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『グロースハッカー』/世界を震撼させる魔法使いたち


また新語?



今回は『グロースハッカー*1という新著のご紹介と、その感想がテーマだが、このテクニカルタームをいきなり出すと、また読者のアレルギー反応を誘発してしまいそうで少々心配だ。だが、これは従来にはなかった役割を表現するためにあてがわれた用語なので、この名称が好きかどうかは別として、やむをえないところもある。いやはや、この業界(ネットサービス業界。もっとも、今やどの業界であっても、というべきか)、新しいものが出現しては過ぎ去って行くスピードが早過ぎる。



重要なコンセプト



とはいえ、この名称で呼ばれる人たちは、過ぎ去って行くどころか今後もっと増えていくだろうし、役割の重要性はより明確に認知されるようになるだろう。遠からず一種のスタンダードになっていくことは確実だ。そして本書で主として取り上げられているマーケティングの領域のみならず、やがてはビジネス全般の構造を変えてしまうほどのインパクトを及ぼすだろう。




驚くべき実績



もっとも、このコンセプトや役割自体は、極端に新しいというわけではない。ゼロ年代の半ばくらいから、急速に注目を浴びつつあったことは、ITインターネット業界をウオッチしている人なら多かれ少なかれ気づいていたはずだ(かく言う私も、その末席を汚してはいる)。というのも、この『グロースハッカー』が活躍することによって、資金も人材も乏しいスタートアップから世界的な企業にのし上がったとされる企業の具体名がとにかくすごい。皆、研究対象として注目されている企業ばかりなので、背後にいた(というよりスタートアップ企業の経営者自体グロースハッカー的人物というべきかもしれない)グロースハッカーの影に気づかないようであれば、ウオッチャーとしての資質を疑われかねない。





ドロップボックス(Dropbox
ツイッターTwitter)
フェイスブックFacebook)
エバーノート(Evernote)
インスタグラム(Instagram)
ピンタレスト(Pinterest)
・・・・・・・




マーケター不在で資金投入もしない



いずれも新興のベンチャー企業/スタートアップ企業として立ち上がったこれらの企業には従来の専門スキルを持つマーケターはおらず、広告宣伝等には、資金はほとんど投入していないという。しかも、この大波は、少なくとも米国では、これらのウェブサービス企業の枠を超えて広がりつつあるというのだ。旧来のマーケターは心構えもスキルセットも一新しないと生き残れない、ということは何度か私のブログでも言及してきたことでもあるが、本書もまたそれを裏付ける一冊ということになる。




まずは人が欲しがるものを作れ



では、そんなスタートアップ企業は旧来のマーケッティングの代わりに何をしたのか。




『どうやって数百万人のユーザーが使いたがるサービスにするか、このサービスをユニークで面白いものにしているのは何か』をじっくり話しあい、『実用最小限のサービス/プロダクト』でスタートし、ユーザー調査やユーザーからのフィードバックに基づき(場合によっては長い時間をかけて)、PMF(Product Market Fit : 良い市場を狙っていて、且つ、その市場を満足させることができる製品を持っている状態のこと)に到達することを最優先で目指す。会社に籠って会議を繰り返すより、ユーザーの反応を試す実践を重ねることにより、市場/顧客を見極め、顧客のニーズを把握し、圧倒的なサービスをデザインする。


PMF達成のためにできること(人を変え、サービスを修正し、異なる市場に参入し、やりたくないことは顧客にノーを言う等)はすべて実行する。肝心なのは、すべて実際のユーザーを相手にして、反応を計測/分析できるような仕組みを構築し、思い込みではなく、事実に基づいて実行されることだ。自社のウェブサイトのユーザーの実際の行動や反応を分析するツール(Optimaizely、KISSmetris等)を利用したり、オンラインアンケートサービス(SurveyMonkey等)を利用することもこれに含まれる。



変わるレースのルール




ゼロ年代の始めのころは、ネットサービスやソフトの企業が勝つためには、とにかく市場で一番初めにサービスやプロダクトを投入して、ユーザーを獲得してしまうことが何より大事と言われたものだ。そうなれば、後発の企業がそれに追いつくことは難しいのだから、多少拙速(β版)でもいいから早く市場投入するべきとされた。今日ではそのフォーミュラだけでは市場での恒常的な勝利は保証されないことが明らかになった。(先行したmixiMySpaceフェイスブックやLINEに抜かれて行く事例等)




『グロースハッカー』の著者、ライアン・ホリディ氏は次のように語る。



レースのルールは変わった。優勝するのはもはや、最初に市場に参入した人ではない。最初にPMFに到達した人が優勝者なのだ。なぜなら、PMFに到達してからのマーケティングは、(灯油によく浸した)燃えやすいたきつけに点火するようなものだからだ。これまでのやり方は? まずマッチを擦って、それから火が起きるのを待つようなものだ。 同掲書 P36


コアユーザーにサインアップしてもらえ



では、PMFに到達したら、ニューヨークタイムズ紙の一面に広告を掲載したり、広告キャンペーンを実施したり、記事で紹介してもらうような、旧来のマーケティングを展開すればいいのかというと、それも違う。




サービスにとってコアになる最初のユーザー集団に、サインアップしてもらうような策(認知ではなく、サインアップだ)を打つべき、という。具体的にはこんな感じだ。





招待制にしてプレミアム感を出す


サービス上でクールなイベントを開催して最初のユーザーを巻き込む


製品を使えるサービスを一つに絞り、そのサービスの成長に便乗する





ふさわしい相手にターゲッティングしたピンポイント攻撃であることが肝心だ。こうして、情熱的なユーザーの集団を形成することを目指す。そういうユーザーを獲得してしまえば、次のステップは彼らを戦闘部隊に仕立てることができる。次のステップとは、いわゆる『クチコミ』だ。『グロースハッカー』に、クチコミによる拡散策は欠かせない。



クチコミには仕掛けがいる


ここまで来れば、クチコミが拡散する条件は整っているように見える。だが、あらためて強調されているのは、何でもクチコミするわけではないということだ。

ある種の製品、サービス、コンテンツだけがクチコミになる。クチコミを拡散させる価値があるだけでなく、拡散せずにはいられないような力を備えている必要がある。あなたが製品やサービスにそうした価値を与えるか、あなたのクライアントの製品やサービスに本当に注目に値する何かがない限り、クチコミは起こらない。(中略)<


クチコミは、製品やサービスの後からついてくるものではない。製品やサービス自体に共有せずにはいられない価値がなければならない。その上で、ツールやキャンペーンを追加することで、クチコミの拡散を促進するのだ。 同掲書 P60〜62





あらためてPMFに到達するにあたっての、『仮説→検証→正しい理論構築→新しい仮説に基づいたサービスの投入』のプロセスの重要性が強調されている。


昨今では、『駄作』としかいいようのないサービスやプロダクトを自社のマーケティング組織や宣伝会社にもちこんで、クチコミでの拡散を依頼するようなケースをよく目にするが、この本の著者の主旨に照らせば、本末転倒と言うしかない。




その上で(クチコミの可能性を充分に高めておいて)、具体的なクチコミ策を設計し実行する。




本書では、音楽配信サービスのSpotifyフェイスブックとの連携や、ストレージサービスのドロップボックスの拡散策等が事例として述べてある。(例: ドロップボックスは、ドロップボックスのアカウントをフェイスブックまたはツイッターのアカウントとリンクさせたユーザーに150メガバイト分の無料ストレージを提供)



PMF(Product Market Fit )到達後




クチコミ策が成功して、ユーザーが順調に伸びたとしても、PMFに到達するまでに続けて来た地道な努力を、継続して積み重ね、サービスを改善していくことはないがしろにするわけには行かない。この点については、本書では、日本の料理レシピサイトのクックパッドの事例等が公開されているて大変参考になる(メルマガのキャッチコピーのテストの事例等。やはり個人的には米国のサービスより日本のサービスの事例のほうが実感がわく)。このようにして改善が積み重ねられれば、競合他社が簡単には真似できず、ユーザーも熱烈に支持してくれるサービスが出来上がっていくだろう。


世界的なサービスにのし上がった、フェイスブックツイッター、あるいはヤフー!ジャパン等(トップページの検索窓の高さ一つとっても、膨大なA/Bテスト*2を実施しているという)でも、今現在でも、地道にこの改善作業が続けられているという。(PMF到達後、ユーザーが増えた後のフェーズだけみると、日本企業がお得意な『カイゼン』を思わせるものがあるとも言える。そういう意味では、旧来の日本企業が特に注目すべきは、前半、すなわちPMF到達まで、ということになるように思える。)




具体策は自分でさがせ




本書の事例全般に言えることだが、文脈やユーザー層等が違うケースで真似をしても、まったく的外れとなる可能性がある。今ではネットで検索すれば、山のように『グロースハッカー』の具体的な事例を見つけることができるが、大成功した事例だからといって、自社のサービスにそのまま援用できるとは限らない。


そういう意味では、『グロースハッカー』に優劣がつくとすれば、最適なタイミングで最適な策を打ち出せる能力の差ということも言えそうだ。もちろん、前提として、きちんとユーザーのフィードバックが把握できるようなシステムを構築する能力の高さが求められることは言うまでもない。そうして、そのシステムを通じて、対応策がユーザーに受け入れられているかどうか都度検証する。受け入れられていなければ即座に次の策を打ち出して、また検証する。このプロセスが出来上がっていなければ、旧来の手法となんら変わらないことになりかねない。





どんな企業も直面する問題



ここまで読んでも、しょせん、ネットサービスのような特殊な領域に限定された出来事と思った人もいるかもしれない。
だが、そうではない。数多くの企業で『グロースハッカー』の手法が採用され始めている理由は、単にスタートアップ企業にマーケッティング人材や資金がなかったからというだけではない。根本的な理由は、現代では市場が極端なほど不確実でしかも急速に変化してしまうことにある。既存のサービスやプロダクトはどんな優れたものであれ、過激な競争にさらされてすぐに陳腐化してしまう。イノベーションを連続的に起こしていかなければ生き残れないからイノベーションに向けた投資は不可欠だ。


ところが、旧来の手法(いくつかの企画の中から、過去のデータや経験に基づき、選択と集中で一つに絞り込んで、完璧なものをつくりこみ、大規模な広告宣伝で認知度をあげる)では、一つのサービス/プロダクトをつくり上げるのに多大な資源の投入が避けられないわりに、市場で思惑通りに受け入れられるとは限らない。過去のユーザーの行動が継続するとも限らない。つまり、旧来の手法はそれ自体が『投機的』になってしまっているということだ。『グロースハッカー』のコンセプトはそのアンチテーゼとして出て来ている面があり、顧客を相手にする企業のすべて(私企業すべてともいえるが)にあてはまるはずだ。



旧来のマネジメント文化/手法の変革



コンセプトと言ったが、本書は、昨年日本でも翻訳されて大きな反響を呼んだ著書、『リーン・スタートアップ』*3が語るコンセプトの実践編とも言える。


『リーン・スタートアップ』には税務ソフト世界最大手のインテュイットを創業し、マイクロソフトを退けた男としても有名な、スコット・クック氏の苦闘の様子が書かれていて興味深い。氏は、それまで自分たちが利用してきた一般的なマネジメントパラダイムでは、『持続的イノベーション』という問題に対処できないことを痛感し、インテュイットのマネジメント文化を変えることを決意する。その一つの手法として、新製品の目玉機能は税の申告期間にあわせて、毎年一つに絞っていたところを、申告期間の2ヶ月半に500種類以上の変更を加えてテストを行うように変えたという。




この件について、スコット・クック氏の言が非常に印象的だ。


ひとつしか試さない場合、アントレプレナーではなくて政治家が増えてしまいます。100もの優れたアイデアから自分のアイデアを採用してもらう必要があるからです。それでは駆け引きや売り込みが得意な人ばかりが増えてしまいます。でも、テストが500種類にもなれば、全員のアイデアを試すことができます。そういう状況では、やってみては学び、修正してもう一度やってみてはまた学ぶアントレプレナーが生まれるのです。政治家の集団ではなくて、ね。 同掲書 P50





大変耳の痛い思いをする人は多いのではないだろうか。ウェブサービス企業ならずとも、学ぶところは多いはずだ。


自社にこのコンセプトが該当するかどうか議論している暇があるなら、知恵を絞って自社で実践できるプランを考案し、少しでも早く実践することが大事だと私には思える。

*1:

グロースハッカー

グロースハッカー

*2:Page not found -- Mizeni

*3:

リーン・スタートアップ

リーン・スタートアップ