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イスラムの激震が示唆する現代日本の議論に欠けているもの

『テロ』『イスラム』が本年のキーワード?


2014年の10大潮流について昨年末にまとめて*1、その第一にあげた『人工知能元年/進むデジタル革命』を受けて、年初には、2015年は『テクノロジー・ドリブンの世界に備えるべき』と書いた*2。2015年以降はテクノロジーが今以上に非常に重要なキーワードになって行くことはその時も、もちろん今でも確信しているが、2015年が明けてみると、初っぱなに、フランス史上最大規模のテロによる死傷事件があり、今度は日本人が二人、イスラム国の人質となり2億ドルという法外な金額を命と引き換えに要求されるという事件が起こるなど(この記事を書いている段階では、人質の一人、湯川さんが殺害されてしまったようだ。ご冥福をお祈りすると同時に、後藤さんの無事を祈りたい)、『テロ』『イスラム』が本年を代表する第一のキーワードになりそうな気配だ。


『10大潮流』を書いた時には、必ずしも言及しなかったが、それぞれの潮流の背景に、共通の原因となるような根本的な『力学』があり、個々の問題もさることながら、この『力学』の本質を理解せずに表面的な対応に終始するだけでは、もはや如何ともし難くなって来ている。実は今年はこのことをどこかで本格的に取り上げて語ろうと考えていたのだが、どうやら時代のスピードはあまりに早く、そのような悠長な姿勢を許してはくれないようだ。必ずしも思考は整理しきれていないが、今の時点で言えることをとにかく何か書いておきたくなった。



歴史的な鼎談


ちょうどそう考えている時に、思想家の東浩紀氏の主宰するゲンロンカフェで、東氏の師匠である浅田彰氏と、かつてニューアカデミズム全盛時に浅田氏と勢力を二分する一方の横綱とも言える存在だった中沢新一氏の両氏を招いて、3人が鼎談を行うという歴史歴な企画があり(チケットはすぐに完売してしまったので、有料放送で拝見した)、ここでの議論が非常に示唆とヒントに富み参考になった。当代の日本の思想界の頂点にいるといっていい3氏の深い含蓄のあるコンセプトや言説を借りながら、今思うところを語って(つぶやいて)みようと思う。



グローバリズムの影


この1ヶ月に連続して起きた事件(そしてその派生とも言える出来事)は、狭義で括ってしまえば、『イスラム過激派のテロ行為』ということになり、特に米国の911同時多発テロ)以降の対立構図が欧州や日本にも派生してきている問題と言えなくもない。では、どうしてそのようなイスラム過激派の伸長を招いたのかと言えば、欧米先進国が進めて来た『グローバリズム』の進展とそれに対する反発が背後にあることは誰しも否定のしようがないところだろう。


グローバリズムの影の部分、という点では、宗教対立という以前に『経済格差』が深刻の度を増して来ている。『10大潮流』でも語ったように、格差問題を語るトマ・ピケティの『21世紀の資本』*3は、世界的なベストセラーになった。米国でも日本でも、世界中で格差拡大が急速に進んでおり、今後さらに拡大していくことが確実視されている。先進国と発展途上国の労務費の格差に伴う労働の移動/先進国の中間層の窮乏に加え、今後はコンピュータ/アルゴリズムが中間層が受け持っている仕事を広く代替するようになると、非常に高度な仕事と、人間でないとできないが非常に単純で付加価値の低い仕事の両極しか人間には残らないであろうこと(すなわち中間層が没落して下層に落ちるであろうこと)はこのままでは避けようがないように思える。中長期的にはともかく、短期的にはソフトランディングのイメージがなかなか浮かんでこない。これでは没落が余儀なくされている中間層や、浮かび上がるすべのない下層の人々の不安感を煽ることは言うまでもないが、勝ち組にとっても心穏やかではいられないはずだ。自分たちの富の源泉であるはずの市場の購買力は減衰し、社会は不安定になって、政治的な権力基盤も揺らぎかねないのだ



ピケティの限界


ピケティはこれに対して、ある意味シンプルで明快な解決策を提示する。富裕層への課税を強化して、低所得層への配分を厚くする、いわゆる所得の再分配がそれだ。中沢氏は、これこそ『21世紀の資本』が売れた理由だと語る。策がわかりやすく、そこそこ実現可能性もあるため資本家/経営者を安心させる、というのだ(これに対して、19世紀の資本を論じたマルクス資本論は資本家を不安にする=読む気にさせない)。確かに、私の印象でも、経営者層/グローバリズム信奉者にも購読者が広がって来ているように思う。


しかしながら、年初から起きている一連の事件は、この楽観論に冷や水を浴びせかけたとも言える。経済格差だけでは、本質的な問題は解決しない、という強力なメッセージとも言えるからだ。『3氏』のピケティの評価は一様に低い。マルクスが19世紀の資本のメカニズムを徹底的に解明したことと比べても、ピケティは21世紀の資本のメカニズム自体を解明しているとはいい難い。よって、本質的な解決策はこの本からは何ら導かれることはないとする。



語られなくなった概念/キーワード


では、何が足りないのか。経済的な対策以外に何を考えておく必要があるのか。『3氏』の議論の場は実に豊饒だ。メガトン級の概念/キーワードが次から次に出て来る。

『崇高/超越の希求』『美の希求』『死の欲動(タナトス)』

『資本主義の根底にある贈与の解明の必要性』・・・


浅田氏、中沢氏を頂点としたニューアカデミズム全盛期には、ここに出て来たような概念/キーワードの解明に(成否は別として)取組む人が沢山いた印象があるが、オウム真理教の暴発(地下鉄サリン事件等)以降、そのような動きは『ピタリ』と止まってしまった。日本の言論シーンにおいては、本来不即不離の関係にあるはずの『生と死』は、『生』しか語られなくなり、『快感原則(エロス)』ばかりで『死の欲動タナトス)』は埒外に追いやられ、史上、人間を最も深く動かし、魂を揺さぶって来た『崇高/超越の希求』が真面目に語られたり議論されるようなこともほとんどなくなってしまった。



快楽原則を超えるものの必要性


『食』『住』が保障され、物的欲望がそこそこ満たされ、ある程度の承認を得られれば、それ以上何も望むものはない、と昨今の日本の若者の多くは口車を合わせたかのように言う。ゲームがあり、インターネットがあり、AKB48がいて、2ちゃんねるがあり、LINEがあればそれ以上何を望むというのか。大きな物語は終わり、終わりなき日常は延々と続く。そこにバブルを経験した団塊世代は、高級車、高級マンション等、もっとエネルギーに満ちたギラギラした欲望を持つべきと応じ、経済成長のためにもっとお金をつぎ込め、と煽る。


確かにこんな日常のどこにも、『崇高』『超越』等のキーワードが入り込む余地などないように見える。だが、本当にそれで済むのだろうか。歴史は、快感原則以上にこれらがみな深い満足(エクスタシー等)の源であることを教えている。物的、経済的に満たされても、人はそれ以上の何かを求めてしまうものなのだ。世界に目を向けると、今でもこの原則がちゃんと生きている証左をいくらでも確認することができる。



死の欲動


心理学者のフロイトは人間には、快感原則(エロス)的な欲動の一方に破壊し、殺害しようとする欲動、すなわち、攻撃欲動、破壊欲動(『死の欲動』)があって、どちらの欲動も不可欠で、この二つの欲動が協力し、対抗することで、生命の様々な現象が誕生するという。

『人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス*4


死の欲動』は自我が抵抗し難い衝動であり、もっとも原初的な欲動で、『悪魔的』な生命の破壊衝動であるとされる。快楽原則には従わず、快楽原則に容易に懐柔されることはなく(ゲーム、娯楽、アイドル等には懐柔されず)、自我はその前に無力だという。『崇高』『超越』『美』を求める人間の衝動はともかく『死の欲動』ともなると、少なくとも現代の日本人にとっては想像を絶する概念だろう。だが、『死』はしばし『崇高』や『超越』と、時には『美』と結びつく。オウムでも、イスラム過激派でも、日本の神風特攻隊でもここに何らかの解読の鍵の一つがあるように思えてならないし、背後にあるメカニズムを深く解明して、社会生活を破壊してしまうような暴発を抑え、社会に整合するような工夫を重ねる必要があると思うのだが、オウム事件後、日本ではこのような話題を持ち出すこと自体がタブーとなってしまったきらいがあり、ひたすら臭いものに蓋をする事が『聡い人々』の習い性になってしまった。



心配な日本の現状


臭いものに蓋をして、見たくないものを見ずにいると、押さえつけられた破壊の欲動がエネルギーを溜め込み、何かのきっかけで暴発する恐れはないだろうか。日常の不条理や閉塞感がつのって、イスラムの過激な教義解釈を安易に受け入れてイスラム国に参加するナイーブな先進国の若者が後を絶たないというが、日本でも同根の行動がある日急に活発になる可能性を誰が否定できるだろう。そして、一度閉じたはずの蓋に穴があくと、分析装置もすっかり錆びついてしまった今の日本では、対処不能となり社会そのものが壊れてしまうのではないか。仮に、強固に蓋を閉じ続けることに成功したとしても、それはそれで、人間が生きていく上でのエネルギーが枯れてしまって、日本社会は立ち枯れるようにして衰退してしまうのではないか。この10数年間の日本を見ていると、必ずしも取り越し苦労とばかりは言えなくなってきていると思う。


世界を理解し、そして本当の自分自身を解明するため、そろそろタブーを取り払って議論を再開するべき時が来ていると考える。今後、科学技術は長足の進化を遂げ、社会を明るく照らす一方で、少なくとも短期的には、格差はさらに拡大し、共同体は衰退して承認を得ることは難しくなり、不条理や閉塞感を募らせる人を増やすような、影が濃くなることも予想される。決定的に手遅れになるその前に、封印を解き、奥深い人間の本性をタブーなしに解明することを再び始める必要があると思う。