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キュレーターであることの重要性/生成する豊穣な大地の開拓者

巨大な情報のメルティング・ポッド


すでに多くの人が指摘している事だが、震災後のTwitterは以前にも増して非常に巨大な情報のメルティング・ポッドになってきている。 震災前には腰の重かった政府機関や企業でこの機会に参入したところも多く、 情報のスピードという点ではますます他に追随を許さない存在になってきているし、重要な情報も多くなっている。その一方で、デマや根拠の無い憶測、誹謗中傷の類いも増えていて、『2ちゃんねる化』も進んでいるようにも見える。


それまでTwitterを使っていなかった人が突然Twitterを使い始めたからといって、それだけで情報通になるということはもはやまぎれもなく幻想だし、この清濁が混在する荒海は、気をつけていないとすぐにデマに振り回されてしまう。初学者にハードルの高いフィールドであることは確かだ。従って、一人ですべての分野に渡って面白いものを発見し続けることは到底できない。ある種の専門家に頼らざるをえなくなる。



使うことと自分がなること


ジャーナリストの佐々木俊尚氏が自らの著作に取り上げて使った『キュレーション』『キュレーター』という概念は、少なくともネット情報に精通している人たちの間ではあっという間に市民権を得た印象がある。特に震災後のTwitterFacebookを初めとするSNSの活性化に伴う大量のデマ/不確かな情報の流通という混乱した状況下で、信頼できるキュレーターの存在の必要性を皆が痛感した。だが、それと同時に、いやそれ以上に、自分が自分の得意な分野でのキュレーターとなることの重要性を直感/再認識した人もまた多かったのではないか。キュレーターを有効に活用する、という文脈で語られたこのキーワードも、ここに来て良きキュレーターであることの重要性という文脈に読み替えられてきている印象さえある。

NAVERまとめ公式ブログ
あなたが情報のキュレーターにならなくてはいけない理由 | Lifehacking.jp
今日からキュレーターになろう | Social Media Experience



市場や社会とコミュニケーションできる能力


今、どのビジネスの領域でも会社組織の箍がゆるみ、組織内部の潤滑油となることで生き残ってきたタイプの人の存在意義が急速に失われつつある。逆に、専門知識や外部で通用する技能等、各分野での専門知識の高さ(技術力等)、技能の高さが、厳しいビジネス社会を生き残っていくための必要条件としてあらためて注目されてきている。


だが、どうもいまだに誤解があると思うのだが、個人の技術/技量が如何に高くとも、それが市場や社会と整合し、価値を生まなければ、評価されることはないということが正しく理解されているようには思えない。もちろん、科学や真理の探求それ自体を追求することは重要だ。こうした意欲がそがれるようであれば、その社会は近い将来かならず衰退してしまうだろう。だが、ビジネス社会に適応し、正当な報酬を受けたり社会にそれなりのプレゼンスを示そうと思うなら、その市場や社会との整合は不可欠であることは言うまでもない。特に市場や社会の価値がほぼ一定で、それ自体を問題にする必要がなかった時代ならともかく、どんな技術や技能を持っていようと、その『価値』や社会での存在意義や整合をめぐって市場や社会とコミュニケーションができる能力は今やどの分野であれ必要だ。だが、その能力はどうすれば磨かれるのか。



キュレーターであることの重要性


おそらくそれが今最も洗練された形としてあるのものの一つが、良質な『キュレーター』であるべく情報を発信し続けることなのだと思う。というのも、受取る側に認められる良きキュレーターであるためには、大量の情報の中から、一握りの推薦するに値する特定分野の情報を選別する『フィルタリング能力』『フィルタリング・センス』が最も重要な要件になる。日々大量の情報を選別して発信する作業を継続する事自体(数をこなすこと)でそのフィルタリング能力が磨かれることも確かなのだが、それ以上にその発信情報やコメントを市場で多くの人の目にさらし続け、時には手厳しい指摘を受けたり、あるいは、驚くような視点を教えられたりすることが、フィルタリングの精度をあげることに寄与するところ大だからだ。それがまた、自分の専門性を市場や社会に整合させるためのコミュニケーション能力やセンスに磨きをかけることになる。しかも、如何にある時点での専門能力が高くても、いやになるほどスピードの速い現代社会においては、継続的に自らの知識という知的資産を研磨しなければ、陳腐化してしまうのは必然と言っていい。キュレーターであるべく市場で研鑽することで、研究したり知識をリフレッシュしたりすべき領域をタイムリーに知ることもできる。



誰もがキュレーターにならないといけない時代


いわば、今の時代に生き残ろうと思えば、宴会や社内行事に参加して社内のコミュニケーションを欠かさないこと以上に、市場や社会との高いレベルでのコミュニケーションを欠かさないことが決定的に重要になっているということだ。また、そういう意味で知的資産を研磨している人でないと、市場でも評価されなくなってしまうだろう。如何に今日本社会(企業)が古い体質で身動きが取れないとは言え、評価尺度の変化はすでに静かに進行しつつある。誰もが自分の仕事の専門範囲で良きキュレーターであることをめざして切磋琢磨する、そういう時代がもう目の前に来ているように思う。



ダイヤモンドの原石


ただ、私自身が最近痛感していることでもあるのだが、情報が清濁とも大量に吐き出される今の時代に単に情報を選別して若干の評価やコメントを付与して伝えるだけでは足りないのではないか。というより、さらにその先の役割をつとめることができれば、より社会に価値を還元すると同時に、ビジネスでも一歩先んじることができるのではないかと思えてくる。


というのも、Twitterに限らずソーシャル・メディアで発信される大量の情報の中には、ゴミが多いことは言うまでもないが、一見ゴミのようなどうしようもなく見えるものでも、汚れた表面の奥底にものすごいきらめきを秘めたものを見つけることも少なくないからだ。ダイアモンドで言えば原石の状態で存在するそのようは発信は、そのままでは見逃す人が多いかもしれないが、丁寧に拾い上げて研磨すれば、誰の目にも明らかな素晴らしい光を放つ可能性がある。



肥沃な大地の生成現場


ソーシャル・メディアでの発信がゴミだらけだから役に立たないと簡単に判じてしまう人を見るにつけ、正直私はいつも『わかってないな』と思う。これほどの可能性の大海、広大で肥沃な大地の生成現場にまさに今立ち会っていることをどうして感じることができないのか。単一価値と同調圧力の支配する市場やその背後にある『価値観』を乗り越えて、自ら探求することで運命を切り開くことができる『豊穣な海』『豊穣な大地』、それが今のインターネット、中でもソーシャル・メディア内で生成されつつある世界だ。震災による混乱は古い体制と価値観の支配する日常を止め、この世界に一瞬裂け目ができた。そして、そこからは、日本をどうにも身動きできなくしてしまったものの正体がはっきりと垣間見えた。王様が裸であることがとうとう本当にばれてしまった。そして、それはこの世界の時計を明らかに先に進めた。前に進むことは必ずしも簡単とは言えまいが、もう後戻りはできないことははっきりした。もはや萎縮してぐずぐずいる場合ではない。そしてそう覚悟を決めた人こそ、震災復興経済の核となっていくに違いない。