東日本大震災から2年:この2年をどう総括するのか

総括してみる意味は大きい


戦後最悪の災害となった東日本大震災は、3月11日で発生から2年となる。何より先ず、犠牲者の方々のご冥福を祈りたい。その爪痕は深く、関係者の必死な活動活動にもかかわらず、復興はまだ道半ばといわざるをえない。特に原発事故のあった福島など、住民の帰還は進まず、まだ『渦中』にあることを痛感する。


とはいえ、日本全体で言えば、発生直後の興奮気味のマインドも多少なりとも落ち着いて来て、客観的に振り返る余裕もできてきたことも確かだ。被災地のみならず、日本全体にとっても激震となったこの震災の後の2年間は、一体どういう期間だったのか。日本は変わったのか、変わらなかったのか。今、この2年間を総括してみる意味は誰にとっても限りなく大きいように私には思える。


私自身にとっても、瞬く間に過ぎたこの2年は、何年間かの体験をギュッと凝縮したような中味の濃い日々となった。東京にいてさえ、帰宅難民になって会社に泊まったり、計画停電が相次いだり、ガソリン、食料品、水等の物資が不足するという災害体験も実に鮮烈だったが、それ以上に、それまで見えなかった日本の真の姿が驚くほどはっきりと眼前に示されたことは非常に重要な意味があった。それまでの日常が突然中断され、非日常が現出し、今この国がどういう状況にあるのか、これからどうなっていくのか、自分たちは各々の立場でどう対処していけばいいのか等、かつてないほど真剣に考えさせられた2年でもあった。



もう安定した日常は終わったと思ったが・・


災害時に一時的に訪れる高揚感だったとしても、日本人の間でもそうだし、援助の手を差し伸べてくれた海外の人たちとの絆も確かに感じることができた。のみならず、災害のインパクトは心の奥底にまで揺さぶりをかけ、『それまで』と『それ以後』を強烈に意識させる体験であったことは間違いない。津波の傷跡もすさまじかったが、それに加えて原発事故という、対処に何十年もかかる『傷』をおうことになり、如何に目を背けたくとも背けることの出来ない現実を目の前に据え置かれた。安定的な日常は終わりをつげ、復興という目標に向かって、日本が一丸となって進むことになるかもしれないと思えた。



混迷の極み


だが、本当のところはどうだったのだろう。結論を言えば、残念なことに、これを機会に日本が決定的に変わる、というような事は起きなかったと言わざるをえない。それどころか、それまで積もりに積もった問題が、どうにも対処しようがない状態になっていることが誰の目にもはっきりとわかってしまった。繰り返し語って来たように、原発事故への対処の問題も、外交問題でも、企業の競争力という点でも、混迷は深まるばかりだ。混迷、という意味では、今は世界中が同様で、一人日本だけの問題とはいえないかもしれないが、日本の場合何より問題なのは、政治家、官僚、マスコミ関係者、企業経営者等のいわゆる『エリート層』が驚くほどの混迷の極みにあるということだ。考えることはエリートに任せて、庶民は目の前の仕事に邁進する、というような昭和的で牧歌的な構図がもうまったく機能していないことが明らかになったのがこの2年間なのではないか。少なくとも私はそのように総括したい気持ちになっている。



日本は変わらなかった


問題が目の前にあるのに、問題に真摯に向かい合い、懸命に解決方法をさぐるのではなく、思考停止し、結論を先送りし、ひたすら現状維持を保つことばかりに腐心する。問題があること自体よりも、そういう態度が蔓延してしまっていることのほうが本当の『問題』だ。やむなく決定を迫られた場合でも、『空気』に従い、自らの責任をとろうとはしない。私の父祖の世代は、負けるとわかっていた戦争を始め、補給もなく作戦を開始して大量の餓死者を出すような前近代的な呪術と言ってもおかしくないような精神主義から、戦後は抜け出ることができたので、太平洋戦争の敗北という屈辱的な体験も大量の戦死者もせめて無駄ではなかったと思う事ができると、私に語ったものだが、残念ながらそうではなかった。そして、東日本大震災という改心の機会をえても、やはり変わらなかった。


つらいことだが、その事実から目を背けることは、さらに混迷に混迷を重ね、日本の国力を損ね、日本全体が萎んで行くことを甘受することに繋がる。だが、確かに、今の日本は国も企業も、手のつけようがないほど混迷し、萎縮している。正直、この混迷を一気に解決する策など、とてもではないが思いつかない。



日本の本質的な良さは変わらない


だが、誤解のないように言っておくが、私は日本の持つ本質的な良さ、美点まで死に絶えたとか、払拭してしまったということを言いたいわけではない。日本が酷くて、他国の方が優れているなどと言うつもりなど毛頭ない。ここの所は説明がとても難しいが、大事なところだ。


世界を席巻した西洋近代が限界に突き当たっているという問題意識は、私が多少なりとも、ものを考えるようになった時の原体験ともいえ、その延長上にある、いわゆる『グローバリズム』は、遠からず破綻すると今でも考えている。ちょうど、手元に内田樹氏と中沢新一氏の共著である、『日本の文脈』*1があるが、冒頭にある次の一文の趣意に私も賛成する一人だ。

『内向きである』とか『非効率である』とか『国際的でない』とか『ガラパゴス的である』とか、さかんにネガティブなことを言われて批判されているいわゆる『日本的なもの』を、広く深い人類的な視点から見直してみると、むしろこっちのほうが人類的には普遍性を持っていて、その反対の価値観、つまり『効率性第一』とか『利己的個人主義』とか『障壁なき国際性』とか『今日のアングロサクソングローバル資本主義』とかを支えている考え方のほうが、ずっとローカルで特殊的にひねこびていて、人類的な普遍性を持たない考え方なのだということで、二人の考えは全く一致していた。
同掲書 P6


私自身、西洋近代=モダン止揚するためには、という設定で、『自分なりのポストモダン』を学生時代のころから探求してきた。そして、どうやら、『日本的なもの』には、21世紀の世界をより良い場所にすることに貢献できる要素があることを確信し、『日本の良さ』を探求することをもう一つのライフワークにして来たところがある。(今この瞬間も、それは停滞しきった日本を活性化する鍵になると信じているし、そう語っても来た。)



不毛な2極


ただ、いつのころからだろうか、日本の経済競争力が強くなると共に、この『日本の良さ』の断片を拾って、多分に勘違いを混ぜて俗説をでっち上げる人たちが大量に現れた。そして、その俗説が過剰に礼賛され、経営についても『日本的経営礼賛』が横行しだした。その後、日本経済が低迷をはじめ、さすがに昨今では、あのころ言われた『日本的経営』を型通り信じる人は少なくなったが、それでも、団塊世代等、かつて成功に酔った世代に話を聞いてみるといまだに、『モノづくり神話』に代表されるような、ある種の俗説信仰が生き残っている。(昨今大量発生している、自称右翼などもこの類いと言える。)一方、そんな日本礼賛は結局まやかしだったことを冷静に反省するならいいが、今度は過剰なまでに日本を腐す人たちが大量発生する。大変残念なことだが、日本は混迷が始まると、いつも、この2極の不毛な対立構図になりがちだ。原発推進v.s. 原発反対の対立など、この典型例だ。日本は全くダメというのも極論なら、日本の良さを中途半端な俗説でかついで騒ぐことも、『贔屓の引き倒し』になってしまう。



人類的な普遍性の追求


今、私たちが真面目に取り組むべきことがあるとすると、『日本的なもの』を徹底的にふるいをかけて、『人類的な普遍性』を見つけ、これをきちんと語り、その普遍性を価値の中核としてビジネスを構築して、日本だけではなく、世界に訴求する、ということになろうか。そんな壮大なことができるのかと問われれば、やるしかないと答えるしかない。その可能性はあるのだから諦めるわけにはいかない。



6年目に突入する私のブログ


私がブログを本格的に書き始めたのが、2008年の4月だから、次の4月からとうとう6年目に突入する。丸5年間、紆余曲折はあったが、何とか書き続けて来た。特にこの2年間、すなわち、震災後の2年間は、自分が苦手と自覚している政治向きの話もずいぶんと書いて来た。多くのお叱りもいただく事にはなったが、それでも自分にとっては、得るところが沢山あった。私の冗長なブログを根気よく読んで下さる方も多少なりとも増えて来た。


2008年当時、このブログのプロフィール欄に次のように書いた。

私が何者なのか自分にもよくわからない。きっとブログの成長と共に明らかになって行くだろう。


5年間書いて来て、自分が何者かわかったのかと聞かれても、残念ながら、まだよくわからない。だが、自分がわからないことがまだ多過ぎるくらい多い事、まさに自分がまだまだ『無知』であることだけは痛感した。ソクラテスを気取るつもりはないが、中途半端にわかったふりをするより、わからないからこそ、真摯に人に問い、懸命に考え、自分をリニューアルすることをいとわないでいこうと思う。何がどこまでできるかわからないが、6年目もこの姿勢で頑張ってみたい。まだ3月が終わるまでにもう少し間があるが、この機会にブログの方も総括しておこうと思った。


6年目の『風観羽』もよろしくお願い申し上げます。

*1:

日本の文脈

日本の文脈