視野を大きく広げてくれた本/『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』


誰もが知ってる初音ミク


ボーカロイド*1(VOCALOID)の初音ミク*2といえば、もはや押しも押されもしない、広く世に知られた存在だ。中高齢者の間ではどうなのかはわからないが、少なくとも、団塊ジュニアくらいまでの世代では、その名を聞いた事がない人を探す方が難しいだろう。


東京工芸大学が昨年2月に発表した調査によれば、音楽を聞くことが好きな12〜39歳という、団塊ジュニア世代より少し若いクラスターを対象に初音ミクにつき回答を求めたところ、『どのようなものか知っている』と『名前は知っている』を合計すると95%にものぼり、10代から30代の全てにおいて9割超が認知している、という結果が出たという。
初音ミクの認知度は95%--「好きな音楽はボカロ曲」10代女性で4割 - CNET Japan



どのように認知していたのか


ただ、少々気になることもある。認知度が高いといっても、『どのように』『どんな存在として』知られているのだろうか。私自身は、初音ミクといえば、2007年に相前後して立ち上がったニコニコ動画とともに、Web2.0以降のインターネットの発展をリードした存在/キャラとして理解していた。だが、その程度の理解で足りていたのだろうか。



日本のオタク文化の象徴


当初、Youtube等の動画サイトにアップロードされた動画を引用して、画面にコメントをアップしつつ楽しむサービスとして立ち上がったニコニコ動画も、Youtube からアクセスを遮断され、独自のコンテンツ中心のサービスとして再スタートすることを余儀なくされていた。


まさにそんなタイミングに、彗星のように現れたのが初音ミクで、この秀逸なアプリを使ってつくられた楽曲が、またたくまにニコニコ動画を代表するコンテンツとなる。しかも、驚いたことに誰かが投稿した楽曲を他の人が歌ってみたり、踊りをつけたり、イラストを加えたりする、というように、多数の人の手で次々に創作の連鎖が起きるようになる。


あるコンテンツを構成要素として、その派生作品を制作することを二次創作というが、これを捩って、社会学者の濱野智史氏は、自著『アーキテクチャの生態系 情報環境はいかに設計されてきたか』*3にて、『N次創作』と命名し、日本的なインターネットの豊饒さの現れとした。日本ではもともと、コミックマーケットコミケ)等、『N次創作』的な活動は盛んだったといえるが、初音ミクは音楽分野での『N次創作』の草分けとなり、気がつくと、『N次創作』の代表事例になり、遂には初音ミクなしでは日本の『N次創作』は語れないくらいの存在にのぼりつめた。


同時に、『ロリータボイスを持つ緑色の長髪のキュートな少女』、というビジュアル・キャラクターとしてのインパクトも非常に大きく、いつの間にか、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒロイン、綾波レイのような日本を代表するアニメキャラになっただけではなく、数百ともいわれる、ファンによって作られた派生キャラの源泉ともなった。


このように『日本のオタク文化を語る上で、欠く事ができない、歴史に残るキャラであり、日本的創造性を象徴する存在』、これが、私のこれまで理解してきた初音ミク像ということになろうか。これでも、比較的初音ミクのことは知っているつもりになっていた。



浅薄な理解だった


だが、先頃出版された、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』*4という著作を読んで、私の理解が実に浅薄で、この現象の本質を本当のところ理解できていなかったことを痛感した。特に、音楽シーンにおける初音ミクについては、まったく理解が及んでいなかったことに気づき、我ながら唖然としてしまった。


初音ミクを使ってつくられた楽曲が、ヒットチャートの上位に食い込み、商業的な成功をおさめつつあるアーティストがいることは漠然と知ってはいたが、音楽シーンにおける本質的なインパクトについては過小評価していたことを認めざるをえない。



サード・サマー・オブ・ラブ


本書の著者の柴那典氏によれば、ロックやクラブミュージックの歴史には、二つのサマー・オブ・ラブと呼ばれる時代があり、どちらも、カウンター・カルチャーとしての新しい文化を生み出し、社会現象となったという。(最初は、アメリカ西海岸のヒッピー・ムーブメントのころ、二つ目は80年代後半のイギリスにおける、テクノやアシッドハウスなどのクラブミュージックの勃興時。1967年、1997年と、いずれも『7』の年にそのピークがある。)2007年に登場した初音ミクが引き起こした現象は、前回から20年後の『7』の年に連なる、『サード・サマー・オブ・ラブといえるほどの現象と述べる。初音ミクは、ただの時代の『徒花』ではないと断言する。



音楽シーンにおける初音ミク


なぜ、初音ミクはそれほどの存在なのか。柴氏の説明は私には非常にわかり易く、しかも、構造的な理解を促してくれた。


本書にも引用されている、カラオケの2010年間総合ランキング(JOYSOUND)など、ベストテンのうち5曲がボーカロイド曲だ。さすがに、それ以降は『猫も杓子も』というわけではないものの、若年層にとって(それも若ければ若いほど)ボーカロイド曲は単なるブームではなく、確固たる一ジャンルになって来ている。冒頭にあげた、東京工芸大学の調査でも、ボーカロイド曲を好む割合は若年層、特に女性で高く、10代女性では40.0%が好きな音楽のジャンルとしてあげているという。


しかも、一ジャンルをつくっただけではなく、多様な音楽シーンに登場するようになる。海外にも進出を果たしている。

09年:初の本格的なライブイベント開催(『ミクフェス’09(夏)』)


10年:ライブハウスイベントに登場
   (『ミクの日感謝祭39’s Giving Day Project DIVA
      presents 初音ミク・ソロコンサート〜こんばんは、
     初音ミクです〜』)


11年:米国トヨタのCMに初音ミクが起用される


     ロスで初のアメリカ公演(『MIKUNOPOLIS in
     LOS ANGELES はじめまして、初音ミクです』


     GoogleのChoromeのグローバルキャンペーンの
     コマーシャルに初音ミクが起用される。


Googleのコマーシャル起用は、SNS利用に長けた米国のアーティストである、レディー・ガガやジャステイン・ビーバーと並んで、ウェブの日本代表かつアーティスト日本代表として選ばれたという象徴的な意味もある。



ハイカルチャーとも繋がり出す


さらに、初音ミクは、ポップスやサブカルチャーの分野だけではなく、アートやクラシックのフィールドにまで進出するようになる。柴氏は、もはやボーカロイドは『アマチュアの遊び道具』などではなく、プロの音楽家、キャリアのあるクリエイターが本気で挑む対象としてとらえられるようになったと語る。確かに、これまで初音ミクと接点のなかったハイカルチャーとも様々なコラボレーションが行われるようになって来ている

東京オペラシティコンサートにて初演された冨田勲の『イーハトーヴ交響曲


YCAM山口情報芸術センター)で初演された世界初のボーカロイドオペラ『THE END』


六本木・森美術館で開催された『LOVE展:アートにみる愛のかたち シャガールから草間彌生初音ミクまで』


なかでも、『THE END』は、2013年11月にパリへの上陸を果たし、由緒正しい劇場に集まるオペラファンの前で、歌手もオーケストラも一切登場しない世界初のボーカロイド・オペラは上演され、『21世紀の新しい芸術の形』として高評価を受けたという。



大きな文化現象の始まり


柴氏も振り返る通り、2007年当時、音楽CDの売上げは激減し、インターネットの普及が音楽業界を疲弊させ、音楽業界だけではなく、コンテンツ業界全体を衰退させてしまうに違いないと皆信じていた。確かに、レコード業界等既存の音楽業界は大きなダメージを受けたが、今となってみれば、音楽文化が衰退したというのは公平な評価とはいえない。それどころか、日本では海外にはまったく存在しない独自の音楽文化が花開き(海外のアーティストからも高く評価されるようになる)、そのきっかけとなったのが、初音ミクに代表される技術(ボーカロイド)であり、ボーカロイドやインターネットを最大限に生かすことを知る新しい世代のクリエーターだったことがわかる。そして、それは音楽のジャンルを超えて、非常に大きな文化現象の始まりだったとの評価を受けつつあるのだ。



自分の反省


正直なところ、私自身は、多くのボーカロイド曲のあのアップテンポに、自分の音楽心があまり揺さぶられることなかったことが、この巨大な現象に気づかず、正しい時代認識ができていなかったことの主要な原因だったことを感じ、大変反省している。もっとも、人の世界認識というのは、案外こんなものなのかもしれない。単なる自分の好みや好き嫌いが、世界の理解をあやまらせ、世界認識をゆがめてしまうことの恐ろしさを思い知った。


ちなみに、あらためて、冨田勲氏の『イーハトーヴ交響曲』をじっくり聞いてみた。今度は非常に心揺さぶられた。本書は、自分の世界観も、音楽観も大きく広げてくれたといえる。あらためて感謝の意を表したい。

*1:VOCALOID - Wikipedia

*2:初音ミク - Wikipedia

*3:

アーキテクチャの生態系

アーキテクチャの生態系

*4:

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?