<追記>が絶妙 「ITニュースの読み方』

電子書籍『ITニュースの読み方」


先日、iPhone/iPad電子書籍として、佐々木俊尚氏の「ITニュースの読み方」という小品がアップされた。
サイゾー、佐々木俊尚氏の人気連載をまとめたiPhone/iPad電子書籍「ITニュースの読み方」 - MdN Design Interactive - デザインとグラフィックの総合情報サイト


すぐにダウンロードはしていたもののしばらく忙しくて読めないでいたが、少し時間が出来た先週とりかかったら、一気に読み終えて今2度目を読んでいる。これは2008年から2010年にかけて月刊誌『サイゾー』に連載されていた佐々木氏の連載が加筆修正されて電子書籍化されたものだ。佐々木氏の作品は、どれも甲乙つけ難く面白くてためになるのだが、今回の構成は私にとって特別面白くて、非常に参考になった。少々自分でも意外なくらいに感動して、一度読み終わってすぐまた2度目に入っている。誰もが私のように感じるかどうかそれはもちろんわからないのだが、それでも、是非自分の率直な感想を、自分の備忘録というか『感想の缶詰』として書き留めておきたいという衝動にかられた。


私も時折『サイゾー』誌で連載記事を読んではいたので、内容的には半分弱くらい見覚えがある。『時勢にタイムリー』という意味では、佐々木氏が毎週発行しているメールマガジンのほうが一つのトピックをかなり深く掘り下げてあり、概して文章自体も長い。それに比べるとこの「ITニュースの読み方」の記事は大変コンパクトにまとめられている。その分読み易いが、長く佐々木氏の数々の文章を読んで来た身としては、もう少し続きが読みたい、というくらいのタイミングで終わっている回も多い。だが、それでも、この書籍はメールマガジンとはまたまったく違った意味で実に面白い。



<追記>がすごく面白い


どうしてそれほど面白いのか。何と言っても、それは各記事の最後に書かれた、各記事に関するその後の動向とコメントである<追記>にある。今やドッグイヤーという表現さえ陳腐に感じてしまうほど、業界も時代もあらゆる意味でスピードが早く、あっという間に変わってしまう。そのような環境下では、如何に佐々木氏ほどの力量あるジャーナリストによって書き留められたその時点での最もホットなトピックも、半年も経てばまったく様相が違ってしまう。従って、過去の記事を直近で読もうとすれば、何らかの解説なり書き直しがないと、まったく意味不明になってしまうことになりがちだ。だが、本書のように<追記>が絶妙だと、過去の記事それ自体が新たな価値を帯びることになる。



『ITの史書』?


IT 業界のど真ん中にいあると、何かサービスをしかけるにしても、予測を行うこと自体が『投機』になってしまうのではと感じるほど、近未来でさえ予測を行うことは難しい。だが、難しいからこそ競争の源泉にもなりうる。それができるようになるためには、もちろん一番必要なのは実地の体験だが、同時に、実際に市場で起きたことから何らかの法則性を引出して自分で表現してみる努力を重ねることが必要だ。だが、今はこれが難しい。先人の進める手法の一つに、『歴史を研究すること』がある。私自身、歴史書が好きで、部下や後輩には歴史を勉強してみることを勧めている。そして、それはじっくり取組めば間違いなく効果があることを確信している。だが、IT業界のように、目の前でものすごいスピードで出来事が起きては去って行く場所では、各々の出来事が歴史書としてまとまる暇がない。まったくないわけではないが、そのような目的で使える良テキストは極めて少ない。その意味で、本書は『ITの史書』とでも言うべき、希少な『歴史書』として読むことができる教材になっている。



様々な読み方ができる


業界知識があまりない人にとっては、あるトピックを時系列で読んで理解することで、トピックの背後にある構造を理解するための参考になるはずだ。私達のように、ある程度業界の中にいてトピック自体はそれなりに知っている者にとっては、逆に追記を先に読んで、そこから過去に遡る、という読み方もできる。


例えば、冒頭に楽天に関する記事がある。楽天と言えば、今や日本における起業の代表的な成功例と言っていいし、総帥の三木谷氏が、『生きる立志伝中の人』であることは誰しも認めるところだろう。だが、話題になった『英語の社内公用語化』のように、エキセントリックで真意が量りかねるような言動が時々出てくる人でもある。追記にはまずその話題が出てくる。翻って2008年に書かれた記事を読んでみると、奇行の数々はかなり以前からであることがあらためて確認できる。ITネット業界の騎手とマスコミには持ち上げられながらも、業界に長い人には三木谷氏の言動に『微妙な違和感』を口にする人が多い。それがどういうことなのか、本書を読むと非常に立体的に理解できる。


また、最近のマイクロソフトは、やること成すこと惨憺たる状況と言わざるをえないが、少し遡ってヤフー買収劇に関わる記事を読んでみると、この時点ですでに『テクノロジー』に対する本質理解に明らかに欠陥があることがあらためてわかってくる。



力量ある書き手にしかできないスタイル


それにしても、このようなスタイルの著作を書くだけの力量ある書き手は、それほど簡単には見つからないと思う。私もブログを書くようになってから本当に実感するのだが、過去に書いた記事を今読んで評価することほど恥ずかしいことはない。自分の無理解と未熟さを思い知らされるからだ。その時点で最もリーズナブルな判断をして書いたつもりでも、周囲の雑音、特にマスコミのような影響力の大きな声に如何に惑わされて、本質を見誤ったかということを嫌という程思い知らされることになる。



人の記憶の移ろい易さ


普通、人の記憶は意識せずともバイアスがかかるものだ。自分に都合良くアレンジされた物語が記憶として残る。人間のこうした性向を描写した傑作に黒澤明監督の映画『羅生門*1がある。(原作は芥川龍之介の短編小説 『藪の中』)同じ出来事も人によって全く違ったストーリーとして記憶され語られる。だから、何人かに同じ出来事について聞いてみても、まったくバラバラということは珍しくない。これは必ずしも悪意とか誠意の問題ではなく、人間の記憶のメカニズムとして、自分自身で無意識に作った物語を事実として記憶してしまう、すなわち記憶自体がつくり上げられてしまうことがあるということだ。ただでさえ今は、昨日起きた出来事が今日には180度変わってしまうような時代である。事実とその事実について自分が感じたことや考えていたことを正確に覚えておくことはますます難しくなっている。



市場での選別


だが、だからこそ、自分を偽らずその時点の最大限で真剣に語り、後に間違いや見識の至らぬところがあればきちんとそれを認め、自己分析をして次に生かして行くことができる言論人は非常に貴重な存在だし、早晩、それができる人と、いい加減に済ます人は市場で選別されていくだろう。(今、それが起きつつある気もする。)そのような優れた現論人は自分の過去の至らなさを認める率直さも非常に清々しい。


以下は、佐々木氏の最新のメールマガジン佐々木俊尚のネット未来地図レポート vol.119)からの引用だが、本当に驚くべき謙虚さだ。

私は2006年に書いた「グーグル」(文春新書)という本で、グーグルが情報流通のすべてを支配して「情報の司祭」となっていくと解説しました。当時はソーシャルメディアの可能性がまだ自分でもほとんど理解できておらず、情報の中心地がその後ソーシャルメディアへと劇的に移行していったことは実に驚くばかりです。

見習いたい


私も折角ブログを始めて、小なりとは言え自分の考え方を世に問うことを始めたのだから、佐々木氏の姿勢を見習って行きたいものだとあらためて感じている次第である。

*1:

羅生門 デジタル完全版 [DVD]

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