分断されたコミュニケーションを繋ぐためには/文学的感性の重要性

非常に感じるところのあった番組


ニコニコ生放送とのコラボレーション番組『ニコ生思想地図』(作家・批評家の東浩紀氏、小説家の高橋源一郎氏、早稲田文学編集長の市川真人氏の対談番組)、『震災を経て……文学2.0へ至る道を探る』*1を何気なく見ていたら、ものすごく琴線に触れる内容で、昔中断した思考がよみがえり、これまでどうしても言葉にならなかったことを言葉にすることが出来るような気がしてきたので、今回はそれを書いておこうと思い立った。だから、以下はこの番組の要約というわけではなく、あくまで刺激された側である私のエッセイである。



新人にたたきこまれる『社内文書の書き方』


新年度が4月から始まる大抵の日本企業は、この時期新人が入社するところが相変わらず多い。昨今、大卒一括採用には批判的な人も少なくないが、それでもフレッシュな新入社員を見ていると、学生から社会人への切り替えをはかり、本当の大人の仲間入りをしたいという意欲が伝わって来て微笑ましい。


彼ら、彼女らはまず、社会人としての基礎的なマナーから、仕事の進め方、文書の書き方等、戸惑いながら学んで行くことになる。学生と社会人は違う、そう私達も先輩諸氏から時に厳しく教わったものだ。中でも特に私の記憶に強く残っているのは、『社内文書の書き方』だ。短く、簡潔に、起承転結を明確に、結論を最初に、できればできるだけ決まったフォームで書く等々。それなりに一生懸命書いた私の報告書が、修正ペンで真っ赤になって上司から返ってくるのをげんなりした気持ちで受取ったことは今でも忘れられない。


私の最初の会社の最初の配属先は、この『社内文書の書き方』の細部へのこだわりが強く、何度も何度も繰り返し推敲し書き直すよう指導された。そうして、読んでわかる必要最小限の言葉にまで絞りこみ、極限まで効率的な文書が出来上がって行く。社内ではこの文章形式でないと書類を読んでもらうこともかなわない。



しぶしぶ受入れていた


上司の教育的指導を受けていた当時の私はどう感じていたかと言えば、正直嫌でしかたがなかった。文章の存在する目的は効率的に言いたいことを伝達することだけではない。その言葉の含意するものの広がり、連想、あるいは深耕することによる新たな発見、言葉にしようしながらなかなかうまくいかないボルテージの高い感情(感動、恐怖、希望等)の表現の探求など、もっとずっと豊かなものを運ぶ器でもあるはずだ。だからこそ、文学があり詩がある。詩など古くから人類共通に見られる普遍的なものだし、日本にも非常に洗練された形式美の極地のような俳句や短歌がある。同じ意味するところを書いても、文学に精通し、日頃から深く思索している人の文章は非常に美しく、余韻があり、表面的な意味以上のものを伝えることができる。だが、『そんなものは会社では必要ない』と容赦なく切り刻まれてしまう。確かに、会社に必要なコミュニケーションは、できるかぎり曖昧さを排除し、間違いなく、効率的に情報が伝わることが絶対条件だし、やむを得ないことと、しぶしぶ受入れていたことを思い出す。



企業ムラの手旗信号


だが、その後2社、会社をかわり、またその会社が合併するなど、様々な企業カルチャーとその会社の文書を内側から見る機会を得て、自分が大きな勘違いをしていたことに気づくことになる。他社にかわっても、規模が大きくて歴史が長いほど、独自の精緻な社内文書の書き方の体系を持っていることに変わりはない。しかしながら、『誰にでもわかりやすく』ということを目的にしているなら、普遍的なわかりやすさを追求しているならば、他社からかわってこようが、どこの誰にでもわかりやすいはずなのに、決してそうではない。どういうことなのか。答えは簡単だ。企業が追求するわかりやすさは、普遍的なわかりやすさではない。特定の企業ムラでコミュニケーションするための手旗信号のようなものだ。言葉の数を少なくして、読む量を減らすという点ではある程度共通しているものの、そこで使われる単語、文章、形式等は(特有のテクニカルタームは別として)いわば、その会社特有の『記号』であり『信号』だ。だから、これを学ぶ一番の目的は、そのコミュニティの正員として認められるための常識を身につけること、ということになる。


だが、その『言葉の環境』を全面的に受入れて長年過ごすと、生活は安定して経済的には豊になるかもしれないが、効率、目的合理性というような抽象概念に人生全般が吸い取られ、気がつくと精神生活全般が窮乏化し、仕事の上でも、創造力や新しい発想など全く望むべくもない出し殻のような人材になってしまう。(その実例は沢山見て来た。)



個人も企業も枯渇する


文学や思想は、『個』を溶解する装置=日本企業にいる矮小化された『個』に本来の生の深みと広がり、及びコミュニケーションの方法とそれ自体の喜びを再発見させる役割を担っているはずなのだが、それを忘れたままでいると心は枯渇し、そういう枯渇した『個』ばかりを抱えた会社組織もエネルギーが枯渇して立ち枯れてしまうだろう。終身雇用を前提として、同じ組織に長く勤めて、会社が人生のほとんどを占めることが美徳とされていた当時の日本では、仕事/会社以外でバランスを取ることもままならない。ある日そんなことに気づいて愕然としてしまったことを思い出す。


一億総中流』だの、『全社一丸』だのといったスローガンは世に溢れていたが、実は本当に重要なコミュニケーションは寸断され、その寸断をつなげるべき言葉は、効率という名の劣化を余儀なくされ、ムラでしか通用しない信号に成り果て、新たなものを生み出したり、新しい外部との関係を広げるベースになるどころか、出来上がった体制を維持し、異物を排除することにばかりエネルギーが注がれるような傾向を助長する。これではそのうちとんでもないことになるのではないか、そう思えてならなかった。



ここまで分断されていたとは


震災と原発事故が起きてみて、日本人のコミュニケーションというのはこれほどまでに分断されていたのか、ということに気づいたという人は大変多い。番組『震災を経て……文学2.0へ至る道を探る』でも、これが重要な気づきとして先ず語られている。言葉が貧困で何も響くところがない、というのはまだいい方で、言葉がコミュニケーションを促進する役割で使われるどころか、相手を煙にまいて、コミュニケーションを遮断し、相手が反対できないように抑圧する、というような、とんでもないことが臆面もなく繰り返されている。しかも、それが、政治家、官僚、科学者、大企業の経営者というような、日本の中枢を担うはずの人たちの中でこそ起こっているのだから、何をか言わんやだ。



東大話法


この関連で言えば、しばらく前に、『東大話法』というのが大変話題になっていた。これは、東京大学安冨歩教授が自著である『原発危機と東大話法』*2で紹介している概念である。

安冨の提示した東大話法の概念は、「常に自らを傍観者の立場に置き、自分の論理の欠点は巧みにごまかしつつ、論争相手の弱点を徹底的に攻撃することで、明らかに間違った主張や学説をあたかも正しいものであるかのように装い、さらにその主張を通すことを可能にしてしまう、論争の技法であると同時にそれを支える思考方法」[2]というものである。


東大話法は、自分の信念や感覚にもとづくものではなく、相手を言いくるめ自分に従わせるための、言葉を使った暴力だと説明される。この話法は、東京大学の教授や卒業生だけが使う技術というわけではないが、使いこなせる能力を有する人は東大に多く集まっているのも事実だという。学者、官僚、財界人、言論人にも、この話法の使い手や東大話法的思考をもつ人がいるとされる。さらに、権力の集まる場所にいる人の多くが東大話法を操っており、その技術が高い人が組織の中心的役割を担うようになる、これは国民にとって大変な不幸である、と述べている[3] 。

東大話法 - Wikipedia

霞ヶ関文学


もう少し前には、霞ヶ関文学というのもあった。

霞ヶ関文学とは、法案や公文書作成における官僚特有の作文技術のことで、文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするなど、近代統治の基本とも言うべき「言葉」を通じて政治をコントロールする霞ヶ関官僚の伝統芸と言われるもののことだ。


 霞ヶ関文学では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になる。また、特定の用語や表現について世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりする。若手官僚は入省後約10年かけて徹底的にこのノウハウを叩き込まれるというが、明確なマニュアルは存在しない。ペーパーの作成経験を通じて自然と身につけるものだといわれるが、あまりに独特なものであるため、政治家はもちろん、政策に通じた学者でも見抜けないものが多いとも言われる。
 通産官僚として約20年間霞ヶ関文学を駆使し、その後竹中大臣政策秘書官として、官僚の霞ヶ関文学を見抜く役割を果たしてきた岸博幸慶應義塾大学大学院教授は、そもそも霞ヶ関文学の出発点は日本語を正確に定義して書くという、行政官僚に本来求められるごく当然のスキルに過ぎないと説明する。しかし、法律や大臣の国会答弁の文章を明確に書き過ぎると、自分たちの裁量が狭められたり、官僚が何よりも重んじる省益を損なう内容になる場合に、官僚の持つそのスキルが、本来の趣旨とは異なる目的で使われるようになってしまった。そして、そのような意図的な書き換えを繰り返すうち、法案や大臣の国会答弁で使われる単語や表現の意味が、一般常識とはかけ離れたものになってしまったと言うのだ。

元通産官僚が明かす「霞ヶ関文学」という名の官僚支配の奥義 (神保哲生の「マル激トーク」)

すべて淵源を同じくする構造問題


私はと言えば、私企業の中で起きる(起きてしまう)さまざまな現象については非常に強い関心を持って見聞きしてきたが、ごく最近まで、政治家や官僚についてこのような分析的な視点でみたり関心を持つ事がなかった。だが、震災と原発事故を契機に関心を持たざるを得なくなり、かなり集中して様々な発言をウオッチしてきた。その上で感想を言えば、『東大話法』についても『霞ヶ関文学』についても、驚くほど今起きている事態を言い当てていて、非常に溜飲が下がる思いがする。


同時に、これは、私企業にいて自分が感じていたのと、淵源を同じくする構造問題が、特に戦後の日本の歴史のどこかで起きていたことを示唆しているに違いないと思うようになった。長く見つからなかった自分にとってのミッシングリングが見つかって、一問題の背後にある問題の全体像が朧げながら見えて来た気がした。



文学がキーワード


今回それを語り尽くすことはできそうにはないが、ただ、キーワードの一つは『文学』であることはあらためて強調しておきたい。ビジネスマンも政治家も官僚も科学者も、文学や思想をただの柔でたわいない趣味として軽視してきたことの付けが回ってきているのだと思う。


哲学者のマイケル・ポランニーが指摘するように、知識には形式知暗黙知がある。形式知は言語化し、説明しやすいため、企業内の文書化と言えば大方形式知、いわば言葉にできる部分のみに焦点を当てることになる。だが、企業にとって本当に肝心なのは暗黙知のほうだ。企業の実質的な競争力を左右する。興味深いことに、かつて日本企業は社員や技術者が暗黙のうちに持つ経験や勘に基づく知識の利用に長けていた。いい意味での『表と裏』の使い分けが上手かったと言える。ところが、この暗黙値はそれが存在することを直観できる感性や理解力がなければうまく伝わらない。そして、感性は何らかの方法で磨かなければ、劣化してしまう。劣化の果てに、すべて形式知で無理に語ろうとすると、まさに『東大話法』のような言葉の暴力が横行することになる。では、どうすれば感性は磨かれるのか。



本居宣長の教え


哲学者の井筒俊彦氏によれば、国学者本居宣長は概念とか概念的・抽象的思惟とかいうものを極度に嫌い、中国人のものの考え方に本能的とでも言いたいほどの憎悪の情を抱いていたという。では、宣長は何を重視したのか。

中国的思考の特徴をなすーと宣長の考えたー事物に対する抽象的・概念的アプローチに対照的な日本人独特のアプローチとして、宣長は徹底した即物的思考法を説く。世に有名な『物のあはれ』がそれである。物にじかに触れる、そしてじかに触れることによって、一挙にその物の心を、外側からではなく内側から、つかむこと、それが『物のあはれ』を知ることであり、それこそが一切の事物の唯一の正しい認識方法である、という。
『意識と本質』*3 P35


概念的一般者を媒介として、『本質』的に物を認識することは、その物をその場で殺してしまう。概念的『本質』の世界は死の世界。みずみずしく生きて躍動する生命はそこにはない。だが、現実に、われわれの前にある事物は、一つ一つが生々と自分の実在生を主張しているのだ。この生きた事物を、生きるがままに捉えるには、自然で素朴な実在的感動を通じて『深く心に感』じるほかに道はない。そういうことのできる人を宣長は『心ある人』と呼ぶ。
同掲書 P35−36

それでも文学は無駄?


そういう『心ある人』はかつての日本には沢山いた。それを大事にする文化や習慣もあった。そして、精妙な技術や、日本人にしかない創造性で世界を驚かせもした。だが、今やそのような人を見つけることはどの分野でも大変難しくなった。そのような文化や習慣も、『無駄』なものとして払拭されてしまった。そしてそれは『エリートは文学を読まない』『文学は無駄』などと言われ始めた時と軌を一にするのではないか。優れた文学は、概念的・抽象的思惟を媒介とするのではつかめない心にじかに触れ、じかに直覚することの重要性を教えてくれるはずなのに。


生きることの全体から『生のない言葉しかつかわない活動=仕事』を切り出して来て『サラリーマン』や『官僚』を演じていたつもりが、それは本来全体の生の中の一部だったはずなのに、いつしか生きることのすべてを覆うようになってしまう。そんな中では『こころある人』もさぞ生きにくいことだろう。ここから、どう抜け出せばいいのか。それについては、もう少しちゃんと探求して、また書いてみようと思う。