読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

歴史から正しい見識をえるためには

大変面白かったテレビドラマ『仁ー完結編』


好評のまま先週最終回を終えた、大沢たかお主演のテレビドラマ『仁ー完結編』は私の周囲でも非常に評価が高く、大変話題になっていてた。私も、原作の漫画もすでに読み終えていたものの、原作とドラマにはシナリオにかなりの違いもあるため、少しでもドラマのほうがハッピーエンドとなるよう祈りつつ毎回みていた気がする。(実際、最終回の物語の決着の付け方は、漫画以上に洗練され、納得感もありよく出来ていたように思う。)

日曜劇場「JIN -仁-」TBS開局60周年記念|TBSテレビ



坂本龍馬という愛すべきキャラクター


ドラマの主人公は現代から江戸時代にタイムスリップした医師、南方仁だが、もう一人の主人公と言っていい坂本龍馬は結局南方仁の手厚い治療のかいなく亡ってしまう。原作を読んで助からない事がわかっていたにもかかわらず、何とか命を助ける事はできないものかと期待してしまっていた。不幸にして明治維新を前に世を去った龍馬だが、せめてSFのシナリオなら、命を助けてみたい、新しい世で思いっきり活躍させてみたいというのは私ならずとも夢想してしまうところだと思う。あの『坂本龍馬』というキャラクターは作家の司馬遼太郎氏の創作とする向きも多いが、これだけ多くの現代の日本人に愛されているところを見ると、『あの時代にいて欲しいと日本人が望む理想の人物像/キャラクター』の一人と言っていいのだと思う。



歴史を理解することの難しさ


この頃の物語を坂本龍馬の立場から見ると、龍馬に対する贔屓目もあって、薩摩や長州が非常に凶暴で好戦的に見えてしまうかもしれない。現実に軍事リーダーとして天与の才能ある薩摩の西郷隆盛は、国を焦土と化す戦争もやむなしと考えていたという説もある。だが、個人としての西郷は大きな体から溢れんばかりの情愛に満ち満ちた人で、出会った人を虜にしてしまわないではいない人だったという。龍馬や西郷のように、歴史に彗星のように出現する超人の個性など、およそ常人の想像を超えていて、生半な事では理解がおよぶものではないし、個人に焦点をあて過ぎると、熱く好戦的にならざるを得なかった薩摩や長州の志士達のせっぱ詰った心情をうまく理解できず、客観的な歴史理解からはほど遠い、ということになりかねない。今更ながら、歴史ドラマを楽しむことと違って、歴史を理解し教訓を引き出す事は並大抵のことではないと思う



歴史の浅い理解


もちろん歴史ドラマや小説が好きなら、大いに楽しめばよい。だが、驚いたことに、ドラマや小説をかじった程度の半可通で、歴史を語りその中から教訓を得ているというようなことを語る政治家や経営者諸氏が昨今少なくない。開いた口が塞がらないような歴史を堂々と語る『偉い』人たちが本当に多いのはどうしたことか。こんなところからも、今の日本の政治経済のリーダーシップの混乱と衰退の兆しや、その原因を深読みしてしまうのは、少々強引だろうか。



もう少し勉強してみてはどうか


『薩摩は朴訥で好戦的な国柄で、皆凶暴だった』とか口を滑らす前に、せめて関ヶ原の合戦くらいまで遡って、薩摩が一体どういう行動に出てその後どうなったのかくらいは自分で確かめてみてはどうか。そもそも坂本龍馬が好きなら、関ヶ原で勝ち組になった山内氏が長曽我部氏の『国民皆平』とも言える支配がおよんでいた土佐の支配を始めて以降の悲劇的な歴史はちゃんと押さえておくべきだろう。幕末の薩摩や長州、土佐の武士達のやむにやまれぬ心情の一旦を少しは理解できるはずだ。私自身は、他人に歴史を語れるほどの素養を全く欠いていて、半可通の見本みたいなものなのだが、その私が見ても唖然としてしまうことが多いのには何とも鼻白む思いだ。



歴史から正しい見識を得ることの難しさ


歴史を勉強して、その知恵を生かすこと自体は非常に大切だと思うが、一方で歴史から正しい見識を得ることは意外に難しいことは心得ておくべきだろう。その点については、東京大学文学部教授の加藤陽子氏の著作、『それでも日本人は「戦争」を選んだ』*1に『歴史の誤用』の問題としてわかりやすく取り上げられていて大変興味深い。


私も以前言及したことがあるトピックだが、米国はかつて『ベスト・アンド・ブライテスト』と言われた国中で最も頭脳明晰で優秀な人たちが政策立案を担当していたはずなのに、結果的にベトナム戦争の泥沼にはまるような愚かしい決断をしてしまう。このあたりの事情を分析した米国の歴史家、アーネスト・メイ氏の著作、『歴史の教訓』*2を引用しながら、加藤氏は次のように語る。

過去の歴史について、真実がすべて明らかになっているわけではなく、また人々が思い浮かべる過去の歴史の範囲はきわめて限定されてしまっている。人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまうものなのだ。最も優れた政策形成者でも、歴史の類推例を広範囲にわたって頭のなかで探しだそうとはしないものなのだ。
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 P70

歴史を見る際に、右や左に偏った一方的な見方をしてはだめだというのは、そのような見方ばかりしていますと、頭のなかに蓄積された「歴史」のインデックスが、教訓を引き出すものとして正常に働かなくなるからですね。
同掲書 P72

■正しい決定を下す人とは

アーネスト・メイ氏は、『政策形成者は通常歴史を誤用する』という命題を立てる。


なるほど、米国のベスト・アンド・ブライテストであれ、歴史を誤用するとなれば、凡人の私達の引用する歴史が誤用だらけなのも当然というべきか。


では、どんな人なら正しい決定を下すことができるのか。

重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性が高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連づけられて、より多く頭に入っている人、ということになります。
同掲書 P72


今の日本の政治経済のリーダーにこの点で合格点をあげることができる人がどれだけいるのだろうか。だが、これから遠い人なら沢山いそうだ。そんな人の判断を安易に信じてはいけない、ということになる。



偏った信念と誤用


どんなに博覧強記で過去の出来事を人間百科事典のように知っていたとしても、偏った信念、信条、思想のバイアスが掛かっていると、誤用だらけになってしまうわけだ。そんな人、あなたの周囲にもいないだろうか。いわゆる学者や官僚のような人たちの中には、私の知る限りこのタイプがすごく多い。特に、現代日本の官僚機構というのは、出来事の知識と判断力を切り離す何らかの仕組みが機能しているとしか思えないくらいだ。そして政治家は、そもそも歴史の出来事そのものを知らない人が多い。



真実に近い解釈を求めて考え抜くこと


ちなみに、私がかつて経験した歴史の授業は、出来事の知識を増やすことにのみ主眼が置かれていて、「真実に近い解釈」を探求するようなことはついぞなかった。こういう姿勢で歴史を考え抜くというタイプの思考が今の日本にはどう考えても不足している。海外の人たちと接する機会があると、日本人は歴史を知らないとおしかりを受けることが少なくないわけだが、どうやらそれは知識として知らないからというだけではなく、『歴史を探求して考え抜く』という教育や習慣そのものが、すっぽりと抜けていることこそが問題なのだろう。そして、そのことが、危機の時代を迎えてすっかりあらわなり、日本の行く末が混沌として見えてしまうことの根本原因の一つともなっている。



日本では少数意見を持つ人は大事にされない


フランスの政治思想家トクビルによれば民主主義が多数者の専制と堕してしまわないのは、背後に宗教的信念があるからだという。今の日本に一番欠けているのはおそらくこれだ。少数意見でも信念を持って譲らず、信念を貫ける人が今どれだけいるのだろう。仮にそのような人がいても、『空気が読めないみっともない人』『和を乱す協調性の無い人』『処世の知恵の足りない大人子供』というようなありがたくないレッテルを貼られて、村八分になったり、左遷、窓際の憂き目にあっているに違いない。



正しい信念を得るためには


そもそも多数の専制にあらがうためには少数だが正しい意見を尊重することが不可欠との認識を持つ人自体が霧散してしまった印象さえある。その信念の形成の原資は何も特定の宗教である必要はない。それどころか偏狭な宗教的信念なら、むしろ有害でさえあるだろう。それよりも歴史を徹底的に考え抜き、その理路を理解し尽くそうという謙虚でどん欲な姿勢から醸成される信念こそ必要なのだと思う。それは自分の浅薄な理解を反省し、偏見を正し、視野を広げ、多数の専制や悪い空気の支配から超然としていられる良質な信念を陶冶する作業からしか生まれてこない。



再出発


昨今の政治経済のリーダーと言われる人たちの多くの話を聞いていると、この意味での信念がかけらも無い人が実に多い。大変残念なことだが、今はそのバカさ加減をとことん感じ、そこから改善、改革の為に必要な強い意志のエネルギーを得ることからもう一度始めるしかないようだ。

*1:

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

*2:

歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)

歴史の教訓―アメリカ外交はどう作られたか (岩波現代文庫)