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ネット時代の社会関係の大変化/現代の恋愛風景

今回は『関係』について


前回は、ソーシャルメディアが媒介する二つの機能、すなわち『情報取得』と『関係の構築』のうち、『情報取得』の方を語ったが、ソーシャルメディアによるコミュニケーションが普及すれば、『関係』の方にも非常に大きな影響が及ぶことは言うまでもない。それどころか、それまでに構築された社会関係の全域(国家、企業、家族、恋愛、友情、全て)を変えてしまいかねない。(30歳代以下の過半数が何らかのソーシャル系サービスを利用している現状では、すでに社会全体に多大な影響が及び始めている。)さすがに、昨今では、サービス提供者、広告等でこれを利用する企業等を中心に、様々な分析が行われるようになり、公開されるデータも増えてきてはいる。



誰もわかっていない?


だが、残念ながら、その大半は表層的で的外れなものが多いと言わざるをえない。社会の根幹の部分に変化が起きていることにあまりに理解が及んでいない。断片的なデータをいくら積み上げても、そこから法則性を読み取る洞察力が決定的に不足しているのでは宝の持ち腐れだ。しかも、40歳以上では、まだ過半数がソーシャル系サービスを利用したことがない、という現実もあり、優れた経験や教養、判断力を持った大人にとっても、さすがに史上類例のない変化が、あまりに短期間に起きている現状では、その知恵を有効に使うことは難しく、まれに本質を衝く着想があっても、それを若年層にも理解できる言葉にできる人はほんの一握りだろう。

http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h23/pdf/n3020000.pdf


これは実に由々しいことだ。大変動する社会の中で、どう身を処していけばいいのかわからない。誰に聞けばいいのかもわからない。データ分析も経験知もあまり役に立たない。旧来の権威(国家、大企業、大学等)も大方役に立たないどころか、あまりに遅れたステレオタイプな見解ばかりで『百害あって一理なし』であることが多い。それが『リアルな今、ここ』である。



三つの提案


では、どうすればいいのか。これこそ、私が何度も語ってきたことではあるのだが、次の三つをここでは提案しておく。

1.あらゆる前提や先入観を取り払って自分自身で考えること

2.諦めずに問い続けること

3.直感力(直観力)を大事にすること


これが難しいからと投げ出してしまう人の元に集まるのは、ミスリーディングで表層的で、混乱に混乱を重ねる『デマ』ばかりになるだろう。逆に、これに真摯に取り組む人は、それこそソーシャルのレバレッジが効いて、聞くに足る見識を持つ人に囲まれるようになる。何より、誰が聞くに足る智慧を持っているのか、誰がただのゴミのような知識でごまかしているのか、だんだんわかるようになるはずだ羅針盤は正しく求める人の元にもたらされる。



一例としての『恋愛』


少々脇道にそれた。今回は、如何に旧来の『ステレオタイプな意見』も『単なるデータの積み上げ』も決して理解の及ばない事態が起きていて、それがさらにインターネット・ソーシャルで加速されていく可能性が高いということがわかりやすい一例を取り上げて見たい。その例/テーマは、『恋愛』である。



ロマンチック・ラブ


『ロマンチック・ラブ』という社会学用語があるのはご存知だろうか。とりあえず、Wikipediaからそのまま引用してみる。


ロマンチック・ラブ(英: romantic love)とは一対一の男女の間で結ばれる純愛を指す社会学上の概念である。近代における恋愛の一種の理想としてしばしば扱われ、以下のような特徴を持つ。
1. 一時の衝動による相手への執着ではなく、人格的な結びつきによる愛情であるが、プラトニック・ラブとは異なり性行為により相手と一体になることを求める。
2. 経済的、政治的な打算などではなく、純粋に二者間の間にある愛着だけで結びついた関係である。
3. 常に男と女の一対一ではぐくまれる愛情であり、相手以外の者に恋愛感情を向けることなく、二者間の他に性的接触をもたない(モノガミー(一夫一婦制)の精神と通底する)。
4. 恋愛対象を「運命の相手」とし、一生の恋愛関係にあることが理想とされる。そのため結婚は恋愛感情と結びついたものとして一生維持される。
家族社会学女性学においては、近代以降、結婚はロマンチック・ラブをへた結びつきであるべきだという感覚が普及し、恋愛結婚や近代家族のあり方を規定していると指摘される(ロマンチック・ラブ・イデオロギー)。その結果、日本ではお見合い婚が減り、恋愛結婚が増加したといわれている。


ロマンチック・ラブ - Wikipedia

濱野氏の説明


ある程度社会学をかじった人には、日本に明治期以降流布したこの恋愛観というのは、一神教的な思想に起源を持ち、西欧でつくられ、日本に輸入されたイデオロギーである、ということは常識だろう。これをもう少しわかりやすく理解してもらうために、社会学者の濱野智史氏の説明を(少々長くなるが)引用させていただく。

人は誰かに恋をし、性的欲求を抱く。それは動物的な本能としてそうである。しかし本能のままに任せていては、家族関係は不安定になり、次世代の育成はうまくいかない。だから、『恋愛』という形で誰かに恋をしたら、別の相手と浮気をすることなく、その相手と『愛』を貫き、一生を添い遂げるという『ルール』をもうけたほうが都合がいい(こうした恋愛観のことを社会学女性学ではロマンチック・ラブ・イデオロギーなどと呼ぶ)。こうしたロマンチック・ラブ・イデオロギーが信じられているかぎり、人は性欲のままに自由奔放にセックスをすることなく、家族をきちんとつくって、子供を生み育てていく「確率(歩留まり)』が格段に高まる。(中略)


恋愛とは「生殖」と「教育」の間をつなぐ、いわば、<接着剤>のような役割を果たすシステムだ、と。繰り返し確認すれば、前者の「生殖」は性欲という動物的な「本能」に従ってなされる。それは時間的に見れば、極めて『瞬間的』で『短期的』なものだ。これに対して後者の『教育』は(中略)より人間社会の制度の助けを借りなければ実現できない。それは時間的に見れば『長期的』なもので、『浮気はいけない』『愛は一人の相手と永遠に結ぶものだ』といった崇高な理念、イデオロギーの助けを借りることで、ようやく持続させることができる。

『恋愛のアーキテクチャー』*1 P170〜171

歴史の波間に葬られた『夜這』


まったく身も蓋もないとはこのことだろう。だが、現実問題として、このイデオロギーが普及しているほうが社会秩序は安定的に保たれる。日本でも明治期以降、国力の充実/国の産業化を促進する側は、意図的にこれを醸成し、強化してきた。その証左の一端は意外なところにも垣間見える。


明治以前の日本では、どのムラでも『夜這』が常識で、お見合い結婚でさえ、「封建的」なものであるどころか、おおかたの日本人にとっては、たいへん「近代的」な結婚の仕方であったと考えられる。一節によれば戦後でさえ残存していたというこの風習だが、見事なまでにその存在は歴史の波間に葬り去られ、現代人の意識にのぼることはほとんどないと言っていい。そう考えれば、歴史学者や民俗学者は何をやっているのかとの疑問も湧いてこよう。だが、どうやらそれなりの理由はちゃんとあったようだ。

日本民俗学の泰斗といわれ、「郷土研究」や「婚姻の話」を著している柳田國男は、僕の郷里から目と鼻の先の出身で、子供のころから夜這いが行われているのを見聞きしながら育ったはずだが、彼の後継者同様に、その現実に触れようとしなかった。彼らはこの国の民俗学の主流を形成してきたが、かつてはムラでは普通であった性習俗を、民俗資料として採取することを拒否しただけでなく、それらの性習俗を淫風陋習であるとする側に間接的かもしれないが協力したといえよう。そればかりか、故意に古い宗教思想の残存などとして歪め、正確な資料としての価値を奪った。そのために、戦前はもとより、戦後もその影響が根強く残り、一夫一婦制、処女・童貞を崇拝する純潔・清純主義というみせかけの理念に日本人は振り回されることになる。
 自分たちの倫理観や、政治思想に反するものの存在を否定するなら、そうした現実を抹殺するしかない。農政官僚だった柳田が夜這いをはじめとする性習俗を無視したのも、彼の倫理観、政治思想がその実在を欲しなかったからであろう。


 赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』筑摩書房(ちくま学芸文庫*2 P33-34


戦後の普通の教育を受けた人なら、『過去の日本は一夫一婦制に強固に縛られ、処女性の重視は日本の津々浦々まで及んでいた』というくらいの認識をほぼ常識として持っていたのではないだろうか(私も以前はそうだった)。だが、それは事実ではなく、明治以降のイデオロギーの浸透の産物で、意図的に作り上げられたものだったようだ。ことほど常識というのは時に非常に頼りない。



分解される『恋』と『愛』


再び濱野氏の言説に戻ると、恋愛には前段階に恋があって、後段階に愛があるという。前半は、情熱をかき立て、恋いこがれる。情熱がさめれば相手をかえることもあるかもしれないし、突然始まり突然終わることも珍しくない。ところが、後半は相手を一人に絞って無限に終わりがなく、永遠に愛を証明し続けなければならない。濱野氏の言い方を借りれば、『まずは属性を発見し、その後、愛の行動証明を続ける』ということになる。


ところが、濱野氏はこれに続けて、インターネットによる情報化によって、前半と後半、すなわち『恋』と『愛』がそれぞれのモジュールに分解されてしまったと述べる。



ソーシャル・サービスが促進する『前半』


前半は、出会いの機会の増加という意味では(もちろん使いこなせるかどうかという問題はあるにせよ)、インターネット・ソーシャルのようなサービスの普及は、これを促進する効果はあるだろう。ただし、80年代以降くらいから顕著になってきた、恋愛と資本主義の合体、いわゆる恋愛資本主義によって、「商品価値のない人間は恋愛できない」という意識が社会を支配した。しかも、『お見合い』のようなマッチング制度も衰退すれば、個人が自力で異性と出会い、商品価値を争って激しい競争に勝ちぬかないといけなくなる。(容姿も、お金も、学歴も必要、という具合)しかも、恋愛できない人間は救われないというような、いわば恋愛至上主義的な空気まで漂い始めるから、ロマンチック・ラブ・イデオロギーと相まって、目の前の相手に欠点を見つけると、理想の相手を求めて別れるというような態度が珍しくなくなる。現実の恋愛のハードルは極端なほど上がり、失敗体験ばかり増えることになる。こうなると、ただめんどくさいだけでなく、自尊心や人格的な尊厳も維持できなくなりかねない。勢い、退却が最も合理的な行動の一つになってしまう。


だが、仮に実際の相手がいなくとも、『恋』の求める『属性の発見』という点では、テクノロジーの進化に伴い、バーチャルがこれを補うようになる。(恋愛ゲーム、初音ミクのようなバーチャルアイドルへの熱狂、AKB48の爆発的な人気等)

前半のなぜかグッとくる属性を発見することに関していえば、東浩紀さんの用語を使えば、検索エンジンで適当に自分の好きなことググれば、いくらでも萌え要素、もしくは「これ俺の嫁だ」と思えるものが見つかります。(中略)変な話ですが、他人、もしくは人間に求める必要がそもそもあったのかどうかといった問題がいまや立ち上がってくる。 


恋愛のアーキテクチャー P40

ソーシャルが足を引っ張る『後半』


インターネットの情報化やソーシャル・サービスの充実は恋愛の『前半』の機会を増やし、活性化(活性化という用語が適切かどうか疑問も残るが)する方向に引っ張るように見えるが、恋愛の『後半』部分については、逆に成就の足を引っ張っているように見える。


恋愛の後半、すなわち愛の段階に入ると、愛の証明をお互いに求めるようになるわけだが、インターネット時代には、メール、mixiTwitter、Facobook等を縦横に駆使すれば確かに24時間相手のことをチェックすることができてしまう。昨年、『カレログ*3というアンドロイドアプリが話題になった。これを相手のスマートフォンにダウンロードしておくと、GPSによる位置情報、電池残量、ダウンロードした他のアプリ一覧がリアルタイムで監視できる。さすがに大変な物議をかもしたが、『24時間愛してるならこのアプリをダウンロードして』と女性に詰め寄られている男性の姿が目に浮かんで、ゾッとした。こんな愛の証明は、およそ普通の人間には耐えられないだろう。ソーシャル・サービスの充実で、実際の恋愛のハードルは『後半』ではいやがうえにも上がることになる。



仮説


このように見てくると、若者は(若年男性は、というべきか)恋愛に関心があっても、ハードルの高いリアルな恋愛からは退却して、『萌え』の支配するバーチャル(AKB48のような疑似恋愛システムを含む)な恋愛が活性化し、バーチャルのダイレクトな刺激にさらされ続けると、その刺激だけで充足し、リアルな女性を獲得しようという意欲も低下(→セックスレス)しているのではないか、という仮説に至ることになる。



データ


このような理解を前提に、実際のデータを見ると、奇妙とも見える若者の行為やその背景が多少なりとも見えてくるのではないか。


香港(CNN) 少子高齢化の問題が深刻化する日本で、異性に関心を示さない若者が増えている。先週発表された調査では、未婚男性の6割以上に女性の交際相手がいないことが分かった。


国立社会保障・人口問題研究所が18〜34歳の未婚者を対象に実施した調査によると、「交際している異性がいない」と答えた人は男性の61%余りを占め、2005年の前回調査から9.2ポイント増加。女性は約50%だった。さらに、交際相手のいない男女のうち45%が、異性との交際を特に望んでいないと答えた。


また、30代後半の未婚男女の4人に1人は、セックスの経験がないことが分かった。


今年初めに発表された日本家族計画協会による調査では、16〜19歳の若者のうち、セックスに「関心がない」「嫌悪感がある」と答えた男性は08年から19ポイント増えて36%、女性も12ポイント増えて59%に達した。恋愛やセックスに興味を示さない「草食系」の若者が増加しているとの説を裏付ける結果となった。


CNN.co.jp : 日本の若者に「セックスレス」の風潮 少子高齢化さらに加速か

理解の及ばない現代の恋愛事情


現代の恋愛事情を、少子化を担当する当局者や企業の商品企画担当は理解しているだろうか。自ら恋愛に憧れる若年男女は自分がこのような特異な環境におかれていることがわかっているだろうか。私が見るところ、あまりに古く、ステレオタイプのイデオロギーにとらわれている人がまだまだ非常に多いように思える。なぜなら、以下のような声ばかりが聞こえてくるからだ。

経済問題さえ解決されれば若者も恋愛も結婚もするようになる。
 → 経済が本当の問題ではないだろう。


日本古来の清く正しい恋愛観が壊れてしまったのは嘆かわしい。
 → 明治より前にはロマンチック・ラブ・イデオロギーは存在しなかったのだが。


恋愛も結婚もできない自分はどこか異常なのに違いない。
 → 他人の押し付けてくるイデオロギーに振り回されているだけだろう。


AKB48などキャバクラと同じで古くさいモデルだ。
 → それどころか現代恋愛事情に精通した仕掛人が精妙に仕組んだアーキテクチャーだ。


答えは自分で探求していくしかないと私が申し上げた理由の一端なりでもご理解いただければ幸いである。

*1:

恋愛のアーキテクチャ

恋愛のアーキテクチャ

*2:

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論

*3:karelog.jp)  ((カレログ - Wikipedia