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『大陸』ではなく『次元』として理解すべきインターネット世界

先見性に溢れた『新資本論


経営コンサルタント大前研一氏がインターネットによる経済の進化の方向を予見した書、『新資本論*1は2001年に出版されて、当時大変話題になったし、2000年代後半頃に書かれた書評を読んでも、絶賛する向きが多かった印象がある。かくいう私も、2008年のはじめ頃に本書を再読し、このブログを書き始めたころに取り上げたことがある。当時は、本書での大前氏の先見性は大変素晴らしいと私も感じたものだ。


見えない大陸では、従来の実体経済に加え、「ボーダレス経済」 「サイバー経済」 「マルチプル経済」 という経済空間が急速に拡大して行くという指摘は、まさにその通りになっていたし、さらに勢力を増しつつあった。リーマンショック前(リーマンショックは2008年9月)ということもあって、経済のマルチプル化についても、それを支えるデリバティブズ等の金融技術は、いくつかの危機を乗り越えてよりスマートに社会に浸透して行くかに見えた時期でもある。ネットベンチャーとして立ち上がった楽天等もすっかり成長軌道に乗って、日本でもサイバー経済の勢いがどんどん拡大してもいた。



もはやこれだけでは足りない


だが、インターネットが当時よりもっと存在感を増した今、あらためて見てみると、今起きている(起きつつある)ことを分析するには、これでは足りないと感じてしまう。焦点の当てどころを変えたり分析ツーツをリファインすれば何とかなる、というレベルではない。もっと深いレベルでの変化が、まったく違った意味で起きて来ているとしか言いようがない。加えて、わずかの間に私の認識自体が変わってしまっていることにも驚きを禁じえない。



どんな言葉で表現すればいいのか


これを何とか表現するために、2012年のインターネットサービスやユーザーの消費行動を象徴する言葉を思いつくままに書いてみた。そもそも私自身、今起きているインターネットに影響を受けた消費構造の大きな変化については、あまりに巨大で前例もなく茫漠としているため、おさまりのいい言葉で全体を括ったり説明することがどうしてもできないでいる。だから、他人の案出した表現であれ、どこかでふと耳にしたり、目にしたりした言葉であれ、何らかの印象が残ったものをとにかくピックアップしてみて、その羅列から何を感じることができないのか、何か説明できる概念が見つからないのか自問自答して見たいと思った。もちろん私自身の認識のバイアスが大いにかかっていることは自覚している。だが、それ以上に、大量の概念が濁流のように押し寄せてきて、古い概念もろとも押し流されてしまう気もする。

心の消費の増大

深層心理化

モノより心

新しい儀礼贈答

ゲーム化(ゲーミフィケーション

ソーシャルメディアがもたらす新しい消費スタイル

・・・・・・

大陸の出現


インターネットの浸透は、実体経済に付随する、国境、距離、時間、旧来の商習慣等による制約をゆるめ、あるいは無くして行く。大前研一氏の著作が当時画期的だったのは、物理的な大陸に加えて(物理的な大陸に似た)インターネット大陸が出現したことが単に示されただけではなく、インターネッと大陸の影響力が物理的な大陸全域に及び、既存の商習慣、経済の仕組み、消費のあり方等が全般的に変化していくというビジョンが明確に語られていたことだ。



大陸ではなく『次元』


だが、今や『大陸』というアナロジーはあまり適切とは思えない。特にモバイル機器を媒介としたソーシャル・メディア、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)の浸透により、あらゆる物理次元の存在が人とモノとを問わずサイバー空間に繋がりつつあり、人間のコミュニケーションの手法も作法もすべてがドラスティックに変化しようとしている。あえてこれを表現するなら、『次元』だ。『3次元=物理的な位置と、一方向に均質に流れる時間に制約を受けた空間世界』に浸透しながらその制約を受けない次元(高次元)、このほうが今のインターネット世界のあり様をより的確に表現しているように私には思える。



実体経済への影響は軽微?


このような議論を始めると、必ず出てくる反論がある。いかにインターネットが時空を超えようとも、肉体としての人間は3次元的な制約(空間、時間)に制約された存在であり、物理的な代謝を伴う生活世界に生きて行かざるを得ず、よって、実体経済の支配力は相変わらず大きい。当然物理的な生活世界を維持していくための必要悪としての国家や政治の影響力も大きく、マクロで見た構造はさほど大きな影響は受けない(まだ受けていない)、という類いの議論だ。



ソーシャルメディア消費


だが、本当にそうだろうか。まだ見えにくいかもしれないが、すでに実体経済への影響や浸透も相当程度及んでいる兆しは今ではどこにでも見つけることができる。


例えば、野村総研が2011年11月に発表した試算では、ソーシャルメディア利用者拡大により、直近1年間で約1兆5,000億円の消費がソーシャルメディア内で行われ、それは今後5年以内に3兆1,900億円にまで拡大するという。しかも、ソーシャルメディアがもたらした新しい消費スタイルにより促進されるというのだ。それは、次のように命名されている。

http://www.toyokeizai.net/business/industrial/detail/AC/b4c14021837ec07f13865e9e0f8358ed/

 

「玉突き消費」「ゆる消費」「ネタ消費」「プレゼント消費」


何のことやらさっぱりわからない、という人も多かろうと思う。だが、最後の「プレゼント消費」であれば、ソーシャルメディア内で出来た関係の中でプレゼントの贈答が行われているのだろうという想像はできるかもしれない。ただ、どの文化文明にも普遍的である『贈答』という行為も、その現れ方は千差万別で、もちろんソーシャルメディア内で起きている贈答も未解明の分野というべきだろう。だが、確実にそれは今起きている『現実』だ。



ソーシャルゲームで何故お金を使うのか


また、こんな例もある。ジャーナリストの石島照代氏の2012年1月10日付けDIAMOND onlineの記事、『任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下)ユーザーに自己効力感を促す制作方針の気骨と強み』という記事に、現代の消費スタイル変化、消費のシフトに関わる非常に興味深いヒントが示されている。ここでは、どうして人は(生活保護を受けているお金がない人まで含めて)ソーシャルゲームにお金を使ってしまうのか、という点について興味深い解説が展開されている。その分析ツールのとして『自己効力感』『自尊感情というような概念を援用している。

任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下)ユーザーに自己効力感を促す制作方針の気骨と強み|コンテンツ業界キャッチアップ|ダイヤモンド・オンライン

自己効力感 - Wikipedia

自尊感情



この記事で言及されている、松本芳之・早稲田大教育・総合科学学術院教授(社会心理学)の解説部分として引用されている部分を以下に再引用する。

ソーシャルゲームは、単なる遊びとしてのゲームの側面もあるでしょうが、一方で、『自尊感情補完ビジネスとしてのソーシャルゲーム』を遊んでいる人もいると思います。自尊感情は、『どれだけ他社に受け容れられているかの指標』だという考え方があります。他者に認められた、集団の一員として認められたと実感できたとき、自尊感情が高まることになります。コミュニティで友情を築く『週刊プレーボーイ』の話は、この自尊感情を強く補完するビジネスだと思います。

任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下)ユーザーに自己効力感を促す制作方針の気骨と強み|コンテンツ業界キャッチアップ|ダイヤモンド・オンライン


そして、これはバブル期に売れたブランドバックと一緒だという。自尊感情を補完したいという欲望はバブル期も今も同じだが、バブル期にはブランドバックを買ってそれを充足し、今はソーシャルゲームでプレゼンスを拡大することで充足する、ということだ。そして、今のソーシャルメディアは『自尊感情』や『自己効力感』に限らず、実際の社会(ソーシャル)における社会的欲望のかなりの部分をSNSソーシャルゲームで代替/補完出来て来ているのではないか。どうやら、まだ必ずしも実証できているとまではいかない仮説レベルのものを含め、さまざまな代替/補完が起きていると考えてみるべきではないのか。



活動のシフト


『消費による自己実現』、『消費による自己表現』等、消費記号論が全盛だった、80年代末〜90年代では、消費は効用より記号であることが喧伝され、消費行動がさまざまな記号になりうることが盛んに議論された。この議論を受けて言えば、現在ブランド品も自己表現の中核的なアイテムだった自動車も、共に売れなくなっているなっている理由の一つはここにあることになる。すなわち、自尊感情の補完、他者からの承認欲求等、バブル期には高額商品の購入によって充足されていた欲求が、ソーシャル(ソーシャルゲーム)内の活動で代替されているということだ。



さらに進むシフト


この種の議論は、気鋭の経済学者で著名なブロガーでもある、タイラー・コーエン氏*2等によりすでにポピュラーになって来ているので、ここではその仮説の検証の一端を見ていると言ったほうがいいかもしれないが、その同じタイラー・コーエン氏の言が正しければ、不況や経済的な困窮が深まるほどこの傾向は顕著になる(より一層シフトが進む)ことになる。個人消費がさらに縮小して行く可能性の高い日本ではこの仮説が該当する可能性がさらに高まるとも言える。(但しそれは、個々人の効用や幸福感の縮小とダイレクトにはリンクしない。表に現れる経済活動としては縮小しても、個人個人は充足し、満足していることが十分に予見されるからだ。)


このことで、日本では経済を回す効果の高いモノから、実質的にほとんど何も消費しないソーシャルの中での活動(ゲームでお金を使うことはあるにせよ)にシフトすることによるさらなる消費金額の縮小を心配する向きもあるし、タイラー・コーエン氏に言わせれば先進国はおしなべてそうなる可能性があるということになる。重要な点ではあるが、今回はこれ以上立ち入らない。



新しい法則性


このような現象の帰結は、繰り返すが、まだ私にもその全般を言い当てることができない。ただ、少なくとも、従来の実体経済が何らかの影響を受けるというようなことではなくて、ネット側に急速に生成してきつつある新しい法則性の側から見ていかないと確実に後手に回ることになる。理論として認知されるかどうかは別として、ビジネスの現実として、日々競争に曝されている人であれば、感性のレベルでもいいからこれを把握して、実際の競争に後手に回らないように備えるべきだと思う。理論として認知されるのを待っていては競争に負けてしまうのは必定だ。それよりも、新しい次元に積極的に自ら参入し、そこで暮らし、そこで起きていることを身を以て体験することだ。けして他人任せにはできないことを再確認すべきだ。

*1:

大前研一「新・資本論」―見えない経済大陸へ挑む

大前研一「新・資本論」―見えない経済大陸へ挑む

*2:

Create Your Own Economy: The Path to Prosperity in a Disordered World

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