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『絶望の国』を『希望の国』に変えるためには

繰り返される若者論


若者論というのは、私が知る限りでも史上何度も繰り返されてきたテーマだと思う。そして、誰がそれを語ってきたかと言えば、ほとんどが大人の側だろう。自分たちの旧来の価値観や生活習慣等と比較して、あきらかに違って見える若者を理解しようとする動機は、マーケット分析、教育、さらには社会全体の変化に兆しを把握しようとするアカデミックな目的までさまざまだ。



大人と若者の線引き


だが、いずれにせよ、若者を一括りに語ること自体、自分たち自身も一括りで語れると考えていることをあらわしている。世代で括ることが一定の有効性を持つと考える人たちと言ってもいいのかもしれない。この点については、かなりざっくりだが、現状の40歳前半くらいのところで何となく線引きができるのではないかと私自身感じてきた。実際に、この線の前と後では塊としてかなり大きな違いがあることを実感するし、そのように感じている人は相当に多いのではないかと思う。



かわいそうに見える若者たち


そんな漠然として線引きであれ、おおよそ40代以上の『大人』から見た若者、特に20代くらいの若者についてみると、『今の若者はかわいそう』と大抵誰もが語るだろう。そう語るのに参考になるデータや事例は数限りなくある。曰く、正社員としての就職口がものすごく少ない。結果、半分くらいしか正社員になれない。日本の雇用制度では卒業後数年で正社員になれなければ、その後ますますその道は閉ざされる。格差は広がり、低所得者は結婚して家族を持つ見通しも立たなくなる。それなのに、老齢人口は歴史的なテンポで急増し、税負担は増えるばかり。一方で自分たちが老齢に達した時に現在のような年金制度が維持されているとはもは考えられない。まさに未来の展望が何も開けない。だから、若者の生活満足度は下がる一方だろう。不満も高まっているに違いない。他国の若者と比べて日本の若者はすごく大人しいが、さすがにそろそろ怒りに火がついてデモや暴動が起きてもおかしくないはずだ、等々。



若者は満足している?


だが、『大人』のこんな目線を拒否し、『大人』の常識を堂々と覆して大変注目されている『若者』がいる。近著、『絶望の国の幸福な若者たち』*1を世に送り出して引っぱりだこになっている、東京大学の大学院に所属する古市憲寿氏だ。古市氏はデータに基づいて淡々と語る。

「『若者はかわいそう』と言われても僕らに実感はないですね」。

   

内閣府の『国民生活に関する世論調査』のデータによれば、2010年の時点で、20代男子の65.9%、20代女子の75.2%が現在の生活に満足しており、それはバブル期以降の日本の経済指標がどんどん悪くなっていくのに反比例して、どんどん高くなってきているという。確かにこれには大抵の大人が二の句を継げないはずだ。そして、若者のことを理解することが全く出来なくなっている自分に気づき、愕然としてしまうに違いない。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111116dde012040015000c.html



オジさんはわかってない


考えてみれば『大人』にとって若者はすでにかわいそうである以前に理解不能だったのだ。クルマも家もいらない、結婚もしない、ブランドは嫌いで海外旅行もしない、草食系男子。一体これは何だ!と叫びたい気持ちだったろう。だが、それでも、きっと若者は不幸/不満足に違いないとは思っていた。なのに、満足? 必死になって若者を理解しようとしていたオジさんたちにとってこれは破壊的な決定打といっていい。しかも、そもそもそうやって世代で括ること自体がナンセンスとかわされてしまっている。そして、底流には古市氏の次にような声が聞こえてくるのではないか。『オジさんたちのそんなプアーな分析軸、分析装置では、若者はおろか、今の社会を1ミリも理解することはできないよ。』



自分は違うという若者


ところが、当の『若者』から、今度は古市氏に対して強烈な反発が出てくる。

東大エリート学生さんが若者代表って言われても、そりゃあお金持ちが集う最高学府で博士課程まで進むような方ですもの、労働に押しつぶされそうで、でもそこから逃げ出せば生活が成り立たない(と思っている/思い込んでいる/思い込まされている)人たちの気持ちを理解するよう努める、というのも厳しい話でしょうか。それとも、これはちょっと逆差別が過ぎますか?ごめんなさい。でも、「『若者はかわいそう』と言われても僕らに実感はないですね」というその一言に下敷きにされ苦しむ人たちの顔が浮かぶようで、私にはとても賛同できない話です。少なくとも、この記事によって、”若者”とひとくくりにされうる26歳女子の心は傷つきました。
一緒にされたくないのです。20代の70%以上が今の生活に「満足」している。だから?”若者”は幸せ?残りの3割はどうでもいい?

【社会】東大エリートの『名誉若者』論に巻き込まれるのは御免です | 突撃びじであ! - 実体験レポート&レビュー


そして、26歳女子、新井ユウコさんはこう断言する。

ひとりでも多くの人に、勘違いされたくないので、ここでちゃんと書いておきます。
このインタビューの中の”若者”に、私はいないよ。

【社会】東大エリートの『名誉若者』論に巻き込まれるのは御免です | 突撃びじであ! - 実体験レポート&レビュー


なるほど。「東大エリートの目線で若者全体を語るな!」という気持ち、若者でなくてもちょっと共感したくなる。そして、『若者』『世代』を一括りにできる時代ではない、という現実をあらためて突きつけられる思いだ。



問題の本質


だが、「しょせん庶民をしらない東大のエリート」とばかりは片付けられないことは、古市氏の新著の全体を読めばわかってくる。新井さんの言う、30%の声を無視するな、という文脈とは別に、本当のところ70%はどうして満足と答えているのか、というところに問題の本質があるからだ。70%の中には、エリートとはお世辞にも言えない若者も沢山含まれているはずだ。


では、古市氏はそこのところをどう分析しているのか。何故、『大人』から見ると満足できるはずがないと思える生活環境にいる若者が今の生活に満足していると答えているのか。


1. 若者たちの多くは高度成長期の恩恵を受けた親と同居しており貧しさを実感していない

18歳から34歳の未婚者のうち、男性の約7割、女性の約8割は親と同居している。特に「パート・アルバイト」など非正規雇用でその割合が高い。


同掲書 P245


貧困にあえぐ若者が現実にいることは間違いないが、これほどの高い比率で若者が親と同居しているとなると、全体としてはあまり貧困の問題は顕在化しないだろう。しかも、一昔前と違って、フリーター等の不安定かつ不規則な生活であっても、それを口うるさく糾弾する『世間』は地域コミュニティや血縁コミュニティの崩壊過程ですっかり影が薄くなってきている。



2. 現代では誰でも手軽に承認欲求が満たされるようになった


旧来の地域コミュニティ、血族コミュニティ、会社コミュニティは軒並み崩壊過程にある一方で、インターネットを利用する『お手軽なコミュニティ』は花盛りだ。旧来のコミュニティしか知らない人にとっては、とてもコミュニティと呼ぶにふさわしいものではないかもしれないが、現実に、その中で承認を受け、アイデンティティが保持できる仕組みが続々と生成してきていることは確かだ。


しかも、古市氏も指摘するように、旧来のコミュニティは(特に日本の多くのコミュニティは)個人を抑圧する息苦しさ満載だったことは確かで、かつてそのまっただ中にいた私も、『解体すべきもの/抜け出るべきもの/再構築されるべきもの』と、いつも感じていた。一方で、昨今の『お手軽コミュニティ』は、使い方を知っている者にとっては実に多彩で、クリエイティブで、活動を広げるインセンティブにも富んでいる。(もちろん全員が使いこなせるというわけではない。ここにはまた別の問題がある。)古市氏自身の説明によると次のようになる。

最悪の場合、僕たちは「無縁」になる可能性もあるが、自分が付き合う人やコミュニティを自由に選択していくことができる。複数のコミュニティに所属してもいいし、参入や離脱も自由だ。ルールがなくても緩く続いていく関係。そのような実利実益から離れたコミュニティが増えることで、承認先は分散され、僕たちのアイデンティティを保証してくれるものになる。それらのコミュニティで提供されるぬくぬくした相互承認のおかげで、若者たちは社会の様々な問題を解決せずとも生きていけるようになる。  


同掲書 P253

3.自己実現欲求や上昇志向から『降りて』いる


ここで援用されているのは、社会学者のマートンが論じた相対的剥奪という概念だ。『人が抱く不満は、その人のおかれる境遇の絶対的な劣悪さによるのではなく、主観的な期待水準と現実的な達成水準との格差による』とされる。


実例として、中国の『農民工』と『蟻族』の例があげられていてわかりやすい。都市戸籍と農民戸籍という越えられない身分の壁(階級制度)のある中国では、それでも『農民工』と呼ばれる農村出身の労働者が都市部の劣悪な環境で多く働いている。ところが、彼らの生活満足度はある調査によると、85.5%にも達していて、都市部にもとから住む人の数値(75.5%)を超えているという。その暮らしは農村の生活水準よりはマシで、戸籍が違うことはどうにもならないことなので都市生活者と自分たちを比較しないことが背景にあるという。


一方これと対照的に中国版高学歴ワーキングプアの『蟻族』は、学歴に見合う仕事が無い現実に不満を募らせている。彼らのうち生活に満足しているのはわずかに1%だけで、84%が生活に何らかの不満を抱いているとする調査もあるという。彼らの上昇志向やエリート志向が彼らを不幸にしていると考えられる。


おそらくこれは日本の今の若者の間でも起きている現象のアナロジー(類比、類推)になっていると私も思う。


経済成長の恩恵を受けられた世代を「自分とは違う」と見なし、かってに自分たちで身の丈にあった幸せを見つけ、仲間たちと村々している。何かを勝ち得て自分を着飾るような時代とも見切りをつけて、小さなコミュニティ内のささやかな相互承認とともに生きていく。それは時代に適合した賢明な生き方でもある。 


同掲書 P257

『わかっている人』と『わかっていない人』


ここで展開される論旨は、若者論を何度か取り上げてきた私から見てもリーズナブルでわかりやすい。そして、あらためて今の日本社会に何が必要で、どのように対処して行けばいいのか、貴重な指針を与えてくれる気がする。満足だからいいというわけでもなければ、不満だから悪いというような単純な問題ではない。だが、本当に問題があるとすると、ここで展開される論旨をまったく理解できない人たちが少なからず、いやかなり多くいるのではないかとうことだ。古市氏が暗に、『何もわかっていない大人たち』と揶揄しているであろう人たちだ。その大人と若者を区別する線は、はやり年齢で切れ目がはいっているのではないかと私には思える。そういう意味では、世代論と括る事がわかりやすいとも言えるが、『わかっている人』と『わかっていない人』が厳然と存在し、世代論の衣を借りて論争が起きているというのがより正確な言い方かもしれない。



『わかっていない人』の特徴


では、『わかっていない人』の特徴な何なのだろう。これ自体、非常に大きな問題なので、詳細は別途取り上げたいと思うが(私のブログでも何度か取り上げてはきたが)、たぶん3つに集約できるように思う。

インターネット・ネットワークに対する信頼/安心 ⇆  インターネット・ネットワークへの嫌悪/反発


経済以外の価値の探求 ⇄ 経済偏重/すべての下部構造としての経済


島宇宙(インターネットの影響) ⇄ マス/モノカルチャー(テレビの影響)


上記にあげた古市氏の分析の中でも非常に重要なのは2(現代では誰でも手軽に承認欲求が満たされるようになった)なのだが、『わかっていない人』にはこれは理解不能だろう。この理解の齟齬はかなり深刻だ。



やはりオジさんの問題?


ここでいう『わかっていない人』の問題は、日本であれ、世界であれ、今まさに起きていることを正しく把握し、真の問題を見つけ、正しい対処をすることができない、とういことだ。『わかっていない人』が若者を評価/論評すると古市氏が暗に語るように、まったく的外れの議論を熱を込めて展開し、混乱に混乱を重ねることになる。ところが、困った事に今の選挙制度での投票を左右するのは、『わかっていない人』の側だ。企業でも、他の組織でも、大抵そうだろう。だから、古市氏の著作を単に新しい若者論としてだけ読んでいる場合ではない。この本を読んでいる大人/オジさん自身の問題が問われていると思った方がいい。



一億総若者化の時代


古市氏は、今我々が生きているのは、一億総若者化の時代だと言う。

僕たちが今生きているのは、一億総若者化の時代だ。世代ごとの意識の差は減少し続けているし、今後ますます多くの若者が「正社員」や「専業主婦」という既存の社会が前提とした「大人」になれないのだとしたら、彼らは年齢に関係なく「若者」で居続けるしかない。まさに僕たちは、日本中の人々が年齢に関係なく『若者』化する時代、その過渡期にいる。本書も『若者論』を掲げながら、結局はこの国の姿の片鱗を描くものになってしまった。それはもう『若者』は年齢に関係なくどこにでもいるし、『若者の中の若者』と言えるような人々がいないからでもある。 


同掲書 P261-262

『絶望の国』から『希望の国』へ


まさに『わかっていない人』が前提としてきた制度が根こそぎ変わりつつある時代が来ている、ということだ。この国が『絶望の国』に見えるのは、旧来の制度、(上記にあげたような)旧来の価値の延長に日本という国はもはやありえないのに、まだ多くの人が過去の夢にこだわり、囚われているからだろう。この国を絶望の国から解き放つには、『若者』も『大人』も共に、『古い幻想の国』の夢から一日も早く目覚めることが肝要だと思う。そうすれば、どんなに現実は過酷だとしても、『希望』はきっと戻ってくるはずだ。

*1:

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち