インバウンドマーケティングは企業を根底から揺さぶる大隕石か?


インバウンドマーケティング


昨今、マーケティング業界で非常に注目されていて、今後世界の主流となるといわれている手法/コンセプトに、「インバウンドマーケティング」というのがあるのはご存知だろうか。(これに対して、従来のマーケティングは「アウトバウンド」と定義される。)


これを最初に提唱したのは、2006年にHubspot.Inc.を立ち上げたブライアン・ハリガンとダーメッシュ・シャー(MIT(マサチューセッツ工科大学)の同窓生)で、この二人が書いた『インバウンド・マーケティング*1は日本でも翻訳されて話題になった(私もこの本は気になって、翻訳される前に原書で購入した)。Hubspot.Inc.はこの分野の草分けとして、インバウンドマーケティングの統合ソフトウェアを提供して、急成長を遂げている(2007年から2011年にかけての収益の伸び率は6000%だという)。



用語の意味


『インバウンドマーケティング』といわれても何やら得体が知れないと感じる人も多いと思うが、実はこのコンセプトは(コンセプト自体は)意外にわかりやすい。


インターネットの普及以降、産出される情報は、消費される情報を遥かに上回って爆発的に増えている*2。そんな中、関心のない企業の発信する広告宣伝など、誰が見たいと思うだろう。それどころか、あまりに押しつけがましければ、広告宣伝自体が逆効果となって企業の好感度も下がってしまいかねない。(企業が出張って情報を発信するマーケティング=アウトバウンドマーケティング


『何か買いたくなった時には、Google等で自分で検索して調べるからほっといてくれ』というのが、今日の平均的なビジネスマンの感覚だろう。そういう時に備えて、企業が有用で面白い情報を発信していればユーザーの側に見つけてもらうことができるだろうし、そのような情報は丁寧に関心を持って読んでもらうことができるはずだ。そして、その情報が企業側の都合ではなく、ユーザーの側に立って役に立つ、ユーザーをサポートする情報であるなら、その企業はユーザーとの良好な関係を構築することができるだろうし、自然に購入にも結びつくと考えられる。さらには購入後の長期的な関係を構築出来る可能性も広がる。(ユーザーから見つけてもらう=インバウンドマーケティング


これ自体は、昨今の双方向インターネットサービス(ブログ、SNS等)や検索エンジンGoogle等)に慣れた人達なら、違和感なく理解できるのではないか。



高広氏の新著『インバウンドマーケティング


今回、このHubspot.Inc.のインバウンドマーケティング統合ソフトウェアの日本での販売代理と導入企業への支援サービスを(株)コムニコと共同で行っている(株)マーケティングエンジン代表取締役社長CEOで共同創業者でもある高広伯彦氏が、『インバウンドマーケティング*3を出版したので早々に拝読した。現時点で、日本でインバウンドマーケティングをやってみたい人にとって、一番わかり易く非常にきめ細かな手引書になっている、というのが一読した感想だ。特にHubspotというソフトウェアがどういうものなのか、そのコンセプトから具体的なメリットまで非常に丁寧に解説されている。何となくこのインバウンドマーケティングのことは聞いていたが、具体的なやり方やメリットがわからない、という人には特におすすめだ。


ただ、私は、本書を読んで、あらためてインバウンドマーケティングが引き起こすであろう業界と関係者へのインパクのほうが気になってしかたがなくなった。



マーケティング人材の大転換


この本を、企業のマーケティング担当や宣伝会社の社員が読んで、どのような感想を持つのだろう。正直複雑な気持ちになるのではないか。というのも、このインバウンドマーケティングの中核にあるのは、『コンテンツ』で、ざっくばらんに言えば『情報が蓄積されて検索エンジンにひっかかり易いブログに、ユーザーが興味を持って読める記事(コンテンツ)を継続的に提供していくことで、ユーザーに見つけて熟読してもらおう』ということだろう。もっと端的に言えば、『自社がメディア化すべき(=自社がオウンド・メディアを持つべき)』ということになる。従来のマーケターにその素養があるとは限らない。たぶん、その素養があるマーケターは全体の中のほんの一部だろう。この本、というより、インバウンドマーケティングのコンセプト自体が裏面で言っているのは、マーケティング人材の大転換だ。


もちろん、インバウンドマーケティングには、情報を発信するだけではなく、関係の出来たユーザーをきめ細かく分析して、最適なタイミングで情報を届けたりする、情報分析やサービスの仕事も重要だし、そもそもマーケティングのすべてが『インバウンド』に置き換わるわけではない。従来の問題点をインバウンドマーケティングで補いながら、あらたなアウトバウンドマーケティングを再構築するのも不可欠な仕事だろう。だが、それでも心臓部に係われなくなるマーケターはもはやマーケティング活動を主導する役割を続けることは難しい



企業はどうすればいいのか


Hubspot.Inc.のブライアン・ハリガンとダーメッシュ・シャーは共著『インバウンド・マーケティング』で次のように述べている(孫引きになるがご容赦いただきたい)。

「コンテンツ工場」を作れ


・現在、ウェブ上で勝ち組になっている連中のほとんどが、社内にコンテンツ工場を
 有するメディアコンテンツ会社だ。優れたインバウンドマーケターは、そうした
 メディア会社から学び、自らも半分は伝統的なマーケターの仕事を、別の半分は
 コンテンツ工場の仕事を行っているのだ。


・これからは、あなた自身を半分マーケター、半分を出版者とすべきだ。
 今後人材を採用するならば、ライターかジャーナリストを採用した方が良い。



採用・教育のフレームワーク「DARC」


・Hire Digital Citizens(デジタル市民=デジタルツールを使いこなしている
 人材を採用せよ)


・Hire Analytics chops(分析オタクを採用せよ)


・Hire for Web Reach(ウェブで影響力、ネットワークを持っている人材を
 採用せよ)


・Hire Contects Creator(コンテンツを作れる人材を採用せよ)


(本の紹介)インバウンド・マーケティング—ウェブマーケター必読の一冊 : まだ東京で消耗してるの?


マーケターは半分出版社/メディアになる必用があるというわけだ。しかも、今後人材を採用するならライターかジャーナリスト、乃至、コンテンツを作れる人材を採用すべきとまで言っている。これは旧来のマーケターにとって大変なチャレンジだし、安閑としていられる人は多くはないはずだ。



オウンド・メディアの重要性


(株)インフォバーン代表取締役であり米国の『WIRED』の日本版『ワイアード』を創刊し、編集長を務めた小林弘人氏は、早くから企業がオウンド・メディアを持つことの重要性を強調してきた人だ。小林氏は、インバウンドマーケティングに言及しつつ次のように語る。

マスメディアなどのペイドメディアを使って集客されたユーザーは、その場に留まることなく次の興味へと移っていく。ペイドメディアへの投資をより効率的にし、集客したユーザーを留まらせるためには、どのような人が集まって行動しているのかを把握し、顧客リストをアップデートする必要がある。そのためには、インバウンドマーケティングを行う自社メディアが重要になるのだ。
オウンドメディア戦略15年、企業のメディア化戦略の仕掛人インフォバーン 小林氏が明かす戦術 | 【レポート】Web担当者Forum ミーティング2013 Spring | Web担当者Forum


従来のマスメディアのライターやジャーナリストでは、まだ足りない。企業がメディアを持つことの最も重要な理由は、ユーザーの行動履歴を通じてユーザーを知り、エンゲージメントを高め、企業の価値を伝え、ファンになってもらうことにある。従来の新聞や雑誌とは目的が違う。小林氏は、企業がオウンド・メディアを作ることはコミュニティを作ることと同義という。そして、メディアの最大の資産はコミュニティと断言する。これは元祖『インバウンド・マーケティング』がHire for Web Reach(ウェブで影響力、ネットワークを持っている人材を採用せよ)と主張していることと符合する。



大規模な人材流動は確実


これらの主張は、私には、『これからは企業は良きブロガーを採用せよ』というメッセージに聞こえる。(ここでいう『良きブロガー』は、ネガティブな炎上で影響力をふるう人のことではない。) 従来型のマーケター、広告宣伝マン等の中で、『ウェブで影響力とネットワークを持つ良きブロガー』がどれだけいるだろうか。少なくとも、ウェブに詳しくないオールドタイプや営業しかできない(あるいは上意下達オンリーの)古い体育会系タイプは脱落を余儀なくされることは間違いない。やはり、インバウンドマーケティングが主流になると、この業種/業界でも大規模な人材流動が起きることは確実だ。



知っておくべき大変化の本質


先頃、惜しまれながら終了した、NHKの朝の連続ドラマ『あまちゃん』は、日本のアイドル変遷史として観ても非常に興味深かったが、主人公の天野アキ(能年玲奈)と、そのお母さん(天野春子=小泉今日子)の時代のアイドルが極端に違うことが強調されていた。春子の時代(1980年代)のアイドルは、素質たっぷりの特別な少女を選び、イメージを一方的に作り上げてマスメディアを通じてファンに押し付けるものだった。小泉今日子自身、そういう存在だった。だが、アキの時代のアイドルは、劇場の下積みや地方にいる普通の女の子が、インターネットでの発信から火がついてファンによって押し上げられて行く存在だ(AKB48などその典型だ)。まさに、『アウトバウンド』から『インバウンド』への変質が見て取れる。そんな例は今ではあちこちに見られるようになった。


そういう意味では、インバウンドマーケティングインパクトは一部業種/業界だけではなく、およそ顧客を相手にする企業なら、どの企業にも及び、遅かれ早かれその企業を根幹から揺さぶることになりかねない。だから経営者から一従業員に至るまで、誰もがこの大変化の本質を理解しておくことは必須だと思う。でなければ、ある日企業から三行半を叩き付けられることにもなりかねないのだから。

*1:

インバウンド・マーケティング

インバウンド・マーケティング

*2:http://www.soumu.go.jp/main_content/000124276.pdf

*3:

インバウンドマーケティング

インバウンドマーケティング