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『明日、ママがいない』をきっかけにテレビドラマの将来を考えてみた

テレビドラマの当たり年


2013年はテレビドラマが非常に目立った年であることは、衆目の一致するところだろう。今世紀最高の視聴率となった『半沢直樹』(TBS)、朝ドラに革命を起こしたとさえ評価される『あまちゃん』(NHK)だけではなく、『最高の離婚』(フジ)『泣くな、はらちゃん』(日テレ)、『Woman』(日テレ)、『リーガルハイ2』(フジ)等、佳作、意欲作が少なくなかった。確かに、近年の中では当たり年と言えそうだ。



だが低迷は続いている


だが、その一方で、『今世紀のプライム帯放送ドラマで最も低い視聴率』(第5話:3.0%、平均3.87%)という屈辱的な数字を出してしまった『夫のカノジョ』(TBS)はじめ、とんでもなく低い視聴率に泣き、尻切れとんぼになってしまったドラマも少なくない。平均視聴率で言えば、低迷に歯止めがかかったと見るのは早計だ。トレンディドラマで盛り上がり、テレビドラマは視聴率20%超であることが当然のように言われていた時代(1990年代)はもはや幻というしかない。



直近では・・


直近の2014年1〜3月期についても、民放ドラマの視聴率首位は、向井理主演の『S-最後の警官』(TBS)の初回18.9%で、現時点ではどのドラマも20%の大台は超えていない(『S-最後の警官』も最近は低迷気味だ)。そして、このクールは、作品の題材である赤ちゃんポストを実際に運用している熊本の慈恵病院から、表現に問題ありとして、日テレへ放送中止/内容変更の申し入れがあり、実際にスポンサーがこぞって降板してしまうなど物議をかもした『明日、ママがいない』(日テレ)のようなネガティブな話題のほうが先行してしまった。


一方で、『あまちゃん』(NHK)の後を継いだ、NHKの朝の連続テレビ小説ごちそうさん』は2月15日には今年2度目の高視聴率である24.7%をマークして気を吐いているが、ドラマ評論家の成馬零一氏は、自著『キャラクタードラマの誕生』*1にて、今や1クールの放送形態(一週間に60分のドラマを一話放送)が、ライフスタイルが多様化した視聴者のニーズとあわなくなってきていると指摘する。その結果、現在テレビドラマで視聴率が取れるのは、『相棒』(テレ朝)のような一話完結の事件モノか、毎日放送がある朝ドラのどちらかしかなくなっていて、1クールの連続ドラマの視聴率は低下の一途と嘆く。今クールなど特に、成馬氏の指摘通りの状況で、全体の低迷には歯止めがかかっていないばかりか、ドラマのラインアップは、一話完結の事件物ばかり多くて、しかもどれも似たり寄ったりで新鮮味がない。


もっとも、今年はまだ始まったばかり。『半沢直樹』や『あまちゃん』で取り沙汰されたような、『テレビの復権』、もっと言えば、『テレビの影響力の復権』は今後、本当にあるのだろうか。



テレビとネットの融合


インターネット/スマホの急速な浸透もあって、若年層を中心に可処分時間に占めるテレビの割合は確実に縮小していて、中でも10〜20代でのテレビ離れの傾向が顕著であることは近年盛んに取り上げられる。


その一方、これも若年層を中心に、テレビを見ながらネット(メールやSNS)をいじくる、いわゆる『ながら視聴』が急増し、テレビ番組を見ながらこれをネタにして、ネットで盛り上がる、という行動が目立つようになってきている。そもそも、日本のインターネットの受容のされ方の特徴は、社会学者の北田暁大氏が『つながりの社会性』*2と命名したように、何かをネタにして、メールやSNSでつながって盛り上がるような、いわば、つながること自体に価値をおく傾向があることだ。そして、このネタの多くはテレビ番組であることは以前から指摘されてきた。昨今では、特に、スマホタブレットの急速な浸透が明らかにこの傾向を後押ししていて、しばしばテレビ視聴率の増幅装置として機能することが認識され始めている。


ネットの内側から生成される動画も、最近では非常に良く出来ていて面白いものは少なくない。だが、特にテレビドラマのように、ストーリー、演技力、画質等、プロが作り込むクオリティには一日の長がある。お金がかり人材の質が問われる調査報道等でもそうだろう。そういう意味では、テレビとインターネットは競合関係というより、本来補完関係にあり、お互いの弱点を補強しあえる関係にある。フジテレビ買収騒動を起こした元ライブドア社長の堀江貴文氏の見識は正しかったことが、今更ながらだが思い起こされる。



ユーザーが進める融合


成馬氏によれば、テレビ関係者は、当初はやはり堀江氏に対するアレルギーも強く、2000年代始め頃は、テレビはネットとは距離を置いていた。しかしながら、2007年くらいから、YouTubeニコニコ動画等の動画サイトが一気に増え、中でもニコニコ動画の、視聴者が書き込んだコメントが画面を埋め尽くしていく様は圧倒的で、このコメントによる視聴者の番組参加という様式をテレビドラマにも落とし込みたいという意識がテレビ関係者の中にも生まれて来たという。


このころになると、Twitterがすっかり普及して、ニコニコ動画のコメントの代わりを果たすようになってきた。視聴者の側が実質的にテレビとネットを融合し始めたといえる。



テレビからの歩み寄り


実際、テレビドラマ制作者の側も、この動向を意識した番組づくりに取り組んでいることが透けて見えるようになってきた。それが最もわかり易く表出していたのが脚本家の宮藤官九郎氏の手による『あまちゃん』(NHK)だろう。これも昨今言い尽くされた感があるので、あまり詳しくは書かないが、アイドルグループとして最もサブカル的かつネットアイドル的であるAKB48をもじったアイドルグループをドラマ内に設定し、配役である小泉今日子薬師丸ひろ子の現実の活動履歴のパロディーをネタとして織り込む等、ドラマとしての『あまちゃん』は閉じた架空の世界に閉じこもるのではなく、ドラマの内容を積極的に現実世界とつなげて、ユーザーがネットで盛り上がり易いような仕掛けを随所に施してあった


また、脚本家の岡田惠和氏の作品で、一部ファンに大変高い評価を受けた『泣くな、はらちゃん』(日テレ)など、主人公が気晴らしに書いたマンガのキャラクターが現実世界にやってくるというファンタジーだが、昨今、マンガのキャラクターを押し出してマンガとドラマをつなげて行くようなテレビドラマは非常に多い。これも、通常のテレビドラマファンの枠を超えて、マンガのようなサブカルファンもSNS等で盛り上がり、話題が増幅されていることは容易に察しがつく。



ソーシャルゲームになる?


このような共存構造が究極まで行けば、テレビドラマは常に視聴者からモニターされ、感想や批判はダイレクトかつリアルタイムでドラマ制作側に届き、制作側はその声にリアルタイムに反応して、内容を修正していく、ということになっていくだろう。そのような共存、というか共犯関係によってスパイラル的に視聴者の好む内容が出来上がって行く。続き物であり、時間的にも空間的にも視聴者の日常と密につながり、日々影響を受け、またその影響を反映することが可能なテレビドラマは、閉じた空間で物語が完結する映画や本の物語世界とはどんどん違う存在になっていくと考えられる。それは、『ソーシャルゲーム』により近いといえる。


だが、昨今、その『ソーシャルゲーム』の人気は急速に失墜しているといわれている。かつての集金マシーンであったコンプガチャが禁止されて、思うように収益が稼げなくなったこともさることながら、ユーザーが面白いと反応したものに、制作側も一斉に反応するような仕組みだと、どれも似たり寄ったりになってユーザーに飽きられてしまうという、構造的な問題がある。



創作性/創造性の喪失


そもそもテレビドラマのような物語の創作においては、『新しい他者との出会い』、『偶然性』、『意外性』は不可欠だ。ところが、今のソーシャルゲームの構造においては、これらはもっとも不得手な要素ばかりといえる。テレビドラマがソーシャルゲーム化すれば、一番犠牲になるのは、このような意味での創作性/創造性だろう。協調的、予定調和的だが、どれも当たり障りがなく、似たり寄ったりのつまらないものばかりになってしまいかねない。


その典型的な証拠が今回の『明日、ママがいない』(日テレ)の騒動でつきつけられたといえる。今回、スポンサーがすべて降板するという騒動になった結果、ドラマの脚本は書き換えられて、台詞も角が取れていた。そのため、ドラマとしての整合性はチグハグで、バランスが悪くなっているといわざるをえない。(視聴率もかんばしくない)。ドラマの倫理性等の議論は別として、脚本家の野島伸司氏の、時に人の感情を逆なでし、えぐるように問題提起を行う鋭さは明らかに鈍ってきている。


やはり、視聴者との双方向性という意味でもプラットフォームの完成度があがればあがるほど、角が取れて、協調的、予定調和的になる、という構造的な落とし穴があることは奇しくも今回の騒動で明示された。このままでは、ドラマの脚本家は、今のゲームクリエーターと同様、ユーザーの好みやクレームに応じて微修正を繰り返すことが唯一最大の仕事になり、ネガティブとの酷評を受けながらでも、社会にインパクトを与え、時に反省を促し、容易には解けない(皆に考えることを促す)難問を提示する、という意味での役割を果たす存在ではなくなってしまうだろう。


今のテレビドラマは、まだプラットフォームの完成というのにもほど遠く、そういう点でもやる事は沢山ある。ペイバイビューのような仕組み、見逃しの救済の仕組み、ネットサービスとの接点の増加、視聴機器の増加(スマホ、PC、タブレット等)等、課題は目白押しだ。だが、一方で作家/脚本家の表現の自由の確保をどうするのか、同時にちゃんと議論しておかないと、最終的には衰退を免れないという事は意識しておくべきだと思う。