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日本をやり直すために必要なこと

比較的楽観的だったIT業界でさえ


今の日本は色々な意味で、『ギリギリの状況』にあることはやはり間違いない。遠からず、従来以上にドラスティックな変化が(良し悪しは別として)次々に表面化してくるのは間違いない。それなのに、指針というか、進むべき方向は益々不透明になってきている。この身悶えするような方向喪失感が今の日本の時代の空気であることは、私ならずとも昨今は誰もが感じていると思う。


しかもそれは昨日今日始まったものではない。いわゆる失われた20年の間、そして今に至るまで基本的にはずっと続いてきたセンチメントといえそうだ。だが、その中でこれまで例外的に比較的明るかった領域がある。『IT業界』とその周辺だ。そこに比較的楽観的な空気が流れていたのは、切り札としてインターネットへの信頼があり、このインターネットの持つ潜在力を自分たちの手で最大限顕在化させることで、ビジネスだけではなく、様々な社会問題を解決に導くことができる、そういういわば『楽観的な確信』があったからだろう。


もちろん、この『確信』にも紆余曲折はあり、『日本のウェブは残念』と早々と見切りをつけて離脱してしまった、コンサルタント梅田望夫氏や、『ウェブはバカと暇人のもの』と言い放った編集者の中川淳一郎氏のような例もある。だが、それでも尚、『ウェブ/インターネットの持つ潜在的な力を良い方向に引き出す事』の可能性を信じて奮闘してきた人達ちは少なくないし、日本に残る『希望』のはずだった。だが、ここ何回か書いてきた通り、予想以上にやっかいな『壁』に阻まれて、今では『IT業界』の面々でさえ、方向喪失感に苛まされているように見える。



楽観論に極論


この数年の言説の中には、インターネットに親和性を持つ若年層が社会の実権を握る年齢に到達して、マジョリティを占めるようになれば、インターネットがなかった時代に自分の地歩を固めた抵抗勢力も解体され、その時点からは改革が急速に進むようになるという、『時間が解決』という類いの楽観論もある一方で、漸進的なカイゼンではまったく埒が明かない今の日本は、どうせ遠からず崩壊するから(確かに今のままでは、財政破綻ハイパーインフレ等、崩壊する理由をいくらでも上げることができる)、むしろ早めに奇麗さっぱり御破算にして一から出直したほうがいいという極論もあった。


実際、この極論にもそれなりの『理』があり、日本人は潜在的にこの『崩壊』を希求しているのではないかとさえ思える場面は少なくない。その方が、しがらみを切り離し、執着を断ち、腹の底から力が湧いてくると、案外本気で考えているのはないか。



復興期に力を発揮する日本人


批評家の福嶋亮大氏の著書『復興文化論』*1で展開される言説など、その点で非常に興味深い。福嶋氏は、壬申の乱から源平合戦応仁の乱日露戦争第二次世界大戦等数々の戦乱や震災など、日本社会は『慢性的負傷』状態にあり、『復興期においてたびたびイノベーションを引き起こしてきた歴史それ自体が、日本の文化活動の一段深いところにある動力であり、かつ現代的な価値を所有するもの』だという。私達がかすかながら体感として記憶にとどめるのは、第二次大戦後の復興期の日本だけだが、それでも、ソニー井深大盛田昭夫、ホンダの本田宗一郎ダイエー中内功等、日本が世界に誇るイノベーターが続々と出現するのを目の当たりにすることができた。確かに日本人は復興期においてこそ力を発揮してきた歴史がある。


同様の文脈で、私は昔から日本人の深層意識の奥には、『問題解決の最良の策は、すべて水に流してしまうこと』という信念があるのではと感じてきた。『玉砕思考』とでもいうのか、交渉事でも、中国人など最後の最後まで、どんなに瑣末な部分でも、少しでも有利な条件を勝ち取るべく非常に粘り強いが、日本人は、往々にして、『それならもう全部御破算だ!』と比較的早い段階からちゃぶ台をひっくり返したくなる衝動を押さえられなくなることがすごく多い。過去、仕事を通じてそんな場面をいやになるほど見てきた。どんなに頑張っても、日本には震災のようにどうしようもないことが何度もやって来る。そんな時の覚悟は出来ている。だから奇麗さっぱり最初から潔くやり直すときこそ最も元気になれる時、多くの日本人はそういう深層心理の強い影響下にあるのではないかと長らく感じてきた私は、福嶋氏の展開する論に思わず膝を打ちたくなった。



原理は見えていない


だが、本当の問題は、今日本が崩壊しても、『やり直すための原理』が見えていないということだ。抵抗勢力/旧勢力さえ解体されれば良くなる、という楽観論のベースには、インターネット化が進めば、社会はすべて良くなる、というもう一つ階層の深い楽観論が垣間見えるが、困ったことに、今、そのインターネット化自体にも問題があること、インターネットだけでは問題が解決されないということが明らかになりつつある。破壊さえすれば何とかなる、という楽観には根拠がなく、さらなるもっと悲惨な混乱を招きかねない(『アラブの春』がいい例だ)。思いきって水に流すこともできない状態は、日本人の精神を何より苛み、疲弊させる。


だから、インターネットの持つ力を無自覚に全面的に信頼するのではなく、今一度、そのパワーの全貌と限界を見極めて、かつ、自分たちが本当につくりたい社会を再度見据えて、失われた方向感覚を取り戻すことが最大の課題であり、今取り組むべき事、ということになる。


過去二週に渡って取り上げた、東浩紀氏と佐々木俊尚氏の新著のテーマもまさにそんなところにあった。社会全体の改革の前に、まず自覚的な個人が目指すべきは、『弱いつながり』の力を再認識して最大限生かすこと、それがメインテーマだった。そのために、インターネットが役立つ部分もあるが、使い方を間違うと障害になることもある。過信すると壷にはまる。



『ピア・ネットワーク』の力


その『弱いつながり』の可能性を感じられる人なら、今後の指針を検討するにあたって、ライターのスティーブン・ジョンソンの著書『ピア ネットワークの縁から未来をデザインする方法』*2は非常に示唆的な良書だと思う(自分でもじっくりと研究してみたくなった)。


インターネットの設計の中核的な原理は、中心/階層的な構造ではなく、対等な『ピア』からなるネットワークだったわけだが、この高密度で多様性に富む分権的な交換のシステムとしての『ピア・ネットワーク』の形成は、社会を良い方向に変えうる原動力との評価は今日ある程度定着している。インターネットにより『ピア・ネットワーク』の形成が容易になったために、しばしインターネットそのものと同一視される傾向があるが、必ずしもインターネット内だけではない。インターネット外でも、有益な『ピア・ネットワーク』は存在する。また、しばし誤解されているように、先端的な民間企業だけではなく、公的部門等でも、市場の外でも、この仕組みをうまく利用できている例は沢山存在する。革新的なテクノロジーはなくとも、『ピア・ネットワーク』により様々な『進化』が実現されている。『ピア ネットワークの縁から未来をデザインする方法』にはいくつもの具体例があげられている。

一方の社会的トレンドは、非市場的な力に大きく依存している。飲酒運転や十代の妊娠、少年犯罪といった事象の防止において実現した進歩は、新しい機器類やシリコンヴァレーの新興企業や巨大企業によるものではない。政府の介入、公共広告、人口構造の変化、そして世代間で共有される人生経験の知恵といった、おおむね市場の外にある力のネットワークから生じているのだ。
同掲書 P21


政治家は選挙で下から選出されるが、一旦選出されれば、一極集中的に上から力をふるう。市場は資源配分の仕組みとして最も効率的で、グローバル資本主義も効率という点ではそれなりによく出来た仕組みではあるが、グローバル企業では大抵カリスマ的リーダーのもとで中央集権化されたトップダウン型の支配が行われている。すなわち、現行のシステムの内側にも『ピア・ネットワーク』の力で『進化』がもたらされる可能性があるのに、実現しないままになっている領域が沢山残されている。


スティーブン・ジョンソンは、フェイスブックを例にとって、この矛盾を非常にわかり易く説明している。


フェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグは、ピア・ネットワークの構造を官民両部門で無数の業界に根づかせることが可能だし、そうすべきと思っている。彼は、『今後5年間で、大抵の業界はソーシャルなものとしてとらえ直され、人を中心として設計されるようになる』と発言しているという。その一方、フェイスブックは私企業であり、ザッカーバーグが称揚した社会の構造は独占技術だ。そして、企業としてはフェイスブックはびっくりするほど中央集権的で、カリスマ型リーダーのもとで中央集権かされたトップダウン型の支配が行われている。


そして、そこには改革の余地があるとする。


リーダーが企業にビジョンや目的を与えるのは、もちろんかまわない。しかしあまりにも大きな権力を経営陣の手に集約させてしまう企業は、ハイエク社会主義体制の中央集権的計画立案社に見出したのとまったく同じ問題にぶつかるコミュニティや政府やソフトウェア・プラットフォームと同様に、企業も目標設定やアイデアの創出、意思決定に関与する人のネットワークを拡張して多様化したほうがうまくいくのだ。資本主義は、市場の価格シグナルによって、分権的なネットワークの価値を私たちが理解するのを助けた。次の段階として、資本主義はその教訓をまさに企業の社会的アーキテクチャーに当てはめるべきなのだ。 同掲書 P207

思考し、思索し、思想すべき時


日本と米国のような他国とでは事情が違う、というのはその通りだろうが、日本は今後どのようなシステムを基本原理にしていくのか、という思考実験においては、あらためて本書で展開されるような議論を研究しておくことは非常に有意義なことに感じる。本書は一例に過ぎないが、同様に優れた言説も事例も、その気になって探せばちゃんと見つけることができる。ともすれば悲観的な議論に巻き込まれがちな昨今だが、道もあればヒントもある。ただ、どれか一つを選んで標榜すればすむほど事態は単純ではなくなっていることは確かだ。今は勢いにまかせて走るべきときではなく、思考し、思索し、思想するべき時なのだと思う。この期間の過ごし方で、今後、『真』と『贋』とがはっきりと分かれていく、そんな予感がする。

*1:

復興文化論 日本的創造の系譜

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*2:

ピア: ネットワークの縁から未来をデザインする方法

ピア: ネットワークの縁から未来をデザインする方法