「ビジョナリー・カンパニー3」を読んでリストラ企業失敗の法則について語る


 企業のリストラの難しさ


自分のかつて所属した企業での経験でも仕事柄、他企業の様子を見聞きしてきた経験から言っても、企業のリストラというのは本当に難しい。特に日本では、一度は隆盛を誇った企業が、何かの理由で競争力をなくし、衰退の兆しがはっきりしてきた段階からリストラを始めて、最終的に再度偉大な企業として返り咲いた例を昨今ほとんど目にすることがなくなってしまった気がする。(その逆はいやになるほどある。)ある程度成功と言われる事例も、よく見ると、結局吸収合併という形で飲み込まれて、経営の実権を奪われて、事実上消滅しながらも体裁だけど生き残った形にするようなケースだったりする。



 さらなる衰退の入口としてのリストラ


最近の日本企業は、バブル崩壊以降はかつての栄光から滑り落ちつつある企業のオンパレードで、しかもリーマンショックのような強烈な一撃もあり、深刻さの度合いに違いこそあれ、多かれ少なかれ、何らかのリストを経験していると言っても過言ではないだろう。だが、かなり立派なお題目とは裏腹に、そのリストラが成功と胸をはれるケースがどれくらいあるのだろうか。


特に、経営危機が深刻で、銀行や株主が介入したり、外部からコンサルタントや有名な経営者やタレントの類を迎えたり、そういう号令のもと人員整理をはじめたりした場合、さらなる衰退や転落への入り口となっているケースが圧倒的に多い。



 きっかけとしての「ビジョナリー・カンパニー3」


今回この問題意識を強く意識させられたのは、リストラで起きている現実を目の当たりにする機会が多いこともあるが、企業の衰退について書かれた文献を当たっているうちに見つけた「ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階」*1にあるいくつかの事例に、自分と同様の見解や、ヒントを得たことが大きい。



 永続しないビジョナリー・カンパニー


「ビジョナリー・カンパニー」シリーズは、そもそも、長期に渡って成功した企業の共通の「成功の法則」と言えるエッセンスを見つけようとする試みから取り組まれた企画であり、「1」、「2」ともベストセラーとなっているので、読まれた人も多いだろう。私も、賛否は別として、非常に興味深い仮説がたくさん出てくるという理由で熟読したものだ。


だが、非常に高く評価された当シリーズの成功例として取り上げられた企業の中にも、その後衰退ないし、完全に失敗してしてしまっている例が数多くあることが知られるようになる。中でも、リーマンショック後、評価が一変したどころか、今回の金融危機で露呈した最大の悪玉扱いされるようになった、ファニーメイの存在は、ファニーメイを飛躍した企業の一つとして取り上げた「ビジョナリー・カンパニー」シリーズにとっては非常に大きなインパクトがあったはずだ。


ファニーメイ連邦住宅抵当公庫 - Wikipedia



 それでも貴重な材料だと思う


だが、それでも、成功例の法則の研究に携わったメンバーが、同じ企業を対象としてすぐ後に失敗の研究にも係わるという試みからは、非常に重要な教訓がを得ることができると思う。安易でマニュアル的な知識やノウハウを求める人には物足りないだろうが、事例の背後にある真実を自分自身考え抜こうと努める人にとっては貴重な材料になりうると思う。



 リストラ企業の失敗の法則


では、私がリストラ企業に見る典型的な失敗の法則は何なのか。次の3つをあげておきたい。


1. 株式の価値と株式の価格の混同


2. 官僚制と規律ある経営の混同


3.存続だけが企業の目的という勘違い

 株式の価値と株式の価格の混同


株主でも、リストラに関与する銀行でもありがちなことだが、短期的な収益改善/成長を求め、明確に収益を保証する投資以外は強く抑制を求める傾向がある。だが、これは生きた企業の生命力の実情を顧みない「机上の空論」であることは明らかだ。


企業にとって、持続できない短期的成長を綱渡りのようにつないで行くことは、長期的な企業価値を損なうことが多いことはもはや常識といっていいからだ。このあたりのことを非常に鮮やかに説明する一文が「3」にある。

われわれのいくつもの調査では、持続しえない短期的成長を求める圧力に抗
した企業が、ウォール街の尺度である株式運用成績でみても、長期的に優れた結果を生み出していることがあきらかになっている。われわれが調査対象とした偉大な企業を築いた人たちは、株式の価値と株式の価格の違い、株主と株式売買者の違いを認識しており、自分たちの責任は株主にとっての価値を築くことであって、株式売買者にとっての価格を最大限に高めることではないと認識している。同掲書P99


このことを理解している経営者が大変少なくなってきているのは残念だ。日本的経営は長期的な株主価値を重視するとあれだけ公言していたのは、一体何だったのか。「3」が株主の力が強く、短期的な損益維持の圧力が日本より遥かに強い米国企業を主として対象に書かれていることは示唆的だ。企業成長の本質は日本でも米国でも同じということだろう。



 研究開発費をめぐって


また、この短期志向は、研究開発費をめぐる議論においてもしばしあらわになる。非常に不透明な今の時代に、明確に効果が説明できる投資というものが安易にあると信じること自体ナイーブと言わざるをえない。勿論、規律のない浪費的な投資は論外だが、自社のビジョンや使命実現が明確な経営者であれば、継続的かつ長期的な投資が不可欠であることは誰でも知っている。


「3」でも興味深い事例が出てくる。ゼロックスの経営が非常な苦境に陥った時に、CEOに就任して危機を救ったアン・マイケルヒーに関する記述だ。


部外者からは研究開発費を削って会社を救うべきだとつぎつぎに助言されたが、頑として受け付けなかった。偉大な企業の地位を回復するには、断固としたコスト削減とともに、長期的な投資が不可欠だと主張し、最悪の時期に、売上高に対する研究開発費の比率を逆に高めているのである。 同掲書P193


投資に関しては、これも非常に参考になる一文がある。


新しいアイデアのうち何が成功するかが、事前に確実に分かるのであれば、成功するアイデアだけに投資すればいい。だが、確実には分からない。だからこそ、偉大な企業は成功しない可能性もある小さなアイデアを大量に試している。 同掲確P122


「成功する投資だけに絞れ」という経営者がいかに困った存在なのかは、現場で葛藤する人なら、誰でもわかりそうなものなのだが。



官僚制と規律ある経営の混同


「3」では経営者が規律を失って、一発勝負に出たり、無理な拡張を続けたりして破滅する例が繰り返し語られる。規律を失った経営者の事例は勿論日本企業にも少なくないが、今回主として対象とする、株主や銀行の主導の元にリストラを進める企業の場合はむしろ、「官僚的な規則の制度」の浸透によって、内的動機に基づく自己規律的な文化が破壊されていく事例のほうが重要だと思う。


確かに経営が傾いて行くような会社にありがちなのが、放漫な経営体質であり、規律のない従業員とその仕事ぶりの問題だ。だが、困ったことに、リストラの元に取り組まれるのが、規約の整備だの、監査強化だの、官僚的な制度の導入だ。だが、そこで現実に起きていることは、自己規律ある責任感の高い従業員のモラルを失墜させ、自己規律文化は霧散し、次世代のリーダーになりうるそのような従業員を会社から追い出してしまうことだ


この点について、『3』に厳しいが鋭い指摘がある。


不適切な人材と適切な人材の違いでとくに目立つ点の一つは、不適切な人材が自分はこれこれの「肩書き」を持っていると考えるのに対して、適切な人材が自分はこれこれに「責任」を負っていると考えることである。 同掲書P103


自己規律ある人材ほど、自社の仕事の本質をわからない「官僚」に、規約を押し付けられるようなことは耐えられないものだ。リストラの結果、こういう不適切な人材だらけになってしまった企業が生き残ることは、誰がみても難しいだろう。


また、こういう不適切な人材だらけになった企業が、盛んに組織再編改変に走る傾向がある、ということを「3」でも指摘しているが、あなたも思い当たることはないだろうか。



 存続だけが企業の目的という勘違い


「自分は、企業を存続させて雇用を確保することが起業経営の責任と考える」とおっしゃる経営者は、日本では大変多いし、それ自体が間違っているとも言えない。


だが、すでに企業の社会的使命をとっくに終えてしまったのに、闇雲に存続することだけが目的になってしまったような、いわゆる「ゾンビ」企業がものすごく多くなってしまった現状を見るにつけ、安易にこれを見過ごす気にはなれない。


「企業の目的は儲けること」としか語らない経営者を見ると、私がはいつも、「政治の目的は経済成長」としか語らない政治家を思い出して、気分が悪くなる。


経営者や指導者が、単なる生き残りよりも大きな目標(企業の存続よりも大きな目標)を掲げて真剣にこれを追求するする姿ほど、有能な人材を引きつけ、彼等に厳しい環境でも高い規律とモラルを持って働かせ、実力あるパートナーを引きつけ、長期的に支援してくれる顧客をひきつけることに寄与するものはない。


生き残ることだけを標榜し、実力ある従業員を社外に追いやるようなリストラを繰り返し、株式売買者や無責任な銀行屋(銀行家ではない)の言いなりに投資を削って無軌道な短期的な成長をのみ志向する。どう見ても、こんな企業が生き残ることは難しいだろうし、生き残らせるべきではないと思えてくる。



 もっと多様な読み方ができる


今回は、リストラを余儀なくされた日本企業を対象に、「3」を読み込んだが、もちろん本来もっと多様な読み方ができるし、むしろ本当に大事なのは、これをきっかけに各自が自分たちの問題として考え抜くことだと思う。特に今の日本企業に勤める人にはとりわけ大事なことだと思う。

*1:

ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階

ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階