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ビッグデータ時代だからこそ問われる『人間ならでは』とは


気持ち悪いと言われたSuicaの情報提供


昨年6月末、JR東日本ICカードSuicaの情報(ビッグデータ)が、企業向け(日立製作所に販売し、そこからマーケティング情報として契約企業に提供)に販売開始されると、すぐに、『個人情報保護の観点で問題があるのでは?』という問い合わせが相次ぎ、あまりのネガティブな反響に慌てた同社は、7月末には販売を中止してしまうという事件があった。


これはビッグデータの利用や販売を検討していた企業に冷や水を浴びせ、あらためてこの問題の難しさを印象づける非常にシンボリックな事件になった。今回の提供の仕方では個人を特定することはできず、現行の個人情報保護法上は合法というしかない。本件を販売中止に追い込んだのは法律ではなく、『気持ち悪い』という情報を提供する側の人々の不安感だった。



『気持ち悪い』と言われないためには


ところが一方で、オンライン通販の雄アマゾンは、購買履歴だけではなく、昨今では読者が電子書籍Kindleで何をどこまで読んだのか等の行動履歴情報まで収集し、分析して、企業活動に利用しているとされているが、アマゾンに対してユーザーが今回のような『不安感』を表明して問題になるような例はあまり聞かない。この点については、ジャーナリストの佐々木俊尚氏が常々述べているように、『不安感』に優る利便性をユーザーにきちんと説明できているかどうかが取り合えずの『鍵』と言える。

人の行動履歴や販売履歴、診療履歴などのビッグデータの解析には、二つの使い道があります。


 第一には、マーケティングや疾病の発症傾向を調べるなど、
 データを丸ごそのまま使うというマクロな利用方法。


 第二には、データを分析した結果を、ユーザー本人に
「お勧め」などでフィードバックするミクロな利用方法。


 マクロな利用方法は、ユーザーから見れば「自分のあずかり知らないところで勝手にデータが利用されている」と映り、プライバシー侵害の反応を引き起こしがちです。しかしミクロの利用方法を導入することによって、プライバシー侵害の拒否反応を和らげ、人々に安心感を与えることは十分に可能ではないかと考えられます。

佐々木俊尚の未来地図レポート       2013.11.18 Vol.271より


私もこの意見には基本的に賛成で、ビッグデータを利用する企業は、このミクロな利用方法につき、日頃からユーザーとのコミュニケーションを密にしておくことが今後は必須になると考える。(新聞やホームページの片隅にちょっと載せて終わり、という程度ではだめだ。ユーザーとのコミュニケーションができない/不得手な企業は、ゆくゆくはユーザーからビッグデータの利用を拒否されることになるだろう。)



線引きが難しくなる『ミクロ』と『マクロ』


だが、Suicaやアマゾンの事例はビッグデータの利用が社会全般に及ぶにあたっての、ほんの一里塚ではないのか。今後『ミクロ』と『マクロ』の境界は限りなく線引きが難しくなっていくのではないか。そのことを考えるにあたって、興味深い事例がある。著書『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』*1の冒頭で紹介されている、『Googleのインフルエンザの予測』だ。       


2009年、鳥インフルエンザ豚インフルエンザのウイルスが部分的に組み合わさって誕生した新しいH1N1ウイルスが瞬く間に蔓延し、世界中の公衆衛生当局はパンデミックの到来(世界的大流行)に危機感を募らせた。しかも、この新型ウイルスにはワクチンもなく、何よりまずウイルスの居所を突き止めることが緊急の課題になった。米国の疾病予防管理センター(CDC)は各医療機関に症例の報告を求めたものの、感染患者も具合が悪くなってから病院に行くのは数日後、しかもその情報がCDCに届くのに時間がかかる。さらには、CDCは集まったデータを週に1回しか集計していなかったという。感染力の強い伝染病相手にこの時間の空費は致命的だ。


ところが、GoogleはH1N1ウイルスがマスコミを賑わす数週間前、科学誌『ネイチャー』に、インフルエンザの流行を『予測』し、地域単位、週単位での流行まで特定した、という記事を掲載していたという。Googleはネットで人々がインフルエンザ情報を探すときは、『咳の薬』や『解熱剤』といったキーワードで検索するはずと推測し、各検索語の使用頻度と、CDCが提供している2007年、2008年の実際のインフルエンザ症例とグーグルの予測を比較検討したという。結果、グーグルの予測と公式データの間に高い相関関係があることを発見した。CDCと違って、グーグルはほぼリアルタイムでインフルエンザの流行を特定できたということになる。


これはまさに、佐々木氏の指摘する第一の利用方法、すなわち、『マーケティングや疾病の発症傾向を調べるなど、データを丸ごとそのまま使うというマクロな利用方法』ではあるが、Googleはこのことで賞賛されこそすれ、非難されるようなことはないはずだ。これは、ビッグデータ利用の非常にポジティブな一面を代表しているといえ、今後は気候変動対策、経済発展の促進等さまざまな問題解決に利用されていくことがおおいに期待されている。このような輝かしい成果を見せられれば、人々の『気持ち悪い』という反応は消えてしまう(少なくとも、トーンダウンしてしまう)のかもしれない。



やはり『気持ち悪い』?


だが、どうも事はそれほど単純ではないようだ。ポジティブの背後にはネガティブも沢山ありそうだ。例えば、Googleが様々な伝染病や犯罪多発地帯等を把握して、逐次公開したらどうなるだろう。公開された地域の地価は下がり、金持ちはその場所を去ろうとし、公的機関は破綻するというようなことは起きないだろうか。日本では、いじめの原因になる可能性もあるだろう。そのような影響を考慮し、情報は公開されず、極秘でどこかに売られるとしても、このような可能性に気づけば、人々はSuicaの例以上に、『気持ち悪い』と、強い不安感をあらわにするのではないだろうか。


昨年(2013年)6月には、この不安感が現実の問題としてリアリティがあることを知らしめる事件が起こった。米国家安全保障局NSA)の元契約業者のエドワード・スノーデン氏は、NSAによって合衆国内で30億件/月、全世界で970億件/月のインターネットと電話回線の傍受が行なわれていたことを暴露した。対象になった情報は電子メールやチャット、動画、写真、ファイル転送、ビデオ会議、登録情報など多岐に渡っており、MicrosoftYahoo!GoogleFacebook、PalTalk、YouTubeSkype、AOL、Appleなどのネット企業大手が協力させられていることは、以前から指摘されていたが、スノーデン氏の暴露によりはっきりと裏づけられた。


従前より、米国のCIAやイスラエルモサドのような諜報機関は、このような大量のデータ(ビッグデータ)を分析して、犯罪者/テロリスト予備軍を割り出し、さらにはその日常の行動から、いつどこで犯罪行為やテロ行為を実行するのかかなり正確に把握できるようになっていて、時には実際に『排除』活動を行っているのではないか、というような噂話はまことしやかに語られる。まさに映画『マイノリティー・レポート』*2の世界そのものだ。今のところ、『都市伝説』に過ぎないと思いたいが、すでにこのようなこと(予備軍の割り出し等)はGoogleがその気になって取り組めばできてしまうと考えられるだけに、こうなると『気持ち悪い』だけではすまなくなる。


グアンタナモ湾収容キャンプ(米国の人権無視を世界的に非難されたテロ容疑者の収容キャンプ)の例に見る通り、9.11以降の米国は、残念ながら、時に理性的な判断をかなぐり捨てているようなところがあり、安心して個人のデータを預けることができる存在とは言い難い。日本でも、『大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件』のような例もあり、国家や官僚の無謬神話はもう崩壊していると言わざるをえない。非常に『気持ち悪い』。



流れは止まらない


では、このような流れは止まることはあるのか、あるいは、止めることができるのかと言えば、スノーデン事件のようなことがあっても尚、原則難しいと思う。止まるどころか実際には日々加速していて、最終的には世界全体がクラウドビッグデータで覆われる日は遠くないと覚悟しておくべきだSuicaのように単体のサービスだけではなく、あらゆるデータ、モノ、人、機器(ガジェット)がシームレスに繋がる、IoE(Internet of Everything:インターネット・オブ・エブリシング)と呼ばれる状況になるのは時間の問題だ。何故止まらないかと言えば、『便利』で『利用価値が高い』からだ。


企業にしてみれば、自らの客が正確にどこにいるのかわかる。どのような行動はOKで、どのような行動はNGなのか正確に言い当てることもできる。何をいつどこでつくって、どこで、どれだけの数量売ればいいのか、完璧な予測ができるようになるだろう。こういう競争が主流になれば、いやでもこの競争に置き去りになるわけにはいかないから、この環境で各企業は必死で競争することになる。どんなクレーマーがいつくるのか、どのコンビニのバイトがいつ冷蔵庫に入って写真をとるのかも予想できるようになるかもしれない。『正しさ』は徹底的に社会に行き渡ることになるだろう



アポロン神』と『ディオニソス神』


だが、行き場のない『気持ち悪い』という感情はどうなるのだろう。社会の利便性、正しさの前に、押し黙るしかないのだろうか。あらゆる悪や不正が完全に排除され、無菌状態にすることが本当に『理想的』な状態なのか。正しさとは何なのか。誰にとっての正しさなのか。誰かにとっての正しさが誰かにとっての不正になるような、正しさのゼロサムゲームは本当におきないのか。映画『マイノリティー・レポート』で描かれる社会は気持ち悪かったのではないか?


哲学者のニーチェは、『神の真理』を象徴する『アポロン神』に対して、激情と陶酔と狂乱および破壊と創造の神である『ディオニソス神』を対置し、『否定と破壊』があって初めて、人間にとっての真実な生の『肯定と創造』が可能であると述べた。どうやら学生時代を思い出して、もう一度ニーチェを読むべきときが来ているということか。



あらためて問われる『人間ならでは』


人間が計算や論理構成等、アルゴリズムが得意なところで競争することが無意味になるとすると、人間の役割として、直観、感情、感覚、創造力、倫理感等を徹底的に見直すことは、ことによると、(差別化という意味で)企業間の競争に勝ち抜くにも、社会を創造性の衰退から救うためにも、公正と正義を失わないためにも、あらためて非常に重要な課題になるのではないか。


企業も社会も個人も、根本的な変化を余儀なくされることは最早避けようがない。だがそこから目をそらして逃げるのではなく、今起きている(今後起きて来る)事の本質を理解して、必要な変化は自ら先んじて起こすくらいの気持ちで臨むことが必要だと思う。

*1:

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える

*2: