『デフレの正体』を読んで個別企業の方針について考える

自分にも先入観があったかもしれない


かなり遅ればせながら、日本政策投資銀行の藻谷浩介氏の『デフレの正体』を拝読した。

デフレの正体  経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)


この本が非常に評判が良くて売れていることは知っていたが、どういうわけかなかなか実際に読んでみようと言う気になれないでいた。心のどこかで読まないでもすでに知っているという思い上がりにも似た気持ちがあったかもしれない。確かに知っている事もあった。2008年4月に、私も『人口統計』を見て、今後の企業の方針について述べたことがあるくらいだ。

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全てが目から鱗というわけではなかったが、すでに自分が知っていると思い込んでいたことのすぐ脇に意外な先入観や思い込みが潜んでいて、自分のものの見方にバイアスをかけているということを思い知ることにはなった。やはり自分の知識にも常にアップ・グレードとファイン・チューニングは不可欠だ。



すべてを押し流す『人口』の波


この本の主張を一言で言えば、本書の第一講で太字で強調された次の一文につきる。

『景気の波』を打ち消すほど大きい『人口』の波が、日本経済をあらっているのだ


同書P13


日本の人口構成にはかなりはっきりとした『ゆがみ』があり、終戦時のベビーブームの時代に生まれた、所謂団塊世代』とその子息である『団塊ジュニア』が突出している。(特に出生率が下がっている最近の若年世代との差は顕著で、10才〜15才の出生数は団塊世代の半分以下だ。)この世代の日本経済全体に与えるインパクトは決定的に大きく、他の要因による変化(景気循環による好不況等)を飲み込んで来た。自動車、電気製品のような耐久消費財、住宅/不動産等も団塊世代のライフサイクルに併せてブームが到来し、去っていたと考えられる。今も、そして、これからもその影響はますます激しく及ぶことになる。


日本の人口ピラミッド



内需低迷の主要因は『生産年齢人口の減少』


私が(私だけではないと思うが)今回あらためてハッとしたのは、失われた20年と言われる時期の評価も、人口動態を抜きには語れないということだ。失われた 20年が始まるのは、バブルが崩壊する1990年前後だが、興味深いことに、90年〜95年くらいは不況のどん底であるはずなのに、所得も消費も概して伸び続けている。そして、消費(内需)が落ち始めるのは、95年以降だ。ここから、所得は上昇乃至維持されていても、一貫して、消費(内需)は長期低落が始まる。自動車、デパートの売上げ等、これまで伸びて来た指標が一斉に長期低落に突入する。(今も続いている)この不思議な現象は『人口』を抜きには語れない。所謂『生産年齢人口=15才〜64才=主たる消費者』の層が急速に縮み始める分岐点が95年であることと符合する。所得全体で見ると、中高齢層の所得が伸びても、貯蓄に回るだけで消費性向は極端に低い。内需を押し上げる力にはならない。この結果、この時期から内需が長期的なダウントレンドになってしまった。



マスコミ情報だけではバイアスがかけられてしまう典型例?


本書の書評を一渡り読むと、非常に興味深いことに気づく。まず『目から鱗』と高く評価する人が非常に沢山いる。これは実はとても不思議なことで、本書で語られていることのほとんどは、消費や生産に関わるデータを人口と並べて普段から見ていればある程度は誰でも気づくことだ。 特に最近はインターネットの発達もあって、自分自身でデータにアプローチして、気になることがあれば自分で確かめることが簡単にできるようになった。公開情報で不足なら、Twitter等を通じて専門家に聞きに行くこともできる。実際、私の周囲の情報感度の良い人はそうしている。押し付けられたマスコミ情報で納得してしまう人のほうが少なくなっているくらいだ。ところが実際には、『経済成長さえすれば解決する』とか『ものづくり日本の復活』等、一見もっともそうだが的外れとしか言いようがない議論の方が世間には横行してしまっている一流どころの新聞や雑誌に目を通し、NHKのようなTVニュースをチェックしていれば、経済にかかわる正しい認識を得ることができる、という一昔前の常識が完全に覆っていることをあらためて感じてしまう。



批判もある


本書におけるマクロ経済分析や経済政策の手法に関わる議論に関しては、意外に批判も多い。何より『デフレの正体』というタイトルも読む人からみればミスリーディングだし、『人口減少(生産人口減少)が減少しているロシアや東欧ではデフレは起きていない』というような本書の中心課題とはややずれた部分に批判を呼び込むことにもなっているようだ。また、藻谷氏は、近隣アジア諸国を含む各国と日本の貿易収支で見ると、ほとんどが日本の黒字が現在でも続いていること(基本的には日本は世界に冠たる輸出立国であること)を示すデータをもって、日本企業の輸出競争力低下を過度に嘆くのはデータを見ないが故の迷妄とする。


この指摘なども一見もっともなのだが、今日本は資本市場も労働市場も不活性の極みにあり、産業構造にも企業内部にも改革が及ばない現状はやはり非常に危機的と言わざるを得ない。内需を活性化するのは緊急課題であり、内需企業の付加価値を高めることは何より重要であることは間違いないが、それだけではすまないことは言うまでもないはずだ。バランスを欠いた経済政策は結局ボトルネックを各所に作ってしまうことになりかねない。



個別企業の『経営書』としての価値


もちろん、多少の(誤読に基づくものも含めて)批判があっても、本書のタイムリーで具体的な指摘の価値が損なわれるものではない。本書は、主としてマクロ経済政策担当や経済専門家の分析に対する批判の書として読まれているのではないかと思うが、私など、むしろ個々の企業の経営者やマーケティング担当こそ、本書のメッセージを重く受け止め、今後の施策決定に生かしていくべきで、そのためのヒントに溢れた一種の『経営書』としての価値が大きいと思う。


市場見通しとトレンド把握だ。95年を皮切りに始まった、生産年齢人口の減少内需の長期低迷の原因で、小泉政権時代の戦後最長の好景気も、マクロでの所得増も吹き飛ばしてしまうほどのインパクトがあったわけだ。だが、それはまさにこれからが本番だ。2010〜15年は史上最大勢力の団塊世代が65才を超えて、最終的に無職になる。一方、社会研の中位推計によれば、生産年齢人口のほうは5年間で448万人減少するという。(しかもこの数値は一定ベースの外国人流入は見込んでいるという!)これでは『100年に一度』の不況どころではない。藻谷氏の言い方を借りれば、2000年に一度の日本市場未曾有の出来事ということになる。もちろん、政府の何らかの施策が絶対不可欠ということになるが、これからの3〜5年くらいのレンジで、マクロ政策の効果が急激に出てくることを見込むのはリスクが高過ぎる。だから、一企業の立場で冷徹にこの事態を見れば、企業個々の市場認識/経営方針は下記のようなものになるはずだ。


  ・海外市場開拓が不可欠


   日本の市場/需要拡大にだけ頼ることには非常に大きなリスクがある。景気が回復
   しても内需が上昇に転じる可能性は当面低いと考えておくべき。



  ・薄利多売の業種/企業はすべからく再編に巻き込まれる


   市場の購買層が縮小しても利益幅を大きくして生残ることができる、
   いわゆる高付加価値企業でなければ生残るのがますます難しくなる。
   薄利多売の、スケールメリットが競争力の鍵になるような企業/業種は
   合従連衡が起きて、各業種1社か2社しか生残れないような構図になっていく
   ことを想定しておくことが賢明。



  ・高価なモノの消費需要は特に低迷する


   人数規模の大きい段階世代は、住宅、自動車、電化製品等、
   ほぼひと揃い持っている。 
   『老後不安症』が不合理な程に強い日本では、高齢化すると
   貯蓄性向が極端に高くなり、すでに持っているものを
   買い替えてもらうためには、よほどの『事情と説明』が不可欠だ。
   (買換え需要が増える可能性を否定するものではない。)

   
また、生産年齢にあっても、若年になるほど所得が低く
   経済的な余裕がない。不要不急の耐久消費財の販売が伸びる可能性は低い。
   『所有から利用』の流れも止まらないだろう。



処方箋から見えてくる企業の施策


また、藻谷氏が処方箋として上げる施策も、個別企業にとっても非常に示唆的だ。

 ・高齢富裕層から若者への所得移転
 ・女性の就労と経営参加
 ・労働者ではなく外国人観光客・定住客の受入

現実味のある女性就労の増加


高齢富裕層から若者への所得移転については、これはすでに識者が語る日本の今後の施策の定番と言っていいくらいだが、残念ながら解決する目処が立っているとは言い難い。そう簡単には解決しなさそうだ。それに比べて、女性の就労比率増大(就労者数の増加)はずっとハードルが低い。すでに若年男性の所得が下がっていることもあり、如何に専業主婦願望が高まって来ていようと、女性は就労を余儀なくされる可能性が高い。現状の女性の就労比率は45%程度とすれば、まだ10%〜20%の積上げは十分可能性がありそうだ。労働力の質としても、特に昨今は男性より女性に有能な人材が多いことは企業の人事担当者の公然の秘密だったりする。



外国人観光客の『需要』こそ必要


外国人労働者の必要性も、もちろんもっと高まってくるだろうが、現状年間5万人程度の外国人労働者をこれから如何に増やしたところで、百万人単位の生産年齢人口の減少を補填することには無理がある。言語や習慣、受入のための住宅、その他のインフラ整備も大変だ。(そういう意味では女性の就労増加の方がよほど簡単だ。)むしろ本当に必要なのは、『外国人観光客の需要』のほうだ。これは確かに理にかなっている。本年7月からビザ発給が緩和された中国人観光客は過去最高を更新する見込みだし、円高の厳しい環境にも関わらずアジア各国の観光客は増加している。今後、中国を中心にアジア各国の経済や個人所得は増加が見込まれることもあり、非常に有望だ。そもそもアジア各国の人々は、日本の製品にプレミアム感を感じて、高所得者を中心に買いたがる傾向が見られる。



今後の市場認識/経営方針(その2)



これらをまとめて、個別企業の市場認識/経営方針として書き下せば、次のようになろう。

 

 ・最も重要なマーケティング・セグメントは若年女性


   生産年齢人口増加が最も期待できるセグメントであると同時に、
   消費性向が比較的高い。口コミを通じたトレンドセッターでもある。



 ・注目のセクターはアジア近隣(特に中国)を中心とした観光需要


   

ブランド価値の再検討


さらに、主要な処方箋とは位置づけていないが、これもまた非常に示唆的なのが、貿易収支から見た競争力に関する評価についても議論だ。


藻谷氏によれば、日本は中国を始めとしてほとんどの国に対して貿易収支が黒字、すなわち日本の輸出が多いというデータがあるわけだが、これが逆に日本が赤字となっている国ある。フランス、イタリア、スイス等のブランド価値の高い軽工業製品(食品、繊維、皮革工芸品、家具等)を持つ国々だ。これこそ先進国型の付加価値の付け方の見本で、日本に取っても非常に示唆的だ。単なるハイテク製品より高い付加価値がつくという事実をよく考え直してみる必要がある。『技術的に高くても売れない日本製品』、というありがたくない評価をいただくことも多い昨今だが(ガラパゴス携帯等)、確かにこれは重大な課題だ。


藻谷氏が例にひくように、日本はBMWやベンツに対抗できる車は作れるようになったが、フェラーリやローレスロイスを作ることはできない。ドバイの超高層開発には入札して勝てる力があっても、パリの街並よりも資産価値の高い中低層の街並をつくることはできない。これも、個別の企業が方針を立てるにあたって重要な指針となる。



自分でデータを操作することの重要性


おそらく、本書を精読すれば、読む人の立場によって、読み取れるものがもっと違って、バラエティに富んだ答えが出て来るのではないかと思う。そういう私も、もっと自分であらゆるデータを手に取って、現実を踏まえつつ策を考えて行きたいものだと思う。データを自分で操作することの意味は、極めて大きい。そのような認識と覚悟を新たにさせられることになった。