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「やまもといちろう×イケダハヤト対談」を私なりに語ってみる 

ヤバい経営学


唐突だが、前評判も非常に高く、実際に読み始めた人たちの書評を見ても軒並み高評価だったこともあって発売と同時に早々に購入した、『ヤバい経営学*1は本当に面白かった。タイトルの印象から、斜に構えた、ビジネスの隙間を扱った本ではないかとの印象を持つ人も少なくないようだが、実際に読んでみるとエンターテインメントとしての面白さがあるだけではなく非常に奥深い。しかも、裏付けのある実証データに基づいているというだけあって、説得力もある。文句なくおすすめの一冊だと思う。



ハイブリッドな文章


せっかくなので、書評を書いておこうと思い立って取りかかっている最中に、ブロガー(プロブロガーと自称)のイケダハヤト氏と、これも有名ブロガーで投資家のやまもといちろう氏の対談の模様(ニコニコ生放送およびテキストのレポート)が入って来て、これがまた非常に面白くて感じるところがあるので、思わずそちらの方も気になって集中できないでいたのだが、ちょうどその二つの接点となり、またがっている問題について書けるように思えて来た。何だかよくわからないハイブリッドな文章になる恐れがあるが、『ブログは思うがままに書いて推敲はしない」というイケダ氏にちょっと習って、私も思うがままに書いてみようと思う。

やまもといちろう×イケダハヤト - 2013/04/12 19:00開始 - ニコニコ生放送
やまもといちろう ×イケダハヤトの「ブログ論争」対談書き起こし - NAVER まとめ



人を動かすには


すっかり袋だたきになっている感じのイケダ氏だが、確かに批判されてしかたのないツボというか、姿勢が際立っているので、本人の真意がどの辺にあるかは別として、怒ったり嫌ったりする人が沢山いるのもやむなかろうと思う。若干主旨が違うのだが、『人に好かれる』という観点では今でも世界中から参照されているデール・カーネギーの『人を動かす』*2によれば、人を動かしたり、好かれるためには原則があるという。イケダ氏の普段の言動はこの原則の真反対と思われることが多いのは確かだろう。

人を動かす三原則

• 批判も非難もしない。苦情も言わない。
• 率直で、誠実な評価を与える。
• 強い欲求を起こさせる。


人に好かれる六原則

• 誠実な関心を寄せる。
• 笑顔で接する。
• 名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。
• 聞き手にまわる。
• 相手の関心を見抜いて話題にする。
• 重要感を与える - 誠意を込めて。


人を動かす - Wikipedia

日本であろうと、米国であろうと、あるいは、欧州でもアジアでも、およそビジネスでの成功の原則として一番普遍的なものをあげるとすれば、『人を動かす』ことだろう。このカーネギーの世界的ベストセラーが最初に出版されたのは1937年だが、もう古臭くてインターネット時代にはお蔵入りになるのかといえば、まったくそうではなくて、これからまさに人の評価が貨幣以上に重要な価値になると言われるようにさえなってきた。



イケダ氏の真意は・・


そんなことが理解できないイケダ氏ではないだろうから、それでも、人に嫌われ、ブログが炎上してもやるべきことがあるということになる。今回の対談では、同調圧力が強くて発言したくても黙ってしまわざるをえない、日本の現状に風穴をあけたいという主旨の発言があった。要は、『言いたいことがあれば恐れずに言えばいい。自分(イケダ氏)は発言で人を怒らせてブログが炎上しても、大きな企業に所属していなくても、ノマドとして独立独歩でちゃんと生きている。』と言いたいのだろう。ノマドについては、もう一歩前に出ている感じで、日本人の大半が何らかの組織に所属していて『社畜化』している現状を嘆き、そんな組織に縛られず、脱社畜化(ノマド化)すべきと従前から述べている。



イケダ氏に同情できる点


この点については、私も多分にイケダ氏に同情する一人ではある。イケダ氏は日本の大企業での勤務経験があるという。そして、その企業では、同調圧力が強くてものも言えず、個人の自由は圧殺され、単に昔からやってきたというだけの不合理な制度や慣習だらけだったのだろう。そして、彼がそんな企業を飛び出て、インターネットで発言してみれば、何とインターネット言論界隈でさえ、日本企業と同種の空気重視と同調圧力が支配していることに愕然としたのだろう。私自身、過去何度かその問題は取り上げて語って来たし、おそらく日本の企業勤務経験という点だけで言えば、多少履歴が長い私から見ても、昨今、腐臭が漂ってくるような雰囲気になってしまった日本企業はすごく多いことは確かだ。



何故?


だが、どうしてそんなことになってしまったのだろう。若いイケダ氏に見限られてしまう、現状の酷さを認めるのにやぶさかではないが、日本企業全盛期の現場を知る私はに、やはり残念でならないところもある。経営や戦略は昔も今も?なことは少なくないが、生産現場であえ技術職や事務職であれ日本企業の現場はもっとずっとしっかりしていたはずだ。当時の現場も、生産能率をあげるために、非常に厳しく統制されていた。作業工程も一度決まれば、そこから安易に逸脱が許されるようなことはなかったし、そういう意味では自由などなかった。だが、それでも米国の生産現場に比べればはるかに自主性が認められ、自由度は大きかったし、改善の裁量は現場に与えられていた。単純にマニュアル通りにやることに縛られていたわけではなかった。



日本の現場の強さ


事務系の仕事をやっていた私は、月に一度周期的に廻ってくる仕事など、マニュアル化して、定型化することで能率も上がるという原則に乗っ取って進めていると、ある日、上司から、『前回とまったく同じというのでは、お前はまったく改善もせず怠慢で付加価値をつける能力もない、ということになるが、それでもいいのか?』と問いつめられ、はっとした。定型業務でさえ絶えざる改善は必須、というのだ。やむなく、当時定評のある最新のビジネス理論が書かれた難しい本を買って来て、そこに書かれた内容を業務に取込もうとすると、またこっぴどく叱られる。『そんな借りて来た猫のような理論が本当に目の前の現場に応用できるのか考え抜いたのか!』という。『絶えざる改善』『現場主義』『暗黙知』といった浮ついた言い方では到底言い尽くせない、本物の仕事のエッセンスを伝承される場にいる実感があった。科学的分析も盛んだったが、一方で、『機械を上回る型の精度を出す』ような類いの、信じられない能力(カン、コツ)を持つ職工が現実に沢山いた。これを見ていたから、これなら、米国だろうがどこだろうが絶対に負けないと確信を持つことができた。



成功の罠


だが、時間の流れは残酷だ。今では、このような『可視化出来ない価値』はすっかり追いやられ、数値のような『可視化』できる指標ばかり重視され、本当に重要なエッセンスはすっかり忘れられているようだ。『ヤバい経営学』の以下の部分は、まさに多くの日本企業がたどった道そのものではないか。

アカデミックな世界では、成功が除々に均質な組織文化を作っていく、という法則がよく知られている。まとまりのある企業文化は、企業の成功の原因ではなく、結果なのだ。しかも悪いことに、独善的で視野が狭い企業文化を作ってしまうと、問題の原因にもなる。会社の環境が変わり、周りのビジネス環境も変わると、企業文化は会社を硬直させ、新しい環境に適応するのを阻んだりする。これは第2章で述べた『成功の罠』として知られる現象だ。  
同掲書 P182

見えない価値を軽視し過ぎた


見えない価値によって、世界に勝ったはずの日本企業も、いつのまにか、TQC手法だの、シックスシグマだの、バランストスコアカードだの、EVAだの、他人様の商売のネタを金科玉条として現場に押し付けることを合理的と勘違いするような場にすっかり様変わりしてしまっているようだ。転職した先の会社で、品質向上のために、ISO9000を取得しようという話になって、正直私は仰天した。従来からこのしくみ(ISO)は日本の生産現場がかつて持っていた強さの原則をまったくなし崩しにしてしまうと考えていたからだ。工程を書面化(マニュアル化)して、そこからの逸脱がないように統制する。そこには絶えざる改善・進化はなく、絶えず変化する目の前の現場のリアルに本当に適した手法なのかどうかを考えることを忘れさせ、思考停止を常態化してしまう。そして、何より恐ろしいのは、社員が新しいもの(しばし無駄と同義と言える)に取り組むことを抑止してしまう


『ヤバい経営学』がまさにこの問題を取り扱っていて、私は長い間の胸のつかえが取れたような気がした。

企業がISO9000を導入すると、既存分野の発明が急激に増えていた。その反面、新しい革新的なイノベーションが犠牲になっていた。ISO9000のせいで『同じような』特許ばかり増えると、全く新しい技術や製品の発明は出てこなくなるのだ。
なぜこういうことが起きるのだろう。それは、ISO9000は、会社が『物事を進める最適な方法』からの逸脱を最小限にするからだ。(中略)ISO9000は標準からの逸脱を許さない。そして、その予期しない結果として、会社はつまらない発明しかしなくなるのだ。  

同掲書 P194〜195

本当に大事なこと


可視化も科学的手法も数値目標も結構だが、そればかり追求する過程で、本当の競争力の源泉である、従業員のモチベーションを下げ、会社への愛着をなくし、イノベーションはなくなり、戦略が他社と似たり寄ったりの没個性(誰にでも真似られる)なものになってしまう


今や『日本的経営』は評価という点でも地に落ちた。終身雇用も、稟議制度も、ノミュニケーション(飲む+コミュニケーション)も揶揄の対象でしかない。だが、形骸化した終身雇用はともかく、安易なリストラが企業の価値を毀損してしまうことは『ヤバい経営学』でも強調されていることだし、同調圧力の末の惰性のノミュニケーションはごめん被りたいが、インフォーマルで徹底的に語りあうことで一人で考えていた時には思いもつかない素晴らしいアイデアが出ることも多い。



エッセンスを大事に


だから、この惨状を抜け出すために、イケダ氏が強調する『ノマド』の背景にある、『独立自尊の気概を持って頑張ろう』、という精神は大事だと思う。ただ、『ノマドが全てに勝っていて、社会や企業に適応としようとするのが、すべて社畜』では、それ自体『形骸化』が始まっているとのそしりは免れないだろう。そもそも社会も企業も合理的な、理屈で話せばわかる存在ではない。いかに優秀な経営者であれ、気がつかないうちにバイアスがかかって間違ってしまうこともある。そのような合理的でない存在にどう対処するのか、人は皆悩み抜いて来たからこそ、『人を動かす』のような書籍の需要は尽きないとも言える。その課題こそ、イケダ氏にも、ポスト日本的経営を担う経営者にも是非真剣に取り組んで欲しいと思う。



謝辞および感想


いかん。語りが過ぎると、司会の立場を忘れてしゃべり過ぎて、酷評されたAMNの徳力社長みたいになってしまう。このあたりで止めておくが、この対談は本当に面白かった。司会としては酷評されたが、この場を準備したのは徳力氏の尽力だ。あらためて感謝の意を表したい。また、今回はストーリーの流れから言及できなかったが、ある意味イケダ氏よりもっと興味深い発言が相次いだのは、やまもと氏のほうだ。お話には本当に感動したし、以前よりずっとやまもと氏のことが好きになった。隊長、お疲れさまでした。

*1:

ヤバい経営学―世界のビジネスで行われている不都合な真実

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*2:

人を動かす 新装版

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