シェアサービスの実際に見る現実と展望

2012年 FTM 第2回グリーンテーブル


国際大学GLOCOM主催の、未来の技術と社会のための研究と実践を行う産学共同プログラム、「フューチャー・テクノロジーマネジメント(FTM)フォーラム(村上憲郎議長)」のラウンドテーブル(Green-Table)の第2回目に参加してきた。
FTMフォーラム : 国際大学GLOCOM


今回は、川崎裕一氏(株式会社kamado代表取締役社長)と庄司昌彦氏(国際大学GLOCOM講師/主任研究員)が、「シェア経済を合理的に説明するために」と題した対談が行われ、ディスカッションメンバーの議論、質疑と続いた。
第2回ラウンドテーブル(Green-Table)「シェア経済を合理的に説明するために」 | 国際大学グローバル・コミュニケーション・センター


開催概要は以下の通り。


日時: 2012年10月18日(木)18時〜20時30分
会場: 国際大学グローバル・ コミュニケーション ・センター
    (東京都港区六本木6-15-21ハークス六本木ビル2F)

プログラム
18:00 〜 「前回までの議論の整理と今回の議論の位置づけ」
       庄司昌彦氏(国際大学GLOCOM講師/主任研究員)

18:20 〜 対談:「シェア経済を合理的に説明するために」
       川崎裕一氏(株式会社kamado代表取締役社長) × 庄司昌彦

19:00 〜 ディスカッション
       川崎裕一氏(株式会社kamado 代表取締役社長)
       西田亮介氏(立命館大学大学院 特別招聘准教授)
       藤代裕之氏(NTTレゾナント株式会社 新規ビジネス開発担当)
       森永真弓氏(株式会社博報堂DYメディアパートナーズ
              i-メディア局 i-メディア戦略部 メディアプロデューサー
                (兼) メディア環境研究所 上席研究員)
       庄司昌彦氏(国際大学GLOCOM講師/主任研究員)



シェアサービス:Livlisの現状


川崎氏の運営するシェアサービス(Livlis)の現状説明と質疑は、非常に面白かった。
( http://www.livlis.com/  Twitterと連携してTwitterユーザー同士が商品をあげたり、もらったり出来る物々交換サービス)


『シェア』関連サービスにビジネスとしての可能性があることは私達の頭でも理解できる。だが、川崎氏が相対しているのは、非常にシビアーな市場の現実だ。時間と資金の制約の中、ビジネスモデルが機能しなければ退場するしかない厳しい世界だ。だから、お話を聞いていると、過剰な期待や甘い幻想の部分が削げ落ちた後の、現時点での日本のシェアサービスを囲む環境と問題点がクリアーに見えてくる気がした。私が聞き漏らしたり、聞き間違えたりした部分もあるような気がするのだが、以下、私が聞けた範囲で、川崎氏のお話をピックアップしてみる。


コンセプト:
家の中にあるもので使っていないもの、稼働率が低いもの、稼働率を上げようと思っても上げられないものの稼働率を上げることをサポートする。


市場/ニーズ
過去の日本は、地域共同体等の相互扶助コミュニティがあって、そこでシェアが行われていたが(『お下がり』等)、東京ではもはや人間関係は壊れている。お下がりができる人間関係は限られていて(はっきりしていて)、ママ友どうしでは『お下がり』をあげることは難しい。あげるものがあっても、もらってくれる人を見つけることは容易でない(関係は可視化されていない)。現代では、SNS(Twitter等)がこの人間関係が希薄な状態を肩代わりしている。潜在的にはシェアサービスのニーズはある。


会員数
約4万5千人


ユーザー像
東京圏在住、先進的な人。『ネットサービス』であり、かつ『Twitter』利用が前提のため、万人向きのツールではない。忙しく、時間にセンシティブな人。梱包等に時間をかけたくない人。


取り扱いの多いアイテム
本、DVD、デジカメ等、軽くて金銭的価値の高いもの。


ニーズ
特定の人たち(グループ)の内側だけで回って行くニーズが高い。Twitterではなく、Facebook利用を希望する人が多くなってきた。シェアし合う人を広げたい人はTwitterを使う。

また、1年前は単純にシェアしたい人が使っていたが、今はセルフプロモーション的に使いたい人も増えてきた(「ものを上げるからTwitterでつぶやいて』という具合)。


気づいたこと
ガバナンスは必要。Yahoo!オークションの評価方法等、参考になる。

ポテンシャルはあるがまだ花開かず?


全般に、川崎氏は、シェアビジネスのポテンシャルに手応えを十分感じながらも、もう一つ思ったほど花開かない現状にいらだっているように見えた。だが、川崎氏がいう通り、私もビジネスとしてのポテンシャルは十分にあると思う。カーシェアリングで成功している米国の『ジップカー』など、米国での会員数は67万3000人、全米16都市に合計8900台のジップカーが配置されているという(正確な時点は不明。本年3月頃の数値か?)本当に面白くなるのはこれからだろう。
クルマ社会アメリカで自家用車信仰が崩壊!?カーシェアリング企業「ジップカー」急成長の理由|ビジネスモデルの破壊者たち|ダイヤモンド・オンライン


今回のFTMのグリーンテーブルで出たお話から多少外れるかもしれないが、川崎氏と庄司氏の対談から私自身が得た気づきについても簡単にふれておく。



シェアサービスの問題点


シェアサービスと聞いて、誰もが問題点として異口同音に口にするのは、『面倒臭さ』と『抵抗感』だ。これは、川崎氏やディスカッションメンバーのお話しの中にも繰り返し出てきていた。


先ず、『面倒臭さ』だが、例えば、子供が大きくなったために、『お下がり』を誰かにあげようと思っても、使わなくなった机や椅子を誰かに安価で譲ってあげようと思っても、候補を探すのは大変だ。その結果、探す労力をかけるなら捨てた方がいいということになりがちだ。


この部分をSNS、すなわちTwitterFacebook等が補うことができるかもしれない、というのがポイントの一つだろう。日本の場合、旧来のコミュニティ復活は現状では期待薄だが、SNSの手助けがあれば、シェアすることができる関係を構築したり、それを可視化できる可能性がある。そうすれば、SNSがなければ捨ててしまうようなものも、有効活用できる可能性が広がる。そして、そこにはビジネスチャンスがあるということになる。


『面倒臭さ』という点でもう一つの大きなハードルは『物流』の部分だろう。欲しいという人が見つかっても、梱包して送るのはとても面倒だ。Livlisでは、小さくて単価の高いものが中心に流通しているというのも、物流がネックになっていることも一因だろう。ディスカッションメンバーの一人、博報堂DYメディアパートナーズの森永氏から、梱包や引き取りの面倒臭さを解消するために、専用ロッカーのようなものを準備してはどうか、というようなアイデアも出ていたが、確かにビジネスの規模が大きくなり、流通が増えれば、採算を勘案しても成立する可能性は十分ありそうだ。


また、イムリーに相手を見つけるためには、提供されるアイテムの数が一定のクリティカルマスを超えている必要もある。米国で成功しているカーシェアリングのジップカーは全米16都市に合計8900台のジップカーが配置されていて、使いたい時に歩いて行ける距離にたいてい空きのジップカーがあるはずというのだから、ここまでくれば急激に会員が増加することが期待できよう。(一方、日本のカレコは246台(川崎氏談)というのだから、これが本当なら、まだカレコはクリティカルマスに到達しているとはいい難い。)しかし、その米国でも自動車や住宅は提供される数は確保しやすいが、それ以外のアイテムはシェアビジネスに馴染まないものも多いという。例えば、草刈り機のようなものを使いたい時にタイミングよく見つけることはかなり難しそうだ。それでも、Facebookの会員が全土を覆う米国なら何とかなる可能性はあるのかもしれない。



面倒臭さはビジネスの工夫で対処可能


このように、『面倒臭さ』のほうは、ビジネスとしての工夫のしようや対処方法はありそうに見える。地域コミュニティが崩壊して、失われてしまった『シェア』が、インターネット/SNSの登場によって、蘇っているという意味では、『オークション』や『集団購入』のようなサービスと同列と見ることが出来ると思う。『シェア』も『オークション』も『集団購入』もかつては盛んだったが、より効率のよい資本主義における市場の仕組みが肩代わりすることで、すっかり下火になってしまったのが、インターネットインフラの力を借りることによって、効率的なビジネスとして洗練されて復活しているということだ。だから、ノスタルジックに見えても、昔に戻っているのではない。新しいビジネスモデルが構築されていると見るべきだ川崎氏が目指す、『稼働率の向上』は、その点だけでいえば、純粋に資本主義市場でのより効率的なビジネスの実現に聞こえる



抵抗感は払拭されるのか


だが、もう少し話しが複雑なのは、『抵抗感』のほうだ。上記のサービスの中には、純粋な『シェア』だけではなく、中古販売、レンタル、贈与等の概念が混在しているようだが、貸し借りという意味でのシェアの場合、他人に物を貸して使われることの抵抗感というのは、意外に払拭が難しそうだ。逆に、他人の物を使ってしかも返さないといけないというのも、違った意味でかなり抵抗感があるのではないか。シェアの相手が全くの他人ということになると、大事に使われずに劣化したり壊されたりすることも心配だろう。近しい関係であっても、タバコの匂いが染み付いているから、不潔だから、というような抵抗感は意外と出てくるのではないだろうか。また、借りるのは格好が悪くて、自分で物を持つことが格好がいいというかつての価値観は変化しているだろうか。



究極の消費主義のシステム


この点、米国のほうが日本に比べて地域コミュニティ、宗教コミュニティ、家族等の核がしっかりと残っていて、大量生産/大量消費からのパラダイムシフトが起きている可能性もありそうに見える。日本でも、『シェア』を研究する人のバイブルになった感のある著書『SHARE』*1をあらためて読むとそれを実感する。

アダム・スミス、そしてのちにミルトン・フリードマンの二人は、自己利益の追求が社会全体の利益につながると信じた。第二章では、この信念がわずか数世代の間に、技術的な創意工夫というどちらかといえば健全な話から、ブランドや製品やサービスをとおした自己のアイデンティティのあくなき追求へと形を変え、ついにはとどまるところを知らない究極の消費主義のシステムになっていく過程を振り返った。1950年代、つまりハイパー消費主義の幕が上がる頃には、人々はまず何より第一に、消費者として自分を意識し、市民としての意識は二の次になっていた。お互いに助け合うより企業に頼る方が身のためだと思うようになったのだ。集団やコミュニティの価値観よりも、消費者としての自立や「何をおいてもまず私」という心理が先だった。「自分のものは自分のもの」として、完全に自己完結していることが究極のゴールだという誤ったコンセプトが、あたかも個性と自立の尊重のように唱えられた。ダクラス・ラシュコフは、著書『ライフ・インク』に、こう書いている。『家はその持ち主の王国だとみなされた。自分で成功を勝ち取り家を立てることが自立した人間の証明だとされ、地域の共有資源や共同駐車場、それになんであれ、人と共有することは郊外の暮らしではよしとされず、忌み嫌われた』 同掲書 P68


日本もバブル期くらいまではまさにここに書かれた通りのマインドの持ち主で溢れていた。その結果、高額の自動車や住宅のような消費財が飛ぶように売れた。自動車など、2年で買い替えるのが普通だった。かつて自動車会社に勤務していた私は、破竹の勢いで伸びていく自動車の売り上げと会社の業績を横目に、こんなことでは、この消費マインドとともに中国やインドにモータリゼーションが広がったら世界は確実に破滅するだろうし、そうならないとすれば、大転換に会社が耐えられないに違いないと、暗い思いに浸っていた。



トランス状態から覚める米国


だが、紆余曲折はあったが、米国でも日本でもさすがにこのトレンドは腰折れした。

私たちはこの50年ほど続いた消費の「トランス」状態から今ようやく目覚めつつある。この変化の根底にあるのは、相互に結びついた二つの現象だ。ひとつは価値観の転換。経済成長は頭打ちなのに、リソースは無限であるかのように消費しつづけていてはうまくいくはずがないという消費者意識の広がりだ。だからこそ、人々は「買ったもの」をより有効に活用し、さらに重要なことに、「買わないもの」からも何かを得ようとしている。また同時に、ものを追い求めつづけることで、友人や家族、隣人、さらに地球との関係を犠牲にしていることに人々は気づきはじめている。それが、コミュニティを再生させたいという強い思いにつながっている。 同掲書 P69


米国ではまさにこういうトレンドを上書きするような様々な現象が続くようになった。だから、シェアはビジネスとしても成立しつつあるように見えるし、同時に、ノスタルジーや地域コミュニティの活性化への意欲、地球環境への貢献意識等と比較的スムーズにつながり、それがまたシェアビジネスの拡大を後押ししている。



日本は米国と違う?


だが、日本ではどうだろう。残念なことに、回帰すべき地域コミュニティや家族が崩壊していて、シェアサービス(ビジネス)と繋がるような基盤がなくなっているのではないか。だから、米国では、『シェア』の概念が社会貢献とビジネスをつなぐ結節点として機能して見えるのに比べて、日本ではビジネスの側面しか見えてこない。しかも、ビジネス自体を押し上げる勢いを欠く。今回の川崎氏の発表、それに基づくディスカッションメンバーの議論、および会場の質疑を聞いていると、かなりはっきりと米国との違い、日本での課題が見えてきたように思う。この状態をどう見るか。日本では無理と見るのか、日本でも、何らかの要因に対処することが成功すれば米国のようになると見るのか。GLOCOMの活動の中で一番意識して取り上げて欲しいところというべきかもしれない。


自動車離れ、ブランド離れ、海外旅行離れ・・

日本の若年層に広がるこのような傾向は、消費全般に対する嫌悪ではなく、消費のトランスから覚めて、あらためて、消費と自分の関係を構築しなおそうとする潜在意識の現れのように私には見える。一方で、かつては非常に分厚かった中間所得層/中流階級の窮乏化は足早に進んでいる。シェアが『面倒』とか『抵抗がある』とかいっていられなくなる人も実は増えているのではないか。この機会に、もう一度日本のシェアについて、じっくりと考えてみたい。

*1:

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