80年代バブル文化読み解き講座 by速水健朗 atゲンロンカフェ

ゲンロンカフェに行って来た!


オープンして以来、ずっと行ってみたいと思っていた、思想家の東浩紀氏の経営するゲンロンカフェだが、先週やっと行くことができた。当日(5月8日)は、編集者・フリーライター速水健朗氏を講師に迎えて行われた、全3回の連続講座、「80年代バブル文化読み解き講座」の第1回目で、この日のタイトルは「W浅野。トレンディードラマと東京の都市開発」だった。

ゲンロンカフェ


ゲンロンカフェは、写真の印象より、ずっとこじんまりしていて、今回のような講座で30〜40人も入ると、店のスタッフが動き回るのも窮屈な感じだ。ただ、部屋の配色も光の加減も非常に落ち着きがあり心地良い。それに、講師とオーディエンスの距離がほどよく近いため、活発に討論した大学のゼミの雰囲気を思い出した。



講師の速水健朗氏について


初めてのゲンロンカフェで、まず最初に速水健朗氏のお話を聞けたのも、自分にとってはタイミングが良かった。速水氏と言えば、私は年来のファンを自負していて、著書は出る度に買い揃えているし、このブログでも何度も取り上げて来た。

『O2O』『ウェアラブル』そして『アンビエント・インテリジェンス』 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
ショッピングモールから都市論の深みにはまってみる - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
若年層に見られる『成功者イメージ』の変化 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
『ケータイ小説的』に喚起される多くの気づき - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る


ありふれた日常の身の回りの中にあるものでも、速水氏が鋭敏な感性と観察力を持って拾い上げて整理/分析すると、背後に実に驚くべき文脈が隠れていることが次から次に明らかになる。

ヤンキー、ケータイ小説、バンド、ラーメン、ショッピングモール・・・

どれも、背後にある巨大なパラレルワールドの入り口のように思えてくる。



考現学の正統後継者?


この人の仕事をどのようにカテゴライズすればいいのだろうか。社会学とは違う。民俗学とも多分違うだろう。考現学? そう、それが一番近そうだ。 考現学というのは、民俗学者柳田國男に師事しながら、自ら起こした独自の研究のために柳田に破門された、和泉次郎が提唱した学問で、関東大震災後の東京をスケッチして歩き回ったことから始まったという。その後、考現学によって、現在の社会現象が組織的に調査/研究され、様々な世相や風俗が分析・解説されていったとされる(生活学、風俗学、路上観察学等が生まれた)。まさに、昨今の速水氏の姿を見るようではないか!(本人が嫌がるかもしれないが・・)


そんな速水氏がこの夜取り上げたのは『トレンディドラマ』であり『バブル』である。事前の予想に違わず、今回もこのキーワードの背後にとても興味深い文脈を見せていただくことになった。



公平に再評価してみるべきバブル


『バブル』は今の20〜30才台の若者にとっては『伝説』や『歴史』でしかないだろうが、実際にその只中にあった私達も、とてもではないが、正しく理解するどころではなく、ただただ翻弄され、右往左往していた。多少は頭が冷えた現在にいたっても尚、バブルの本質を正しく分析したり理解できているとはいい難い。鮮烈で非日常的とも言える体験の数々も、当時はそれを楽しむ心の余裕もなく、一旦バブルがはじけてしまうと、大方はネガティブな記憶として焼き付けられたように思う。後続の世代もバブルを肯定的に評価している人にはあまりお目にかかったことがない。


そのバブル期に生まれたトレンディドラマを、バブル期の世相を知る手がかりとして読み解くのが今宵の速水氏の役割ということになるが、確かに、私自身、もう一度頭を冷やし直してトレンディドラマを観直すとそこから何が見えてくるのか、俄然興味が湧いて来た。バブルをネガティブな先入観にとらわれず公平に再評価することが必要な時期に来ているという速水氏の指摘は、今の私には素直に納得できる。



トレンディドラマ


トレンディドラマは、バブル景気を背景にした都市型の新しい文化を象徴した存在だが、何より、女性が強くなった時代(男女雇用機会均等法の施行が1986年。女性が働いて自立/都会で一人暮らしをする。)を象徴していて、女性の視聴者をターゲットにした、女性視点のドラマだ。今となっては想像もできないことかもしれないが、それ以前には、家族もの、時代劇、企業もの等、いずれも男性視点のドラマが大半で、女性視点のドラマなどまったくといっていいほどなかった。その『女性視点/女性向けドラマ』の頂点に立つ『アイコン』がこの日の講座のタイトルにもあるW浅野、ということになる。


お洒落で都会的な職業(カタカナ職業)、ライフスタイル等、トレンディドラマには、当時の若年女性の願望が若干デフォルメされつつ、随所に散りばめられている。時代の様相がすっかり変わってしまった今でも、W浅野の当時のドラマを見るとはっきりとそのニュアンスが蘇る。



ヤッピーへの憧れ


加えて、速水氏によれば、トレンディドラマは日本の都市型の高給取りを描き、都市のライフスタイルへの憧れを助長した。そして、それは『高度成長期の都会への憧れ』とは異質のものだ。後者は、大方、立身出世/天下国家等がモチーフになる男性視点の、日本社会における男性の自己実現物語の範疇でくくれるように思う。だが、バブルの頃の都会型の物語/ライフスタイルは、主として当時の米国の都市型のエリートサラリーマンに範を仰ぐものだった。いわゆる、『ヤッピー』と呼ばれた人たちだ。

ヤッピー(yuppie, YUP)とは、「young urban professionals」の略で、都市住民たるエリートサラリーマンのこと。

1984年にアメリカ合衆国で使われ出した。おおむね20代後半から30代後半で、大学院卒(最低でも修士号を保持)で都会に住み、金融系企業などの専門職だったり弁護士や医師で、収入はアッパーミドルでスーツや車、住居にお金をかけるというイメージである。しばしば気取っていて自己中心的、表面的というニュアンスで軽蔑的に用いられる。 

Wikipediaより引用

生成しつつあった都市型文化への憧れ


今回、トレンディドラマの元祖として、著名な脚本家の鎌田敏夫氏による、『男女7人夏物語り』が取り上げられていたが、これは舞台設定もニューヨークが意識されていているという指摘は大変興味深い。主人公の良介(明石家さんま)のマンション、相方の桃子(大竹しのぶ)のアパートが隅田川にかかる清洲橋を挟んだ位置にあり、良介のいる側が、ニューヨークのマンハッタン、桃子のいる側がブルックリン、という具合だ。登場人物が皆カタカナ職業、女性が働いていて自立/一人暮らしをしており、当時の新しい都市型ライフスタイルへの憧れの原型が見られる。

鎌田敏夫 - Wikipedia
男女7人夏物語 - Wikipedia
隅田川 橋マップ



都市開発に失敗した東京


速水氏は、当時は、好景気/都市文化への憧れ/都市への人口流入が足並みを揃えていたことを高く評価する。ただ、残念なことに、この時期の都市(特にその中心たる東京)は、都市開発に失敗した、という(その後都市文化への憧れも薄れていった)。本来、都市文化や都市のアイデンティティのような残すべき型を残し(例:フランス)、効率(エネルギー効率等)良く集積し(例:ニューヨーク)、新陳代謝を促進する形で再開発されるべきところを、実際には無秩序に郊外まで拡大する、いわゆるスプロール現象が進んだだけに終わったという。

スプロール現象 - Wikipedia


この点、速水氏も参照していたが、建築家の隈研吾氏が提唱している、『勝つ建築』『負ける建築』のコンセプトが下地にあるのだろう。

建築家の隈研吾が2004年に刊行した同名の自著で提唱した建築観。都心に屹立(きつりつ)して巨大さや構造的な強さを誇示する高層ビル群やサラリーマンが多額のローンを組んで購入する郊外の一戸建て住宅などを「勝つ建築」としてとらえ、それとは異質な受動的な建築のあり方を目指したもの。この主張の背景には、画一的なデザインや重い金銭的負担によって都市生活者のライフスタイルを硬直させ、また周囲の環境を圧迫してきた従来の「勝つ建築」の価値観が、阪神・淡路大震災オウム真理教によるテロ事件、「9.11」といった近年の大きな社会的なカタストロフによって脆さを露呈したという認識がある。それに代わって周囲によく馴染み、様々な外力を受け入れる柔軟な建築を目指すべきだと主張する。建築家個人の美意識よりは社会との対話やコンセンサスを重視し、またバブル期の装飾過剰なデザインを戒め、周辺環境への配慮を強調している点では一種のサステイナブル(持続可能)な建築の提唱といえる。その視線は現在ばかりでなく、デ・ステイル、ルドルフ・シンドラー村野藤吾らの過去の建築作品の再評価に対しても生かされており、今後の展開が期待される。 
( 暮沢剛巳 建築評論家 )

負ける建築(まけるけんちく)とは - コトバンク

人口移動2.0の時代


バブルが否定的に語られる一因として、バブルと言えば、地上げ屋等の『強引な再開発』というイメージが強いことがある。確かに、高度成長期の地域開発を含め、日本では開発/建築といえば、『勝つ建築』一辺倒になってしまっていた観がある。その結果、『都市化』『都市開発』には、ネガティブな印象ばかりが付着してしまったといっても過言ではないだろう。


そのせいもあってか、今後の日本の近未来像につき、地方への分散、地域コミュニティーの活性化(コミュニティーデザイン等)、自然豊かな田舎暮らし等、『脱都会』ばかりが肯定的に語られる傾向があるように私にも思える。


だが、安易な『地域/地方志向』には問題点も多い。速水氏も主張していたことだが、固定的な構成員からなる地域コミュニティーは蛸壺化して構成員が辟易してしまう例も多い。また、高齢化を迎えた公共サービスの点でも、エネルギー効率という点でも、地方は必ずしも有利とはいえない環境への負荷も大きく、結果、持続可能性の点でも問題含みといえる。


むしろ、『負ける建築』のコンセプトで持続可能な都市を再構築し、都市の新陳代謝と効率化を高めつつ集積化し、その上で束縛の強すぎない緩いコミュニティーと快適な文化を作り上げる(憧れを再構築する)ことのほうが、来るべき、人口減少と高齢化が進む日本では、現実味があるともいえる。速水氏は、今後はこれを『人口移動2.0の時代』として取り組んで行くべきと語る。



ゲンロンカフェがジャストフィットな速水氏の講座


速水氏の今回の講話につき、私が理解出来る範囲で、骨格といえそうな部分を抜き書きしてみたが、周辺に広がる拡散気味のお話も本当に面白くて、ついそちらのほうも突っ込んで聞きたくなってしまう。会場から(回線で結んだ遠隔地の会場も含む)の質問もざっくばらんで、かつ、すごく沢山出てくる。おそらく、速水氏自身も、未整理のものを含め、自分の頭にある概念を自らしゃべることで再確認し、会場とのやりとりでリファインしていくことを意図しているのだろう。いわゆる共創の場がここに起きている、という実感が伝わってくる。そういう意味では、今回のような講座には、特にゲンロンカフェの適度な狭さと講師との距離の近さは最適と言える。残り2回の講座も是非参加して、この共創の場に立ち会いたいと考える。