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日本人が本当に取戻さないといけないものとは/何が本当の危機なのか

世界でいちばん仕事が嫌いなのが日本人?


先日、『日本人は世界でいちばん仕事が嫌い』というインパクトの強いタイトルのブログが大変話題になっていた。日本人は世界でいちばん仕事が嫌い


ブログ記事の著者(橘玲氏)の主張の根拠になっているのは、明治大学の准教授である鈴木賢志の『日本人の価値観』にまとめられた調査で、その中から2つ、非常に衆目を引く調査結果が紹介されている。

その1

「たとえ余暇が減っても、常に仕事を第一に考えるべきだ」という意見に「強く賛成」とこたえたひとの割合

→ 日本は『強く賛成』はわずか2.6%で79カ国中最下位。


その2
「仕事は収入を得るための手段であって、それ以外のなにものでもない」という意見に「そう思う」「どちらかといえばそう思う」とこたえたひとの割合

→ 日本は41.5%で31カ国中12位


ブログの著者の橘玲氏は各国と日本の相対関係を独自に解釈して、下記のような結論を導きだす。

日本人は、「余暇が減るんなら仕事なんかしたくない」と考えているひとの割合がきわめて高い。すなわち、「世界でいちばん仕事が嫌いな国民」なのだ。
日本人はカネのために嫌々働いているのに、ネオリベの国の労働者は、お金には換えられないやりがいを仕事に見出しているのだ。
この価値観調査の結果を素直に解釈すれば、ネオリベはひとびとを幸福にし、日本的雇用は労働者を不幸にする。

批判も多い


調査によって、大変興味深い断面が見えていることは事実だが、やや結論に至る分析が強引に見える。これでは読者の批判に曝されることになるのではないかと案じたが、やはり、『各国を比較するには調査の前提や文脈を理解し、統御しないと、断定的な結論を導きだすことはできない』、という類いの批判が多数投稿されている。



気になる結果であることは変わらない


だが、批判がその通りだとしても、アンケートがまったくのでたらめやでっち上げではない限り、やはり非常に気になる結果であることは確かだ。橘氏が言う通り、日本的経営が礼賛されていたバブル直前くらいまでの日本人の仕事観とされていた観念/常識に真っ向から反する結果に読める。
(当時常識とされた日本人の仕事観は、大方次のようなものだろう。『日本人にとって仕事は人生の非常に神聖かつ重要なものであり、自主的に長く働くことも厭わないし、働くことは金のためだけではない。』)



昔から日本人は仕事が嫌い?


もっとも、日本的経営が礼賛されていたのは、右肩上がりの経済成長があった時期だったから、これほど経済環境も、労働環境も違ってしまった今は、若年層を中心に急激に価値観の変化がおきているのではないか(以前の日本人は仕事が好きだったが、今の若者は嫌いになった等)、との意見も当然出て来そうなことは予想されるが、橘玲氏はその意見にも先回りして、労働経済学者の小池和男法政大学名誉教授の調査データを基に、当時から実は日本のサラリーマンは会社が嫌いで仕事にもプライドなど持っていなかったのだと断じる。



日本的経営を礼賛するつもりはない


私も、日本的経営や年功序列と終身雇用の日本的システムが礼賛されていたときにも、特定の窮屈な価値を標榜することを強要し、女性を家内労働に押し込むことを前提とし、むしろ個人から本来の仕事へのプライドを奪うシステムであることを感じていたから、これが『ひとびとを幸福にする』システムではないことを示唆する橘氏にはある程度共感できる。それどころか、一時期は、こんな問題あるシステムで世界経済を席巻していることを自慢げに語ること自体(かなりそういう人は多かった)、同じ日本人として恥ずかしいとさえ感じていた。まがりなりにも、日本人が世界で認められているとしても、こんなシステムが優れているからとは言って欲しくないと思っていた。海外の友人達もその辺りは実に冷静に分析していて、システムが維持できなくなるのは時間の問題だし、その後どうするのか、という質問を受けて、言葉に詰まったことを思い出す。



簡単な問題ではない


では、その日本の労働慣行やシステムを欧米流にあらためれば、日本人は仕事にプライドを持って取組み、幸福に感じることができるようになるのだろうか。無論、そんなに簡単な問題ではない。

すでに長時間働いておりもうこれ以上働きたくない。でも、誰も助けてくれないから働かないと生きていけないし、将来の保証もないから働かざるをえない。 でも豊かになっても幸福になれるとは限らない。


これが今の日本人が抱えている、根深いジレンマだ。この状況は、狭義の経済問題や労働問題を改善するだけで解決するのだろうか。そもそも、仕事に関わる風景がこれほどやせ細っていては、小手先の対応策はまったく機能しないだろう。この問題に限らず、今の日本では、政策当局者も個人も、何が真の問題で、どこを到達目標にしていけばいいのか皆目わからないでいる。すなわち、依りどころがない。というより、気がつけば、依りどころは、『経済』、すなわち、『金』しかなくなっている。『色々あるが、経済的に向上すれば、すべての問題もそれなりに解決する』というのが、ほとんど唯一の了解事項になってしまっている。いかに、GDPと幸福感に直接の関係はないというデータが示されても、どうにも反応のしようがない、という感じだ。



心の豊かさを取り戻そう?


もっとも、このように議論を進めると、必ず出てくる意見や議論に、『物質的な豊かさやそれを目的とした経済成長はもうそこそこにして、心の豊かさを目指そう』というのがある。ある点それはその通りなのだが、その議論の中味は実に薄ら寒い。老後はあまり貯蓄をせずにお金を使って旅行をしたり、趣味を広げて楽しもうという類いのお決まりの提案は色々出てくる。仕事よりもっと余暇やレジャーを楽しもう、というあれだ。


だが、これで本当に日本人が心から充足感を感じるのかと言われれば、何かが決定的に違うといわざるをえない。この種の議論がいつも取りこぼしてしまうのが、生命の充足感、美意識における充実感、身体の充足感等、日本人に特有の、広大で深淵な充足感だ。本来、日本人の日常生活には、『合理』を超えた、『非合理』に及ぶ、非常に豊穣な世界が開けていたはずだ。それがどうしてこれほどまでにやせ細ってしまったのか。貧弱な議論しかできなくなってしまったのか。


何だかわけのわからないことを書いているように思われるだろうか。だが、そう感じるのなら、日本文化の本来の豊かさ、生活の隅々にまで浸透していた遺産が継承されていないことの証左と言うべきだろう。



日本の美意識


例えば、日本の美意識だが、参考に下記のブログを参照する。


(株)マルニ木工が推進する、ネクストマルニプロジェクトの日本人の美意識に関するまとめは、大変秀逸で読み応えがある。

http://www.maruni.com/nextmaruni/concept/concept_3.html

細部に全体性がある/ “微”

細部の並列的集合/ “並”

細部がその周辺に生み出す気配/ “気”

細部の気配がつくる相互の調和/ “間”

隠すことで華麗にみえる/ “秘”

世界は始めから調和している/ “素”

抗わないで流される美/ “仮”

破壊こそ創造である/ “破”


ここにあげてある『日本の8つの美意識』を手がかりに一つ一つ自分自身の内面を振り返ってみると、実に繊細優美でありながら、かつての日本の民衆文化の中に自然に息づいていたものばかりであることがわかる。言葉にすると大変哲学的な抽象概念に見えるが、みな実感を持って具体的に思い出せる。どうやら、かろうじて私の中にもこの美意識の欠片は残っていたようだ。(もっとも、すっかり忘れていたが・・)


季節の訪れとともに、微妙に変化する自然に美を感じ、生活の中にさりげなく取り入れ、深い充実した喜びを感じることができる感性こそ、日本人の『幸福感』の重要な源の一つだったはずだ。しかもそれは日本人の道徳意識や宗教観の中核を成していた。そして、日本人であることの一体感の源であり、社会や生活の安定の基盤ともなっていた。のみならず、それはまた日本の芸術や文物に世界に通じる普遍性を与えていた。



ユニークな価値


西欧的なヒューマニズムとも、キリスト教的な宗教観とも、儒教的な道徳観とも違う、日本的な宗教感情、それを自然に共有できることが日本を世界の他の文明にはない非常にユニークだが、レベルの高いものにしていた。多くの識者が日本を独立した文明圏として語るその理由を今の日本人は理解できるだろうか。その中核にある価値を保持しようとする意志や覚悟はあるだろうか。


グローバル化が課題である現代には、そのような『ローカル』なものは不要というなら、大いなる勘違いと言わざるをえない。むしろ、日本人の経済の活力も、グローバルに通用する競争力も、その原泉は独自の文明の源にある価値にあり、日本人の国際性はこのユニークな価値を大事にしていくことからしか始まらないはずだ。



一番大事なものは


日本の経済問題を解決するにあたり、問題を誰もがわかりやすく把握できるように、範囲を絞り込りこみ、単純化し見える化するべきと大抵の人は主張する。ある局面ではその通りだろう。だが、今の日本の複雑怪奇な、解読不能にさえ見える問題に対処するには、小手先の『分析』に窮するのではなく、あらためて全体を見渡し、一番大事なものは何だったのかを思い出すところから始めるべきだ。そうでなければ、如何にかたちを整えても、エッセンスを欠くことになる。『仏つくって魂入れず』になる(今まさにそうなっている)。単純化し、見える化して、合理的に着手できるようにしたつもりが、そうすることによってむしろ見えにくくなったり、切り捨ててしまうものこそが、日本人が最も充足感を感じることのできるものの中心に座すことを、本当に手遅れになる前に思い出すこと、これが日本の危機に対処するために避けて通ることのできない道だと私は確信している。