法律理解がビジネスの勝敗の根本を左右する時代


経営者や一般のビジネスマン向けの法律書


TMI総合法律事務所パートナーの淵邊善彦弁護士より新著『ビジネス法律力トレーニング』*1を献本いただいたので、今回はこの本について感じたままに書いてみたい。と言っても、いつもながら書評というより、その本をきっかけとした、単なる私自身の語りとなる可能性大なので、そこのところはご容赦いただきたい。


本書の想定読者は、弁護士や企業の法務部員ではなく、企業の経営者、ないし一般のビジネスマンであり、幅広い実際のビジネスシーンを想定して質問をつくり、それに答えるという形式でまとめられている。


目次順に大項目を列記すると下記のようになる。

1. 商取引はあらゆるビジネスの基本

2. 人事・労務がホットなテーマに

3. コンプライアンス軽視は命取り

4. 企業経営を法律から理解する

5. 知的財産を戦略的に活用

6. 海外展開はチャンスとリスクがいっぱい

法律の専門知識とビジネス


淵邊弁護士と言えば、企業のM&Aが専門で、その方面での著作も多い。M&Aと言えば、企業法務案件の中でもとりわけ専門性が高く特殊な世界という印象がある。実際、企業にしてみれば、自分たちが仕掛ける側であれ防衛する側であれ、一旦M&Aの案件を扱うことが決まれば、経験豊富な弁護士等からなるアドバイザーチームを(規模の大小は別として)結成せざるをえない。特に、海外企業を相手にしたM&Aでは、法律の専門家である弁護士といえども、狭義の法律知識だけではなく、日本とは大きく異なる相手国の商習慣や、企業行動等に精通していなければ仕事にならない。当然、実地のビジネスシーンにおける肌感覚も鋭敏であることが求められる。


だが、同じビジネスシーンと言っても、M&A案件で必要な知識や経験が豊富であることは、日本の一般のビジネスの常識に精通していることを保証しない。それどころか、この種の専門能力において非常に優れた弁護士が、しばし浮世離れしていたり、ナイーブで使い物にならないことも少なくないことは、企業側で弁護士との接点を持つことの多い人なら誰でも知っていることだ。


そういう意味では、M&Aのような特殊な領域で評価の高い淵邊氏のような弁護士が、ビジネスマン一般を対象にしたような本を出版するというのは、ある意味非常にリスクが高いとも言える。何より先ず、果敢なチャレンジ精神に敬意を表するとしても、M&A以外の部分について、最新のリアルなビジネスの現場にちゃんとキャッチアップして、しかも、現場の感覚にフィットするアドバイスが書けているのだろうか。



現場の実態にフィットした内容


結論を言えば、(献本いただいたから持ち上げるわけでは決してないが)、実際にビジネスの現場で頻繁に起きていながら、経営者やビジネスマンが見落としてしまいやすいトピックを丁寧にまとめて、リーガルセンスの重要性に注意喚起を促す良書になっていると思う。対象領域も、今年は特に話題の多かった人事労務問題(ブラック企業問題等)に多くの紙片が割かれている等、リーズナブルと言える。


ただ、個人的には、IT技術やビジネスモデル等の進化に法律がついて来れずに起きてしまう法律問題に日々悩まされている事情もあり、もう少しこの領域のことも多めに取り上げて欲しかったという気もしないではないが、それでは今回のような経営者やビジネスマンの最大公約数を対象にする主旨からはずれてしまうかもしれず、やむをえないところだろう。



経営者受難の時代


それにしても、本書を一読してあらためて感じるのは、現代の経営者にとっては、今は本当に受難の時代であるということだ。右肩上りの頃の日本と昨今の疲弊した日本を比較すると、あらゆる点で企業経営の前提や基本が変わってしまったと言わざるをえない。


特に、インターネットやモバイル機器の本格普及以降、その変化のスピードは加速し、変化は『幾何級数的』になった。技術/ビジネスモデルは日進月歩で進化し、Google/アップル/アマゾン等、多国籍企業は、日本の法律ではなく米国の法律に準拠していて、日本の法律が日本企業にだけ厳しい『ダブルスタンダード』が起きることも珍しくない。『正規社員で終身雇用』というモデルも維持できなくなり、非正規社員比率が若年層を中心に急増し、労働賃金の安い新興国の追い上げもあって、恒常的に労働時間や雇用の調整に迫られる。この先、どこに向かうのかさえよくわからない。法律もどんどん変わり、追加されるのはいいが、一般常識から乖離していて、首を傾げざるをえない法律も実に多い。法的問題の予見可能制は下がるばかりだ



問われる経営者の法律理解


ところが、今の企業経営者は(特に大企業では)、50〜60歳代が中心で、彼らが若い頃苦労して培ったビジネスの常識は、『生産年齢人口が増加する日本』『経済成長する日本』であり『インターネット導入以前』の時代のものだ。『三つ子の魂百まで』ではないが、肌感覚が最新のものになかなか置き換わらない。具体的な法律問題の所在もそうだが、最新の法律の背景や思想、立法意思等の根本がなかなか理解できない。いきおい、トップダウンで経営を引っ張る、『カリスマ経営者』の影響が強い企業ほど法律問題の落とし穴にハマり易いという構図になる。ブラック企業と名指しされて、舌禍事件を起こし、文芸春秋社との裁判にも負けてしまった、柳井会長率いるユニクロなど、その典型例になってしまった。

ユニクロ問題はまだ終わらない - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る

なぜユニクロだけ“ブラック叩き”にあうのか:日経ビジネスオンライン



フィロソフィー/思想が重要


しかも、ソーシャルメディア全盛の現代では、『人の噂も75日』と高をくくることもできなくなってしまった。風評も以前の風評とはもはや質も量も根本的に異なる。内部告発等も簡単にできてしまうため、企業内だけに情報をとどめることも難しくなった。過労死やうつ病等を誘発しかねない、いわば人の生き死ににかかわる労働問題などのセンシティブな領域では、単に法律を表面的に守るだけではなく、世論が納得するフィロソフィー/思想をきっちり持つことが重要で、従来のようにどこからか借りて来たスローガンを帽子のようにかぶっているだけでは通用しないどころか、その軽薄さがかえって軽蔑の対象にすらなってしまう。


こんな環境では、極端に言えば、法律上の争いでさえ、小賢しく勝つより、たとえ裁判で負けても、社会が納得してくれる『思想』や『正義』を貫く方がビジネスとしては次に繋がるとさえ言える(もちろん、法律違反を煽っているわけではない)。



小手先の知識だけではダメ


本書における、淵邊弁護士の次のコメントは、企業法務の常識と言っていいが、その意味するところをさらに深読みする必要がある。

企業法務の問題は、正解するかどうかよりも考え方が間違っていないことのほうが重要です。リスクを感知し、それに適切に対応するセンスを身につけることが重要で、法律や判例を覚えればすむというわけではありません。
同掲書 P197


法律や判例を頭に詰め込んでも、すぐに法律や判例自体変わってしまいかねない時代だ。事例研究に継続的に取り組み、リスク感知のセンスを磨き、背景にある思想のレベルにまで理解を及ぼしておかなければ通用しない。



法律理解がビジネスの勝負けを左右する


経営者やビジネスマンにとって負担は重いが、法律問題にしっかり取り組んでおくことのメリットもまた大きくなって来ている。

強い法務部のある会社は、他社に先んじて新しいビジネスモデルの構築やリスク管理ができ、攻めの場面にも法律を使うことができるのです。
同掲書 P198


強い法務部もそうだが、それ以上に「法律センスのある経営者やビジネスマンの多い会社は」と読み替えるべき箇所だ。


技術もビジネスモデルも、過激な競争にさらされる中、どんどん変化させ進化させ、新しいアイデアを繰り出していくことは不可欠だ。ところが、従来にない新しいものであれ、法的なリスクは多重に覆い被さって来る。ところが、新しいアイデアほど、どの法律を守ればいいのか、どう解釈すればいいのか、わからないことも多い(わからないことのほうが多いとさえ言える)。


こんなとき、日本の大抵の経営者やビジネスマンは、『やってみてだめだったらやめればいい』という類いの思考停止にすぐ逃げ込むが、結局、すぐに立ち往生したり資源を過剰に浪費してしまう。その点、法律センスのよい経営者やビジネスマンは、どんな新しい局面でも、法的リスクの所在や回避のための準備を常に念頭においていて、巧妙にビジネスを導いて行く。しかも、この役割は、弁護士のような法律の専門家にまかせることは難しい。一方でビジネスの現場感覚がなければ、成立しないからだ。


だから、現代では、経営戦略、財務会計マーケティングと並んで法律理解が経営者にも一般のビジネスマンにも不可欠の要素になってきているし、今後ますます、ビジネスの勝負けの根本を左右していくことは確実だ。


そういう意味では、本書のようなタイプの図書自体、ビジネスや技術進化の実態と共に、常に進化していくべき存在とも言える。淵邊善彦弁護士の次回作も期待したいと思う。

*1:

ビジネス法律力トレーニング (日経文庫)

ビジネス法律力トレーニング (日経文庫)