第3の産業革命』ともいうべき未来を夢想し、語っていたことを私も懐かしく思い出す。インターネットによって、世界規模で効率化が進み、既存の非能率な組織は大規模に置き換えられ、第2次産業革命時を上回る経済の発展が成し遂げられるとの期待感が過剰なほどに盛り上がっていた。



合理性より不合理性


だが、1990年代末ごろから今までを概観してみると、当初皆が想像していたような発展の仕方とはまったく違ったと言わざるをえない。予想もしていなかったことが次々に起きて来たというのが実感だろう。『第三の産業革命』でも、執筆者はそれぞれ、インターネットがもたらした『奇妙』な現象を取り上げ、その分析を通じてインターネットの本質を垣間みようと試みている。


山形氏が、各執筆者(論者)の論文を総括して漏らす感想が非常に興味深い。

各論者に依頼した段階では、もっとインターネットのもたらす合理性、コスト削減などの側面が強調されるのではと思っていた。ところが、多くの論考は必ずしもそういう方向に向かわず、むしろネットが不合理性を煽るものになる点を重視していた。なかでも、「コミュニティ」というものに多くの論考が共通して注目していたことには特に驚かされた。(中略)
ネットはその対話を加速する。家族、会社、地域といった既存のコミュニティの人付き合いが縮小している社会で、人は物理的なコミュニティの代用品をネットに求めるようになっている。そしてそれが、産業のあり方にもさまざまなかたちで影響を与えているのだ。

同掲書より


これは私のブログでもずっとテーマとして取り扱って来た問題でもある。インターネットは、コアに『対話』と『コミュニティ』があり、合理性以上に不合理性を煽る、というか、結果として引き出して来る力があることは、私自身、様々な言い方で語って来たつもりだ。そして、特に日本のインターネットは米国等のインターネットと比較すると、より不合理で、ゴミのようなものばかりが溢れ出て来ていると、多くの識者(と呼ばれる人)は嘆いてきた。だが、その一方で非常にパワフルで活気に溢れ、独自の文化を生み出す場となっていることをポジティブに評価する向きもあり、ゼロ年代の後半以降の日本のインターネット界隈ではこの『不合理』を巡る是非が様々に議論されてきたとも言える。



文化増幅装置


だが、『本書のタイトル』と山形氏の言う、『経済』や『産業』にもう少しフォーカスを絞ってみるとどうなのか。ここは基本的には『合理性』の支配すべき領域だ。実際、インターネットによって、既存の商流の『中抜き』があちこちで起きて、効率化が進んだ部分も多いことは事実なので、インターネットは十分『産業』と『経済』の構造転換を通じて経済の効率化に寄与してきたと言えなくもない。しかしながら、この領域においてさえ、近代の資本主義の成熟と普及に伴って、かつては存在したが、市場の『合理性』の前に衰弱してしまった概念 ー 『贈与』『シェア』『共同体(コミュニティ)』等 ー が次々に復活して来たかのように見える。


資本主義/市場経済を『近代』の産物というなら、いわば前近代のツールや概念が、無意識の階層から引き出されて、現代の文脈に洗い替えて使われているという印象さえある。しかも、必ずしも『不合理』というわけではない。オープンソース・ソフトウェア(リナックス等)の成果を生んでいるケースで見ても、十分『合理的』だ。ただ、行動の原理の出所が狭義の経済合理性の枠を超えてもう少し広いところにあるだけだ。この場合、コミュニティ内での評価がその行動の源泉/原因と考えられる。


貨幣というのは、非文脈依存的/ローコンテキストであり、そういう意味で普遍性(グローバル性)があるが、『コミュニティ内での評価』というのは、如何にも『文脈依存的/ハイコンテキスト』で、通用する範囲は限定的と考えられる。だが、この部分こそ、インターネットが引き出した『成果』であり、逆に言えば、インターネットの最大の特徴はコミュニティを通じて、その文化や行動様式等を表面化し、増幅する装置とも言える。いわば、『文化増幅装置』とも言える役割を果たしている。高度情報化社会の帰結というのは、実はこういうことなのかもしれない。私達は同様の事例をすでに数多く目にしているとも言える。



イスラムのインターネット


チュニジアの暴動に端を発した『アラブの春』が起きた当初、独裁者の支配する国家に対する、民主主義の勝利と見た人は少なくなかったと思う。今にして思えば何ともナイーブとしか言いようがないが、一時的な混乱はあっても『アラブの春』が、この地域で民主化が進むきっかけになると考えた人は多かったはずだ。だが実際には、この一帯は『いわゆるイスラム国』に代表されるような、イスラム原理主義、過激派が跋扈する場となり、いわばインターネットはこの地域にその混乱をもたらす導線になったとさえいえる。しかも、昨今の『いわゆるイスラム国』のインターネットの利用法を見ていると非常に高度で、広告宣伝のプロが背後にいるとしか思えないのだが、このようなインターネットの高度利用が『いわゆるイスラム国』の本来の力を大きく増幅してプレゼンスを大きくしていることは間違いなかろう。そして、かりに今後この疑似国家が制圧されても、次々に同種の組織が立ち上がって来るであろうことはもはや誰の目にも明らかだ。



中国のインターネット


中国のインターネットには『グレートファイアウオール』という検閲システムがあり、特に2012〜2013年以降くらいから強化されて来た。今では、YoutubeFacebookGoogleWikipedia等の国際展開されているサービスも遮断され、中国国内からのアクセスは出来なくなっている。世界のサービスの進化から切り離されてしまうと、中国のインターネットサービスは世界の最先端からおいていかれて寂れてしまうのではないか、との観測も少なからずあったが、それとは全く正反対に、中国国内から同等のサービスが次々に立ち上がって、しかも会員はあっという間に数億人規模、競争も激しいから、経営的にも非常に鍛えられている。昨年はこの中から電子商取引大手の、アリババ集団がニューヨーク証券取引所に上場して、250億ドルという史上最大の資金調達を実現して話題をさらったが、中国のインターネットサービスは衰退するどころか、世界規模で見ても進化し、膨れ上がって来ている。このごとく、中国には中国の文化と市場に最適化したサービスが自生し、進化/拡大していく。



遠心力


いずれも、一見、グローバルスタンダードから離れて、地域性に後退しているように見えるが、そうではなくて、コミュニティ単位の文化の個性を世界に押し出す形で拡散し、拡大していっていると見るべきだろう。繰り返すが、インターネットによる情報化は文化単位では求心力が働いているように見えるが、実際には各文化圏内部のコミュニティは多様性を増して拡散していくと考えるのが自然だ。米国の中にシリコンバレーの文化圏もあれば、ウオールストリートの文化圏もあるがごとく、各文化圏の中にも、場合によっては相互に対立する、グループ/コミュニティは当然あるわけで、そのような単位でかたまりながら(その点では求心力を働かせながら)、全体で見ると『遠心力』が働いて拡散していくと見るべきだろう。



産業化と求心力


情報化により文化文明単位での『遠心力』が補強されると述べたが、実はこれと反対に、今はインターネットのベースにある情報技術/デジタル技術が今まで以上に凄まじい進化を成し遂げようとしていて、それにともなう一種の産業革命が一方で進行しつつあり、ここには、『産業化の求心力』が働いていると見られる。『第三の産業革命』でも、最後のまとめで、山形氏がこの産業化に言及していて、これも非常に興味深い発言なので、引用しておきたい。

またネットは、一時は中小ベンチャーや低資本事業に有利だと思われていたけれど、一方では企業の大規模化を可能にしたし、大規模なデータが精度をもたらすビッグデータ分析にはデータ処理設備やソフトに大規模資本が要求される。結局、資本家がますます有利になって業績や所得を伸ばすことになり、既存の格差がさらに拡大しかねない。

同掲書より


個々が発信する情報は、インターネットの持つ『遠心力』によりますます拡大し、複雑になっていく(情報化)。だが、この大量の情報は、ビッグデータとして蓄積し、このビッグデータを分析し、大規模に産業/商業的に利用するニーズ/インセンティブもまた強くなっていくことは間違いなく、しかもその影響力は甚大だ。その点では大規模資本への強い『求心力』が働く可能性は否定できない。(産業化)。



舵取りをあやまらないために


インターネット出現後の社会を分析し、将来を予測するにあたり、この情報化の『遠心力』と、産業化の『求心力』を分けて理解しておかないと、現在起きている現象がどういう意味を持っていて、どこに向かっているのか理解できなくなってしまうだろう。


大変残念なことに、フランスのテロ事件や、『いわゆるイスラム国』の人質事件に見られるように、世界はすでに国際政治学者のサミュエル・ハンチントンが著書『文明の衝突*2等で主張したような状況になりつつある。資源や環境が希少財で、地球全体の人口は増加し、後進地域の産業化も急速に進んで資源大量消費型となれば、何らかの『衝突』は避けようがない。このような困難な時代の舵取りをあやまらないためには、インターネット化が進む世界の様相を正しく理解することは不可避だと私は確信しているし、私の仮説に賛同いただけないとしても、少なくとも、解いておくべき問題群がここにあることは認めていただけるのではないだろうか。しかも、思った以上に差し迫った問題になりつつある。私も仮説を仮説のままにせずに、機会あるごとに検証していきたいと考えている。