読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今こそ必要なバブルの理解/W村上で読み解く80年代バブル文化

3回全部参加した


編集者・ライターの速水健朗氏による『80年代バブル文化読み解き講座』のシリーズ第3回目に参加してきた(7/10)。過去2回同様、自分の書ける限りでレポートを書いておこうと思う。最終回の今回は、前2回にもまして質疑のレベルが高く、またシリーズの打ち上げ、ということで講座修了後に残って参加者のお話を聞く事もできた。思えば、私にとって初めてのゲンロンカフェはこの講座の第1回目だったが、今回は、講座修了後の打ち上げにも参加することができて、ゲンロンカフェに参加することで得られる体験の全体をこの3回の講座で一渡り体験することができた気がする。少なくとも自分のタイプの人種にとっては、ありそうでなかった、夜の五反田に出現した『桃源郷』という感じで、実に心地よい。ここが夜の幻と消えてしまわないよう願わずにはいられない。私もできるかぎり応援していきたいと思う。


80年代バブル文化読み解き講座 by速水健朗 atゲンロンカフェ - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
80年代バブル文化読み解き講座 by速水健朗(第2回目) - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る



開催概要


今回の開催概要は下記の通り。

日時:2013年7月10日(水) 19:00〜20:30

場所:ゲンロンカフェ(五反田)

講師速水健朗フリーランス編集者・ライター。1973年生。著書に『ケータイ小説的。――
         “再ヤンキー化”時代の少女たち』(2008),
         『ラーメンと愛国』(2011),『都市と消費とディズニーの夢』(2012)他。)

講義概要:

80年代バブル経済期とは、連合赤軍事件とオウム事件の中間であり、東京五輪1964と2020の中間に置かれた点でもあります。バブル期をあだ花のように受け止めるのは間違いで、連続する戦後史の流れとともに、捕らえ直す必要があるでしょう。本講義では、「都市」、「観光(リゾート)」、「革命」という3つのテーマから、バブルを戦後史の中に位置づけます。

第3回目の今回は、「W村上、学園紛争の延長線としてのバブル」を取り扱います。

村上春樹村上龍。同世代の彼らにとってのバブルとは、学生運動の挫折を経た第2回戦だったのではないか。
暴力による社会の変革から、消費による社会の変化へ。『ダンス・ダンス・ダンス』と『テニスボーイの憂鬱』を読み比べ、各作品に登場する「文化記号」を読み取っていきます。

[ゲンロンスクール]速水健朗「80年代バブル文化読み解き講座」第3回(全3回) | Peatix

読書量が少ないので・・


前2回のレポートもそれほど簡単に書けたわけではないが、今回は実のところ一番書きにくい。というのも、何せ、お題となっている、W村上の小説の読書量が少な過ぎる。おおよそ、全体の3割程度だろうか。とてもではないが、現代の日本を代表する大小説家のことを論評できる立場にないことを白状せざるをえない。その読んだ3割くらいは、それぞれとても面白かったのだが、思想的意味まで汲めるほど深読みはしてこなかった(今後の課題を与えてもらったとはいえる)。よって、過去のレポート以上に、私自身の偏狭な語りとなるのは確実なので、特にW村上のファンの方々にはご容赦いただきたい。


ただ、そんな理解レベルでしかない私でも、速水氏の説明で浮かび上がるW村上の写像、中でも二人の時代との格闘と葛藤については、少なくとも『想像』することはできた気がする。そして、それはもしかすると、私自身が感じたバブル期の高揚と夢、そして挫折感と重なる部分があったのではと思えて来た。


速水氏の説明によるW村上の特徴のうち、私の印象に残ったキーワードを列記すると、こんな感じだろうか。

<村上龍>

肉食系
スノッブ
日本へのこだわりとコンプレック
社会派
社会問題にずっとコミット
何かに対して異議申立て
学生運動へのこだわり
ロック、カウンターカルチャーで世界を変える
主人公がバカ
『人は生まれながらに不平等である』


村上春樹

主人公が賢い
個人を描く
『やれやれ』『そういうものだ』
日本の文壇を離れた

対極の二人


W村上は、今回の講座に限らず並び称され、比較されることも少なくないが、私のように断片的にかじった程度の読者にとっては、正直なところ、二人が村上姓でなければ、両者を比較すること自体にほとんど意味がないのでは、くらいに思っていた。というのも、村上龍と言えば、都会への憧れとコンプレックをバネに、時々の社会問題に非常に熱くぶつかっていくエネルギッシュな姿勢が一貫していて、いかにも『社会派』という感じだ。対する村上春樹は社会問題に深い関心を持ちながらも、アプローチは村上龍とはまったく異質で、社会に対置する個人の物語に置き換え、個人に深く沈潜する。この点、およそ対極といっても過言ではない二人だ(と思っていた)。


もちろん、明らかに二人に共通していることはある。学生運動への参加/挫折/長く引きずるこだわりだ。速水氏は、『龍と春樹「1969年」の作家』として、二人の作品をあげている。(村上龍69 sixty nine、 村上春樹ノルウェイの森


  
バブル期と69年が接続?
 

そして、ここからが今回の講座の核心ということになるが、速水氏は二人にとってバブル期と69年は接続していて、活動はずっと続行されていたのではないかという(そして、再び挫折したことになる)。だが、学生運動が盛んだった69年といえば、マルクス主義共産主義が(本当の理解は別として)堂々と時代の中心に鎮座していて、時代の色合いも、ストイックで真面目、かつ禁欲的というイメージだ。かたやバブル期と言えば、高度消費社会/記号消費が本格的に始まり、人々の欲望が解放された、いわば資本主義が頂点に達した(と皆が感じた)時代だ。どこがどう接続するのか戸惑う人も多いのではないか。


だが、速水氏は言う。バブル期に、経済の発展によって、消費の上の平等という革命が起きかかっていたのではないか、消費による平等という革命が成功しかかっていたのではないかと。どういうことだろうか。
ここからは、私自身の想像で補うから、必ずしも速水氏の考えとは同じではないかもしれないことをお断りしておく。



69年〜バブル期


69年からバブルが始まる80年代後半まではどういう期間だったのか。いわゆる高度経済成長は70年代の2度のオイルショックでいったん終わっていたが、そのオイルショックを世界で一番うまく切り抜けた日本は、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の頂に向かってひた走っていた。『世界で一番魅力ある工業製品を製造する国』との評価を固めつつあった時代だ。そのパワーを背景に、というより実際には、日本からの集中豪雨的な輸出攻勢に業を煮やした米国の差し金により、85年のプラザ合意で円の価値が極端に切り上がり、ジャパンマネーが世界を席巻するようになる。現地生産のメリットが大きくなり、豊富な資金を持つことになった日本企業は、先を争って海外に工場を建て、不動産や美術品を買いあさった。個人のレベルでも円高が進んで海外旅行も容易になり、まさに『猫も杓子も』という感じで日本人は海外に出かけて、気前よくブランド品を買いまくった。



不自由でモノトーンな時代


それまで、戦争に負けた日本は、企業としても個人としても弱体だから、企業に入って粉骨砕身、サービス残業、単身赴任、深夜におよぶ長時間労働等もすべて受け入れて黙って働くしかないとされていて、個人としての個性の発揮をしたければ、企業内の競争に勝ち抜きその会社のトップまで上り詰めるまで待つしかなく、それまでは個人の意見などかざしていては出世競争に遅れをとってしまう、という感じだった。


女性も企業戦士の妻になるために腰掛けで会社に入り、皆、よい結婚退職というゴールを目指していた。企業戦士を専業主婦として支えることが美徳とされていた。その他の選択肢はほとんどなかったし、あっても、一流コースから降りた二流と目されることになり、経済的にも恵まれず、労働環境ももっと厳しい生活に落ちることを意味していた。『企業カースト』は厳然として存在していた。私達の先輩達の中にも学生運動崩れは少なくなかったが、個人の主義主張は封印して、企業で『力』を得る日(もちろん何十年もかかる)を黙々と目指しているような人も結構多かった。いわば、仕事以外はすべて封じ込み、個人の生活の全てを仕事に投入することを求められ、それが当たり前になっていた。不自由で、窮屈で、体力だけではなく、精神的にも消耗が激しかった。もちろん、所得は増え、経済水準は上がり、物的には豊かになって購買力は上がり、普通のサラリーマンがローンで自動車を買ったり、家を買ったりもできるようになってはいた。その点では豊かになっていたが、ローンで会社からの縛りは強くなり、皆がはかったように同じライフスタイルで、入社から定年、さらには定年後まで会社がかりで、先が完全に見えてしまうモノトーンの豊かさだった。当時の大衆車、トヨタカローラが象徴する豊かさだった。



バブルが与えてくれた自由と選択肢


ところが、バブル期のように急激に経済的に豊かになると、消費は非常に多様になり、個性的になる。いわゆる消費による自己実現がリアルになり始めた。製造業からサービス業への転換も進み、都会でのライフスタイルは洗練され、自由度も大きくなる。速水氏の講座の第1回目にもあったように、女性が独立して、単身で住み、結婚/専業主婦以外のライフスタイルを可能にする経済力の裏付けを持つ人も増えていった。日本版の『都市の空気は自由にする』*1という現象が確かに起き始めていた。権力に従うしかなく、用意された豊かさを黙って享受するしかなかった個人に、自由な道、選択肢が与えられるようになった。


企業の中にいても、ずいぶんと風通しが良くなった。海外に直接出て仕事をする機会が増えれば、現地の様々な価値に触れる機会も増え、日本の自分たちの価値が相対化されてくる。各国のビジネスエリートとの交流も増えてきて、個人の自由を大事にすることが仕事の巾を広げる、というような思想にも自然と馴染むことになる。いかにも持続不可能で、普遍性のない、日本のサラリーマン・カルチャーにも疑問を感じるようになる。日本の製品も、安くて性能がいいだけでは、そのうち必ず追いつかれることはわかっているのだから、日本発で個性ある、しかも、普遍性のある文化の香り漂う製品をつくることを本気で考える必要がある、少なくとも当時の私や私の周辺ではそのように考え始めていた。


今思えば、貴重な体験と言えるが、私は、この時期トヨタのレクサスの企画チームの端くれにいたが、メルセデスベンツのような高級車の市場に参入して、目の肥えた購買層に受け入れてもらうためには、まさにこの文化の課題に真剣に取り組む必要があるという課題を皆が共有していた。当時米国で話題になっていたヤッピー(Young Urben Professional / 都市の若年エリート)のこともずいぶん研究したものだ。このような、新しい企画を扱う仕事では、実力があれば、重層な人事階層を越えた発言権が与えられ、仕事における自由もあった。まさにカローラからレクサスへの転換こそ時代の要請で、それはまた仕事やライフスタイル全般の変革を迫るものだった


バブルのマイナス面、問題点はもちろん認めるのにやぶさかではないが、この頃を契機として起きて来た、ある種の権力からの自由、消費文化における自己実現、個人の多様なライフスタイルの自由等には、経済の超活性化(=バブル)が背景にあったことは間違いない。そして、バブル期が、速水氏がいう『経済と都市文化が一致する幸福な時期』だったという主張も(速水氏の考えと完全に一致するかどうかは別として)私なりに共感できるし、あわよくば自分たちがその文化の発信源になることを夢想していた。



挫折の原因


だが、残念ながら結局挫折した。会場からの質疑にもあったが、主要な原因の一つに、日本を徹底的に分析して金融戦争を仕掛けた米国の戦略があるというのは本当だ。あの頃は、米国だけではなく世界各国が日本の謎を必死に研究していた。対する日本は明らかに慢心していたし、自らのことをきちんと研究せず、俗流の『日本的経営』幻想の上にあぐらをかいて自己満足に浸るようにさえなってしまった。米国に負けたというより、自滅したというのが実態に近いと私は思う



バブル潰し


ただ、それ以上に、直接的なバブル潰しはもっと意図的に日本の内部から行われた。当時の大蔵省が出した通達である、『不動産融資総量規制』、それに引き続く、日銀による急激な金融引き締めが『劇薬』となり、確かにバブルは崩壊したが、同時に日本経済はその後長期にわたる不況の谷底に転げ落ちることになり、今に至る。加熱し過ぎた経済を冷やして軟着陸させることは当然必要な政策ではあるが、かといっていきなり劇薬を与えて日本経済を瀕死の状態に追い込むのは明らかにやり過ぎだ。これは、プロとしての大蔵省や日銀の不手際であることはいうまでもないとしても、加えて、マスコミはバブル潰しを盛んに煽ったし、世論の大勢は所得格差の急激な拡大に生理的な嫌悪感とでもいうような反応を示して、これを後押しした。



盲目的な破壊神


どうも日本人の無意識は、時として、『盲目的な破壊神』として機能することがあるように私には思える。コツコツと真面目に働いて積み上げるのではなく、金融やIT等の『わけのわからないもの』『あやしげなもの』で急に豊かになったりすると嫉妬心が抑えきれず、豊かになった人のことを喜び自分も頑張ろうと思うのではなく、自分のレベルまで引きずり下ろそうとする傾向がある。だから、出る杭になることを過剰に恐れ、他人からの嫉妬を買わぬように最新の努力を払うタイプが日本の組織では階段をのぼり易く出来ていることは、日本の組織に長い人なら皆心得ているはずだ。この『盲目的な無意識』『盲目的な破壊神』はこの後も時々恐ろしい力をふるって、堀江貴文氏を投獄し、Winnyの開発者の金子氏に罪を着せた。



まだ終わらない闘争


ITなら、ある程度世代論に回収できるとする向きもあろう。若いころからインターネットやSNSになれている世代と、知らずにきた中高齢世代との断絶、というやつだ。これはかなりの部分あたっているのは確かだが、それだけでは説明しきれない日本人の心的な傾向の問題も根強いように思える。かなり無理を承知でいえば、前者は村上龍的、後者は村上春樹的なアプローチが有効のように思える。そういう意味では二人の闘争はまだ終われないし、終わるべきでもない。



W村上をもっと読んで出直したい


やはり予想通り、結局自分語りになってしまった。このままでは終われないので、これを機会に、W村上の世界をもっと探求して、いつか再び速水氏が提示してくれた問題を語ってみようと思う。特に、今回速水氏がさりげなく語った、W村上の『ニューエイジ』(ニューエイジ・ムーブメント、ニューエイジ運動と言うときには、アメリカ合衆国、とりわけ西海岸を発信源として、1970年代後半から80年代にかけて盛り上がり、その後商業化・ファッション化されることによって一般社会に浸透、現在に至るまで継続している、霊性復興運動およびその生産物全般、商業活動全般 ニューエイジ - Wikipedia)への傾倒という問題は、実は私自身が一番強い関心を持っていて、本来是非語りたいところでもあるのだが、一方で、非常に手強い問題でもあり、今回語りきるのは難しそうなので控えることにする。


いずれにしても、この『80年代バブル文化読み解き講座』に3回とも出席して、何か書いてみることで得るところは非常に大きかった。バブルを理解することは、非常に現代的な、今ここにある問題の解決に不可欠な重要な課題であることを思い出させていただいた。速水氏とゲンロンカフェのスタッフに感謝を捧げた上で、次回の講座を期待したい。