読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

20年以上前にすでに指摘されていた現代日本の構造問題

再び注目される山本七平


自分自身のブログでも何度も取り上げて来た、いわゆる『空気』の問題は、著書『空気の研究』*1で一世を風靡した評論家の故山本七平氏の名前と共に、近年様々の人が取り上げ、いつのまにか生前の山本氏を知らない世代の間にさえその名が出るようになってきた印象がある。氏は、私があらためて述べるまでもなく、日本の社会、日本人の行動様式等を、『空気』を始めとした独自の概念ツールを使って分析し、わかりやすい著述や講演でその成果を披露してきた大家である。すべてが混乱の極みにある今の日本にあって、日本人が従来頼りにしてきた外来の思想は、マルクス経済学はもとより、近代経済学も、フランス現代思想も、民主主義も、もはや今日を生きる上での指針にはならなくなってしまった。そんな中、あらためて自らを振り返り、『日本とは、日本人とは何なのか』と自問する人は増えて来ているし、そのような人たちが山本氏の研究に注目するのは私には当然のことに思える。

山本七平 - Wikipedia



文藝春秋に掲載された講演録


そう思っていたところに、ちょうど、文藝春秋の2011年11月号に、『今こそ読むべき名講演 山本七平 危機に出る日本人の癖』と題した講演録が掲載されていて、自分の直観が裏づけられた気がした。この講演は1988年1月26日に静岡市民文化会館で行われたとあるから、すでに20数年も前のことになる。だが、ここで語られている内容はいっこうに古びることなく、それどころか、東日本大震災でクローズアップされた日本人の特性を説明する仮説として読んでもまったく違和感がない。


この講演録から、以下、私が印象に残った部分を拾い上げてつなげてみた。

戦後、自由と民主主義の時代が来て、自由にしろと言われた結果、長いあいだ日本人が培ってきた伝統的な生き方や生活が逆に出てきた。そして、それは明治のように先進国に追いつこうと無理をした時代ではなく、徳川時代、それも末期の人間の生き方が表に出て来ている。

大方の常識とは違って、検地は行われず農業所得の把握はできなかったため、名目より実質の税金は安く、余剰が商品経済を活性化し、資本蓄積は進んでいた。 また、日本には韓国や中国のような血縁意識はなく、昔の日本人が親孝行で人情に厚いというのも誤解で、経済的に豊かな人間は皆核家族で、家長は『厄介者』である兄弟たちを遠慮なく叩き出し、まさに「兄弟は他人の始まり」だった。戦後親不孝で人情が薄くなったのではなく、昔に戻ったのである。


大抵の人の常識と逆ではないだろうか。



興味深い『知足知分』


私が何より興味深く読んだのは、日本の伝統的思想としての『知足知分』のくだりだ。『妙好人伝』という史料が紹介され、これを読むと日本人の宗教性の一端がわかるという。

妙好人 - Wikipedia


人間の一生を出生から死亡までとしないで、現世の前に前世があって、現世の後には後世がある、とするわけですね。そしてそれぞれの人生をプラスマイナスすると、全部平等になってしまう、とういう考え方です。(中略)そうすると、人間なんの不平不満もなくなります。だから徳川時代の人間は『前世の因果じゃ』で何でも済んじゃうんですね(笑)。

文藝春秋 2011年11月号 P173

『財布を盗られるのは前世で財布を盗ったから。こちらからお返しにいくべきところ向こうから取りにきたのだから有難い。』『年貢をもっと取ってほしい。後世で年貢を払わないで済むから。』こんな話が『妙好人伝』に出てくるのだという。

こういう考え方も今の日本人に残っております。非常に諦めがいいというか、これも前世の因果だと、くるっと心理的に解決して、べつな方向に向いてしまう。終戦のときの日本人がそうですね。すぐに後世のほう、戦後をどう生きて行くかに向いちゃった。これを『知足知分』と言ったんです。足るを知って己が分に安んずる。こういう日本人の伝統的な思想ー といっても一向宗のあとぐらいから出てくる一つの思想で、今の日本人の考え方も知足知分になっているように思いますね。

文藝春秋 2011年11月号 P173- 174


ここでいう『今』は20数年前のことなのだが、今回の東日本大震災の後の被災地の人たちの恬淡とした様子を見ていると、この伝統はいまだにしっかり受け継がれているように見える。



若者はまさに『知足知分』?


さらに面白いのは、山本氏の次のような嘆きだ。

どうもこのごろの若い人を見ていると、みんな『知足知分』になっちゃいましたね。これでいいのかなあ、やっぱりこれも伝統に戻っちゃったのかなあと、こういう感じがするわけです。

文藝春秋 2011年11月号 P174

山本氏のいう若い人というのは、1980年代の若い人のことだ。時代はまさにバブルに突入しようとしていて、若者は大抵誰でも『クルマがなければ始まらない』と思っていた。無理をしてローンを組んで身分不相応なクルマを買ったばかりか、2年(マイナーチェンジ)たつとあっさりと新しいクルマに買い替える人が多かった。高級外車も飛ぶように売れた。高級ブランドに誰もが群がり、高級ブランドを買うために続々と若者が海外に出かけたのもこの頃の話だ。一体どこの誰が『知足知分』だったというのか! それを言えば、クルマ離れして、嫌消費で、ブランドには興味がなく、海外にも行かず、草食化した今の若者こそ間違いなく『知足知分』だろう。若者は加速度的に伝統回帰しているということになるのか。



イデオロギーを必要とした明治政府

だから明治政府は、こんな調子では近代化なんかとてもできないと危機感を持った。それで、立身出世というイデオロギーを掲げたわけですね。ところが実際にはそんなにみんな動かなかったようです。

文藝春秋 2011年11月号 P174


動かなかったどころか、明治期には涙ぐましいほどにみな動いたと思うが、逆に言えば、それほどまでに日本人が一丸となって強い危機感を共有していたということになるだろう。確かに当時の日本を囲む世界情勢は危機的で、帝国主義の脅威がすぐそこに迫っていた。 だが、その危機感が薄れ、強制力がなくなり、個人が自由にできるようになるとイデオロギーは維持できなくなる。東日本大震災後の今は十分に危機的な時代に入ったと思うが、それでも、おそらく今のままでは『知足知分』の今の日本人のマインドを変えるだけの力学は働かないと見ておくべきだろう。



それ自体は善玉でも悪玉でもない


ここで取り上げられた、『知足知分』もそうだし、『空気』もそうだが、留意すべきは、これ自体は善玉でも悪玉でもないということだ。このときの講演会の説明では、どちらかというと『知足知分』によって安楽に走りすぎてしまう日本人に対する嘆き、というニュアンスが感じられるが、一方、どんな職業であれ自分の分としてその範囲で全力を尽くす、という日本の近代化を支えた勤勉哲学のエートスはこの知足知分と不即不離の関係にある。『空気』も同様で、負けることが理屈ではわかっていても、米国との戦争に日本を突入させた原因である一方、その太平洋戦争の初戦で日本の連戦連勝を実現させたり、日本の製造業を一時期世界一に押し上げたのも『空気』の威力によってたつところが大きい。



時代背景で変わる『空気』の評価


思えば、私が山本氏の著作を読み始めたのもずいぶん昔の話になるが、まだ世界は米ソの二極対立の時代で、多少なりとも社会主義イデオロギーに影響力が残っていたが、そのような抽象度が高く実感の乏しい『空論』と比べて、ずっと実感があって、リアルに感じられて大変感銘を受けたものだ。


その後、資本主義vs社会主義イデオロギー対立には、はっきりと決着がつき、米国に庇護される形で戦後経済活動に邁進していた日本は、その米国をしのぐ勢いで経済力を向上させ、いつのまにか『日本的経営』が世界の最先端ともてはやされるようになった。すると、1979年には『日本資本主義の精神』*2を著し、日本の資本主義の精神の特徴を論考していた山本氏は、日本の成功の秘訣を語るイデオローグとして持ち上げられるようになった。当時は、日本人の以心伝心が組織のスピードと効率性を促進すると誰もが語っていたものだ。だが、この以心伝心が何故可能になるかと言えば、日本人が空気を読みあうことに熟達していることと関係がある。


ところが、非常に皮肉な事に(そして実に興味深いことに)昨今のように、日本企業の競争力がガタ落ちとなり、日本の経営手法自体に強い批判が向けられるようになると、今度は日本の失敗の研究の原因分析を語る人たちのバックボーンとして山本氏やその概念ツール(空気等)が語られるようになってきた。



父性原理が欠けていることが問題


日本の成功と失敗の両方の原因として取り上げられるということはいったいどういうことだろう。端的に言えば、問題の構造をもう一階層おりないと、問題の本質に迫れないということだ。何が正邪の決めてになっているのか。どうすれば『空気』を邪神として働かせないようにすることができるのか。これに正しい回答を出すのは容易なことではないけれど、私の見解を言えば、日本人と日本の文化に一貫して『父性原理』が欠けていることに行きあたる。これは日本における分析心理学(ユング心理学)の第一人者であった、故河合隼雄氏の指摘なのだが、山本氏の講演が行われた1980年代の後半頃に、やはり河合氏は母性原理が強く父性原理を欠く日本の問題点を非常に明快に説いていたことを思い出す。

河合隼雄 - Wikipedia


母性原理は『包み込み』、『父性原理』は『切断する』機能にその特性を示すとされる。母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、父性は子供を能力や個性に応じて分類し、 主体と客体、善と悪、上と下などに分離し、子供を鍛えようとする。米国はじめ、西洋文明はこの父性が強すぎる故の問題を抱えているといえるが、日本の場合、あまりに父性原理が欠けていることが『病理』となっている。やや荒っぽく言えば、この病理が空気の暴走を許す重要な一員と言ってよさそうだ。父性原理がしっかり確立している社会では、合理的に検討した結果戦争には勝てないとの結論がでれば、闇雲に戦争に突入することはない。



亡き巨人の仕事を紐とくべき時


日本も、西洋にならって、民主主義を導入し、科学(技術)を促進し、最近では法制度改革によって弁護士を増やし、来るべき日本の訴訟増加に備えようとさえした。だが、冷静に振り返れば、何一つ当初想定していた成果は出ていない。父性原理の象徴たるべき検察や司法(法廷)でもまるで空気に支配された魔女裁判まがいのことが平気で起きている。20数年前の山本氏の指摘も、河合氏の指摘も、今でもまったく変わりなく有効であるどころか、今の方がもっと深刻になっているとさえいえるかもしれない。亡き巨人の仕事を今再び紐とき、日本/日本人の構造問題に腰を据えて取り組む必要を強く感じる。

*1:

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

*2:

日本資本主義の精神 (B選書)

日本資本主義の精神 (B選書)