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あまりに『母性原理』が優勢な日本の危機


違和感のある記事


3月24日付けの東洋経済オンラインで始まった社会活動家の湯浅誠氏の連載記事、『真のリベラルを探して』というタイトルを目にして、昨今のリベラル政治勢力(民主党等)のあまりの惨状と、極端な保守回帰ぶりに、さすがにバランスの悪さを感じていた私は、思わず引きつけられた。
90年の人生で、今の日本がいちばんひどい | 真のリベラルを探して | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準


だが、ゲストの名前を見て驚いた。瀬戸内寂聴氏? どいうこと? 実は私が知らない瀬戸内氏の本音があって、本当はリベラルな人なんだろうか? だが、インタビューの内容をいくら読んでも、どこからもリベラルな気配を感じない。昔の日本のムラ社会へのノスタルジーや感傷的な彼女自身の実感以外には特段目新しいことが語られているわけではない。私は特に瀬戸内ファンを敵に回す気もないし、彼女の意見自体にケチをつけるつもりは毛頭ない。だが、どう読めば、『真のリベラル』を見つけることができるのか、皆目見当がつかない。


ちょうど、いいタイミングで、ジャーナリストの佐々木俊尚氏がTwitterで私が感じた違和感を丸ごと代弁してくれていて、正直大変ほっとした。幸い、自分だけが感じている違和感ではないようだ。

佐々木俊尚@sasakitoshinao
もはやこういう言説で人は動かないんだってば…。/瀬戸内寂聴氏「隣りの人が困っていても知らん顔、自分の家さえよければいいと思っている。昔の日本人はそうじゃなかったのよ」/90年の人生で、今の日本がいちばんひどい 真のリベラルを探して http://bit.ly/1mpD21V


佐々木俊尚@sasakitoshinao
「真のリベラルを探して」っていうタイトルもすごいけど、その1回目が瀬戸内寂聴氏ってのもどうなんだろうなあ。


佐々木俊尚@sasakitoshinao
リベラルの再興を本気で考えるんだったら、まず「昔の日本は良かった」とかいうリベラリズムとはまったく何のカンケイもない伝統回帰論から脱却しないとダメだと思うな。それは単にリベラル勢力を自称してる人たちが年を取ったというだけのこと。


佐々木俊尚氏(@sasakitoshinao)の3月24日のTweetより引用

右も左も関係ない?


記事は次のように始まる。

今の日本は、保守化、右派の影響力が高まっている。その背景には、韓国、中国への感情悪化だけでなく、リベラル、左派の魅力のなさ、ストーリーのなさがある。今の日本のリベラルに、欠けているものは何か、どうすれば国民の心をつかむことができるのか。社会活動家として最前線で戦ってきた湯浅誠氏が、論客との対談を通じて、「真のリベラル」の姿を探る。


リベラルにとっても、国民の心をつかむストーリーを見つけていく必要があることは確かだろう。だが、どうして瀬戸内氏のようなタイプの人を呼びたくなってしまうのだろうか。


個人の自由を至上とするリバタリアニズムに対して、社会的公正の実現には、ある程度の政府や地域社会による介入が必要と考える立場なり思想がリベラリズムだが、米国では、リバタリアニズムにせよ、リベラリズムにせよ、『個人の尊厳』を尊重する価値観が中核にあって揺らがないのに対して、日本では社会の秩序やモラルを取り戻そうという課題に取り組むと、右派であれ左派であれ、個人よりムラや会社等の中間共同体を上位とし、中間共同体至上主義に回帰しようとする力が働いてしまう傾向がある。『個人の充足や成長』より日本的中間共同体のような『場』の平衡状態を維持することを重視する、というところに落ち着いてしまいがちなのだ。


だから、日本社会には、リベラルのストーリーを探求しようとする場合にさえ、瀬戸内寂聴氏のような伝統的な中間共同体にノスタルジーを感じる人に語らせたくなる磁力があるということなのではないか。そう考えれば、このインタビューには、深遠な意味があるとも言える。違和感の正体を明らかにしておくことも、案外時間の無駄ともいえなさそうだ。



母性原理に偏る日本の問題点


かつて心理学者の河合隼雄氏は、著書『母性原理日本社会の病理』*1で、父性原理より母性原理が優勢な社会構造を持つ日本社会が陥りがちな落とし穴と、根深い問題の存在を指摘した。『個』より『集団/場』、『競争』より『平等』、『論理』より『感情』等、母性原理が優勢になりがちな日本という括りは、今の日本で起きている諸問題を理解するための補助線として、かつてないほど有効かつ重要になって来ているように思える。


バブル期以降、日本経済は負け続け、景気も浮揚せず、自他ともに世界一を認めていたはずの製造業でさえその地位を韓国や中国の企業に脅かされるようになって来た。日本発世界ブランドのソニーなど、日本人の自尊心をおおいに満たしてくれる存在だったわけだが、それだけに、昨今の負け続けるソニーの姿に、自らの自信やプライドが砕かれる思いを重ねている人(特に中高年層)は少なくない。若年層にとってみれば、強い日本などそもそもイメージできない。そこに、史上最大規模の災害(東日本大震災)と、引き続く福島第一原発の事故だ。特に原発事故など、優れた日本の科学技術のイメージを砕いてみせた。それ以上に、次々に現れて釈明に追われる科学者や官僚/政治家の姿に、プライドどころか、軽蔑の念を抱いた人も多い。自信を失くし、傷つき、母の胸に抱かれるような癒しを誰しも求めたくなる状況であることは確かだ。


だが、母は平等に子どもを愛して受け入れてくれる一方、子どもが勝手に母の膝下を離れることを許さない。母子一体という根本原理の破壊を許さぬない。それを乱す存在は、『呑み込み、死に至らしめる』という否定的な面があることは知っておく必要がある。そして、現代の日本こそ、その否定的な面を憂慮しなければならない状況にあるように私には思える


場の内外(典型的なのがムラの内外)がはっきりと区別され、敵対感情が働くと(日本と中国、韓国のように)絶対的な対立となってしまう(理性的な議論を通じて、そこそこに妥協するようなことができなくなってしまう)。場の外にいる相手は、極端に言えば人間とさえみなされない。助けるどころか、無視され、存在しないことにされてしまうこともしばしばだ。ところが、場の内側では、強い一体感が成立していて、言語を超えた感情的なつながりによって(震災後強調された、『絆』もその一つ)、すべてのことがあいまいで一様になる。誰に責任があるかわからず、問題が起きても水に流してしまう。革新を目指すはずの集団の集団構造も、きわめて保守的な日本的構造を持たざるを得なくなり、日本的なタテ社会を嫌い、批判して飛び出した人が、ワンマン経営で強力なタテ社会を作り上げたりする。(河合氏の説明を引用しつつ、若干膨らましてみた。)



社会にあふれ出した母性原理


こう書くと、そんなの昔からそうだといわれてしまいそうな気もするが(そして確かに昔からそうなのだが)、昨今の日本では、この『母性原理』に支配された活動や人物が従来以上に多く、目につくようになっていないだろうか。


たとえばコラミストの小田嶋隆氏が指摘し、NHKが番組で取り上げて話題になった『ポエム化』だ。これを定義するのは案外難しいが、大方次のような意味だろう。

夢、仲間、絆、希望、笑顔、勇気、感動のような、口にするのが恥ずかしいようなベタベタな言葉を多用し、感情に流れて文体がぶれたり、結論が前後と関係なく屹立たり、内容があるのかないのわからない言葉の羅列。


漫画家の小林よしのり氏が、事例をまとめていてわかりやすいので、引用させていただく。具体例を見るのが一番わかりやすい。

新築分譲マンションのチラシやパンフレットには…
「天空に舞い踊る星々のトレモロ。人々の営みを物語る地上に散りばめられた灯火のロマネスク。あるいは、早朝のまどろみから朝日に洗われつつ姿を現す都会のエクリチュール


 旅館やホテルのHPでは…
「がんばるのに少し疲れたな…と思ったら、『月のうさぎ』におかえりなさい。あなたは現世のかぐや姫。そしてここはあなたの心の故郷。胸のもやもや、隠し事も、ほんのり月夜に消えてしまいます」


 大学案内では…
「『学び』というペンで、夢を未来を描き出そう。開いたノートが『まだ、まっ白!』でもかまわない。未完成だからこそ、想像以上の私になれる」


 朝日新聞の『天声人語』も…
「文筆に卒業はない。厳しくも温かい恩師である読者との交流を糧に、外へと踏み出したい。東京は残花を惜しむ週末。ひとひら風に舞って、この国を、また好きになる」


 ラーメン屋の壁には…
「いま居る処が最後の砦 そしてすべての始まりなんだ がんばろうぜ」
「この人生は一生懸命 私の人生は一笑賢命 いつでもどこでも いっしょうけんめいが いちばん美しい」

 さらには、自治体の条例の名称まで「ポエム化」が蔓延しているそうで、
 熊本県人吉市「子どもたちのポケットに夢がいっぱい、そんな笑顔を忘れない古都人吉応援団条例」
 滋賀県草津市「愛する地球のために約束する草津市条例」
 北海道厚沢部町「素敵な過疎のまちづくり基本条例」
 秋田県横手市「雪となかよく暮らす条例」
 新潟県阿賀野市「みんなで支えよう『こころ』と『いのち』を守る条例(案)」
 …といった、正体不明の条例が続々と誕生しているという。

「『ポエム化社会』にある深刻な問題とは?」小林よしのりライジング Vol.70:小林よしのりライジング:小林よしのりチャンネル(小林よしのり(漫画家)) - ニコニコチャンネル:エンタメ


あらためて調べてみるとその浸透ぶり驚いてしまうのだが、これも典型的に『母性原理』が強くなって来ていることの現れのように私には見える。論理的/合理的に目前の問題を解決しようというのではなく、問題をあいまいにして、人を場に取込むことで感情的な一体感を得ることを代替的な解決としようとしているように見えてしまう。これでは、言葉も論理的思考も衰退し、蓄積的な知識/知恵を引き出す事もできなくなってしまいかねない


政治家もそうだが、昨今では、企業でも(ブラック企業など典型的にそうだが)、論理的/合理的な戦略より気合い(=感情)やポエムで乗切ろうとしているとしか思えない例が多過ぎる。



先進的なはずの若年層さえ


だが、先進的な若年層なら、旧来のムラにも会社共同体にも縛られることはないだろうという意見も出て来そうだ。しかしながら、現状では当の若年層こそ、母性原理が強く支配する『場』にいるようだ。評論家の岡田斗司夫氏は、ゆとり世代は自分で考えることをせず、自我が消えつつあり、溶けつつあると指摘する

 LINEなどで"誰かをはみ出し"にするときに、"自分がその中に巧みに入らない"。または”はみ出されても、なんとか生き残るような人間関係の空気読む能力”というのが異常に高いんです。

 より社会性の生物になってきているんですね。
 その分、”自我がすごく薄く”見えちゃう。「EQが上がっている」という意見がありましたが、同時にそれは自我がないんですね。自我がない人間がたくさん集まると何にも決まらないんですよ。

 皆さん、1回フランスに行ってください。
 フランスの小中学校に行ったら、議論しかしてなくて、何も決まらないです。

 フランス人は自我が強くて、自分が何を主張するのかというのを強く持ってる。つまり自分を強く持ってる分、”自分たちの主張をかみ合わせて適当なところで落としどころを作る”という のが、とても下手です。

 日本人はフランス人とまったく逆ですね。

 今、LINE世代の人たちは、自分が主張する前に「全員がどういう主張をするようになるのか」というのを読んでやってるんですね。

 自分の意見を持たずに、流れの中から自分の考えを探す。

”自分で考える”ことをしなくなっています。自我が消えつつあり、溶けつつある。そういう時代になりつつある、と思います。

【レポート】LINEを使うゆとり世代におきた怖い進化 - FREEexなう。

母性原理では対処できない問題


誤解のないように強調しておくが、母性原理のメリット、功罪の『功』の部分も沢山ある。例えば、震災のような場面では、誰もを平等に受け入れ、一体化して包み込む『絆』は傷ついた被災者の心を癒し、援助する側も、被災者と心を一つにする充足感を味わった。だが、原発事故のような、科学的な知識の蓄積や合理的な(しばし冷徹な判断=父性原理)が必要な局面では、母性的な『絆』は機能しようがない。そして、経済、外交、政治、どこを向いても、今の日本には、そのような問題(母性原理では対処できない問題)で、それこそあふれかえっている。


現状を一気に転換させることはどう見ても難しいが、少なくとも、このような母性原理が強くなっている自己像はちゃんと意識化しておくべきだ。同時に、かつて、日本が戦争の泥沼にはまっていった過程と、類似点があることを座視せず、危険な兆候として認識し、転換していくことを課題として可視化しておく必要があると思う

*1:

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)

母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)