『不格好経営』を読んでDeNAはこれからも成長を続けると確信した

あっという間に読める


今や日本を代表するIT企業に成長したDeNAの創業者、南場智子氏の著書、『不格好経営*1は発行後間もなく買い求め、わずか2日ほどで読んでしまった。内容が興味深いこともさることながら、非常に軽妙なテンポで書かれていて大変読み易い。すぐに何か感想を書いておこうと思っていたのだが、身内の不幸等もあってしばらく手がつけれないでいた。やっと多少余裕もできてきたので、内容を忘れないうちに感じたことを書き留めておこうと思う。



かつては誤解していた


DeNAの創業は1999年で、ネットバブルの最中ということになるが、その後何年か経ってネットオークションのビッダーズが知名度を上げ始めたころに、元マッキンゼーコンサルタント、しかも女性でパートナー(年収数億とも言われる)を勤めた人物が創業者という異色ぶりに興味を引かれて、色々調べてみたことを覚えている。コンサルタント時代にできたコネでソニーリクルートというような、当時では日本で最も先進的かつ実力のある会社から巨額の投資を引き出し、超優秀な人材を引き連れ、自らのビジネスに関する幅広い知識でテキパキとビジネスを立ち上げていく、そんな印象だった。ビッダーズがビジネスとして軌道に乗り始めたころだったこともあり、このDeNAという会社は銀のスプーンをくわえて生まれて来た会社との印象を持った。DeNAをプロトタイプとして、今後同種のベンチャービジネスが立ち上がってくるのではないか、日本におけるベンチャーの一種のウイニング・フォーミュラになるのではないかとさえ思えた。



見当違い


その後、これはまったくの見当違いで、むしろ、このパターン、すなわちビジネス・コンサルタントが起業して成功することは、事業会社経験者以上に難しいこと、MBA( Master of Business Administration、経営学修士)的なスキルは、業界の知識が豊富でそのビジネスの経験と理解ある人の手を経るのでなければ、むしろ企業を奈落の底に突き落とす原因の一つになりかねない、というようなことを自分自身の経験の中で痛感するようになる。思えば、当時は私自身もこの業界(IT業界)/市場についてはど素人だった。何せ、この業界に転職して来てからまだ日が浅かった。



成功体験を乗り越える謙虚さ


本書で、南場氏自身がこれと同種と考えられる感想を述べているのを読んで、もちろん、私自身は、『我が意を得たり』ではあったが、それ以上に南場氏の成功の秘密の本質を見た気がした


南場氏はこの点について、以下のように述べる。

もし将来起業することを知っていたら、コンサルティング会社ではなく、事業会社で修行したかった、というのが私の偽らざる本音である。
ところが巷では、将来事業リーダーになりたいので、まずコンサルタントとして勉強する、という考え方が幅を利かせているらしい。コンサルタントは言う人、手伝う人であり、事業リーダーはやる人だから、立場も求められる資質も極端に異なることは理解に難くないにもかかわらず、誤解がはびこっていることは嘆かわしい。 同掲書 P201


これを、日本のビジネス・コンサルタントとしてトップキャリアを築いた人が堂々と言い切るのは、そんなに簡単なことではないはずだ。自らの成功体験を一旦完全に白紙にして臨む覚悟と謙虚さはたいしたものだ。



コンサルタントMBAのリスク


もちろん、同書にも強調されている通り、コンサルタントが不要と言いたいのではなく、高度な研鑽を要する『別』の職種だと私も思う。だが、昨今では大手企業には多かれ少なかれコンサルタントが得意とするMBA的な手法が入り込み、劣悪なコンサルタントやこれに相乗りする事業会社内の『虎の威を借りたキツネ社員』が跋扈して事業会社を蝕む例は実に多い。生兵法は大けがの元だ。そういう意味での教訓としても貴重な指摘だと思う。

意思決定のプロセスを論理的に行うのは悪いことではない。でもそのプロセスを皆とシェアして、決定の迷いを見せることがチームの突破力を極端に弱めることがあるのだ。(中略)


また、不完全な情報に基づく迅速な意思決定が、充実した情報に基づくゆっくりとした意思決定に数段勝ることも身をもって学んだ。コンサルタントは情報を求める。それが仕事なので仕方ない。これでもか、これでもかと情報を集めて分析をする。が、事業をする立場になって痛感したのは、実際に実行する前に集めた情報など、たかが知れているということだ。
 本当に重要な情報は、当事者となって初めて手に入る。だから、やりはじめる前にねちねちと情報の精度を上げるのは、あるレベルを超えると圧倒的に無意味となる。それでタイミングを逃してしまったら本末転倒、大罪だ。 同掲書 P204〜205

徹底的な人材へのこだわり


ある意味、起業人としては、当時はまだ必ずしも適正がなかったかもしれない南場氏が、それでも成功した秘訣は何なのか。コンサルタントとしての過去の成功体験に執着しない柔軟さは大事な一つだが、それと同等に、いやそれ以上に重要なのは、人材に徹底的にこだわったことだろう。しかも、本書を読む限り、それはちょっとやそっとのこだわりではない。

創業時から一貫して、どんな人手不足のときでも、人材の質には絶対に妥協しないことをポリシーとしてきた。何か深い考えがあったというより、とにかく優秀な人が絶対に好きだったからではないだろうか。(中略)すごい!と思える人、尊敬できる人と一緒にいると自身の気持ちも高揚し、怠惰な自分も最高に頑張れる。それもあって、黒字化の目処も立っていない時代からひとりひとり、これでもか、というピカピカの人材を口説き落としてきた。 同掲書 P208〜209


単にロジカルシンキングができるという意味の優秀さだけではなく、多様な軸でのトップレベルの人材をどこまでも追いかけていって口説き、今も口説いている、という。何だか、三国志劉備玄徳が諸葛孔明三顧の礼を持って口説いた故事を思いだしてしまう。



フラットの徹底


そして、その人材に徹底的に任せて成長を促す社長やカリスマの言う事なら無条件に従う、というような空気を排除することにも気を使っているようだ。

DeNAでは、『誰が言ったかではなく何を言ったか』という表現を用いて、『人』ではなく、『コト』に意識を集中するように声を掛け合っている。誰かが言ったことが常に正しいと思ったり、誰かに常に同意するようになったら、その人の存在意義がなくなるし、”誰派”的な政治の要素ともなり、組織を極端に弱くする。 同掲書 P221〜222


それを実際に実現するのは簡単ではない。普通の会社では、どうしても職位の上下が意見の正しさを上回ってしまう。フラット組織を運営することは案外難しい。

私はもともとあまり上下関係が好きではなく、DeNAは社風の面でも組織構造の面でも実際とてもフラットになっている。『経営課題の前に階層なし』である。(中略)
管理職かメンバーのひとりかというのは、上下関係ではなく役割の違いだ。人をまとめる仕事と、ひとりのエキスパートとして腕を振るう仕事に上下があるとは思えない。事実わが社の場合は、管理職から1メンバーになり、また管理職に戻ったりというケースが普通にあるが、昇格降格ではなく、役割が変わるだけである。(中略)いずれにせよ会社での立場が人間の上下関係でないことは確かで、そこをはき違えると下品なリーダーとなってしまう。従属ではなく、独立した人間として尊敬しあえるチームであって欲しい。
同掲書P222〜223

帰属より信頼関係と仕事の質


日本の風土では、どうしても村社会的な上下関係が企業内にも出来てしまいがちで、そうなると如何に優秀な人材を入れても、活躍や成長は望めない。仕事の内容より『役職』や『人間関係』が大事になってしまう。いきおい、よそ者である中途社員ははじき出されてしまう。当然、そういうところでは一旦会社を辞めたら、出戻りなどあり得ない。だが、DeNAのようにトップが明快にそうならないことを志向する会社では、優秀な社員がさらに他社での経験を積んで帰って来て活躍する、ということが起きる。出戻りについても、南場氏はおおむね歓迎する、という。

組織に属さず、プロジェクト単位でゆるやかに繋がっている元社員もいる。会社と個人の関係はそんなに固定的ではなくてもいいのかなと思う。帰属より、信頼関係と仕事の質が大事だ。 同掲書 P232〜233


この姿勢があれば、子育て等でどうしても組織と固定的には繋がりきれない女性や、今後間違いなく増えていくであろう、『ノマド』的なワークスタイルを志向する人材の能力を最大限取り組むことも可能になる。DeNAのここまでを支えて来た思想は、多分に未来を先取りしているともいえる。



創業より困難な守成(維持)


同時期にDeNA同様、一から創業(第二創業も含む)して事業を軌道に乗せた経営者は少なくない。カリスマともてはやされる人もいる。だが、今後とも生き残っていけるようには思えない企業も少なくない(実際、数多くの企業が、舞台から姿を消したり、鳴かず飛ばずになっている)。


古来から帝王学の教科書とされてきた、唐の太宗の政治に関する言行を記録した書である、『貞観政要*2*3では、『創業と守成(維持)のどちらが困難か』という問が出て来て、守成(維持)のほうが難しいことを示唆しているが、これは、現代のIT企業にもあてはまると思う(もっとそうかもしれない)。


唐の大宗は、中国全土を再統一するような偉業を成し遂げた隋の煬帝が一代で帝国を滅ぼしてしまったことを忘れず教訓としていたといわれている。日本では、北条政子徳川家康等が貞観政要の愛読者といわれるが、煬帝を思わせる運命をたどった、平清盛豊臣秀吉を反面教師としていたと考えられる。



『六邪』か『六正』か


創業のカリスマがつくる組織は、気をつけないと阿諛追従の徒=イエスマンが生じ易く、そういう輩が組織の随所で横暴な権力をふるうようになる。『貞観政要』が『六邪』と定義するイエスマンは容易に権力者の取り巻きになり、情報は遮断される。『六邪』が意図的に遮断せずとも、正しい意見を直言する『六正』は自ら去るか失脚する。


唐の大宗は、優秀な人材を広く天下に求め続け、臣下の筋の通った直言・進言・忠告を喜び、自らの行いを改めたという。『不格好経営』を読む限り、南場氏は煬帝ではなく、大宗の側にあるように思える(大宗と似た気質を持つ人のように思える)。そういう意味では、南場氏の遺伝子がDeNAに生き残る限り、DeNAはこれからも様々なトラブルを乗り越えて成長していくと思われる。



ゲームに閉じた会社にはならない


DeNAは今、ソーシャルゲームで大成功した会社』としての難しさを抱えてしまった会社として、注目されている面がある。ゲームに最適化した会社となることに特化しすぎると、収益は短期的には最大化を実現するだろうが、いわゆる『イノベーションのジレンマ*4にハマる危険性は大きい。だが、南場氏は本書で、DeNAソーシャルゲーム以前にeコマース、インターネット広告、トラベルなどの多岐にわたる事業を展開しており、これからもゲームに閉じた会社であるつもりは毛頭ない。同掲書 P238』と語っており、2012 年秋にリリースされた、成長著しいLINEの対抗馬である、スマートフォン向け無料通話アプリの『comm』や2013年春に始めたスマートフォン向け音楽プレイヤー『Groovy』の例をあげる。これからも、ゲームに閉じずに、総合インターネットサービス企業としての展開を加速させていく、という。『六邪』を廃して『六正』を生かす体制を維持し続ける限り、DeNAの成長は続くに違いない。本当にこれからも楽しみだ。