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関東大震災前後に似る日本/破滅を回避する鍵とは

戦後の復興期に似ている?


東日本大震災発生直後、というよりは発生から1〜2週間後位と言ったところだろうか、あまりに規模の大きな災害の実態がわかればわかるほど、私は(おそらく私以外の多くの人も)太平洋戦争後の状況を現状に重ねて目の前で起きていることを評価して今すべきことをイメージし、今後起こるであろうことを予想していたように思う。実際、長期的な不況の混迷が深まる一方だった日本に、本来経済的にも非常なマイナス効果をもたらすであろう震災も、その中に国民の一致団結する姿勢が見られ、一からやり直そうという開き直りに奇妙なほどの明るさもあり、これなら復興需要が梃になって日本経済も反転して、戦後の高度成長とまでは言わないまでも、成長軌道を取り戻すこともあり得るのではないかさえと感じたものだ。



関東大震災の方が似ている!


だが、震災後に起きて来る出来事をずっと追っていくうちに拭えなくなってきた違和感について自問自答してきた結果、どうもそれは違うのではないかと考えるようになった。戦火で焼け野原になって物は何もなくなってしまったかわりに、それまで重くのしかかっていた重い空気もすべて振り払われて、「公職追放」に典型的に見られるように、新旧世代交代が一気に進んだあの『戦後』という特殊な時代。突き抜けるように空の青さが感じられた、との感想を漏らす人が多かったという不思議な時代。その空の青さが今の東京にあるだろうか。今、五月晴れの空は澄み渡っているが、それを見る自分の心に曇りがあるせいだと思うが、今年は空の青さが全身に染み渡って心の底まで晴れ渡る日はどうしても来ない。

日本の歴史の中でも特異な大事件であるこの東日本大震災だが、比較的歴史には親しんできた私は、ある種の既視感をずっと感じていた。どうやら太平洋戦争後とは違うがどこかの時点に似たような状況があったはずだ。そう思いながら、なかなか答えが見つけられないでいた。ところが、6月号の文芸春秋のある記事を読んで突然合点がいった。そう、東日本大震災の前後の状況は関東大震災の前後によく似ている。奇妙なほどに。

(『歴史の暗号 関東大震災東日本大震災』 文芸春秋 2011年6月号  ご参照)



類似点


具体的な類似点を挙げるとざっとこんな感じだ。

・短命内閣が続き政治が混迷していた事


・挙国一致内閣への期待が強かった事
 (結局実現せず、最終的には大政翼賛会へと至る)


・長期的に不況が続き解決の目処がまったくなかった事
 (その後世界恐慌に巻き込まれる)


・格差が拡大し社会の不安/不満が増大していた事。


暗雲がどんどん濃くなって状況が悪化していくのに、泥沼のような政党同士の足の引っ張り合いが続き、さらには元老と政党との関係も悪化しており身動きが取れない。だらしない政治や政治家に庶民は怒り、『強いリーダー』を求め『思い切った解決』を望むようになる。そしてこのころから、次第に陸軍の政治的な力が強くなって行く。その後、5.15事件や2.26事件のようなテロが横行し、中国大陸に進出し、やがてアメリカとの戦争に突入していく。



暗い未来を招来しないために


このようなことを書くと、あまりにこれからの日本の暗い運命を暗示しているようで、読む気が失せてしまったかもしれない。だが、もちろん、このブログを読んでいただいている皆さんの気持ちを暗くすることが本稿の目的ではない。何より今の日本の閉塞感の正体を正しく理解し、現状をそのまま放置した場合の危険性を明らかにし、絶対にすべきこと、してはいけないことを明らかにした上で、来るべき日本の近未来を少しでも良い方向に誘導できるような一助となりたいと切に願うのみであり、このブログもそのためにこそあると考えている。では、暗い未来を招来しないためにどうすればいいのか。



明らかに違うこと


関東大震災に類似点も多いが、明らかに違うことが少なくとも一つある。インターネット・メディア(中でもソーシャル・メディア)の存在である。中央公論6月号の当該記事(座談会)でも言及されているが、関東大震災の時も、今回の東日本大震災でも多くのデマが流れ飛んだ。関東大震災の時には、朝鮮人についての流言蜚語を抑えることができず(朝鮮人が「暴徒化した」「井戸に毒を入れ、また放火して回っている」等)死者を招く悲惨な事態となった。

殺害された人数は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、当時の政府(司法省)の調査では233人、吉野作造の調査では2613人余、最も犠牲者を多く見積もる立場からは6661人(上海の大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」社長の金承学の調査)[14]と幅が見られる。内務省警保局調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であった。

 関東大震災 - Wikipedia

それと比べると、今回の震災後もTwitter等でも多くのデマが流れ拡散はしたものの、多少時間はかかっても、明らかなデマはデマとの評価が下り、過度に悲惨な事件を引き起こすこともなく抑制されたと言っていい。



閉鎖的なメディア環境の方が危険


その中では情報の閉鎖性が強かった(強い)原発事故については未だに流言蜚語に近い言説が飛んでいるが、最近ではそれも早晩浄化/収束して行くであろうと思えるようになった。やがてインターネット・メディアに浄化作用が働くことが期待できるからだ。逆に、政府公報と既存大手メディアだけしかなければどうなっているだろうか。東京電力、政府および利害関係と危篤権益に支えられた多くの既存メディア(すべての、ではない)への不信は強い怒りに変わり、その怒りが蓄積して暴発する恐れがないと本当に言えるだろうか。今回は、政府公報や既存メディア情報が信頼に足りないと考えた人たちが、大挙してインターネット・メディアへシフトした(少なくとも情報源として既存メディアに加えてインターネット・メディアを使うようになった)。もちろんまだ言論空間としてはよちよち歩きで、未成熟そのものであることは間違いないが、少なくとも関東大震災の頃と比較すれば、ずっと健全であることは誰しも異論はないはずだ。



海外メディアで取るバランス


情報の閉鎖性と言えば、私がもう一つ思い出すのは、バブル崩壊後の銀行の不良債権金額である。当初発表された数値があまりに小額なので、当時の私は唖然としたことを覚えている。当時は大蔵省、銀行、大手メディアが情報発信の担い手だったが、結局初めに流された不良債権金額は過小評価であったことがその後明らかになる。金融パニックを起こさぬようにとの配慮が働いた、というのが言い訳だろうが、今の原発事故関連の東京電力および政府の情報発信と極めてよく似ている。その情報を信じた私の友人知人は速い段階でのバブル復活を信じている者も少なくなかった。結果的に バブル崩壊後の日本の長期的な不況もその多くは事実隠蔽に由来するものであったと考える。


その頃にはまだインターネット・メディアは立ち上がってなかったから、私は海外メディアの情報を出来るだけ入手することで、自分の情報バランスを保つ事を心掛けた。それは当時の自分なりの情報リタラシー確保のための窮余の一策だったが、今にして思えば大正解だった。そして、インターネット・メディアの忘れてならないメリットは、広く世界中に情報源を求めることができるということだ。当時から日本のメディアを全面的に疑っていたわけではないにせよ、それがかなり閉鎖的でバランスを欠いた特殊な存在である事はそれ以降意識するようになった。



どちらがより健全か


いまだにインターネットに理解がなく、むしろ不信感の強い人たちは非常に多く、そういう人たちはインターネット・メディア(特に素人の発信ばかりのソーシャル・メディア)などデマの発信/拡散装置と揶揄し、忌避している。だが、本当にパニックをもたらす危険をはらんでいたのはどちらなのだろうか。権威はあるが閉鎖的かつスピードの遅い政府、大手メディア、既存の大企業情報等しかない状態こそ実はより危険なのではないのか関東大震災後は古い政治体質に対する庶民の怒りを背景に軍が政治的な革新勢力として押し上げられていくことになった。それは情報源を閉鎖的で特定かつ少数のメディアに頼るしかなく、容易に政治的プロパガンダを許してしまう情報空間でこそ起きてしまった悲劇ではないのか。現在のような、インターネットで直接民主主義の可能性さえ取りざたされる状況を衆愚と呼ぶ人もいるしその趣旨は理解できるが、どちらがより健全なのかよく考えてみた方がいい。



破局に向かわないための鍵


インターネット・メディアは誤報もデマも多いことは確かだが、少なくとも閉鎖的ではなく、スピードも速い。相互監視機能も働くから、時間がかかってもデマはデマとして浄化されていく。デマが修正されぬままに放置されるということは余程のことがなければ考えにくい。確かにこれを使いこなすにはまだ高いレベルのリタラシーが不可欠ではあるが、東北大震災後の世界を、関東大震災後のような破滅に追い込まないための鍵はインターネットが握っていると言っても、もう極論とは言えないと私は考える。だから、このインターネット・メディアをより充実したものにしていく事、インターネット・メディアのリタラシーを上げて行く事は本当に重要で、皆が責任と自覚を持つべきだと思う。