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『無意識可視化装置』の無限の可能性

中東/アフリカの争乱


中東/アフリカの争乱が熱い。つい先日までエジプトに釘付けになっていた注目はあっという間にリビアに移り、そのリビアでは多数の死者を出す大規模な内乱にエスカレートしている。そして、今では中東/アフリカの広いエリアから毎日のように大規模なデモの様子が伝わってくる。まだ必ずしも明確には言い切れないが、一度どこかが倒れるとあっという間に全部が倒れてしまうドミノ倒しが眼前で起きている可能性がある。非日常の光景にあっけにとられている間にワーッと全部倒れてしまう、そんなドミノ倒しの始まりを見せられているのではないか。少なくともエジプト国内の一連の動静をつぶさに見ているとそのように感じてしまう。インターネットには人々がそれぞれにもつエネルギーを集中し増幅するプリズムのような機能があることは頭では理解していたつもりでも、いざ現実に目の前でそれが起きてみると自分の目の方が信じられない気がしてくる。



制御不能の大混乱にならねばよいが


極端な貧富の差、言論統制、腐敗した政治等、長年の独裁者支配の結果としてたまった歪みを是正しようとする民衆の切望が背景にあることは痛いほどわかるから、何とか成果を得て欲しいとは思うが、結果としてパンドラの箱を開け放ち、泥沼の内戦、イスラム過激化の支配等制御不能のさらなる大混乱に陥る恐れも十分にあるわけで、興味をひかれながらも怖々、祈るような気持ちで毎日見守っている。民衆の無意識が無軌道に解放されると、時に非常に恐ろしいことが起きることは、歴史の教えるところだ。(フランス革命ロシア革命等)



破壊は得意だが構築は不得手?


確かにインターネットの糾合する力は強く、速く、時に圧倒的だ。独裁者という誰の目にも明らかな『仮想敵』がいて、人々のベクトルを政権打倒という単純な一方向に向ける時には、恐るべき力を発揮する。だが、独裁者なき後の新体制構築というような、多様な価値を取捨選択して積み上げていくような作業には、必ずしも向いているとは言えない(もちろんまだわからない、というべきだろうが)。今回の中東/アフリカの争乱同様、FacebookTwitterが大活躍したオバマ大統領の大統領選挙でも、当時の政権政党の共和党(後に民主党の対立候補ヒラリー・クリントン国務長官)という強大な仮想敵を相手にして選挙戦を戦うのには驚くべき破壊力を発揮したが、政権奪取後の政府の運営ということになると(もちろんそれなりに有意義に使われていることは確かだろうが)力が分散してしまっている印象がある。今のところインターネットは『破壊』が得意で『構築』は不得手、というふうに見える。



結論を急いではいけない


これを持って、インターネットに代表される現代のITテクノロジー全般に批判的な人たちは、インターネットを民衆の衆愚を解き放つ怪物のように語るかもしれない。繰り返し語られてきた『大衆社会論』の亜流がうんざりするほど這い地出してくることも予想される。だが、結論を急いではいけない。インターネットは史上例のないテクノロジーであるだけでなく、そのポテンシャルは従来の想像の範囲をずっと超えて巨大だ。今は、貧困な想像力で小さく括ってしまうのはやめたほうがいい。




可視化され始めた無意識


何よりインターネット普及による驚くべき変化は、人々の無意識に近いレベルの意識が可視化され始めているということだ。それは時に衆愚としか言いようがないように見えるかもしれないが、仮にそうだとしてもその衆愚が戦争や動乱という形ではなく、事前に目に見える形で立ち現れてくるというのはおよそ古今未曾有の出来事と言っていいはずだ。それは、『悪意増幅装置』としての機能が強すぎる、『2ちゃんねる』にしてすでに『無意識可視化装置』的な機能を随所に見せ始めていた(いる)。



潜在するものが目に見えるようになってきた


ウェブ進化論*1等の著書で知られる梅田望夫氏は、『2ちゃんねる』や『はてなブックマーク』等のネガティブなコメントばかり溢れる日本のインターネットシーンに失望して、この領域の第一線のオピニオンリーダーの地位から自ら身を引いてしまった。確かに、正々堂々とネットでも自らの素性を明かし、議論を戦わす米国の様子を横目で見つつ、日本のインターネットは衆愚を誘発し、悪意を増幅する装置としてしか機能していないのではないかと嘆く識者は非常に多い。(今も、SNSの実名性と匿名性の問題に場を移して同種の議論が続いている。)だが、それはインターネットの存在が問題なのか。おそらくそうではあるまい。何らかの別の理由で日本人の無意識にこれほどの悪意が蓄積し表出する状況ができあがっていること、そのこと自体が本当の問題だろう。インターネットが中東/アフリカの争乱を起こしたわけではなく(きっかけではあっても)、中東/アフリカの人々の共通の『意志』や『怨念』が本当の争乱の原因であることと同じだ。今まで個々に分散して隠れていた問題がインターネットによって大きな塊となって見えてきているということだろう。



ありのままの姿を知ることが始まり


そこで衆愚や悪意など見たくもないものが見えてしまったからと言って臭いものに蓋をして、見ないふりをするほうがよいのだろうか。現代の無意識を扱う心理学の成果によれば、表出しようとする無意識を意識的に無理に押さえようとすると、エネルギーが解放されずにむしろ形を変えてもっと大きな問題にエスカレートする、とされる。どんなに自らの本当の姿が見たくもない汚物にまみれていようと、ありのままの姿を真摯に見つめることなくしては何も始まらないというべきではないのか。もちろんだからと言って、汚い批判や中傷を良しと認めるわけではない。それに、幸いなことに、Twitterの存在によって、インターネットが悪意の中傷合戦の場にならず、より洗練された『無意識可視化装置』が構築されていく可能性が提示されてきているとも言える。



神にも悪魔にもなれる人間


では、日本だけ衆愚で米国は理性的で大人なのかと言えば、どうだろう。残念ながら米国にも愚鈍も、邪悪さもどこにでも見つけることができる。むしろイラク侵攻後の米国は容赦のない邪悪さが表出し続けていると言えないこともない。歴史の教訓をきちんと読み取れば、人間は時に底が知れないほど愚鈍で邪悪になりうることは否定できない。だからといって人間の本質が邪悪であると結論づけることは明らかに性急で、時に愛情、神々しいほどの慈愛、清廉な正義感等が垣間見えることも少なくない。要は、神にも悪魔にもなれるのが人間で、少なくとも今までのところはこの根本原理に地域も時代も関係ない。これを受入れた上で尚、個人でも、社会でも、少しでも邪悪の表出を抑え、善意と正義が支配するよう努力をやめないのが、成熟した態度/あり方というものだ。表面的な対話や議論等の合意形成でどんな政治問題にも対処できると考えているのなら、それこそナイーブで未成熟というべきだろう。



無意識の意識化の重要性


如何に人々の『共通の無意識』、『そういうレベルでの合意』が形成されているからといって、それをいきなり政治判断や施策に接合していけない。必ずそこには『解釈』と『もう一段高度で冷静な判断』が不可欠だ。無意識は非理性的で時に感情的だが、しばし民族や国民の命運を方向付ける強いエネルギーを伴う『意志』となることがある。(第二次大戦時のドイツなどその典型だと考える。)だが、それを意識化すると、時としてそのエネルギーは急速に縮小し、場合によっては霧散してしまうことがある。あるいは、エネルギーを解放できずとも、方向を変えて、破滅的な結果を回避する知恵を働かすことができる可能性は高まる。いずれも、そのような無意識の存在を意識化できなければ、その無意識のエネルギーに翻弄される。だから、インターネットがこういう無意識を意識化するツールとして働けば、政治の仕組みは圧倒的に高度で洗練されたものになる可能性があるのだ。



梅田氏の発言に感じた物足りなさ


梅田望夫氏の『日本のインターネットは残念』発言*2があった時に、私はその意図するところは理解しながらも、どうにも物足りなさを感じ、当時ブログに次のように書いた。

インターネットがなければ解らなかったであろう、日本社会や日本人のメタの部分が大量に露出してきている。『ネットイナゴ』と形容されるようなネガの部分も、クローズアップされて誰の目にも明らかにさらされて来たこと自体、改革のプロセスと考えることはできないだろうか。これがなければ、潜在したままであったことを思えば、大変な進化のプロセスが生起していることを私はむしろ喜びたい。
梅田望夫氏Twitter発言について遅ればせながら一言 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る


当時はまだそれでも明確な言語化に至ることのできないもどかしさを感じていたことを認めざるを得ないが、その後、特にTwitterが本格的に普及しだすと、少しずつ私の頭も整理されていった。



道の先に東浩紀氏がいる?


だが、当時から今日までに、何より驚愕したのは、前回のエントリーでも言及した思想家/評論家の東浩紀氏のお話の中で、『ルソーの一般意志』が出てきたことだ。私の理解している『ルソーの一般意志』とは多少異なった解釈をされていると思われたことと(というより私の理解が間違っている可能性も大だが・・)、東氏の政治システムの構築イメージは私の貧困なそれとはおよそ比較にならないほど壮大なもののようだが、もしかすると『コア』の部分は共通する思想を内包しているのでは、と感じることができた。(少なくとも私にはそのように読み取れた。)人とは違う考え方を持ち続けることの孤独感は結構深いものだが、東氏の一連の発言や動画をフォローさせていただいて、力強い承認をいただいたような(実際にいただいたわけでもないのに)気がして、すごく気持ちが楽になった。



日本は独特のいいポジションにいる


もちろん、私の単なる直観だけではまだまったくお話にならない。どうすれば、システムとしてこれを構築できるのか、イメージと現実の隔たりは非常に大きい。だが、最終的に実現できる成果は政治の領域だけに留まらない。経済、教育、マーケティング等々およそあらゆる領域にわたって活用される壮大な英知となる可能性が十分にある。その最前線を思わず知らず、日本のインターネットサービスがリードしているのではないかと私はかなりまじめに考えている。(2ちゃんねるニコニコ動画携帯小説等)ところがこうした日本にしかないサービスの多くは最近では一段劣った特殊な世界扱いされることも少なくないため(ガラパゴスの蔑称等)、自信喪失気味の人も増えている印象がある。だが、見方を少し変えれば、日本こそ新次元のインターネットサービス構築をリードできる独特のポジションにいて、ポテンシャルも十分にあると言えるはずだ。そんな最前線にいる人たちが元気が出るように、もっと具体的な方向提案が出せるよう、私ももっと研鑽を積んで行こうと思う。