ジリ貧から抜け出したいならまずマインドを変えるべき

性能にワクワクしていた


かつて、友人との間で最も活発に交わされた話題が自動車だった頃、新車の発売があるたびに一番ネタになったのは、その性能(最高速、加速性能等)だった。最高速が時速200kmであっても、高速道路でも制限速度が時速100kmの日本では意味のない数値なのに、何だかその数値が魔法のように皆の心をとらえ、誰もが想像をたくましくしていた。同じように、ステレオ等のオーディオ製品も、その『音の良さ』を様々な数値に代表させて、皆が競って話題にしていた。それ以上音質が向上しても人間の聴覚の限界を超えていて、無意味なのはわかってはいるはずなの、皆、異様にワクワクしていた。



物神化が起きていた


古くからの日本企業の商品企画は、この『性能数値』の魔法に長年とらわれ続け、今に至るも、一皮むけば基本的な性向はほとんど変わりないように見える。カタログスペックばかりいくら良くなっても、これ以上お金は払わないという市場のユーザーの声はもうとっくに届いているはずだろう。それなのに、今でもiPodiPhoneなど、音質がひどくて、あれでは音がかわいそうだ』というようなコメントを口にする人が少なくないのを目の当たりにすると、これは一種の『物神化』が起きていたのだなと、あらためて思う。物神化というのは、ある物が倒錯して神になること(そのもの自体が持っている価値を越えて、あるものが崇拝の対象となること)だが、そのように言えば思いあたる人は少なくないはずだ。崇拝/信仰なのだから、如何に合理的に説明しても納得してもらえない。それどころか猛烈な怒りをかったりすることもある。



限定された一部だけが提供されていた


どうして、このような物神化が起きたのか、本当のところよくわからないが、おそらくその当時の制約条件からやむなくそうなったと考えるのが妥当だろう。音楽のケースで言えば、音楽の再生装置も、音楽ソフトも、与える側(製造メーカー、音楽家、レコード会社等)と受け取る側(ユーザー、リスナー)が明確に分かれていて、受け取る側は、CDのような、演奏の記録という、ある局面を分断されて切り取られたものを、全神経を集中して聞き取るしかない。当然、そこでは音の良し悪しは絶対価値であり、演奏で言えば、切り取られた部分(CD)からのみ判断できる音楽(性)の良し悪しが唯一の物差しになるのもやむないところではある。



増える体験/体験価値


だが、今では音楽に関わる要素/選択肢が極端に増えたiPhoneで言えば、届けることができる価値は音質だけではなく、保有する音楽の全てを外に持ち出して聞ける利便性もももちろんそうだし、CDショップに行かなくても、その場で購入することもできる。今その曲を聞いて感動したことをFacebookに投稿すれば、たちまち友人達が反応してきて、感動を分かち合うこともできる。それどころか、Twitterに投稿すれば、見知らぬ他の人の共感を得ることもできるかもしれないし、さらには、その曲の演奏家や作曲家が直接反応してくれる可能性さえある。自分の感じ方を共感してもらうだけではなく、違った観点の良さを教えてくれる人が現れるかもしれない。その曲に感動したのなら、この曲やアーティストも聴いてみるといい、というようなアドバイスももらえるだろう。そのアーティストのライブ演奏情報をもらって、実際に出かけることになるかもしれない。『アップルはユーザーに新しい体験を提供し生活の質を高めてくれる』という類いの抽象的な物言いに戸惑った人も、こうして具体的に起きていることを並べれば一目瞭然で違いがわかるはずだ。


ずいぶん沢山要素をあげた気がするが、音楽に関わる体験や楽しみ方はそれだけではない。


CDを買うと『握手券』がついていて、自分の好きなアイドル/歌手と直接話しをしたり、握手ができる。『選抜総選挙』なる仕組みがあって、そのアイドルの人生に関わることさえできる。コンサートに出かければ、自分が直接知っていて、自分総選挙等を通じて関わったアイドルがお気に入りの楽曲を歌って踊ることになる。しかも、そのアイドルに関わる非常に詳細な情報がインターネットにアーカイブされ、日々更新され、追加されていき、自分もそこに(発信等を通じて)参加できる。(→ AKB48


ある音楽を聴いていて、聴いているだけでは満足できなくなり、それを自分でアレンジしなおしたり、追加したり、着想を得て自分なりの違う曲をつくったり、画像付きの動画にしたりする。そしてそれを公表して視聴してもらう。時には非常に高く評価されたり、その作品に感化されて、さらに別のユーザーが改変したり、洗練したりして、二次・三次の創作が無限に続いて行く。(→ ボーカロイドニコニコ動画、MAD動画等)


インターネットが導入されて以降、ユーザーは、音楽はただCDという限定された狭い中に閉じ込められて、孤独にそれを聴く以外にも、非常に幅広い体験の仕方があることを知ることになった。その体験の幅と種類は今でもどんどん広がり、ソーシャルメディアを通じて拡散し、またあらたな付加価値がついて帰ってくるということが起きている。もちろん、これは音楽分野だけではない。ゲーム、コミック、一般書籍等、あらゆるコンテンツに急速に広がっている。



何かが大きく変わる可能性


その最先端にあるとも言える、AKB48ニコニコ動画ボーカロイド、MAD動画、コミックマーケット・・・。こう並べてみると、残念ながら、普通の大人はあまりの怪しさに目を背けたくなる気持ちもわからないではないし、現実に著作権法等に照らしてみれば、いかがなものかと思えるものも少なくない。AKB48は歌も踊りもへたくそで楽曲にも音楽性がない、というのは耳にタコができるくらい聞いたし、その点だけで言えば私も全く賛同できないわけではない。だが、好き嫌い、芸術性等を度外視していえば、ここで(実験的なものも含めて)生成されつつある体験や体験価値は、予想を大きく越えて膨張しつつあるし、そのエネルギーには、何かが大きく変わる可能性を感じずにはいられない。



世界に広がる『日本発世界初』


しかも、その新しい体験/体験価値をつぶさに見て行くと、『日本発世界初』と言えるものが沢山ある。その点、極めてイノベーティブで斬新だ。あれほど日本の製造業からはイノベーションが起きてこないと言われているのに、そんな話がうそのような活況だ。そのように言うと、再び『ガラパゴス化』の悪夢(如何に独自で斬新でも海外には広がらない)と言われてしまいそうだが、幸いなことに、日本が発見しつつある体験価値は、欧米はともかく、アジアには飛び火し、拡大する可能性が見えて来ている。(ソーシャルゲームAKB48等)そして、アジアの市場は何と言ってもスケールがでかい。



陳腐化するユーザーの把握方法


『性能向上の物神化』にとらわれて身動きできなくなってしまった、日本の古いタイプの製造業も、その信仰から覚めてみると、そこが如何に豊穣な市場で可能性に満ちあふれているかわかるはずだ。そう感じないのであれば、邪宗教にとらわれている間に、企画者/マーケター/経営者としての感性も萎ませてしまったとことになる。確かにオールドタイプの企画者/マーケターと話していると、ユーザーの把握の仕方が陳腐化していて驚いてしまうことがしばしばだ。


何より、もはやさほど意味がないと言われて久しい、性別や年齢といったデモグラフィックな属性がかつて持っていたイメージにいまだにからめとられていて、視野が狭過ぎる。良くて多少の趣味、嗜好等を連ねて、ユーザーの分類をにぎやかにしている程度だ。だが、今の時代のユーザー像を把握するにあたって、そんな程度では足りているはずもない。少なくとも、ユーザーの『発信特性』を分析して、何らかの仮説構築が出来ていることは必須だ。



発信を前提にしたユーザーの把握


どのような発信をいつどの程度する人たちなのか、どのような働きかけでそれは変わるのか、あるいは変わらないのか。広く不特定多数に発信したいのか、狭い範囲だけで語り合いたいのか。発信の目的は明確なのか、発言内容よりおしゃべり自体に価値を感じているのか。もっぱら受信だけしかしないユーザーも、もう発信するのはメーカーやマスコミだけの特定の強者だけではないことを知っている。誰もが発信することを前提として、誰の意見を聞くのがいいのか見定めた上で自分の行動を決めている。もう少し積極的な人は、Q&Aサイト等で聞くという行動をとる人もいる。ユーザーの発信やコミュニケーションに一家言ある企画者/マーケターでなくて、どうやって今拡張しつつあるユーザー行動を捉え、企業が提供する価値と繋げていけるのというのだろうか。



ビジネスの成功の秘訣


ビジネスという点で見ても、ここのところを深く理解しているサービス提供者は巨大な波に乗って驚くような成功をつかもうとしている。今ではそんなサクセスストーリーを見つけることはさほど難しいことではない。『食べログ』は熱心な投稿者への働きかけや評価の仕方を発見することで、類似サービスを大きく引き離すことに成功したし、『LINE』はセミ・クローズドなコミュニケーションの本質を突き詰めることで世界のインフラの地位をうかがうほどの存在になった。このごとく、『発信者』『コミュニケーション』という観点で新しいユーザー像を分析し、理解するサービス提供者には、巨大なご褒美が期待できる。そして、まだ他社のやっていない独自の戦略を構築できる可能性も十分にある。



爆走の前にマインドの切り替えが必須


昨年6月に社長が交代して、『爆速』を掲げて経営刷新をはかるYahoo!に習って、スピード重視の経営をあらためて標榜する会社は増えているし、それ自体は結構なことだと思う。やってみなければわからない、という姿勢も必要条件であることはその通りだと思う。だが、『性能向上の物神化』にとらわれたままであったり、ユーザーの『発信特性』や『コミュニケーション行動』の理解もままならい状態での爆速は、崖に向かって爆走しているような危うさがあるやってみなければわからないことと、少し考えればわかることをごっちゃにしてはいけない。何より先ず、マインドを切り替えること。そうして、やめるべきこととやるべきことの区別がついたら、爆走すればいい。今度は成功の方向へひた走ることができるはずだ。