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『ゲゲゲの女房』に見る幸福のあり方

佳境に入ってきた『ゲゲゲの女房


NHK連続テレビ小説、『ゲゲゲの女房』が佳境に入って来て、俄然面白くなって来た。初回は朝ドラ史上最低視聴率でスタートしてどうなることかと思ったが、じわじわと視聴率も上がり、5月25日は開始以来最高の18.8%を記録して、人気ドラマとの認知を得て来ているようだ。



『専業主婦』の生き方に見る現代性


娘さんが誕生した最近の時代設定は、昭和30年代の後半で、当時の風景が鮮やかに再現され、貧しく明日の展望もないが、それでも明るく生きようとする姿が大変微笑ましい。2000年代は昭和ノスタルジーの時代と言われ、中でも昭和30年代が注目を浴びたものだが、その流れを引き継ぎつつも、高度成長期の熱気の中で地位や成功を求めてあくせくしているわけでもない。そもそもヒロインは『専業主婦』である。(朝ドラが職を持たない専業主婦を主人公にするのは30年以上前に遡るそうだ!) 夫の運命に従い、翻弄されながら、貧しい中でも心の豊さを失わない女性のありかたというのには、妙に時代を超えた『現代性』を感じる。インターネットで他の人の意見をあたってみると、どうやら同様に感じている人は多そうだ


コラムニストのペリー荻野さんは「久しぶりに面白いなと思いましたね」と話し、こう分析する。「このところ“自分探し”的な、目標が定まらない若 いヒロインが続いていたが、希望をコツコツ積み重ねていく夫婦もいいなって思える。今の若い人って野望を抱かないでしょ。時代のスロー願望に合ってます ね」

朝ドラは女性の社会進出を応援してきたが、今や女性は社会の中枢にいる。地位や成功よりも、心の豊かさを求める今の空気に、貧しいけど心豊かなヒ ロイン像がズバリはまったようで、「『彼女を見習いたい』という非常にピュアな反応が多い」とか。
 物語の基盤は「人の優しさ」「情緒」だが、地下層には「激しさ」も隠されている。それが昭和のメディア興亡。紙芝居が廃れ、貸本業界が傾き、少年 誌が熾烈(しれつ)な争いを繰り広げ、主人公たちを翻弄(ほんろう)する。谷口さんは「今の社会と重なるものがあり、ただ懐かしいだけではなく、同時代性 を出せる」という。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2010052902000089.html

相変わらず厳しい女性の社会進出


85年の男女雇用機会均等法改正以降、女性の社会進出をマスコミが煽ったこともあり、しかもその後の「自分探し」奨励の風潮とあいまって、能力があって働くことができる女性は、社会進出をすることが当然というような雰囲気さえできあがった。だが、そのあおりを受けて社会進出して、今では管理職の年齢に到達した女性の多くは、実際にはどの企業にもある男性優位社会のグラスシーリング(見えない壁)にぶつかり、仕事と家庭の両立の厳しさに疲弊することになる。もちろん、それを乗り越えて活躍する少数の尊敬すべき女性は存在するが、その存在が極めて例外的であることは「暗黙の了解」だ。この現実の姿を子供の立場で見てきた、昨今の若年女性の間には、再び「専業主婦志向」が広がっているという。長い時間をかけた実験にしては、何とも苦い果実ではないか。


生命原理を無視した市場競争


女性の社会進出の自由度を広げるというコンセプト自体は、間違っていたとは思わない。だが、当時の市場競争のイメージはあまりに生命原理を無視していて、持続可能性に乏しいものだったと言わざるをえない。そもそも当時の男性の総合職の勤務は、『専業主婦』の支えなしには成立しないことが前提となっていた。転勤も昇進の条件としている会社がほとんどで、女性が『主夫』を持てる可能性は限りなくゼロに近かったから、男性同様にキャリアを積むことのハードルは極めて高い。まして、出産による業務の中断を柔軟に受け入れることのできる日本企業は数えるほどしかなかった(ない)のが実情だ。その後、雇用機会均等法は2度の改正があり、制度にもさまざまな手が加えられたものの、現実の企業の実態を見るにつけ、ゴールはまだ遥か遠いと感じざるを得ない。



専業主婦へ


こんな中での専業主婦願望は、社会に出て苦労するようりはましという、消極的選択なのではないかといぶかりたくもなるし、職業を持って自分の人生を自分で切り開くことをやめてしまった専業主婦には夢も希望もない、というような諦念に沈んでいる人も多いのではないかと勘ぐりたくもなる。だが、仮にそんなマイナスの気持ちでドラマを観ていたとしても、優しく生きる元気を与えてくれるような、静かだが確かなメッセージがこのドラマにはある。



本当に大事なもの


ヒロインにとっては、そもそも経済環境やキャリアというような外部環境が幸福の条件ではない。お金はあるにこしたことはないが、絶対に必要なものではない。本当に大事にしているのは、『人の優しさ』『愛情』『情緒』『信頼関係』等の人間的な価値だ。そしてそれは外部環境がどうあれけして揺るがない。大事なものの順序を間違えることもない。まさに貧しいけれども心豊というのがどういうことなのか、しみじみと伝わって来る。視聴者の女性から、「『彼女を見習いたい』という非常にピュアな反応が多い」というが、その気持ちはよくわかる。さらには、専業主婦であるかどうか、というような外部環境をも超越しているとも言える。職業を持っていようが、持っていまいが、外部環境が過酷であろうと安楽であろうと、一番大事な人間的価値が揺るがない限り、幸福も揺るがない。



ストア哲学


多少飛躍を恐れずに言えば、このような精神態度は、『ストア派』哲学に近いものだろう。ストア派とはヘレニズム時代に成立した哲学な いしその学派だが、代表的な人物として、カエサルの友人でもありライバルでもあったキケロ、暴君ネロの家庭教師であったセネカ等がいる。ストア派は、どんな外部環境であれ、怒らず、悲しまず、当然のこととして現実を受け得れ、そんな外部環境に左右されることなく、あらゆる感情から解放された状態を最善の状態として希求する。外部環境の中には、自分の肉体や生命も含まれ、自分の肉体が痛んでも、さらには死さえも、「自分の幸福とは関係のない外部」と位置づけるほど徹底していたと言われる。大事なものは外部環境に左右されない、という点に共通点を感じてしまう。


自然を受け入れ共生する日本人


思えば、この時代の日本人は、自然を所与のものとして受け入れて共生し、その恵みを享受することに長けていた。(正月、七草、節分、ひな祭り、彼岸、花見、端午の節句、七夕、土用の丑の日、お盆、月見、冬至、大晦日等)自然を自分に都合良く作り替えることなど考えず、受け入れ、流れにのり、享受する。『ゲゲゲの女房』でも娘にひな人形を買うお金がなくても、ひな人形の絵を書いて、その上に折り紙を貼って、ひな祭りを祝うシーンが出て来るが、豊かさは外部環境やお金の多価だけに左右されるわけではないことをあらためて思い出させてくれる。



現代の「希望」


女性の社会進出そのものが良いわけでも、悪いわけでもない。ただ、自分を探す為に、あてどなく外の環境ばかりにとらわれ、経済的な成功だけに執着して、それができなければ、負け組と卑下する、そんなあり方を見直してみてもいいのではないか、そういうメッセージがじんわりと伝わって来る。そして、ドラマの人気から、そんなあり方に共感する心性を少なからざる数の日本の女性が心の古層に持っていることがわかる。それは、現代の『希望』であり『明るい兆し』と言ってもよいように私には思える。



これからも興味がつきない


水木しげる氏の極貧の時代は、あとしばらくで終わり、今度は超売れっ子漫画家となる運命が待っている。日本人の多くは、高度成長からバブルに至る時代の変遷の中で、拝金主義に方向転換して行く。こういう環境で、ヒロインがどのように生きていったのか。そういう意味でも、『ゲゲゲの女房』はまだまだ興味がつきないし、これからもっと面白くなりそうだ。