ゲンロンカフェで『佐々木俊尚×東浩紀トークショー』を聞いて来た

最近、すっかり入り浸っているゲンロンカフェで、ジャーナリストの佐々木俊尚氏の新著をネタに、思想家の東浩紀氏との対談が行われると聞いたので、参加してきた。


開催概要は以下の通り。

日時:2013年6月29日(土) 19:00〜21:00


タイトル佐々木俊尚×東浩紀トークショー
    「楽園か、戦場か。『レイヤー化する世界』のサヴァイヴ術!」


案内文


先日発売となった話題の新刊『レイヤー化する世界』では、
テクノロジーの文明史をふまえながら、来るべき新しい世界の構造について解説した佐々木氏。


巨大なプラットフォームと個人とが、それぞれに利用し、利用されながら、共犯関係のもとで生きていく社会。
著書の中ではそれを「強者と弱者が逆転し続ける世界」とも表しており、
一見、あらゆるチャンスに満ちた希望あふれる楽園が待っているようにも受け取れる。


しかし一方で、これまで一部の地域や組織が独占していた富は今後、ボーダレスに拡散され、
先進国で暮らす私たちに「レイヤー化した世界」がもたらすものは、必ずしも恩恵だけとは言いがたい。


<帝国>とも呼び得るプラットフォーム上で、
個としての私たちはこれからどう生きていけばいいのか?!


来るべき世界は戦場なのか、あるいは楽園なのか?!


個の力を遺憾なく発揮し、Twitterというプラットフォーム上で約12万フォロワーを集める思想家・東浩紀が、
約18万フォロワーの佐々木俊尚氏と激論を繰り広げる!


佐々木俊尚×東浩紀トークショー「楽園か、戦場か。『レイヤー化する世界』のサヴァイヴ術!」 | Peatix

新著に最もふさわしい対談


佐々木氏の新著は、今起きている社会の大変化、すなわち『民主主義』とか『資本主義』といった近代を支える装置が機能不全に陥り、崩壊過程にあることを示し、その意味を解説するために、歴史、政治思想、経済学説史等にまでスコープを広げている。だから、対談相手としては、思想家の東浩紀氏のような論客が最もふさわしいのは明らかなので、この機会を本当に楽しみにしていた。


始まってみると、予想以上に議論は縦横無尽に広がり、私自身、今ひとつ理解が曖昧だったところも、すっきりと解消出来た気がする。とはいえ、いつもながら、自分が理解出来た範囲しか書く事ができないが(理解が間違っている可能性も多分にあるが)、以下、私の聞き取れた範囲で両巨頭の応酬を書き残しておこうと思う。逐語的に書く事は無理なので、私が『意訳』しているところも少なくないことは予めお断りしておく



新著の目的等

東浩紀氏(以下、東氏):


今回の著作の想定読者、目的、意図等は?


佐々木俊尚氏(以下、佐々木氏):


若者(10代も含む)を相手に、社会がこれから大きく変わる、ということを言語化して知らせたかった。社会が変わりつつあることは、皆皮膚感覚として感じていると思うが、まだ言語化できていない。ノマド論争で話題になった安藤美冬氏やイケダハヤト氏など、一早くこの変化に気づいて行動を開始しているとも言えるが、ネットでは袋だたきにあっている。しかもそのバッシングは、必ずしもロジカルとは言えず感情論も少なくないのに、有効な反論が出来ているとは思えない。だから、彼らに言語を与えたかった


安藤氏やイケダ氏を見ていると、私自身、彼らより多少は長い社会人経験をたてに説教の一つもたれてみたくなるような、危なっかしさや、未熟さがあることは確かだ。特に、出る杭は打たれる日本社会の空気を知るものから見ると、彼らの行動は自分から落とし穴にハマりに行くように見えるところがある。だが、そういう私達の経験した社会や社会規範自体が根本的な変革にさらされている今、若者を腐す前に、自分たちの足下をよく見てみるべきだろうは思う。少なくとも彼らはリスクをとってチャレンジしており、まして、変化を先取りする感性は鋭い。そういうことはちゃんと評価してあげることが(そのような公平さが)、日本の社会を停滞から救うためには不可欠だと思う。



反響

東氏:


著書の反響は?


佐々木氏:


ツイッターやブログでは概ね好評だ。絶賛してくれる人も少なくない(もちろん例外はある)。一方、アマゾンの書評はボロクソで批判的な人が多い。おそらく、変化を嫌う(変化して欲しくない)中高齢者がアマゾンには多いのではないか。


私の書評でも書いたが、近・現代社会で出来上がった常識や先入観から、本書を腐す書評は結構多い。だが、その近・現代の基礎を支えた民主主義や資本主義のような装置自体にガタが来るような大変革の時代には、中途半端な歴史理解や経験は邪魔になるだけで、今回はそれが可視化されているとも言える。

佐々木俊尚氏の新著『レイヤー化する世界』を読んで - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る



サステナビリティ

東氏:


ネットを介したコミュニティは長くても10〜15年の歴史しかない。特に、FacebookTwitterという特定のSNSは始まって実質5年程度しか経過しておらず、しかも出入り自由なだけに凝集力は弱い。今後10年持つのかさえまだ誰にもわからない。そういう意味で、ノマド等、サステナビリティ(持続可能性)の点で疑問がある。その点、国民国家は、今崩壊の危機にあるとはいえ、全人格的所属を半強制的に求め、サステナブルなモデルと認められて来た。移行は簡単ではないのでは?


佐々木氏:


ご指摘の通り、Facebook等のSNSは持続性も求心力も弱い。ただ、リアルとネットが融合しだしたと言われる昨今、多少事情は変わって来ている。例えば、シェアハウスのような、ネットのコミュニティが住居というリアルとシームレスに繋がっている事例がわかりやすい。典型的なシェアハウスでは、新しく入居する人が現行の入居者とリアルな知り合いである必要はない。当然お互い不安があるはずだ。しかしながら、今ではFacebook等の過去の活動のアーカイブを見れば、その人がどんな人かある程度知ることはできるし、コミュニティでの信頼性は担保されうる。そういう意味で、『リアルだけ』や『ネットだけ』より信頼性があがる、ということはありうると思う。


よってネットのコミュニティが中間共同体になって行く可能性もありうると考える。現代でもヒズボラレバノンシーア派イスラム主義の政治組織)のように、実質的に中間共同体のみで存在するような例もある。今後、このような構造の共同体はいろいろ出てくるのではないか。


東氏:


おっしゃるような出入り自由のコミュニティは機能するとは思うが、例えば、共同で子供を育てているシェアハウスがあったと仮定して、そこに障害者の子供が生まれた場合、育てるのに長期間コストと手間がかかるようなそんな子供を抱えることができるのか。他のケースでも、5年間に渡って多額な投資が必要なプロジェクト等、長く時間がかかるものを維持できるだろうか。


佐々木氏:


正直やってみないとわからない。コミュニティを維持するものはある意味『権力』と言えるが、従来の国民国家のような、規律訓練型権力*1では、中心/リーダーが必要で、それがなくなると崩壊する。だが、いわゆる環境管理型権力*2であれば、中心がなくても、求心力が生まれる可能性はあるのではないか。


いきなり非常に深刻な問が出た。出入り自由なネットコミュニティが、地域コミュニティのように固定化したコミュニティの代替物になるのか、という問題意識だ。比較的長くこの問題に取り組んでいる私も、始終ジレンマを感じている。



アイデンティティ

東氏:


(株)サルガッソー代表の鈴木健氏が近著『なめらかな社会とその敵*3で述べるように、昨今、一人の有権者が一つの政党を選ぶのではなく、有権者がそれぞれの政策ごとに支持/不支持を表明していって、それをネットテクノロジーで集計すると国民の意志が全体として表出して、その結果として政党が選ばれていくようなコンセプトが出て来ているが、そのようなフロー型では、政治も社会も不安定になってしまい、現実には機能しないのではないか。


今のところ、自分で選んでいないもの/選びようがないもの(男性であること、日本人であること等)、すなわち自己が決定していないものを宿命的に受け入れて、『自分はこの土地で生まれたからこれしかない』という政党支持の仕方をしている人がほとんどで、批判はあるが、それが安定性の源泉になっていることは確か。


佐々木氏:


鈴木健氏の意見は大変興味深いが、自分とはやや考え方が違う。鈴木氏のいう社会を実現するためには、人は自分(自分のマインド)をばらけさせる必要があるが、それは簡単なことではない。人間のマインドは多面体であり、色々な面に応じてSNSがあるのが理想で、その点Facebookはすべてを一つにしてしまうとの批判があった。その欠点を補うべく、goole+が出て来て、サークル毎に人間関係を切り分けるモデルを提示したが、普通の人がこれを使うのは無理ということがわかってしまった。


一人の人間にある多面的なキャラクターは今後別々のレイヤーに分かれて、そのレイヤーごとの活動や個性に分散していかざるをえないが、レイヤー毎に部分所属しつつ、この分散した構成要素の総体を人間と見ることはできないだろうか。


芥川賞作家である平野啓一郎氏が提唱する、『分人』*4という考え方にも言及があったが、常人はこの『分人』を使い分けることができず、分裂症になりアイデンティティ統合が難しくなってしまうケースも少なくないと聞く。ただ、分人的でありながら『分散した構成要素の総体を人間と見る』というのは、今回の佐々木氏の著書の中で最も難解な概念とも言える。ご参考に、著書より関連部分を引用しておく。

こういう分離された無数の細かなレイヤーをすべて積み重ねていくと、私という個人ができあがる。でもそのそれら無数の細かなレイヤーを、すべて私と同じように共有する人はおそらくいません。そこに私が私であるということ、私という人間のアイデンティティがあるのです。
『レイヤー化する世界』P211 *5

幻想

東氏:


国民国家は神がいなくなった世界に生きる必然性の物語を与え(ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』*6が参考になる)、全人格的承認を人に与える。一時期の日本の会社もそうだった。『レイヤー化する世界』では、全人格的承認を与える存在がない。だとするとやはり社会は安定しないのではないか。


佐々木氏:


近代も、再帰的近代*7の段階に至り、人々は生きる目的を喪失しているわけだが、国民国家が生まれたからポストモダンが生まれたと見ることも出来るはず。ゴールがあってそこに向かって進むべき、内と外をつくり、進歩/成長を志向するべき、という近代モデルが出来たが、それ故にまた、今のような必然的な行き詰まりを内包していたともいえる。


東氏:


国民国家は幻想であることはわかっているが、だからと行って手放せるだろうか。恋愛と似ている。恋愛は幻想だが簡単には手放せない。人間は簡単には幻想を手放せない存在


佐々木氏:


幻想を手放せないから生きていて苦しいというこもあるのでは?


東氏:


ナポレオンは国民国家という幻想が凄い力を発揮することを発見した。一時期の日本企業もそう。


佐々木氏:


それはわかるが、今では国民国家が与える幻想を維持することが難しくなっている。『外』に仮想敵を作るようなことでしか維持できなくなっている。


東氏:


人間には、所属するという感覚を与えるものが必要で、それ(幻想)なしでは生きていけない。テクノロジーは幻想を与えてくれない。ここに包摂されているという幻想が必要ではないか?


佐々木氏:


所属が不要と言っているわけではない。何らかの中間共同体は必要。ただ、強い求心力がないと維持できないようなコミュニティでは息苦しくて維持できない。息苦しくならずに維持できるコミュニティはできると思う。


著書では、意識高い系だけではなく、コミュ能力が弱い人も、自分の見せ方を少し変えるだけで生きていけることを示したかった。誰もが、リアルとネットが融合する社会をどう生きるか考えるべき時が来ている。

宗教的なもの

東氏:


自分が今ここにいることには、偶然と必然の両方の要素あるが、人間は別の可能性はあったのに、たまたまここにいるのはどうしてなのか、意味を求めてしまうもの。そのギャップを埋めるために、物語や幻想を必要とする。


ロックやホッブスは、社会契約は合理の集合体と考えたが、ルソーは無意識の集合体ととらえた。文学者ルソーの面目躍如。いわばすべて幻想。ルソーは、恋愛/運命/国家等、幻想の装置を一気につくった。皆、近代民主主義の原義を忘れている。そもそもすごくやばいもののはず。幻想がすべてなくなった後にはすべて合理的に、というのはやはり無理がある。レイヤー化する世界の幻想の場がどこにあるか気になる。


佐々木氏:


宗教や運命論に帰依したがっている人はすごく増えていると思う。宗教の復権は否定しない。個が自立して、厳しい自己認識にさらされるのはさびしく、つらいこと。人間の意識はどうかわるか(変わるべきか)についても考えたが、本書ではそこまで書けなかった。


東氏:


強い個人の自覚、という点では『禅』があるが、もっと俗人に対する宗教も必要だろう。


佐々木氏:


社会学者の濱野智史氏の、『前田敦子はキリストを超えた*8には批判も多いが、『宗教的なものは、近接性と偶然性によって、教義や教祖がいなくても成立する』というくだりは評価できる。今後、世界は、近代の直線的に進む世界観から、中世の円環する世界観に戻っていくと考えられる。そこで神に類するものを見つけて依拠する人がいてもいい。(AKB48に帰依する人がいてもいい。)ただ、『それだけではないもの』が生まれて来て、二分化すると思う。AKB48もあっていいが、そうではない生き方もあるはず。


東氏:


国民国家は社会の包摂性を重視するが、福祉国家全体主義であることがわかっていない人が多い。監視とケアは表裏一体。今、これをやらない国家になろうとしている。何が肩代わりするのかまだわからない。


日本はオーム事件後、宗教フォービア(宗教嫌悪)の傾向が強くなり、宗教的なものはどんな些細なものでも、議論する事自体難しくなってしまった。だが、宗教は、十把一絡げに語るには巨大過ぎる課題だ。いよいよ再び宗教の問題に真っ正面から取り組むべき時が来ているように思う。



その他の話題

東氏:


エドワード・スノーデン容疑者(米情報収集プログラムを暴露し国外へ逃亡した米諜報機関元職員)の問題はどう思うか?


佐々木氏:


メディア空間が拡大してしまった今日、情報をマスメディアの内部だけでおさえておくのは無理であることを象徴している。


東氏:


集団的憎悪が結晶化しやすい世になった。


佐々木氏:


ネット世論は3極化していると思う。昨今、ネット言論は大量の批判者にさらされるが、その周辺に膨大なもの言わぬ傍観者がいる。その数のほうが多いのではないか。その傍観者の中には、実は善意の賢い傍観者がいて、発言すると得にならないことがわかっているから黙っているのだと思う。この傍観者に発言させ、可視化することがこれからの重要な課題だと思う。


東氏:


大衆社会』の問題はオルテガ*9がそれを指摘したころのころから変わっていない。大衆の多数決がいつも正しいわけではない。そういう意味では民主主義も幻想で、これをどうすればいいのか。まさに多数決では解決されない構造的問題。かつて『島宇宙化』というタームで世の多様性を語ったが、実際には大きな島宇宙と小さな島宇宙があって大きな島宇宙ばかりが影響力をふるってしまっている。欧州にはノブレス・オブリージュのような伝統があるが日本にはそれもない。

あとがき


大分書いた気がするが、それでも、かなり削った。語りすぎるのはヤバい、『ココだけの話』も少なくなかった。そういうのはレポートに書けないし、書いても伝わらないので、やはり、実際にゲンロンカフェに足を運ぶことをお勧めする。


本当に内容が濃くて、すごい対談だった。だが、ものすごく大事な問題の切り口や、探求のための課題を沢山思い出させてもらった。私自身、この中の幾つかに、あらためてちゃんと取り組んでみたいという意欲をかき立てられた。