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M&Aは社会人の常識知/必須のスキルになるか?

経験豊富な弁護士によるM&Aの本


昨年の暮、法務の業界団体である国際企業法務協会(INCA)の忘年会に出席したのだが、同じくこの忘年会に出席されていた、TMI総合法律事務所のパートナーである、淵邊善彦弁護士が「企業買収の裏側 M&A入門」という自著を持参されていて、忘年会のイベント(ビンゴ)の景品に供されていた。

企業買収の裏側―M&A入門 (新潮新書)

企業買収の裏側―M&A入門 (新潮新書)


残念ながら私はあたらなかったのだが、今の時期に出るM&Aの本、それも経験豊富な弁護士の手による、しかも専門書ではなく新書という設定に非常に興味がわいた。淵邊弁護士とはその日が初対面だったのだが、臆面もなく著作に興味があることを申し上げたら、献本について快諾いただいた。この場をかりてあらためて御礼申し上げたい。



海外ビジネスには頻発するM&A


比較的長い間会社員生活を送っていると、M&Aにも案外頻繁に出くわすというのは体験的な事実だ。特に海外でのビジネスを担当すると、成否は別として多くの案件の検討に加わることになる。そこではM&Aは経営施策上の一策、すなわち手段だ。だから様々な種類のM&Aを検討の俎上にあげることになるし、契約締結時点においてさえ、失敗するケースを想定した「撤退戦略」をきちんと準備しておくことが必ず求められる。うまく行けばよし、うまく行かない兆候が見られればすぐさま「撤退」を含めた善後策の検討に入る。そういうドライさがしばし有能の証となることも少なくない。



日本の経営体質には馴染まないM&A


だが、ひるがえって、日本的経営で経営される日本企業しか経験のない従業員にとって、M&Aはまさに一大事だ。自社が巻き込まれれば「晴天の霹靂」であろうし、経営手法として軽々に口にしようものなら、思わぬバッシングを受けたりする。私自身の経験でも、自動車会社や石油会社という、海外活動に慣れた経験者を豊富に抱えた企業でさえ、いざ自分がM&Aに巻き込まれるとなると非常に情緒的なドラマがあちこちで巻き起こることになる。日頃声高に経営の国際化を口にする人が、骨の髄から日本的/家父長的経営体質の信奉者であったのかがわかる瞬間だったりする。



わかりやすい「結婚」の例え


「企業買収の裏側」では、M&Aを日本の読者に理解してもらうために、「結婚」に例え、出会いから結婚、離婚に至るまで丁寧に説明してある。この「結婚」(もちろん日本における結婚)の比喩が、少々ベタではあるが、日本人の読者には最も理解してもらいやすいという感覚は、淵邊弁護士がリアルな現場に精通していることを物語る。多くの日本人にとって会社とは今でも共同体/村であり、終身雇用は事実上なくなったと言われるものの、いまだに解雇が法律でも(その運用でも)非常に厳しく制限されている国だ。「経営効率を後回しにしても雇用を守る」と宣言する経営者が今でも一番尊敬される経営者像だったりする。


もちろん、実際のM&Aは日本の結婚の比喩を超えてしまう側面も多分にある。そもそも海外企業とのM&Aでは日本人同士の結婚制度や実態だけ知っていてもうまくいかないだろうし、「敵対的買収とその防衛」という戦争の比喩のほうが余程馴染む領域もある。


しかしながら、「結婚」の比喩を援用してでもよいから、日本の会社およびその経営者や従業員はもっとM&Aに対する恐怖心を取り除き、自ら積極的に係わることで経験を積み、経営手法として使いこなしていくことがこれからは必須である、というのが筆者の一番のメッセージだろう。



企業にとってのしあわせ


本書の第2章に「企業にとってのしあわせ」と銘打った章がある。「企業=株主の持物」と短絡することの多い、大抵の米国企業であればこれを単純に「株主価値の最大化」と定義するかもしれない。一方日本企業はこれを「社員のしあわせ」と決めつけてきたきらいがある。だが、右肩上がりの経済成長は終わり、終身雇用制度も行き詰まり、労働集約型の産業(自動車や電機等の製造業等)では、日本国内での生産がもう成り立たなくなって来ている。そんな中、大変残念なことに多くの日本企業は、「雇用維持」の美名の元、「企業のしあわせ=現行の経営者のしあわせ」か、多少良くても「現行の経営者と古参正社員のしあわせ」へ矮小化してしまったように見える。そして、今に至るも、「現行体制としての企業=共同体/村」を維持することに汲々としている。だが、これで本当に日本の企業社会はしあわせなのだろうか。特に、これから日本企業に入社して働こうとする労働者/従業員予備軍にとってしあわせと言えるだろうか。



今後は必須のM&A


そうしているうちに、今やこのような問い自体が無意味になりそうなほど、多くの日本企業は余裕がなくなって来ている。そして最後の最後まで企業=共同体/村を自分達だけで守ろうとした上で追い詰められてしまうと、結果的にその企業は他人の手でドラスティックに切り刻まれることになる。天国からいきなり地獄、ということになりかねない。そのくらいなら、手遅れになる前にしっかりと現実を見据えて、M&Aを経営手段として誰よりもうまく使いこなし、第11章にあるように「幸せなM&A」を志向するほうがはるかに建設的だ。というより、日本企業が「しあわせ」であり続けるためには、それ以外には道はないと私は思う。(淵邊弁護士の真意も同じではないだろうか?)


今後は単なる人口減少以上に深刻な、生産年齢人口の減少が急速に進む。大抵の産業にとって日本市場は縮小していくことを前提とせざるをえない。否が応でも、低付加価値産業から高付加価値産業への転換、海外市場の開拓、シェアの拡大/規模の拡大等の課題に直面せざるをえないどれ一つとっても手段としてのM&Aなしには語れない課題ばかりだ。



自ら使いこなすべき


金融危機を契機に、従来の欧米流のM&Aや経営手法が本当に企業価値を最大化するのに寄与するのかという反省が、当の米国でも出てきている。日本企業の経営者も、まずM&Aに付着した思い込みや先入観を払拭するところから始め、自らの経営理念を実現するためのM&A手法を自ら編み出すというくらいの気概を持って欲しいものだ。本書にも、日本でのM&A巧者として、ソフトバンク日本電産の例が挙げられているが、この領域はまだ日本では開拓の余地が多い。それはまた他社との差別化に有効に使える可能性があるということでもある



環境も後押しするM&A


最終章(第11章)であらためて説明がある通り、今(今後)はM&Aが促進される要素が目白押しだ。

 

・円高(海外企業を買収しやすい)


 ・事業継続が難しい企業の増加
   (M&Aを検討する覚悟のある企業の増加)

 ・アジア企業のM&Aへの意欲


 ・企業再生支援機構および産業革新機構の設立


 ・国際会計基準IFRS)の採用
   (2016年3月期より上場企業に対する強制適用)


詳細は本書をご確認いただきたいが、早期に覚悟を決めた企業にとってはいずれも追い風とできる要素だろう。というより、これからは日本でも、M&Aを使いこなす技量が競争に勝ち残る企業と敗退する企業の選別の決め手であることがはっきりしてくるのではないか。もはや、M&Aは特別な人の専門知ではなく、企業人であれば常識として持っておくべき常識知と言ってよさそうだ。その準備を始めるにあたり、本書は貴重な道しるべになると思う。