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日本でもパワーシフトの予感/ウィキリークス&フェイスブック革命

ドラマティックなウィキリークス


昨年末から今年始めにかけて、最も世の耳目を集めていた話題と言えば、ウィキリークスをその筆頭に挙げる人は少なくないのではないか。ウィキリークスと言えば、2010年4月に、米軍ヘリがバクダッド郊外で民間人を襲撃した映像を公開して以来、俄然話題が沸騰し、年末にはアメリカ外交公電を公開して各国の外交関係者を震撼させ、これはただでは済むまいと思ったら案の定創始者のジュリアン・アサンジュ氏が逮捕(しかも露骨な別件逮捕!)される、というような、ハリウッドで一流の映画人が企画してもこれほどのドラマは出来ないであろうと思われるほどの劇的な事件がライブで繰り広げられた。



慶応大学の 金正勲氏の新著


ウィキリークスがただの一過性のスキャンダルではなく、時代のパラダイムを大転換させるほどのインパクトがあることを予感した人は少なくなかったし、興味深い分析や意見が相次いだ。私自身最も印象的だったのは、今年1月末に東京大学本郷キャンパスで行われた「シンポジウム『コモンズ・表現規制ウィキリークス 〜情報ガバナンスの未来像」と銘打った公開講義*1で行われた、慶応大学の 金正勲准教授のわかりやすくまとまったプレゼンテーションだった。この時に本件に関する出版予告があり、私も出版されたらすぐに購入することを決めたつもりだった。本は4月中旬に出版されたものの、私も震災/原発事故ショックに揺さぶられていたためもあって、すぐに手に取る気になれなかったのだが、遅ればせながらやっと読み終わった。プレゼンテーション同様、非常にポイントがわかりやすく解説された良書だと思う。いくつかある類書の中でも一番にお勧めできる。


日本では評価されていない?


ただ、当初から日本では一部の研究者を除くと、ウィキリークスの本質はあまり正しく理解されていなかったきらいがある。何より大手マスコミのほとんどは、ウィキリークスは良くてキワモノ、悪ければ犯罪者集団というような評価を下していた。評価できると言う意見でも、よく読んでみると要はウィキリークス=ネズミ小僧、というレベルの評価の仕方がせいぜいだったように思う。多少の正義感があっても所詮盗人というわけだ。折しも日本はいわゆる『尖閣ビデオ流出問題』*2で大騒ぎになっていて、大抵の人は雑駁に『内部告発問題』として一括りにしていた。私の周囲でも、企業からの情報流出阻止策を一層強化するための他山の石にすべし、というような程度の反応がほとんどだった。



問題の本質


だが、もちろんウィキリークスの本質はこの程度ではとても語りきれるものではない。ではウィキリークスは世界の何を変える可能性があるのか。どうしてそれほど大きな存在なのか。


この点について、金正勲氏の新著にわかりやすく表明されている一文があるので、以下に引用させていただこう。

ウィキリークスに象徴される「情報の透明化」の流れが、政府や大企業が持つ既存の権威体系にとって脅威となっていくこと、そして、その結果、高まる政府や大企業から市民への「パワーシフト」の可能性についてだ。 (同掲書 P7〜8)


政府や大企業をはじめとする既存の権威は、情報の占有・統制を通じて、その権威を構築・維持してきた。だが、ウィキリークスフェイスブックが情報の透明化を究極まで進めることによって、既存の権威は崩壊し、新しい権威体制が再構築されていく。その可能性が示されたのである。(同掲書 P12

非常に優れた設計


ウィキリークスには、本来機密性が非常に高く厳重に管理されていると考えられていた、米国の軍事/外交情報等を含む大量の内部告発文書が持ち込まれたのはご存知の通りだが、何よりこれは告発者側の素性がけして暴露されないための何重もの仕組みが際立っていて安心感があるからだ。


ウィキリークスは『天才ハッカー』アサンジュ氏はじめ元ハッカーで運営されているため、極めて高度な暗号技術が駆使されていることは当初から知られていたが、それだけではなく、各国の法律も熟知した上で様々な策を講じている。例えば、データを保存するサーバーは、プライバシーに対する法的保護水準が他国と比較して高く、政府がサーバーを押収するようなことは基本的にはないと言われるスウェーデンやベルギー等に置かれているという。しかも、固定の拠点を持たず、組織の枠組みが一国で完結せず、国家を超えた活動を行っているため特定の国家による取り締まりは困難だ。


これに加えて2010年6月には、欧米の大手報道機関(当初はニューヨーク・タイムズ紙、英国のガーディアン紙、ドイツの週刊誌シュピーゲル誌の3社)と提携することで、政治的な圧力を緩和し、訴訟リスクを低減することを目論む。日本にいると実感しにくいが、欧米、特に米国では表現/報道の自由に対する意識が高く、報道機関の独立性も高い。そもそも欧米ではウィキリークスの活動自体、『やり過ぎ』を指摘されることはあっても、基本的にはジャーナリズムの本来の姿として評価する人は多い。



攻撃されてわかるウィキリークスのしぶとさ


だがそれでも米国政府はじめとする、国家側の圧力により、サーバーを提供していたアマゾン社や決済代行のPeyPal社、クレジットカード大手のビザカード、マスターカード、米国の銀行バンク・オブ・アメリカ等が次々に規約違反等を理由にウィキリークスとの取引を打ち切った。加えて、大規模なDDoS攻撃(第三者のマシンに攻撃プログラムを仕掛けて踏み台にし、その踏み台とした多数のマシンから標的とするマシンに大量のパケットを同時に送信する攻撃 *3  )によりサーバーはダウンさせられる。アサンジュ氏の逮捕と相まって、ウィキリークスも時代の徒花と消えるかとも思われた。


だが、興味深いことに、攻撃によって消失しかねなかったデータも、多くのミラーサイト*4に支えられて復活し、ウィキリークスと取引を打ち切った会社は、『インターネットの自由』に対する裏切り者として、ハッカー集団『アノニマス*5等から攻撃を受けることになる。さらには、リーマンショックで国家が破産状態に追い込まれたアイスランドでは、銀行秘密法が銀行の不正取引隠蔽に使われたことが暴露され、国民の怒りが爆発して、ウィキリークスの標榜する透明な社会に対する信奉が広がり、内部告発者やジャーナリストを保護する法律が準備されているという。そもそもウィキリークスの財政は主として寄付金によってまかなわれていると言われているわけだが、消滅の危機に瀕した緊急事態ともなると、驚くほど様々な支援の手が差し伸べられる。時代の徒花どころか、巨大な潮流の出口であることがわかる


現時点でウィキリークスは提携する報道機関を増やし(日本の朝日新聞もその中に入った)生き延びている。しかもウィキリークス自体がどうあれ、今後ウィキリークス的な存在はさらに進化発展を遂げていくことは間違いなさそうだ。



パワーシフトが起きている!


ウィキリークス騒動と相前後して世界を騒がせた中東/アフリカのいわゆる『フェイスブック革命』*6その本質は『情報の透明化に伴うパワーシフト』にある。ここでも情報を隠蔽しようとした政府側に対して、アノニマスが応戦したがごとく その広がりはもはや不可逆であることは誰の目にも明らかだ。最近でも、ソニーハッカー攻撃に屈したように、インターネット関連のテクノロジーは政府や大企業側ではなく、ハッカーをはじめとする市民/集合知側が優位に立ち始めている。ここでも、ウィキペディアが歴史も権威もあるブリタニカやエンカルータのような百科事典を凌駕したのと同じ現象が起きているということだ。天才ハッカーのアサンジュ氏個人vs国家ではなく、アサンジュ氏を代表とする巨大な集合知vs国家や大企業という構図が出来ているということだ。だから、アサンジュ氏が失脚しても、現象としてのウィキリークスが終わるとは考えにくい。パワーシフトは確かに起きている。



日本は仲間はずれ?


震災前に、ほぼこのような認識に至っていた私は、あらためて日本の現状を見渡して、大変残念なことに隔世の感があること認めざるを得なかった。政府の統制が隅々まで行き届いた日本にウィキリークスがサーバーを置いたり活動の拠点を持つ事はまず考えられないし、アノニマスに参集するような有能なハッカーが日本にいるようにも思えない。ニューヨーク・タイムズ紙やガーディアン紙のような独立自尊の高いプライドを持つマスコミに匹敵する存在が日本にあるかと言えば、それもなさそうだ。そもそも、アメリカでは排除されているクロスオーナーシップ(新聞社が放送業に資本参加すること等)が日本では一般的だ。フェイスブックもかなり浸透してきているとは言え、人口比でわずか2.5%で、しかも直近の統計では微減しているという。人口対比16%(経営学キャズム理論)では、人口対比16%の普及率を超えたときに、その製品やサービスは社会の中で一気に普及していくと言われている。 同掲書P233)を超えている国がすでに100カ国以上ある中では低い比率だ。震災が起きて、それどころではなくなったこともあいまって、私も当面日本ではこの革命の影響は軽微に留まると考え始めていた。



日本でも穴は開いた!


だが、原発事故に係わる、政府や東京電力等の姿を見ていると、これは非常に典型的でわかりやすい、『日本的な情報隠蔽の具体例』であり、さすがに国民もその問題に気づきつつあるように見える。しかも、事故対応にまったく見通しが立たずに放射能が漏れ続けている現状では、この構図はかなり長い間透明な場にさらされ続けることになるだろう。近年これほど情報の透明性を国民が望むこともなかったはずだし、ここに開いた穴はまだこれから大きくなるように思われる。



日本的かつ超日本的


経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイス*7が『新しい産業国家』*8よって明らかにしたように、現代社会は企業の意思決定のすべてを差配する、才能、経験、広く専門的な知識を持ち合わせた巨大企業のテクノストラクチャーが国家と結びつき、生産者主権の経済社会になっている。ここでは政府と巨大企業の癒着は不可避で、消費者に主権はなく、労働者の待遇は悪化する傾向にある。これがまさに20世紀を代表する風景だったし、日本でもこの意味での『新産業国家』は社会を飲み込んだ。ただ、社会主義的とさえ揶揄される経済運営は一億層中流と言われた少格差社会を実現し、企業内でも格差を最小に抑える経営がこの欠点を覆い尽くしていた。だが、近年日本でもいわゆるグローバル化の進展とともに、『新産業国家』の本来の問題が噴出しつつあった。このように見ると、今回の原発問題を機に露呈した国家と巨大企業の癒着の構図は、大変日本的ではあるが、一方超日本的なユニバーサルな問題でもあったことをあらためて感じる。



ジャーナリストの編集能力


ウィキリークスに対して、ニューヨークタイムズ紙やガーディアン紙等のジャーナリズムが際立っていた能力は、大量に入手した告発情報の中から有用な情報を選り分け、ストーリーをつくり、話題性をつくり上げる能力(編集能力)だという。組織としての日本マスコミがこのような能力を著しく欠いていることが巷間言われているが、それでも少なくとも個々のマスコミ人にはよく勉強していて、柔軟な発想が出来る人も多い。彼らが自由に語り出すことで顕在化する力はけして小さくないはずだ。すでに組織のしがらみを離れてインターネットメディアを中心に活躍する日本のジャーナリストにも大手マスコミ出身の人が沢山いる事ことがこれを物語る。



ウィキリークス研究は必須


日本ではフェースブックの普及率は他国と比べて低いとは言え、mixiは早くから普及していて、人口比15%程度はあるはずだし、Twitterも急速に普及が進んでいる。日本でもソーシャル・メディアの影響は大きくなっている事は間違いない。今ならいったん開いた穴はさすがに日本でも押し広げられていく可能性は高い。日本にも大変革の条件は揃いつつある。だから、私はウィキリークス現象もフェイスブック現象も日本の近未来を語る上でもきちんと分析して理解しておく価値があると確信している。