新次元に入った『厳罰化』問題/ルールとルールの戦争

あっさりと採決された『違法コンテンツダウンロードの厳罰化』法案


世間を、というより、ネット世論を非常に騒がせた『違法コンテンツダウンロードの厳罰化』法案は、反対の声も空しく、結局強引に採決が行われた。本件は、対象者があまりに多い割に、対象者の側(多くの中高生を含む)の理解は決して進んでいるとは言えず、場合によっては社会に深刻な悪影響が及びかねない懸念もあり、公聴会等の手続きを何度も経る等、いつも以上に慎重であって欲しいと思っていたが、残念ながらいつも以上にあっさりと採決が行われてしまった。

違法ダウンロード厳罰化によって何が起こるか予想してみた:見て歩く者 by 鷹野凌



日本の困った現状


この数年というレンジで見ても、IT・インターネットの市場や業界を間近に見る機会に恵まれている立場から言えば、日本の法律はインターネット世界で起きている現実に明らかにキャッチアップできておらず、日本の企業の足を引っ張ってきたと言わざるをえない。日本ではGoogle誕生から10年以上もの間、検索エンジンは違法の範疇おかれたままだったし、先だってのまねきTVの最高裁判決など、日本ではクラウドサービスの大半は違法と判断されてしまうような非常に珍妙な『見解』が示された。日本のITインターネット関連企業は、海外勢と比較してもただでさえ競争が厳しい環境にいるのに、こんなことで足を引っ張られていては、ますます立ち行かなくなる。


このような、現実に対する『無知』や『無理解』が一向に解消されない状況に変化がなかったわけだから、今回の『厳罰化』についても、ある程度予想できた事態ではあった。だが、今回の騒動は、全体として、従来よりもう一段筋が悪く、それ故にもう一つ別の問題を惹起しようとしている。



重大な悪影響の懸念


今回の『違法コンテンツダウンロードの厳罰化』法案については、違法行為の抑止力として何らかの罰則を導入したい、という意図そのものが問題だとは思わない。だが、違法かどうかの識別がユーザーの側からは困難で、インターネットの利用者の大半が無意識に行った行為が皆摘発対象となってしまうようでは、いざ誰かに罰則が課される場合、どうみても法の下の平等に反した恣意的な判断を誘発すると考えざるをえない。抑止力を持つかどうか、特にこれで期待されるCDやDVDの販売増になるかどうかも正直疑わしいが、仮に効果があったとしても、反面で吐き出される『無秩序感』や『法律への信頼失墜』の毒のインパクトは計り知れない。これによって法秩序が擁護されるのではなく、法秩序に重大な悪影響が及ぶ懸念がある。



この辺りの戸惑いを非常に端的に表明している人がいる。著名ブロガーのessaさんだ。

ダウンロード刑事罰化とかDVDリッピングの違法化という法律は、ネットの商売の妨げになるが、それは、金を払うのがイヤだということではなくて、決まるまでのプロセスに透明性がなく、どうやってスマフォで音楽を聞いたり動画を見たりしたらいいのか、それを提供する側はどうすればいいのか、混乱を深めるばかりで何の指針にもならない、それが問題なのだ。

リッピング違法化から始まる法律のローカルルール化 - アンカテ


本当にこの通りだし、MIAU津田大介氏始め、多くの人が事前に同様の懸念を表明していた。



重大な岐路


しかしながら、『強引』に決まってしまったとの印象は拭えない今回の一連のプロセスから見えてくるのは、結局、この本質的な『懸念』は現行の方秩序やルールの制定側、すなわち現行の司法・行政・立法の中枢の担い手には共有されていない、ということに他ならない。それは、既得権益を持つ側、持たない側というような狭義の利害対立をはるかに超えて、いわば、産業革命を上回ると言われるインターネット革命の根本の理解の有無の問題に及んでいると言えそうだ。少なくともそのことを直感できているかどうか、それが大変革の岐路にあって、日本が革命後の先進国として自由と豊かさを享受できるのか、変革の波に飲まれて、減り続けるパイのわずかな断片を巡って醜悪な争いを延々と繰り広げるような国になるしかないのかを決めてしまいかねない。



アノニマスの登場


法案が強引に採決され、関係者が無力感に打ち拉がれている最中、突然今度は非常に意外な集団が日本政府に噛み付いた。アラブの春で民衆を抑圧する政府に対してサイバー攻撃を仕掛けてその名を日本にも知らしめた『アノニマス』である。
アノニマス (集団) - Wikipedia



アノニマス』は、すでに、財務省自民党日本音楽著作権協会JASRAC)等にサイバー攻撃をしかけただけではなく、メンバーの一人が読売新聞の取材に応じて、「攻撃は自分たちの行為」と認めた上で、今回の『違法コンテンツダウンロードの厳罰化』法案について、「数曲の音楽をダウンロードしただけで刑務所に入れられてしまう悪法。これを修正するまで攻撃する」と主張しているという。



深刻に受け止めるべき3点


これが日本政府、特に法律制定に関わった関係者にとってどれほどのインパクトになるのか、現段階ではまったく予想できない。深刻な打撃になるのかもしれないし、軽微な賑やかし程度で終わるのかもしれない。ただ、どう展開するのであれ、次の3点は深刻に受け止めておくべきだと私には思える。すなわち、

(1)今回の『厳罰化』は日本の国内問題の枠を超えて、国際的な
   避難の対象となっていること。


(2)日本でも『アノニマス』を内心応援する人が増えているように見えること。


(3)日本の既存の法秩序より『アノニマス』の背後にある思想の持つ
   秩序感のほうが、インターネットがさらに浸透すると考えられる
   未来社会では、より有効なのではないかと思えること。

合法にはこだわるべき


今回のような納得の行かない法律が採決されたような場合でも、それでも、既存の仕組みと手続きによって、改善をはかる努力を続けることは大事だ。現行の法律があてにできないから、違法行為に訴えてでも、という態度は、その場の応報感情を満たすことはできるかもしれないが、結局、秩序自体の崩壊をまねき、秩序維持を『暴力装置』にしか頼ることができなくなり、結果的に、自由で公正な社会も市場も維持することができなくなってしまう恐れがある



既存の決定システムへの不満


いくら現行法に不満を持っていても、それをいきなり破ったり、無くしてしまおうと考えている人は、さすがに、そうはいないだろう。essaさんの言う通り、『どういうルールでもいいから、一定の透明性と安定性のあるルールがあって、「こうすれば仕事がはかどる」ということがわかれば、それに従うことに何の異論もないという人が大半 リッピング違法化から始まる法律のローカルルール化 - アンカテ』のはずだ。それなのに、場合によっては違法もいとわない集団である『アノニマス』を内心応援する心理が多少なりとも広まっているとすれば、もしかすると、ある臨界点にさしかかりつつあるというサインなのかもしれない。既存の決定システムの仕組みそのものを変えてしまわないとどうにもならないという意識は本件に限らず(おそらく政治、行政、司法、あらゆる局面で)相当程度広がっていることは確かだ。



どちらのルールがまともか


essaさんによれば、『どちらのルールがまともか』という戦争が始まっている、ということになる。

フロンティアで起きた紛争は、自分たちが納得できるルールで解決する。もちろん、紛争を裁定する以上、全ての決め事に全員が納得するということはあり得ないが、それでもそこに「まともな」基準というのは決めることができる。現場の感覚を持てない人間が自分たちのローカルルールを持ち出してそこに介入することは許さない。
これは戦争なのだけど、「どちらのルールがまともか」という戦争なのだ。
まともでないルールをローカルルールにして、パブリックな世界から排除していく戦争なのだ。

リッピング違法化から始まる法律のローカルルール化 - アンカテ

ルールとルールの戦争


『日本政府とアノニマスの戦争』と書いてしまうと、何やら非常にきな臭いが、『ルールとルールの戦争』、ということであれば、海外ではすでにその戦争は始まっていて、今回とうとう日本にも飛び火したとみることもできる。アノニマスの現実の行動はともかく、彼らの共通認識やその背後にある思想を仔細に分析すると、現状の日本政府より未来世界に対するビジョンがしっかりしていることは明らかで、普遍性もある。『思想/哲学戦争』では、すでに日本政府のほうが旗色が悪いように私には見える



共通認識


では、それは具体的にはどんな認識であり、思想なのか。


一言でいえば、インターネット革命がもたらす未来は「自由な情報公開と流通」こそが支える、という共通認識だ。特にインターネット先進国である米国では、この認識の支持者が多い。なかでも、ブラウザーの発明者で“ウェブの父”として知られているティム・バーナーズ・リー氏は「ウェブによる情報の公開と制限のない流通は、技術革新による社会の繁栄と自由を守るために不可欠だ」と言い切る。



SOPA Blackout Day


この『インターネットの自由』の思想が如何に米国に浸透しているかを知る、非常にエポクメーキングな事件が今年の1月に起きた。「内容がネット検閲である」と非難されている米国のオンライン海賊行為禁止法案(Stop Online Piracy Act:SOPAおよびPROTECT IP Act:PIPA)への抗議として、米国時間1月18日に英語版WikipediaRedditなど様々なサイトが、抗議してWebを停止する動きが同時多発的に広がった。これが、「SOPA Blackout Day」として世界中の注目を集めたことは記憶に新しいだろう。Wikipedia創設者のジミー・ウェールズ氏の格調高い抗議文も話題になった。



ジミー・ウェールズ氏の抗議文


その一部を以下に抜粋する。『インターネットの自由』の思想が非常にわかりやすく語られている模範的な一文と言える。

あの日、私たちは、自由な知のない世界を想像してみてください、と問いかけました。そして、あなたは語ってくれました。自由な知のない世界にNOを示してくれました。私たちのメッセージは1億6200万以上もの人々に届き、そのNOを示す意思は掲示板に届けられサーバがダウンしたほどでした。ソーシャルメディアやニュースサイトには、世界中の人々の声で埋め尽くされました。そう。あの日、信じられないくらい多くの人が、自由でオープンなインターネットについて語り合ったのです。


私たちにとっては、お金についての問題ではないのです。知についての問題なのです。作家、編集者、写真家、プログラマのコミュニティーとして、私たちは、私たちの著作物が、すべての人に共有され、すべての人のさらなる創造のために使われることを望んできました。


私たちの使命は、人類のすべての知を文書化し、すべての人が永遠に使えるようにすること。そして、その文書化にかかわる人々をはげまし、元気づけ、つないでいくことです。私たちが誰よりも作者の権利について留意していることは言うまでもありません。なぜなら、私たちそれぞれがまさに作者だからです。

Wikipedia英語版ブラックアウト終了後のメッセージ・日本語訳

言葉が足りない日本


日本のインターネットは、このような高尚な理想の下ではなく、2ちゃんねる等の匿名制の下に、主としてサブカルチャーとして発展してきた経緯もあり、正面切った議論があまり得意とは言えない。論争はせず、問題があれば一方的に『言い切りの型主張』を大量に投げつけ炎上と祭りで実力行使する傾向がある。だが、渦巻く不満と自由を希求するエネルギーは米国の『インターネットの自由』を求める集団に劣るものではない。だから、後一歩、自らを説明する『言葉』を持ち、『言葉』で連携できるようになれば、現実を大きく動かしていくことは十分可能だと思える。ここに、非常に大きな可能性とともに、日本の最大の課題の一つがあると言える。



言葉の熟成


日本のインターネット業界、中でもWebサービス運営者の、日本の法律に関する今の率直な感想は次のようなものだろう。


法律と現実があまりに乖離している
ダブルスタンダードがあたりまえ
透明性の欠如
既得権益者偏重
・・・・

残念なことに、これまで日本では、諦念と無力感が広がるばかりで、今や一種のデフレスパイラル状態にある。だが、悪法に対して、違法行為で向かうのではなく、悪法を乗り越えるレベルの高い、新しい時代の法秩序につながる『言葉』を熟成し、現状の『事実上の無法』状態にもって換える気概は失いたくないものだ。米国の思想を丸呑みする必要はない。それを参考にしつつ、日本には日本に馴染む法秩序を築き上げればいい。そして、それができれば、いい土壌さながらに、良い作物が育ち、木々や植物もすくすくと育ち、日本から失われた活力はきっとまた帰ってくるはずだ。そう信じて、自分に今できることをやっていこうと思う。