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AKB48峯岸みなみ謝罪問題の深層を探求してみた


大きな騒ぎになることは予想できた


AKB48峯岸みなみ嬢の丸坊主での謝罪ビデオの一件は、Youtubeの動画を見た瞬間から、これはただではすまないと直感したが、予想通り非常に大きな騒ぎになっている。日本だけではなく、海外の報道機関も取り上げているようだ。事の真相、すなわち、峯岸みなみ本人の独断だったのか、実は誰かに強要されたのか、具体的な強要でなくても、『空気』の圧力がそうさせたのか等、現段階でははっきりしないことも多く、そういう意味では論評が難しいところだが、この結果を導く全体像がAKB48現象であることは確かで、しかも、AKB48はすでに秋葉原の劇場でしか見れないマイナーなルグープではなく、是非や好き嫌いは別として、日本全体を覆い尽くし、アジアの他国にまでそのビジネスモデルが輸出されるほどの巨大な存在なのだから、大々的に語られて当然だ。本件に対してどのような意見が出てくるのか、今の日本を知る分析装置としても興味深い。



恋愛禁止というルール


いくつか論点はあるが、何より先ず語るべきは、恋愛禁止というルールの是非だろう。『アイドルという商売をやるなら当然』というべきなのか、『時代錯誤/アナクロニズム』なのか。いずれにしても、このルールを巡って、AKB48の周辺では、昨今、左遷されたり、グループ脱退をしいられたり、というような『事件』が続出してきている。



AKB48ファンを自認する、漫画家の小林よりのり氏は、一早く峯岸みなみ擁護の論陣をはり、この恋愛禁止のルールについても言及している。

今どきこれだけ厳しいルールを守る集団は、
他には宝塚くらいしかない。
恋愛禁止ルールがなければ、中学生からでも入ってくる
子たちの親が心配する。
冒してはならない禁忌があるからこそ、ファンを惹きつける聖性が生まれるのだ。

【AKB48】熱愛発覚で坊主にした峯岸みなみに、小林よしのり「素晴らしい!感動した。セカンドバージンを信じよう」

アトムの命題』の後継としてのAKB48


この『聖性』の意味については、解釈も意見も分かれるところだが、AKB48キリスト教を凌駕しているかどうかは別としても、評論家の宇野常寛氏が言うように、サリンをまかないオーム』くらいのレベルでは、一種の宗教性をおびて、社会で一定の役割を果たし始めているのではないかと私も感じていた。ただそれ以上に、AKB48に『恋愛禁止というルールがある』と初めて聞いた時、私自身は、何より先ず、まんが原作者で批評家の大塚英志氏の言説をいくつか思い出していた。もしかすると、AKB48は、大塚氏の言うアトムの命題』の正当で有力な後継者の一つになるのかもしれないと思った*1


手塚治虫の代表作、『鉄腕アトム』はロボットなので、成長しない。ところが、死んだ一人息子に似せてアトムを作った天満博士は、アトムが人間のように成長しないと怒り狂い、アトムを憎み、捨ててしまう。

これはロボットの身体であるが故に、人間の心をもっていても大人になれないアトムも同じです。この大人になりたいのにそれを禁じられた、あるいはその矛盾を背負わされたというところに、手塚キャラクターの本質があります。それが手塚の中で、あるいはこの国も近代まんが史の中でいかに形成されたかを検証していくのはぼくが自分に課した主題の一つですが、一方でこのアトムの命題』と僕が呼ぶ成熟の困難さを抱えたキャラクターは、『近代』という時代にあっては一つの必然として求められます。  
『キャラクターメーカー』*2 P129


AKB48の重要な役割


『大人になりたい=恋愛したい』が、『大人になれない=恋愛を禁じられている』AKB48に惹きつけられるファンのほうも、戦後社会的なロールモデルが崩壊し、正社員にもなれず、自らを社会にどう位置づけ、大人として社会の責任を引き受ければいいのかわからない、『アトムの矛盾』を生きている。そして、アイドルとファンの距離がネットや握手会等を通じて非常に近い『AKB48という場』の中で共感しあい、ネガティブな形で暴発するのを抑えている。それどころか、漫画やアニメ等の二次元ではなく、現実の身体、三次元のコミュニケーションへの接続、メンバーの成長を見守るという意味での一体感、という一種の『成長』モデルを内在させている点では、AKB48は一定の評価を受ける価値があると私も思う。



『移行対象』であるべきだが・・


ただ、本来このような『アイドル/アイドルグループ』のような存在は、発達心理学で言う、『移行対象』(精神的な意味で『大人になりきれない』人たちに必要とされ、彼らが現実に移行するためのアイテム。心理的な成長を助け、個人の成長過程に傍らにいてくれる存在。やや拡大解釈気味だが・・)であることが、社会の持続可能性という観点でいえば好ましい。一定期間の没頭を経た後、大人に成長した個人は、この『移行対象』を手放していくことが望まれる。


しかしながら、今の日本では、大人になることの困難さは、究極まで来ているといっても過言ではない。かつては、それは戦争で負けて、米国に抑圧されて大人になれない日本人というモデルで主として語られたわけだが、昨今ではそれ以上のものがある。そもそもこれは日本人だけの問題ではなく、『近代』全体の問題だし、特に昨今の日本では、立派な大人像を体現する人物も極端に少なくなり、『政治も経済もボロボロにして、自分の利害しか考えない大人』など、なりたくもないという子供側の心理も、さもありなんと思える。

近代というのはもはや『社会』も『大人』も多様化して流動的で、『大人』という枠組みを壊すことができず、しかし、にも関わらず、人の心も身体も成長し、それぞれのやり方でどこかの場所で生きていかなくてはならない時代としてあります。その近代以前より遥かに厄介な問題を近代は抱えています。(中略)『大人になることの厄介さ』は近代の方がずっと過酷だからこそ、むしろ『大人になること』の困難さを主題とする物語が求められ、手塚はその主題をアトムやピノコの如きキャラクターとして形づくった、といえると思います。 同掲書 P133

維持困難なルールと危うさ


ほぼ同じ文脈をAKB48に読み込めるのではないかと、かなり早い段階から私は感じていた。だから、確かにアナクロニズムとの批判はもっともではあるのだが、恋愛禁止を緩めたAKB48は、少なくとも今のエネルギーを維持できなくなるだろうから、仕掛人であるプロデューサーの秋元氏はこの禁止の看板を簡単にはおろさないに違いないと予測していた。


ただ、現実問題として、活動開始から7年以上が過ぎたAKB48のトップメンバーは、20才台の身体的には成熟した女性が多くなってきているわけで、定年制でもないかぎり、今後一層『恋愛禁止』の遵守が困難になることは確実だ。それに、恋愛禁止といっても、厳格な罰則規定があるわけでもないから、毎回ケースバイケースの裁量と空気で違反者の処置が決まっている。これでは、何が飛び出してくるのかファンならずとも冷や冷やだろう。



AKB48というシステムの光と影


AKB48のシステムの従来のアイドルグループにはない拡大のエネルギーは、メンバーもファンも、握手会のようなイベントで直接コンタクトするだけではなく、ソーシャルメディアを通じて大量の『思い』を相互に発信し合い、その過程からまたあらたな物語が紡がれていくような、いわばファンの集合知や無意識の生成力を最大限に取込んでいるところにこそある。ところが、巨大な無意識の中は、まさに玉石混淆で、ネガティブなものも沢山あって、実際に、日常のメンバーとファンのやりとりも、大量の『ネガ』に溢れている。だが、それがシステム全体の中で、メンバーを成長させる『砥石』ともなり、その成長過程をともに生きることでファンも成長するきっかけを得るというのが、AKB48の良さといえた。


ところが、このシステムで、厳格な罰則規定がないとなると、『禁をやぶった時に、ファンの赦免の感情を引き出す象徴行動』をファンの無意識に探る、というようなことが起こるのは当然予想されたことだ。現実に今回も、おそらくはプロデューサーの秋元氏の年代には、かつて実際に生きて機能していたと考えられる『贖罪の様式』を引き出してきてしまったといえる。今のままでは今後もっとエスカレートしていく可能性は否定できない。そしてそれは可及的速やかに可視化されていく。小さな無名グループなら、自然に浄化されるがままに任せていられたのだろうが、今では日本はおろか、世界中から即時に注目されてしまう。実に悩ましいところだが、AKB48というシステムの存亡が問われる岐路にいることは間違いない。だが、それはまた、AKB48をこれほどまでに巨大に押し上げた日本人の、心の奥底に潜む『影』の存在自体の問題でもあり、AKB48を潰せばすむような問題ではない、という自覚は重要だと思う。