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消費社会の激変と企業と顧客との関係の変化について

One to One マーケティング


『One to One マーケティング』というコンセプトがある。初めてこれが提唱されたのは、マーケティングコンサルタントのドン・ペパーズ(Don Peppers)氏とマーサ・ロジャーズ(Martha Rogers)氏の著書、「The One to One Future」(1993年)とされるが、日本でこれを頻繁に耳にするようになったのは、ウインドウズ95が発売されて、本格的にインターネットが普及し始めたころだ。まだ電子メールでさえ非常に物珍しく、情報技術の大きな進化に目を見張るような気持ちでおそるおそる使っていたことを思い出す。だが、確かにこのような技術が普及すれば個別の顧客それぞれにきめ細かく対応できるようになることを直観し、マーケティングが新しい時代に突入することを確信したものだ。個別の顧客一人一人に対応できればそれにこしたことはないことはもちろん当時でもわかっていたわけだが、相当大きな規模と資金力を持つ企業でも、顧客を年齢や年収、嗜好等の塊(クラスター)に分けてその幾つかにアプローチするのが限界だった。そのクラスターを一定規模以上に細かく分けても、費用対効果が見合わない。なにせ、電子メールなどという、ほとんどコストをかけることなく大量の顧客にメッセージを送れるような技術などそれまでなかったのだから当然とも言えた。



超えるべきハードルは多かった


だが、すぐにも実現するかに見えた『One to oneマーケティング』も、実際にこれを実現するにはまだ超えるべきハードルが非常に沢山ある事が徐々に明らかになる。アプローチされる顧客の側も、自分の情報が自分の知らないところで流通し、悪用されることのリスクにすぐに気づくことになる。当時は顧客データベースと電子メールがあれば『One to One マーケティング』が実現できると安易に考えた者も少なくなかったのだから、今にして思えば牧歌的な話ではある。ただ、このコンセプトはともすれば新規顧客獲得に重きを置きがちだった企業のマーケティング担当者に、既存顧客との双方向で継続的な関係維持の重要性を再認識させるきっかけにもなった。以降、企業は一人一人の顧客対応できることを目標に掲げて技術/システム構築(情報技術インフラ構築)にしのぎを削ってきた。



質的な変化とそれに気づかない人達


この当時と現代を比べると、情報技術という点でもその高度利用という点でも隔世の感がある。今でも、完全なOne to Oneを実現している企業は存在しないが、アマゾンのようにかなりのレベルでこのエッセンスを実現している会社はいくつも現れて来ているし、何より顧客の側も勢力的に企業や商品/サービスの情報を調べ、積極的に発言することができるようになった。企業と顧客との距離は明らかに近くなった。そして、いつのまにか当時思いもよらなかったような質的な変化が起きて来ている。しかも、もはやそれを誰も止めることができない。それどころか、市場は今や非常に短いスパンでメタモルフォーゼ(変身)を繰り返す意志を持った生き物のように見えることさえある。私など、あまりの質的な変化に、地面が崩れて行くような感覚にしばし襲われて、今の時代の日本の市場でビジネスをすることの本質的な難しさに茫然自失となることもしばしばだ。


だが、ふと周囲を見渡すと、当時とほとんど変わらないマインドセットで市場と顧客に臨もうとしている人達も大変多いことに気づく。企業と顧客の関係はそのままで、如何に企業が情報技術インフラ構築をすすめ、大きなクラスターで見ていた顧客を、徐々に小さなクラスターに分けることができるようになり、終いには企業と顧客一人一人とのコミュニケーションを確立する、そんな感じのイメージを持っているようだ。確かに大抵の企業はそれを目指して来た。今でも目指している企業(企業人)が大半と言っていいのかもしれない。そのためには、企業の側も膨大な顧客データや精緻に分析するノウハウを持ち、それを維持するための組織を持つ必要があると考えている人も多い。大手の日本企業の幹部に典型的な考え方と言ってもいいかもしれない。だが、もはやそんな単純な理解では収まらない事態が起きていることに早く気づいた方がいいと私は思う。



市場でも常識となりつつある質的変化


最近では、市場と顧客の質的変化を説明する言説も沢山出て来るようになった。かなり月並みではあるが、例えばこんな感じだ。


1.企業と顧客との情報量の変化


従来、顧客は企業の商品やサービスに関する情報収集の方法は限られていたから、企業は情報のコントロールが可能だった。情報を過少気味にして、イメージ訴求を中心にして顧客を煙にまく企業も少なくなかった。だが、今では顧客にはインターネットを通じて溢れるように情報が入ってくる。そうしているうちに、企業情報が必ずしもあてにならないことがわかってしまった結果、何か買うにあたっても、企業が発信する情報より、『善意の第三者』としての口コミ情報により信頼を置くようになってきた。当然、顧客に相対する企業に求められる姿勢や仕草は、より『正直』で、『誠実』で、『謙虚』にならざるをえない。しかもそれを作為で行うのでは早晩見透かされてしまう。もちろん従来から企業はそれをうたって来たのだが、大方は単なるお題目だった。だが、今やそれは『リアル』に実現することが求められるている。


2.コミュニケーションの場のシフト


企業のメッセージは従来は(一部の例外を除けば)ほぼ4大メディア(テレビ/新聞/雑誌/ラジオ)の回路を通じてでなければ伝えることができなかった。これがインターネット時代になって、各企業が自分でメディア(ホームページ等)を持って顧客に相対することができるようになったわけだが、さらにブログでかなりのことができるようになると、安価に誰でも参入できるようになり、企業の組織/資金/体力が必須条件ではなくなる。これがさらに、SNSTwitter等のソーシャルメディアに企業と顧客のコミュニケーションの回路の中心がシフトしようとしている。そうなると、資金/組織(人数)等の量的な要素より、個別のコミュニケーション能力(個性)のほうがより重要になる。もちろん、企業の情報コントロールはますます効きにくくなる。それどころか、SNSTwitterのようないわゆる『ソーシャル』のフィールドは、そもそも企業が広告宣伝をするためにつくられたものではなく、むしろ必要でもないものを売ろうとするよこしまな意図を持つよそ者として扱われかねない非常にデリケートな場所だ。



Twitter利用で見られる企業の『ゆるい』キャラクター設定


企業と顧客とのコミュニケーションのあり方が変化したことをありありと実感できるのが、最近の企業のTwitter利用実態だ。朝日新聞NHKのような本来お固く真面目な会社でさえ、そのイメージを覆すような『くだけた』『ざっくばらんな』、個人の個性が丸ごと企業の殻を突き破ったようなつぶやきが、それぞれの社名の下に表出し、そのキャラクターゆえに好評だったりする。従来の企業広報/宣伝の常識を完全に超えている。他の企業にも同様の例は多くなってきており、この『ゆるいキャラクター設定』は一種のセオリーの一つになりそうな感さえある。如何に正確で間違いがなくても、法人の機械的で非人間的な雰囲気は受け入れられず、むしろ時に間違いがあっても、それを誠実に認める謙虚な個人のほうが好まれる。ここでは『法人から個人へ』のシフトが起きている。


このもうひとつの典型例は、Twitterで頻繁につぶやくソフトバンク孫正義氏だ。ソフトバンクグループの総帥が顧客と直接繋がること自体、驚くべき(そして従来の常識ではありえない)出来事だが、それ以上に驚きなのは、孫氏のざっくばらんな『ゆるい』キャラだ。例えば、毎週日曜日になると、NHK龍馬伝の放送が待ち切れなという気持ちを子供のように率直につぶやいてみせる。少なくとも今のところは、孫氏個人もソフトバンクの企業イメージも共に好感度は上がっているとするマーケティング関係者は多い。(逆にそれをやらないauやドコモに対しては明らかにソフトバンクに相対するより顧客の態度は厳しくなっているとさえ言う人もいる。)



もう一つの消費社会の変質の大波


ここまでは、昨今比較的どこでも言われるようになったことだが、もう一つ、本質的な消費社会の変質と言える大波がすでに足元に押し寄せている。


子供のころからインターネットがあり携帯電話を当たり前のように持っている世代が、デジタルネイティブと呼ばれ、日本だけでなく世界を変えて行くであろう事は盛んに喧伝されて来ている。彼ら(彼女ら)は日本の企業社会の意思決定を左右するランクにまでは到達してはいないが、消費者の一角を占めるようにはなってきている。『自動車離れ』『草食男子』等、消費性向という点でもすでに強烈なメッセージを発し始めていることはご存知の通りだ。彼らのライフスタイルや消費行動に注目しているとここでも巨大なシフトが起きていることに気づく。



情報消費が中心にある若年層


乱暴な言い方をすれば、彼らの一日のうち自由に使える時間は細切れの隙間時間を含めて主としてモバイル端末を通じて降り注がれる情報で埋め尽くされている。ものすごく面白い動画/ライブ映像、画像、小説やブログ、百人単位の『友人』とのメールやSNSを通じたコミュニケーション、ものすごく面白いゲーム、刺激的なニュースや情報、これが安価で自分の手の内(携帯電話やスマートフォン)にやって来る。従来は、このような情報/コンテンツ消費はリアルな生活の一部、いわば添え物だったわけだが、彼らにとっては情報/コンテンツ消費がこそが中心にある。そこに自動車や電気製品のような『モノ』も情報/記号に置き換えられて、他の情報/記号と同一線上にフラットに並んでいる。そして、そのフラットにならんだ情報/記号のうち最重要視されているのは、緊密な(しばし緊密すぎる)人間関係維持だ。


私達の世代でも、自動車や電気製品といったモノは、多分に人間関係を豊にするアイテムとして消費されていた。その意味で『記号消費』と言われていた。だが、今の若年層はメールやSNSを通じた緊密なコミュニケーションによる人間関係構築/維持のほうがよりリアルで重要と考えているようだ。これではモノは売れなくなるのも当然だ。そういう意味では若者が消費に淡白になって欲望がなくなったというような見方は表層的と言わざるをえない。若者はお金が無いからモノを買わない、というのも必要条件であっても十分条件とは言えない。確かに、一方でますます過剰なほどに面白くて刺激的な情報が安価で溢れて出て来るのに、購入にも維持にも負担が大きいわりに自分の周囲からも評価されない『モノ』の購入をするだろうか。逆にモノを含めて、企業が若者に何かを提供してお金を払ってもらおうと思えば、このフラットに並んだ情報/記号を解読するセンスが必要なだけではなく、彼らの感性に違和感なくアプローチできる人間的な個性が必要であることは想像がつくだろう。


もちろん、モノでもサービスでも、物理的な最低限の必要という意味での需要なあるから、若者のマインドにフラットに並ぶ情報とは違ったカテゴリーにいる消費もなくなるわけではない。だが、それは今以上に過酷なコスト競争力合戦となることを余儀なくされるから、いわゆる消費者マーケティングが扱う範疇外に押し出されてくるだろうし、それを担うのは日本(日本企業)ではなくなっていく可能性が高い。また、デジタルネイティブ、若年層と言ったが、この影響は彼らより上の世代にも十分及んで来ており、中には若年層顔負けのデジタルネイティブ中年も増えて来ている。



むしろ今のほうがエキサイティング


繰り返すが、従来の常識に捕われていては、今起きていることに対処できない。だが、コミュニケーション能力のある『個人』にとっては実に面白い時代であることは確かだ。ある意味で、これから本当の『One to Oneマーケティング』の時代が来ると言っても過言ではない。インフラや技術の重要性以上に、消費者のマインドの解読とコミュニケーション能力が重要になり、競争の次元がシフトして来ると考えられるからだ。本音を言えば、私自身は初めてこのコンセプトに触れた時より、今のほがずっとエキサイティングでワクワクする時代が来ていると感じている。暗くなっている暇などない。すべきことは沢山ある。そういう気持ちを共有できる仲間が一人でも多く出て来る事を願いたい。