ハードからソフトへ/どうマインドをチェンジすればいいのか

NTTドコモiPhone採用』の衝撃


アップルのiPhone5S発表が近づいてきたが、ここに来て市場の話題をさらっているのは、NTTドコモがとうとうiPhoneを扱うことが決まったという報道だ(現時点でまだNTTドコモの公式発表はないが状況から見て確実と言っていいだろう)。


iPhoneを採用していなかったNTTドコモは、昨今では、スマホ端末を製造する日本メーカーの最後の拠り所のような存在だった。iPhoneで攻勢をかけるソフトバンクauの猛攻で喘いでいるとはいえ、そこはやはり日本最大の契約数を持つ巨大キャリアだ。依然としてその存在感は大きい。


そのNTTドコモは、今夏、ソニーサムスンスマホを大幅に値引きする『ツートップ』戦略をしかけたが、そのあおりを食らったのはiPhone陣営ではなく、日本メーカーのほうだった。NECはとうとう撤退を決め、パナソニックも個人向けスマホから撤退するとの報道があった。慌てたNTTドコモは、残った日本メーカー各社の窮状を救うべく、冬商戦はスリートップ(ソニー富士通、シャープ)と打ち上げたが、今回のiPhone採用ですべて御破算だ。



ハードからソフト/コンテンツへ


ガラケー時代には我が世の春を享受していた日本メーカーも、すでに崖っぷちまで追い込まれていたが、今回の決定で、完全に息の根を止められることになるだろう。それはまた、日本メーカーの『勝利の方程式』すなわち、護送船団の中に入ってハードの『コスト/品質/高機能』ばかりを追求する競争戦略が機能しなくなったことを象徴している。そして、新しい覇者である、アップルやGoogleとの対比で非常にはっきりとしたとも言えるが、ハードからソフト/コンテンツへ競争軸が大きくシフトしたことも、もはや誰の目にも明らかだ。



武士の商法?


そんな折りも折り、『幻のスリートップ』の一角、シャープについて、こんな報道があった。


シャープが喋る冷蔵庫を発売
シャープ 会話する冷蔵庫を発売 - ライブドアニュース


シャープがどこまで本気でこの『喋る冷蔵庫』を売るつもりがあるのかはわからない。だが、私には、彼らなりの『ハードからソフト/コンテンツへ』の涙ぐましい努力の一端が現れているように見えて、何ともいえなくなった。


ハードの製品の品質、機能を向上させることに組織全体として遮二無二取り組んで来た企業が、まったく別の勝利条件に左右される新しいフィールドで勝ち残って行けるのだろうか。NTTドコモも、メーカーではないが、コンテンツを軸に戦略を再構築すべく、努力していた。だが、外から見えてくる風景は、前例踏襲、硬直的な制度、旧態依然の年功序列、リスク排除ばかりに汲々とする組織文化、そして、それを体現する無個性な暗い色のビジネススーツとネクタイ。大変失礼ながら、どうしても『武士の商法』に見えてしまう。


評論家諸氏は、だからこそ、歴史上の役割を終えた企業は早く解体するに任せて、優秀な人材を一刻も早く、次の時代の産業に向かわせるべき、という。個人的には、私もその意見に半ば賛成なのだが、そうなると起きるであろう個別企業の従業員の惨状が目に浮かぶだけに、手放しで賛成という気持ちにどうしれもなれないでいる。何とか日本メーカーの蓄積してきた遺伝子を生かす形で、『ハードからソフト/コンテンツ』を実現することはできないのだろうか。



頑固な『メーカーの思想/常識』


私自身体験したことだが、日本メーカーで勝ち抜く『勝利の方程式』は、ソフト/コンテンツでのそれとあまりに違う。かつて優秀と評価された人ほど、そこで身に付いた常識を疑うことは難しそうだ。私の古巣や、大学や高校時代の同級生とも久々に会って話をしてみると、ある年代以上の人の多くは『メーカーの思想/常識』が骨の髄まで染み透っている感じで、露程もそれを疑うことができなくなっている。本来、他人の意見に左右されることなく、自分の頭で考えることができる優秀な人でさえ、『メーカーの思想/常識』、『時代の常識』にがんじがらめになっているのを感じることがあまりに多い。


以前のエントリーでも何度かこの、『メーカーの思想』からの脱却について書いてみたし、人にも直接話をして見るのだが、いつも一種の『宗教的信念』に似た、頑固さに打ち当たる。こんな信念を持った人が、ソフト/コンテンツビジネスのことを勉強しようと力んでも、バランスを欠いた奇怪なものを作り上げるだけになってしまうのではないかと思えてならない。



『考える』より『感じて』みること


では、このような『思想』に影響された人はどうすればいいのか。どうしてあげればいいのか。偉そうなことを言うようだが、私自身、かつては、メーカーの思想/常識にからめとられて、ソフト/コンテンツの世界で大変な『宗教的苦悶』に喘ぎ、ずいぶんと苦しんだ一人だ。いわば、失敗体験は身にしみている。多少なりとも、同じ立場にいる人にアドバイスできるのではないかと思う。


一番いいのは、ソフト/コンテンツで成功した人の側で、『場』を共有することだ。議論をする必要はない。ただ、そこで何が起こっているのか『感じる』ことが大事だ。自分の会社の中にはあまりいないだろうから、できるだけ社外に出てそのような体験を求めることが必要だ。


それが難しければ、そのような人のつくるサービス、作品等をとことん享受し、『感じる』ことだ。ゲームに参入したい、会社にゲーミフィケーションの仕組みを導入したい、ということで、ゲームを論理的に勉強しようとする人も少なくないが、何よりまず、よいゲームを沢山やってみることだろう。村上春樹が知りたければ、『村上春樹論』を何十冊読むより、まず本人の書いた小説を自分で読んで感じてみることだ。SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)が知りたければ、とことん使ってみることだ。面白い何かのサービスや機能を開拓したいのなら、人が面白いと感じていること、映画、テレビドラマ、スポーツ、ゲーム、小説、漫才等々、とことん体験してみることだ。感じてみることだ。ニコニコ動画がすごいと思ったら、解説本を読むのではなく、まず自分で参入してみることだ。あるいはそれが好きな人と友達になるのもいい。SNSなどそんな回路を沢山開いてくれている。



楽しさ至上主義


メーカーの思想に取込まれて、真面目に仕事に取り組む人には、実はこれが一番難しい。時間の無駄に見えてしまうのだ。そんな閑があれば、資格を取ったり、英会話を習いに行きたいということになりがちだ。仕事ではいつも利益至上主義で、無駄を省けと迫られる。その習性は自己管理にまで及んでいて、出来るだけ無駄を省いて目に見え易い成果(資格・金銭的利益等)だけを出そうとする。


だが、そんな誰にもわかりやすい成果を出す戦略など、すぐに過当競争に揉まれてしまう。メーカーの時代には、それでも、特許であったり、巨大設備、現場の高い技術の蓄積等が壁となってくれた。だが、これからは『面白い体験』を見つけ、『楽しい時間』を共有し、単品の高機能/高品質よりエコシステム全体として価値を提供する必要がある。極論すれば、『利益至上主義』『コスト低減至上主義』から『楽しさ至上主義』『価値至上主義』にマインドを切り替える必要がある



戦略クラフティング


自分の無意識に沢山の『面白い体験』をためていくと、ある時点でふっと『面白さの集合無意識』のようなものと回路が繋がり、面白い発想がどっと流れ込んで来るようになるのを感じることができる。論理を語りたければ、その境地を体験してからだ。順序を間違わないほうがいい。そして、その逆転が起きれば、日本メーカーの現場主義、すなわち現場で試行錯誤して、皆で集まって何かを作り上げて行く、という枠組みをもう一度生かす可能性はありうると思う。


経営学者のヘンリー・ミンツバーグ教授が『戦略クラフティング』*1で語ったように、日本企業は戦略は得意ではないが現場で自然発生的に創発し、環境に敏感に適応して変化させるワザ(クラフティング)には熟達していたはずだ。なまじの戦略だの計画だのは、激変する環境変化ですぐに吹っ飛んでしまう時代だからこそ生かせる特性だったりする。

多くの経営書「戦略は計画されるもの」という前提に立つ。 これは「環境は変化しない」という前提でもある。 無論、だれもが環境は変化するものだと理解している。 にもかかわらず、戦略プランニングや戦略お絵かきに精を出す。 また、途中で戦略を変更しようものならば、「朝令暮改」「マネジメント能力不足」と後ろ指を差される。 ミンツバーグは「戦略は計画されるだけではない」と言う。 ある時は偶然に発見され、ある時は自然発生的に創発し、また稀に環境によって転換を迫られる時もあると。工芸(craft)というアナロジーを用いながら、戦略が創造されるプロセスの本質に迫る。
ヘンリー・ミンツバーグ (マギル大学クレグホーン寄付講座教授)
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ダークスーツは脱ごう


いずれにしても、経営者がこの転換を英断を持って実行しないことにはどうしようもない。そのために、すでに多くの人が指摘してきたことではあるが、まず無個性なスーツを脱ぎ捨てることをおすすめする。自分にこびりついた古い思想を脱ぎ捨てることの象徴という意味もあるし、自分に似合う個性的な服を選べないようでは、新しい時代の競争には勝てない。そう腹を括って真剣に取り組む経営者が一人でも増えることを期待したい。

*1:

H. ミンツバーグ経営論

H. ミンツバーグ経営論